16:心臓

 クロヴァは深呼吸すると、ジルコニアに向き直った。


「君が誠実な女性であると知っている。責めるつもりはない。だから、何をしていたのか教えてほしい」


 彼の言葉は冷静でありながらも、心の中で葛藤があるのは明らかだった。

 ジルコニアは必死になって説明する。


「陛下とは偶然ここでお会いしました。最初は何気ないお話をしていましたが、陛下が私に……特別な感情をお持ちだと、おっしゃいました。そして強引に抱きしめられました。でも、誓って、それ以上は何もありません」


 無実を訴えるが、クロヴァの表情は厳しいまま。ジルコニアは泣きそうになった。


「クロヴァ様、私は本当に……」

「陛下の蛮行ばんこうに心当たりがないでもない。無理やりされたというのは事実だろう」

「信じていただけるのですか? もしかして、繰り返しの中で、いまのような状況が……?」

「これは初めてだ。知っていたらめている。……他の男と抱き合う姿が面白くなかっただけだ。初めから疑っていない」

「許していただけるのですね」


 ジルコニアは極度の緊張から解放され、ふらっと眩暈がした。足元がふらついて倒れそうになったところを、クロヴァが驚いて抱き留める。


「すまない、俺の言い方が悪かった」

「いえ、私が悪かったのです。すみません、重くないでしょうか?」

「羽のように軽い。……いや、羽は言い過ぎたかもしれない」

「比喩ですから」

「そうか」


 クロヴァの不器用な口ぶりに、ジルコニアは懐かしさを覚えてほっと安堵した。


 繰り返す時間という非現実。

 その中でクロヴァとのすれ違いを感じていたが、彼の誠実さと真面目さが変わっていないことが嬉しかった。


 クロヴァはそのままジルコニアを抱き上げ、図書館の中央にある長椅子へゆっくり下ろした。彼自身もその横に座る。


「少し休んでいこう」

「ありがとうございます」

「俺にもたれかかってくれ」


 背もたれのない座面だけの椅子で、ジルコニアが休めるよう、肩を抱いて自身の体に引き寄せる。

 ジルコニアは体が密着することにドキドキするが、体に残る倦怠感には逆らえず、素直にクロヴァに体をあずけた。


 クロヴァがぽつりと話した。


「……陛下が、今のような行動をとった理由だが」

「お心当たりがある、と仰っていましたね」


 クロヴァは「この説明で君が安心するといいのだが」と前置きし、ゆっくりと話し出した。


「陛下が幼い頃、俺が剣術の指導役をしていた。師弟時代の微妙な力関係が、君主と臣下の関係となったいまも残っている。年齢がもっと開いていればよかったが、8歳差という近さだ、思うところがあるんだろう。陛下は時折、俺に対抗心を燃やすことがある」

「……対抗心で、クロヴァ様の婚約者の私に、あのようなことを?」

「それだけではないだろうが、そういうことだ。つまり君に落ち度はない」

「陛下は思ったより幼稚な――」


 ジルコニアは思わず本音を漏らしそうになり、ハッとして口をつぐむ。クロヴァは苦笑した。


「我が主君は義と勇に優れた素晴らしい方で、2年前に戴冠されてる前からも立派に活躍なさっている。反抗的行動こういったことは俺と彼の二人だけのときにしかやってこなかった。しかし、今回はやりすぎだ。折を見て進言しよう」

「お任せいたします」


 会話が自然と途切れた。

 ジルコニアはスペイドと出会ってからの気持ちの乱れがようやく落ち着き、ふと図書館に来た理由を思い出す。


「あっ! いま何時でしょうか?」

「午後2時過ぎだ」


 クロヴァは懐中時計を取り出して答える。


「すみません、このあと聖女様と会う約束をしていて」

「日を改めたらどうだ? 体調は万全じゃないだろう」

「ご心配ありがとうございます。しかし、今日は聖女様から大事なことを相談したいと言われていますので、彼女の期待に応えたいのです」

「深い話をする仲になったのか。よかった」


 クロヴァは心から嬉しそうに笑った。


 送り届けると申し出たクロヴァに対して、ジルコニアは丁寧に断った。女性だけの交流の場に、男性をあまり近付けたくないからだ。

 クロヴァは不安そうな顔をしたが、ジルコニアの意思を尊重した。彼は本来の仕事をするため騎士団官舎の方と帰って行った。



  ◇ ◇ ◇



 王城内の奥にある別館が聖女の住まいだった。

 警備の観点から奥まった場所にあるが、日当たりと風通しがよく過ごしやすい。

 聖女がどのような好みでも心地よく暮らせるよう、豪華さを抑えた内装になっている。


 1階にある客間で、ジルコニアとダイヤは向かい合ったソファに座っていた。


 重要な話がある、と人払いをしてから、ダイヤは当たり障りのない話を続けていた。

 しかし指はドレスの裾をせわしなく触り、視線が落ち着かない。


「……あのっ」


 ダイヤはようやく話す覚悟を決めたのか、緊張して硬くなった表情で言った。

 そして座ったまま、少し上体を倒して前かがみにして、声を潜めて言う。


「あの、ジルコニア様とすごく仲良くなれたと思うのですが」

「光栄ですわ」

「ジルコニア様だけにお伝えしたいお話があって……」


 ダイヤは呼吸を繰り返し、ごくりと空気を飲み込んだあと、上ずった声で言った。


「その……す、すっ、すっ、好きな人がいて」

「まあ」


 ジルコニアは指をそろえた手を口元に当て、ぽっと頬を染める。

 恋の話こいバナは古今東西、女性にとって最重要の話題だ。


 ダイヤは顔を真っ赤にして続ける。


「関係を進めたいんですが、キャラ選択イベントがなぜか起らなくて困ってるんです」

「きゃ……いべ……?」

「あっ、えっと、なんというか、その、彼との仲を協力をしてほしいんです!」

「もちろん、喜んで協力させていただきますわ。それで、お相手というのは?」


 ジルコニアの問いに、ダイヤは照れ隠しに後頭部をぽりぽりとかきながら言う。


「クロヴァ騎士団長です。えへへ」


 ジルコニアの時が止まった。

 ダイヤはそれに気付かずに話し続ける。


「実は、詳細はややこしいので割愛しますが、この世界に来る前から皆様のことを知っていたんです。私、昔からずっとクロヴァ様にガチ恋してて」

「……クロヴァ様というは、騎士団長の、メイス伯爵?」

「そうです! さすがにご存じですよね。私の護衛なんですが、実物はすっごくカッコよくて! 真面目で厳しいところも、実は優しいところも、会ってみたらキャラそのままで、もっともっと好きになっちゃって。それで、クロヴァ様と……結婚したいなって……」

「彼は私と婚約しておりますが」


 ジルコニアは思わず口を滑らせてしまった。

 慌てて口をふさぐが、もう遅い。


 ダイヤは驚愕に目を見開き、放心状態で呟いた。


「うそ……」


 ジルコニアは自身の迂闊さを心底呪った。せっかくここまで仲良くなったのに、ダイヤの不興を自ら買うような真似をしてしまった。

 慌てて言い繕おうとするが、無駄だとわかっていた。


「聖女様、落ち着いてください。あなたの気持ちは――」

「バグッてる! そんなルート知らない! あたしには彼しかいないのに!」


 ダイヤは立ち上がって激昂した。普段の無邪気な様子からは想像できないほど怒気に満ちた表情だった。


「せっかくの転生なのに、ぜんぜん思い通りにならないじゃん! こういうのってストーリー知ってる転生者が無双するんじゃないの?! スペイドもハルトも溺愛しないし、クロヴァはちっとも会ってくれないし、イベントぜんぜん起きないし! あたし、あんなに惨めに死んだんだよ?! ちょっとくらい幸せにしてくれてもいいじゃん!」


 ジルコニアは、わけのわからない事をまくし立てる彼女を見上げ、固まるしかなかった。


 ダイヤは肩で息をしていた。大声を出して気持ちが少し発散できたのか、感情は落ち着きを取り戻しているように見えた。


 彼女はふいっと顔を反らし、ドアの方へと歩いて行った。ドアノブに手をかけ、背を向けたまま言う。


「……ごめんなさい、私、ちょっと頭がぐちゃぐちゃで、すこし考えさせてください」


 ドアを静かに開け、出て行った。


 ジルコニアは激しい後悔の念に包まれる。ソファに深く沈み込み、天井を見上げた。


(失敗してしまった)


 少しして、メイドたちがおずおずと入って来た。テーブルの上をてきぱきと片付け、新しい温かい紅茶を淹れる。聖女と仲良くなってから、メイドたちとの関係も、こうして気遣いをしてくれるほど良好になっていた。


 ジルコニアは無意識に、目の前の机に置かれた紅茶のカップに手を伸ばした。混乱した感情を紅茶の温もりで少しでも落ち着けようとした。


 カップが唇に触れる寸前、ジルコニアの心臓が激しい痛みに襲われた。カップを机に戻す間もなく、ソファから滑り落ちるようにして倒れた。胸のあたりを掴み、浅い呼吸を繰り返す。


「……ジルコニア様?」

「ジルコニア様!」

「どうされました?!」


 部屋にいたメイドたちはジルコニアの異変に気づき、慌てふためきながら駆け寄った。部屋は突然の出来事に騒然となる。


 ジルコニアはその全てから遠く離れたような静けさの中で、意識を失った。

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