14:クロヴァへの報告

 ジルコニアはクロヴァ邸の中庭にいた。

 低い生垣に挟まれた小径こみちを、クロヴァと並び立って歩く。


 王城玄関ホールでの騒ぎから1ヶ月。

 風はまだ春の余韻を残しながらも、陽光には夏の力強さがあった。水を撒いた直後の中庭では、花びらや葉先に垂れる水滴が眩しい輝きを放つ。


「――大変だったな。それで、その後は?」


 クロヴァは落ち着いた声でジルコニアに聞く。


 今日はクロヴァに、聖女との件を説明するため訪ねていた。

 折に触れて手紙を出して状況を伝えていたが、手紙では伝えきれなかったこともあるため、詳しい説明は会ってから伝えると約束していた。クロヴァの仕事が忙しく、1ヶ月経った今日、ようやく会うことができた。


 ジルコニアはクロヴァの問いに答える。


「その後はダイヤ様と、数日おきにお会いするようになりましたわ。例の4人の令嬢は、汚職の話に巻き込まれたくないのか、ぱったりと来なくなったと仰っていました」

「汚職事件の話は、君が聖女に漏らしたと思われなかったか?」

「ダイヤ様は他にもいくつか、秘密とされていた件を知っていらっしゃったようで、私が漏らしたのではなくダイヤ様の神秘の記憶だという結論になりました」


 クロヴァはほっとした表情で言った。


「よかった。危ない橋を渡らせてしまったな」

「いえ。結果として聖女様と仲良くなれましたから」

「聖女との交流はつらくないか?」

「彼女とは心から楽しいお友達として仲良くしています。私にはない視点でのお話が多くて、勉強になるんですよ」


 ジルコニアはいくつか、聖女から聞いた話をクロヴァに聞かせた。聖女のいた元の世界の技術、考え方、文化。クロヴァは、ジルコニアが表情をくるくると変えながら語る姿を微笑ましく見守った。


「――そして、ダイヤ様の世界にも、似たお菓子がいくつかあるそうなのです。味はどちらも美味しいと仰っていましたわ」

「それは何よりだ。思ったより交流があって、安心した」


 クロヴァは柔らかい目でジルコニアを見つめた。説明をしていくうちに楽しくなってきたジルコニアは、聖女から聞いた話をさらに続ける。


「聖女様の世界は、不思議な話ばかりですわ。観劇は主流ではなく、写真の中の人物が動くのを楽しむのですって」

「そんなものがあるんだな。観劇は行ったことがないからわからないが」

「クロヴァ様は、過去の私とは行かなかったのですか?」


 言ってから、ジルコニアは失言に気付いた。彼女が歩みを止めると、クロヴァもその場にとどまる。


「も、申し訳ありません。過去の出来事について、クロヴァ様はあまり思い出したくないでしょうに……」

「気にしなくていい。それに、過去の君との仲はあまり進んでいなかった」


 そう言いながら、クロヴァはジルコニアの手を優しく握り、そっと引き寄せた。彼はもう一方の手を彼女の細腰に添え、ゆっくりと身を屈めた。

 ジルコニアは迫るダークブラウンの瞳から目を離せなかった。彼の吐息の熱が頬に触れる。


 クロヴァはジルコニアを見つめながら、唇が触れそうな近さでささやいた。


「情けないことに、口付けすらしていない」

「……っ」


 ジルコニアは目を見開いたまま硬直した。わずかでも動くとクロヴァの唇に当たりそうで、息をすることもできなかった。


 数秒そのまま見つめ合い、ようやくクロヴァは離れた。

 ジルコニアは思わず口元を抑えて後ずさった。本当にキスをしたときのように、唇がしびれるほど熱い。


「君を生かすことに必死だったんだ」

「……それは、その」

「気に病まないでくれ。俺が勝手にしていたことだ。それに、その苦労も今回報われる」


 クロヴァは疲れた顔で笑って見せ、まるで先ほどのことがなかったようにふるまう。


「今日もこのあと、聖女と会うのか?」

「い、いえ、明日お会いする予定です」


 そうか、とクロヴァは静かに微笑み、何かを言おうとして口を開いたが、すぐにそれを閉じた。彼の目がジルコニアを越えた先を捉え、不機嫌そうに眉を寄せる。

 ジルコニアが視線を追って振り向くと、低い生垣の向こう側に目を伏せた執事が立っていた。


 クロヴァは大きなため息をつく。


「時間のようだ。慌ただしくてすまない」

「いえ、お忙しいのは承知していますから」

「門の前まで送ろう」

「お気遣いありがとうございます。ですが、クロヴァ様はお仕事を優先してください」

「俺が送りたいんだ。……君より優先するものはない」


 クロヴァは口角を上げて笑みを作るが、その目にはわずかな寂しさの陰りがあった。


「……ありがとうございます」


 ジルコニアはクロヴァを悲しませたことに罪悪感を覚えるが、どういう感情なのか意味を図りかね、礼を述べるに留めた。

 クロヴァと共に馬車が回された門へ行く。


 2人はひと通りの別れの挨拶をする。その頃にはもうクロヴァはいつもの様子に戻っていた。

 ジルコニアはクロヴァの手を借りて馬車に乗り込む。


「それでは、また」

「ああ」


 馬車はゆっくりと動き出し、クロヴァ邸の正門をくぐる。

 彼の家は街の外れにあり、ジルコニアの家は王城を挟んで反対側にある。馬車は街の大通りメインストリートの石畳を軽快に進んでいく。


 ジルコニアは窓枠の外の景色に視線をやった。日は長くなり、この時間でもまだ太陽の光が街を強く照らしている。涼しい風が首筋をなでて心地よい。


「明日は図書館に行って、そのあとダイヤ様と会って……」


 ジルコニアは予定を口に出すが、頭がうまくまわらない。

 原因はもちろんクロヴァだ。キスする距離まで近付いたかと思ったら、急に寂しそうな視線だけを残して心を離す。


(彼の中にはきっと、私の知らない私と過ごした時間がある。彼の人格が変わるほどの時間が……)


「なぜ、私が死ぬのに、彼の時間だけが繰り返すの?」


 幾度も浮かぶ答えのない問い。


 聖女にそれとなく問いかけたが、『ばぐ』だとか『えらー』だとか、要領の得ない説明を受けた。彼女にもはっきりとした理由がわからない、ということだけは理解できた。

 そのほかにも『げーむ』や『あくやく令嬢』など、この世界について知っていることをいろいろと教えてもらった。


 聖女は降臨時に、この世界についての断片的な記憶を与えられる。それを『神秘の記憶』と呼んだ。別世界に突然やってきた衝撃を和らげる効果があるという。

 聖女ごとに方法は異なるようだが、ダイヤは『げーむ』という物語形式で神秘の記憶を得たと思われる。


 聖女が関わっているのに、聖女にも原因がわからない、繰り返される自身の死とクロヴァの悲痛な経験。

 その出口がすぐそこにあり、幸せな未来が約束されているはずなのに、まるで暗闇の中をでたらめに進んでいるような不安が常に付きまとう。


「……いまはダイヤ様と仲良くなることだけを考えていればいいわ」


 ジルコニアは馬車の窓のふちに頭をつけ、目を閉じた。ガタゴトという馬車の機軸の振動が頭にひびく。

 馬車は静かに彼女を運んでいった。

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