13:レンダー家の事情
王城の玄関ホールには、ジルコニアたちの物々しい空気を囲むように、何人もの王宮勤めの貴族や使用人たちが集まり始めていた。数はどんどん増えていく。
迷惑そうに顔をしかめる人、面白がっている人、困った様子でおろおろする人、様々な人の視線が6人に注がれる。
令嬢が冷たい声で説明する。
「ご当主のレンダー伯爵は数年前に、先代の大神官様と揉めごとを起こしたのですわ。大神官に背くとは神に背くということ。本来なら二度と社交界に出られないところ、国王の寛容な心で許していただけたのよ。それなのに聖女様に近づこうとするなんて、理解に苦しみますわ」
ジルコニアは顔から血の気が引いていくのがわかった。
レンダー伯爵――自身の父が揉めごとを起こしたのは事実だ。
しかしそれは、前大神官が賄賂を受け取っていた現場に伯爵が偶然居合わせてしまい、汚職の発覚を恐れた前大神官が先手を打ちレンダー伯爵を悪しざまに非難したという経緯だった。
汚職の事実を訴えたとしても、大神官が相手では勝ち目がない。レンダー伯爵は水面下での協議を行い、騒ぎの鎮静化と引き換えに汚職の件を口外しないことに合意した。
レンダー家が真相を言えないため様々な噂が飛び交っているが、ほとんどがレンダー伯爵を非難するものだった。レンダー家が神事に最低限の参加のみとなった事実がその噂を加速させる。
ジルコニアが完璧な淑女であろうとするのは、このことに由来する。
誰の目から見ても完璧であり続ければ、失った信頼を取り戻すことができるかもしれない。その思いで努力に努力を重ねた。
その結果、社交界でジルコニアは評判になり、またレンダー伯爵も実直な仕事を続けたことで、悪く言う人は少なくなった。
しかし、すべての人の評価を覆すことはできない。
(聖女様は清廉であるべきだから、悪い噂のある家とは距離を置くでしょうね……)
ジルコニアは暗い気持ちでダイヤを見た。
ダイヤは何かを思い出す素振りで目を閉じてうつむいていた。誰もがその口から出る発言を固唾を飲んで待った。
彼女はぱっと顔を上げて、ポンと手を打って言った。
「それって、先代の大神官が賄賂もらってて、それを見つけたレンダー伯爵に逆ギレした事件の話ですよね?」
玄関ホールがしんと静まりかえる。
衣擦れの音すらなく、耳が痛くなるほど張り詰めた静寂に包まれる。
ダイヤは不思議そうにきょろきょろと周囲を見渡したあと、ハッとして口を両手で覆った。指の間から声を漏らす。
「しまった、これ、言っちゃダメなやつだ……」
ダイヤは自身の発言の重大さにだんだんと気付き、真っ青になっていく。
どうしたらいいかわからず周囲に視線を走らせるが、誰も目を合わせない。
――賄賂の話を嘘だと言えば、聖女を嘘つき呼ばわりすることになる。
――かといって、賄賂を肯定することなどできない。
ダイヤは涙目になって弁明を試みる。
「あ、あの、ちがっ、違くて、いや違わないんですが……」
彼女が言葉を発するたびに、緊張感が高まっていく。これ以上の失言を皆が恐れ、しかし自ら助ける勇気などない。
誰かが止めることを、皆が一心に願った。
カツン
静かな玄関ホールに足音がひとつ響く。
ジルコニアが一歩を踏み出した音だった。
全員の意識がジルコニアに集まり、次に起こることに注目した。
ジルコニアは緊張で体が震えそうになるが、微笑みを作って集中する。
胸を張り、良く通る声で言った。
「聖女様の発言について、レンダー家は説明できる立場にありません。聖女様は
聖女の発言をうやむやにするという大胆な宣言。
ジルコニアが微笑みを浮かべて周囲を見渡すと、次々と首肯が返ってくる。
誰もこれ以上ややこしい事にしたくないため、事態を終わらせようと全員が協力する。
ジルコニアが令嬢4人にも顔を向けると、彼女たちは何度も首を縦に振った。面倒事に巻き込まれたくない、と顔に書いてある。
ジルコニアは、場の緊張感がほぐれていく空気を肌で感じた。場が収まったことに安堵する。
(話は広まると思うけれど、いま私がやるべきことはやったわ。……残るは、後始末だけ)
ジルコニアはダイヤに向き直った。
このまま彼女をここに残しておくわけにはいかない。
「聖女様、春とはいえ玄関ホールは冷えますわ。お風邪を召される前に、部屋に戻られてはいかがでしょうか?」
「えっ……えっ……?」
ダイヤは青い顔のまま、戸惑いの声を上げる。
ジルコニアは壁際にいた側付きメイドたちに視線を投げる。意図を察したメイドたちがさっと集まり、ダイヤの肩を抱いてこの場から逃がしていった。
ダイヤはジルコニアの方を何度も振り返りながら去って行った。
元凶の聖女が消えたことを皮切りに、集まっていた人達がぞろぞろと散っていく。
玄関ホールにざわめきが戻った。
ジルコニアは
多くの視線が注がれるなか、自分に落ち度がないことを示すため、背筋を伸ばしてしっかりと前を見て歩く。
開け放たれている玄関から外に出ると、春の暖かな風が通り過ぎた。
ジルコニアは深く息を吸って吐き出した。ようやく空気を吸えた心地だった。
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