10:聖女のプレゼントを買いに

 春の陽光が首都の石畳に降り注ぐ。街は多くの人や馬車が行き交い、繁華街メインストリートは生き生きとした活気に満ちていた。

 これまでも大きな賑わいに包まれていたが、聖女が降臨してからはより一層の盛り上がりを見せている。市民たちは幸せな笑顔で溢れ、街の隅々まで降臨を祝う装飾が施されていた。


 ジルコニアは馬車の窓からその景色を眺める。

 数日前までは街が華やかに彩られるのを心待ちにしていたが、今は憂鬱な気持ちでいっぱいだった。


(聖女様との不思議な因果がなければ、聖女祭を心から楽しめたのに)


 心の中でため息をついていると、隣に座る若いメイドが心配そうに声をかけた。


「お嬢様、やはりお加減が悪いのですか? 朝から顔色がよくないようでしたが」


 このメイドは老齢の侍女の孫で、まだ14歳だがよく気が回る。

 屋敷に来て日が浅いうえ、2人きりの外出は初めてのため、彼女の表情は緊張で固かった。


 ジルコニアは幼いメイドに余計な心配をかけまいと笑顔を作る。


「そんなことないわ。買い物が楽しみでしかたないの。他の誰でもない、聖女様のための買い物ですもの」


 聖女と仲良くなる第一歩として、昨日ご機嫌うかがいの手紙を送った。

 返事はすぐに届いた。要約すると『私も交流を持ちたいと思っていたため嬉しい。自分が主催のお茶会に参加してほしい』という、願ってもない内容だった。


 初対面のときは聖女に対し失礼な態度を取ってしまったが、あちらは気にしていないようだった。

 ジルコニアはそのことにまず安堵した。


 聖女主催の茶会とあっては、失礼のないよう手土産を持参しなければならない。

 普段は商人を家に呼んで買い物をするが、先日からの目まぐるしさで疲れを覚え始めていたジルコニアは、気分転換を兼ねて繁華街メインストリートに足を運んだ。


 彼女は隣に座るメイドに向き直って言う。


「聖女様が何をお好みかわからないから、あなたにも一緒に選んでほしいの」

「お嬢様の方が多くの贈り物をご存じでしょう。私の意見など参考になりません」

「そんなことないわ。ひとりで悩むより、みんなで悩みたいの」

「お話を聞くくらいでしたら、喜んで」


 メイドは生真面目な顔で頷いた。

 ジルコニアはその真剣な表情を微笑ましく思った。


 馬車は間もなく、一軒の菓子店の前で停車した。

 赤と白の可愛らしい色合いの店で、大きな窓の向こうには、かごに入った焼き菓子や、瓶詰めの色とりどりのお菓子が並ぶ。


 先に降りたメイドの手を借りて、ジルコニアはゆっくりと馬車のステップを降りる。

 石畳に足を踏み出そうとしたその瞬間、春特有の強風が彼女の身体を優しく包み込む。メイドの支えもあって、倒れずに済んだ。


「大丈夫でしたか?」

「心配ないわ。気持ちいい風ね」


 風は壁のない大通りを吹き抜けていく。天を仰ぐと真っ青な空が広がり、心地よい陽光が目に映るすべてを輝かせる。

 自由を感じ、少し胸が躍った。


「お嬢様、歩けますか?」

「ええ。行きましょう」


 メイドがドアを引いた横を通り、ジルコニアは店内に足を踏み入れる。とたんに、甘くて心地よい香りが彼女を包み込んだ。


 店の中央に丸テーブルがあり、色鮮やかな皿の上にクグロフやパウンドケーキが乗せられている。

 壁に取り付けられた木の棚板には、籠に入ったマフィンやクッキーが並ぶ。瓶に詰められたカラフルな飴や、シロップ漬けのフルーツもある。


 店主からトレーを受け取ったメイドは、ジルコニアに向き直る。


「お茶会まで少し日があるので、いくつか買って、家で食べてから決めましょう。気になるものはありますか?」


 ジルコニアは一瞬戸惑いの表情を浮かべて、小さな声で呟く。


「せ、ぜんぶ……」

「贈り物ですから見た目が華やかなものをいくつか選びますね」


 メイドはバッサリと言い切り、手際よく菓子をトレーに載せ始めた。


「ねえ……」

「何か追加でご希望ですか?」

「選ぶ過程も、贈り物を選ぶ楽しみのひとつよ。相手のことを考えながら迷う時間も、大切なの」


 メイドは衝撃を受けたような表情で絶句する。その反応に、ジルコニアの方が驚いた。


「えっ、どうしたの?」

「申し訳ありません。迷う時間は少ない方が、効率がいいかと……」

 

 メイドはトレーを握りしめたまま、青い顔をうつむかせる。


 彼女の仕事は効率を重視する。限られた時間で質の高い作業をするよう、祖母の指導を受けて毎日取り組んでいた。そのひたむきな姿は屋敷内で何度も見ている。


「申し訳ありません。お嬢様の楽しむ時間を奪ってしまっていたのですね」


 メイドは心から恥じた様子で、泣きそうな表情で謝る。


「違うの、怒ってるわけじゃないのよ。顔を上げて」

「せっかくの外出ですのに、水を差してしまい、なんとお詫びをすればいいか」

「そんなに深く考えないで!」


 ジルコニアは店主に断って、近くのクッキーを彼女の口に放り込んだ。


「んぐっ」

「甘いものを食べて、落ち着いて。聖女と仲良くなる前に、あなたと仲良くならなくちゃいけなかったわ」

「お嬢様、申し訳……」

「謝らないで、ね。あなたと楽しく選びたいの。そのクッキー、おいしいかしら?」

「……はい。バターの香りが素晴らしいです」


 メイドはクッキーを飲み込み、真面目な顔で答えた。


 ジルコニアはメイドの一生懸命な姿を見て、心がほぐれ、温かな感情がわくのを感じた。


「失敗だなんて思わないで。それに……」


 ジルコニアは目を柔らかく細め、メイドの小さな頭を優しくなでる。


「実は色々あって気が滅入っていたの。あなたのおかげで、ようやく緊張が解けたみたい」

「お優しさに感謝します」

「心からの言葉よ。いま、すごく楽しいの」


 ジルコニアの言葉に嘘はなかった。メイドは言葉の温かさを感じ、ようやくほっと息をついた。


「次からは気をつけます」

「そのままでいいのよ。言ったでしょう、ひとりで悩むより、みんなで悩みたいの」

「そうでしたね」


 メイドはふっとこぼれるように笑った。ジルコニアも同じように笑った。


 次に訪れたのは花屋だった。店内には春らしい色鮮やかな花々が咲き、華やかな雰囲気に満ちている。


 ジルコニアは、どういった花束なら受け取ったときに嬉しいか考えながら、店内を見て回った。華やかで存在感のあるダリヤ、気品と透明感のあるユリ、そして花の女王バラ。

 しかし、花ほど好みがわかれるものはない。


「無難にバラの花束にしようかしら。でも、無難すぎるわね」

「そうですね」

「ねえ、もっと率直な意見をちょうだい」


 ジルコニアはメイドの肩を掴み、瞳をまっすぐのぞき込む。

 メイドはわずかに抵抗したが、観念して本心を言う。


「すべての花を包めば、どれかは好みでしょう」


 身も蓋もない意見に、ジルコニアは思わず声を上げて笑った。


「ふふ、あはは! そうね、すべて包めば、どれかは好みね」


 その後も2人は会話をしながら、ああでもない、こうでもないと思案する。

 迷いに迷い、結局何も買わずに店を出た。


 その後も、2人は数軒の店を巡ったが、いずれも心から納得のいく品物は見つからなかった。


 聖女に気に入られ、友情の第一歩となる、大切なプレゼント。

 考えれば考えるほど、なにも選べなくなってくる。


 ジルコニアは最後の店を出て、途方に暮れて立ち止まった。

 メイドがおずおずと声を掛ける。


「お嬢様、候補の店はこれですべてですが、別の店に入ってみますか? それとも、いつもの商人を至急呼びましょうか?」

「どうしましょう……」


 いろいろな品物を見て、なんとなく方向性を決めた。菓子や花ではなく、手元に残るものがいい。

 好みではなくても、誠意が伝わるものを渡せば、気持ちだけでもくみ取ってもらえるかもしれない。


 隣の店を見ると、ガラス張りのショーケースに、鮮やかな糸のまかれた糸巻きが並んでいた。その横には刺繍の見本が立てかけられている。


「刺繍……刺繍のハンカチなんてどうかしら」


 刺繍のものは、本体はもっと仲を深めてから渡すものだが、親愛の気持ちを示すための贈り物なら違和感はない。


「刺繍のハンカチですね。喜ばれると思います」

「ねえ、さっきみたいにはっきり言ってほしいわ」

「本心から言っております。お嬢様の刺繍は見事ですから、必ず喜ばれると思いますよ」

「本当に?」

「はい」


 メイドが力強く頷くと、ジルコニアは不安が安心に変わった。


「すぐに家に帰りましょう。図案は一緒に考えてね?」


 ジルコニアは弾むような足取りで馬車に向かった。メイドもそれに続く。

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