09:大神官ハルト

 王城を囲む城壁内の東端には、去年完成した本神殿がある。今回の聖女降臨に合わせて作られたもので旧神殿の2倍の広さを持つ。

 技術の粋を集め造られたドーム状の天井、芸術的な装飾をほどこされた大理石の石柱。入り口の上部には神話を模した装飾壁面ティンパヌムがあり、その大きさと細緻な彫刻により神殿の格調の高さを示している。


 ジルコニアは手のひらを固く握りしめ、開け放たれている本神殿の入口から中へと進んでいった。靴が床を打つ規則正しい音が神殿内に響く。


 クロヴァから衝撃の告白を受けた数日後。彼が調べ尽くした後であるが、ジルコニアは少しでも彼の役に立ちたいと思い、自ら調べるために本神殿を訪れた。


 聖女の力について最も詳しいのは、聖女を降臨した人物、すなわち大神官ハルトであった。


 事前に、クロヴァから今まで得た知識と経験を共有してもらった。

 新たな情報が得られる保証はない。しかし別の視点から探し求めることで、もしかしたら……という淡い期待を彼女は抱いていた。


 神殿の奥には人の胸ほどの高さの大きな祭壇が設けれていた。白い布がかけられ、その上には儀典用の優美な形をした燭台や聖杯などが並んでいる。壮麗な光景だった。


 その祭壇の前に、白い法衣に身を包んだ、すらっとした長身の男性が立っていた。


 白に近い金髪、薄い水色の瞳、白い肌。

 真っ白い大理石でできた神殿内で、なお白く浮かび上がるような神秘的な容姿。


 彼がハルトだった。大神官という、聖職者のトップである肩書を持つが、彼はまだ20歳を迎えたばかりの若き青年。


 彼はジルコニアの足音に気付き、振り向いて彼女の到着を待っていた。神殿内には彼1人だった。


 ハルトは繊細な目元を鋭く細め、冷たい声で言った。


「レンダー家のお嬢さん。この忙しいときになんの用?」


 祭壇に片肘をついてもたれ、苛立たし気にため息をつく。


 ジルコニアは彼の数歩前で止まり、完璧な微笑みを浮かべて答える。


「大変困っていることがあり、ご助言をいただきたく参りました」


 聖女が降臨して多忙を極める時期、歓迎されないことは十分承知していた。

 しかしジルコニアはハルトの目を見て、はっきりとした声で言う。


「ご迷惑は重々承知です。どうか少しばかりお時間いただきたく」

「ほんとーに、迷惑。聖女が降臨したから、やんなきゃならない儀式が山ほどあるんだけど」


 白く透き通った優美な容姿とは裏腹に、彼は軽い口調でジルコニアを咎める。


「ちょっとは考えてくれない?」

「どうしてもハルト様にご協力いただきたいことがあるのです」


 いままでのジルコニアならば、衝突を避けるため相手が強く出たら引いてしまっていた。

 しかし今日は一歩も引かず、むしろ相手の態度にひるむことなく声を張る。


 ジルコニアひとりが死ぬだけであれば諦めたかもしれなかった。運命におもねるのは簡単だ。


(でも、クロヴァ様は諦めなかった。ここまで命を繋いでくれた)


 彼のこれまでの苦労に報いたい。誠実さに応えたい。その気持ちがジルコニアを奮い立たせる。


「ハルト様へのお願いは1つだけです。私の中にある『聖女の力』を調べていただきたいのです」

「……えっと……何? キミの中にある『聖女の力』?」

「そうです。この力が聖女祭の日に死をもたらします。それを回避したいのです」


 ハルトは眉を寄せて、不審そうな目でジルコニアをじっと見る。


「言ってる意味がわかんないけど、要するにキミの魔力を調べろ、ってこと?」

「その通りです」

「調べたら用件は済むんだね。終わったらさっさと帰ってよ。……まったく、そんだけなら別の神官にやらせればいいのに」


 ぶつぶつと文句を言いながら、ハルトはジルコニアの右手を乱暴につかみ、自身の魔力を流し込む。

 ハルトとジルコニアの触れ合っている場所がぼんやりと明るくなる。ジルコニアは手のひらが温かくなるのを感じた。


 光が収まった。

 ハルトが険しい顔をして言う。


「……たしかに聖女の力があるね。聖女祭の日に守護樹へ捧げられる、あの力だよ。でも、それにしては変な感じもある。これ何? どうなってんの?」

「それは――」


 ジルコニアは今までのことを簡単に説明した。


 必ず聖女祭の日に死ぬこと。

 クロヴァが聖女降臨日から聖女祭の日を繰り返していること。

 死は聖女の無意識の力の作用だということ。


 腕を組んで聞いていたハルトは、低く唸る。


「信じがたい話だけど、ひとまず事実だと仮定しよう。聖女の力が最も強くなるのは聖女祭の日だから、その日に死ぬっていうのは理屈としては合ってる。でも、こんな事象は聞いたことがない。それに、なんで騎士団長殿が関係するんだ……?」

「聖女について一番詳しいのはハルト様ですよね。何かお気付きの点はありますか?」


 ジルコニアはわずかな望みをかけて問う。

 ハルトは面倒くさそうに顔をしかめてため息をついた。


「そりゃ僕は詳しいよ。聖女を降臨できるのは今となっては僕だけだし。だからって、どうしてこうなってるか見当もつかないよ」

「聖女様のご不興を買わなければ、生きられるかもしれないと思っております。この方法について、ハルト様はどうお考えですか?」

「だから、わからないって。まあでも、難しいんじゃない? 聖女は人智を超えた力を持つからね。運命を捻じ曲げるってのは、神に等しい行為だよ。人は神に逆らえない」


 突きつけられる事実。

 どんなにあがいても、死の運命は変えられない。


「人は神に逆らえない、ですか。神官らしいことを言うのですね」

「僕は大神官だからね。じゃ、これで知りたいことは全部かな。帰ってもらっていい?」

「承知しました」


 あっさりと引き下がったジルコニアに、ハルトは驚きの顔を向ける。


「平気そうだね。聖女祭の日に死ぬんでしょ?」


 ジルコニアは優雅に微笑んで言った。


「運命に逆らおうと思っております」

「何しに行くの?」

「聖女と仲良くなりに」

「キミを苦しめる聖女と仲良く? 正気じゃないね。それに、その方法が絶対って保証もないのに」

「それでも、できる事はすべてします。クロヴァ様のためにも」

「…………そ。勝手にしなよ。僕は知らないからね。仕事に戻るから、さっさと出てってよ」


 ハルトは背を向けて、祭壇に向かって両手を伸ばす。周囲にいくつかの魔法陣が現れた。仕事の続きを始めたようだ。


 ジルコニアは彼の背に向かって一礼し、神殿を出ていった。


(情報はなかった。でも、覚悟は決まったわ。聖女様と必ず仲良くなる)


 ジルコニアは頭の中で、聖女と仲良くなる段取りを組み立てながら歩いていく。

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