08:クロヴァの願い

 、君は聖女に対してあまり良い印象を持っていなかった。


 聖女はこの世界の人間ではないという理由を差し引いても、彼女の言動は常識を欠いていた。

 君は貴族社会の調和を大切にしていたから、身勝手に振舞う彼女に忠告を繰り返した。

 しかし聖女は彼女を心酔する者に囲まれ、甘やかされ、指摘や教育は無意味になっていたようだ。


 改善のきざしが見られない聖女に君は次第に苛立ち、その結果、君の態度は厳しくなっていった。

 その態度は当然のことだと俺は理解している。その証拠に、君を擁護する声は多かった。しかしそれ以上に聖女の信者が多かった。


 聖女祭の日、君は聖女の信者によって非難され、あろうことか様々な罪に問われた。君の存在を疎ましく思った者たちが、君を排除しようと動いたんだ。

 君も、周囲にいた味方も、もちろん俺も反論したが、君は投獄されてしまった。


 そして君は獄中で、俺の目の前で……心臓を押さえて死んだ。


 死んでしまったんだ。あっけなく。鉄格子の向こうで。

 初めは何が起こったかわからなかった。何度呼び掛けても君は返事をしなかった。冷たい床の上で動かなくなった。


 そのとき、俺の目の前に、半透明の板が現れた。板は空中に浮いていた。

 板にはこう書かれていた。


『やり直しますか? はい/いいえ』


 君の死に呆然としていた俺は、目の前の不思議な現象に驚く余裕はなかった。

 俺は『やり直し』という文字だけを見て、ほとんど無意識に『はい』の文字に触れた。


 次の瞬間、俺はベッドの中で目を覚ました。

 それは君と初めて茶会をした翌日の朝、つまり聖女が降臨する日の朝だった。


 誰も、繰り返したことを覚えていなかった。いままでの出来事を説明しても、理解してくれない。

 君にも話したが、曖昧に笑うだけで信じてもらえなかった。


 それでも俺はこの奇跡を活かすために奔走した。


 結果は失敗だった。君と聖女の確執は深まり、君は再び獄中で死んでしまった。


 半透明の板は再び現れた。

 俺は迷うことなく『はい』を選んだ。


 次は君を脅すようにして説得し、嫌がらせを止めさせた。

 聖女祭の日、全く別の冤罪で君が処刑された。


 次に、聖女との関わりを断つため君を遠くの療養地へ連れて行った。

 だが聖女祭の日、その地方で戦争が勃発し、君は戦火に巻き込まれて死んでしまった。


 その次も、その次も、あらゆる死因を排除しても君は死んでしまう。


 俺のせいで、君は何度も死の苦しみを味わった。



 ………………


 ジルコニアは、あまりの内容に言葉が出なかった。


 クロヴァは目を伏せて、力なく笑った。


「前回、俺はもう諦めて、何もせず君の死ぬ瞬間を看取ることにしたんだ。繰り返すつもりはなかった。だが、腕の中の君が最期に『会いたい』と言うから、繰り返してしまった。もしかしたら繰り返さず穏やかに眠らせた方が、君のためだったのかもしれない」


 そう言い、指を組んだ両手を強く握って、こうべを垂れた。まるで死刑の宣告を待つ罪人のような姿だった。

 彼はすがるような声で言う。


「君の夢の内容と似ているだろう。だから、少しでもいいから、この話を信じてほしい……」


 ジルコニアは息が詰まる。


 騎士団長を務めるほど強靭な彼が、こんなにも衰弱するほど打ちのめされ続けてきた。


 逆に言えば、彼が絶望を繰り返してでも、自分を生かそうとしてくれている。

 その事実にジルコニアは胸が張り裂けそうになる。


 クロヴァの手に自身の手を重ね、ぎゅっと握った。


「繰り返していただけたから、また会えたのですね」

「信じるのか、いまの話を」


 驚いて顔を上げた彼に、ジルコニアは優しいまなざしを向けた。


「不思議な夢を見たからでしょうか、いまのお話を嘘だとは思いませんわ」

「信じて、くれるのか」


 彼のこわばった表情から力が抜け、瞳に温かな光がやどった。短いため息とともに震える声で呟く。


「ようやく、信じてくれた……。報われた思いだ……」


 ジルコニアはその弱々しい声に、クロヴァのいままでの苦労を思いつらくなった。


「私が想像できないほど、大変な思いをされたと存じます。本当に……申し訳ないですわ。いまの私が謝っても、意味がないかもしれませんが……」

「いや、いまこうして信じてくれた。それだけで十分だ」


 馬車は車輪の音を立てて走り続ける。

 クロヴァは真っ暗な外を見て呟く。


「もうすぐ君の家に着く頃か」


 始めて来るのにどうしてわかるのか、とジルコニアは不思議に思うが、すぐに思い当たる。

 クロヴァもジルコニアの表情で言いたいことが分かり、苦笑した。


「何度も君を送って行ったから、距離は熟知している。、初めてだが……」

「クロヴァ様は、私の知らないことをたくさん知っているのですね」


 ジルコニアはどう返答すればいいかわからず、曖昧な答えになる。


 彼は向き直って、真剣な表情で言った。


「君にひとつ頼みたいことがある。聞いてくれるか」

「もちろんです。なんでも仰ってください」

「聖女と仲良くなってほしいんだ」

「……聖女と、仲良く?」


 無理難題を覚悟していたジルコニアは、願いの内容に肩透かしをくらう。

 クロヴァは続けた。


「この不思議な繰り返しの現象について色々調べたが、はっきりしたことはわからなかった。繰り返す中でわかったのは、どうやら聖女と険悪な仲になると、死の運命に近付くようだ。まるで、呪いのように……」


 『呪い』という不穏な言葉。ジルコニアの背筋に悪寒が走る。

 彼は真剣な表情で続けた。


「だから、聖女と友達になってほしい。今までの君は俺の話を信じきれず、結局は聖女と親密な仲になることはなかった。けれど、今の君なら――」

「ま、待ってください。聖女様が、私を殺しているのですか……?」

「君を憎んで殺しているわけではない。彼女の無意識の感情が、勝手に運命を変えてしまうようだ」

「ならば聖女様に事情をお話すればいいのではないでしょうか?」

「言っても無駄だった。伝え方やタイミングを何度か変えても、すべて……」


 クロヴァは過去のことを思い出したのか、表情を暗くする。

 ジルコニアはハッと気づいた。


 この場で自分が思いつく方法など、クロヴァは当然思いつき、試している。

 その上で、最後の方法が『聖女とジルコニアが仲良くなる』しか残っていないのだ。


「クロヴァ様、私は聖女様とお友達になります!」


 ジルコニアは宣言した。

 クロヴァの表情が明るくなる。


「やってくれるのか。しかし、あまり馬が合わないように見えたが……」

「それでも全身全霊で仲良くなります。私にすべてお任せください。クロヴァ様がもうご無理する必要はありません!」


 ジルコニアは胸を張って言った。


「……そうか」


 クロヴァは泣き笑いのような表情になり、倒れ込むようにジルコニアを両腕で強く抱きしめた。


「ジルコニア、今度こそ――」


 生きてくれ、とクロヴァは声にならない声を出す。

 ジルコニアは彼の広い背中に腕を回し、クロヴァの不安が少しでも収まるよう、優しくゆっくりと撫でる。


 馬車は間もなくレンダー伯爵家の正門に到着した。

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