07:八方美人の誠意と覚悟
ジルコニアがクロヴァの馬車に乗り、2人は王城の正門を静かに後にした。
進行方向側の座面にジルコニアが、対面にクロヴァが座る。
内側の壁にはランタンが取り付けられており、揺れる火の光がガラス板で拡散し、2人を柔らかく照らす。
(陛下から聖女の面倒を見るよう言われたことを、クロヴァ様にお伝えしないと)
ジルコニアは言葉を出そうと勇気を奮い立たせるが、口から出る前に気持ちがしぼんでしまう。
どう伝えれば角が立たないかを模索しては、都合のいい言葉などないと思い知る。
(誰に対してもいい顔をしようとしているわね。自分が傷つきたくないから)
自分の八方美人ぶりに対する嫌悪感が湧き上がり、心が押しつぶされそうになる。
誰かの期待通りの自分でいたい、という浅ましい考え。家族の前でさえ聞き分けの良い娘でいた。
本当の自分を見せることで失望されるのを恐れていた。
今朝見た夢がそれを象徴しているのかもしれない。クロヴァの腕の中で『愛されたい、愛したい』と焦がれながら死ぬ夢。
自分の殻に閉じこもったまま願っても、望むものを手に入れることはできないのだと悟る。
「――顔色が悪い。大丈夫か?」
クロヴァが顔を覗き込むようにして声をかける。
ジルコニアは驚いて、急いで笑顔を作った。
「大丈夫ですわ。深く考えごとをしてしまっていて」
「何を考えていた?」
「いえ、お聞かせするような内容では……」
「何でも言ってほしい。些細なことでもいいんだ。君は微笑みの下に気持ちを押し込めるから、俺はいつも気付けない」
クロヴァは真剣な表情で、ジルコニアを見つめた。
(彼は私と向き合ってくれているのに、私はごまかそうとしている。なんて醜いんだろう)
ジルコニアは、クロヴァと関わりたいと思いながらも、深く踏み込まないようにしていたことに気付いた。他人と深く関わることで、自分が実際には小さな人間だと知られるのではないかという恐れから、無意識に距離を取っていた。
ジルコニアの沈黙に、クロヴァは寂しげな表情で視線を床に落とす。
「言いたくないなら、無理には聞かないが……」
クロヴァの心の距離が一歩離れた感覚があった。彼が歩み寄ってくれたのに、自分の臆病さがそれを遠ざけてしまったことを後悔する。
彼の誠実さに応えるには、ここで踏み込まなければならない。そう思い勇気をふるい起こすが、最初の一言が形にならない。
そのとき、ガツンという衝撃とともに馬車が大きく揺れた。
「きゃあっ!」
弾みで体が浮き、壁へとぶつかりそうになるが、クロヴァが大きな腕で抱き寄せて守った。体がぴったりと密着し、男性の筋肉の硬さを肌で感じて心臓が跳ねる。
「怪我は?」
「い、いえ」
外の御者から「石に乗り上げたようです、大丈夫でしょうか?」と心配の声をかけられ、クロヴァは「問題ない」と返事をした。馬車は何事もなかったように走り続ける。
「クロヴァ様、ありがとうございました」
ジルコニアが礼を言うと、クロヴァはそっと彼女から身を離した。ジルコニアは驚きと緊張でドキドキと脈打つ胸を押さえ、ゆっくりと座席に座り直す。
先ほどは向かい合っていたが、いまは隣り合って座る形となった。クロヴァの呼吸が耳元で聞こえる。
クロヴァはジルコニアの方に少し体を向け、微笑んで言った。
「君が無事でよかった」
「はっ……はい」
ジルコニアは、クロヴァが心から安堵しているのを感じ、異性として意識していた自分を恥じた。
彼はずっと、誠実に自分へと向き合っている。
(それなのに私は、考えや気持ちを伝えることもせず、彼の誠実さや魅力を一方的に受け取っている)
クロヴァの誠意に応えたかった。
(彼には、すべてお伝えしよう)
ジルコニアは覚悟を決めて、隣に座るクロヴァの目を見上げた。胸元で握りしめている手が震えるが、勇気を振り絞って口を開いた。
「実は、中庭でクロヴァ様に会う直前、スペイド陛下と一緒にいました」
「……陛下と? なぜあの場所に?」
「私が外へ出たところ、休憩室から抜け出した陛下と偶然出会いました。そこで陛下に『聖女様を支えてほしい』と言われました。それで、私は……」
声が震える。
クロヴァの顔を見ることができず、顔を伏せて言う。
「私は、断り切れず……了承してしまいました。クロヴァ様とのお約束があるので、本当はお断りすべきでした」
体を小さくして、クロヴァの返事を待つ。
怒るか、呆れるか。いずれにせよ自分に対する失望をともなう。
ジルコニアは固く目をつぶり、感情の衝撃に耐えるため息を詰めて待った。
少し間を置いたあと、クロヴァは優しい声音で答えた。
「話してくれてありがとう」
想定していなかった返事に、驚いて顔を上げる。
クロヴァは目を細め、口角を少し上げて微笑んでいるように見えた。
しかしジルコニアは、その目の奥にある深い悲しみを見た。彼の心が急速に冷え、離れていくのを感じる。
ジルコニアは彼を繋ぎとめようと慌てて言う。
「クロヴァ様のお約束を軽視したわけではありません」
「陛下に直接言われたのなら、断れないのは当たり前だ」
「違うのです。私はクロヴァ様とのお約束を守るべきでした」
クロヴァは視線をそらし、小さく笑った。
「そもそも、俺の言葉を信じろという方がおかしいんだ」
彼の無感動な声にジルコニアは焦り、声を張り上げた。
「いいえ! あなたの忠告を聞かなかったから、私は死んだのに……!」
ジルコニアは自分の口から出た言葉に驚いて両手で口を覆った。
クロヴァは怪訝な顔をして、ゆっくりと問い返した。
「『死んだ』とは、どういうことだ?」
彼女は一瞬、どうごまかそうかと考える。
死んだのは『夢の中のジルコニア』だ。この話をしたら、夢を信じるおかしな娘だと思われ、気味悪がられるかもしれない。
しかし、ここでごまかせば、彼との距離がもっと遠ざかる。
ジルコニアは意を決して口から手を離し、今朝の夢のことを話した。
自室で、病人のようにやつれた姿でベッドに寝ていていたこと。
そこにクロヴァが来たこと。
どうやら、クロヴァの忠告を聞かず聖女にひどいことをして、自業自得の死を迎えたということ。
「……このような夢だったのですが、夢と思えないほど鮮明でした。夢から覚めたあと、クロヴァ様がいらっしゃって聖女の件を言われたので、夢と似ていると思い、それで……クロヴァ様から言われたご忠告を信じました。自分でもおかしな話だと思っています」
(今度こそ呆れるに違いないわ。でも、言いたいことはすべてお伝えできた。どう思われても、受け入れるしかない)
ジルコニアは覚悟を持って、クロヴァを見た。
クロヴァは驚きの表情をしていた。
その瞳がわずかににじんでいた。ランタンの明かりを強く反射する。
(涙……?)
クロヴァは顔を反らし、前髪をかき上げる動作にまぎれて目元を拭ったように見えた。
咳払いをしてから、ジルコニアに向き直る。
「夢の内容は、それだけか? 他にも不思議な夢を見ただろうか」
「これだけです」
クロヴァはしばらく黙って何かを考えていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……これから話すことは、信じなくてもいい」
クロヴァは低い声で言い、ジルコニアを見る。
それは先ほどジルコニアがしたものと同じ、失う覚悟を決めた瞳だった。
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