06:王城の中庭
ジルコニアはスペイドに手を引かれ、正面玄関の脇にある馬車の待機場に向かって歩く。
足元は暗いが、スペイドが確かな歩調で進むため安心感があった。
歩きながら、ぼんやりと考える。
(クロヴァ様からは関わるなと言われ、陛下からは関われと言われて。難しくなってしまったわ)
ジルコニアは自身に求められる態度、言葉、表情を察する能力が高かった。
レンダー家のひとり娘として、そして目を引く容姿を持つ女性として、その時々に期待されることをその通りに演じてきた。
よく言えば物わかりがよく、悪く言えば自分がない。
理不尽な要求であれば毅然とした態度を示す強さを持っていたが、今回は国王からの至極まっとうな頼み。拒否しづらいものだった。
クロヴァとスペイド、どちらかを選ばなければならない。
もしくは、非常に難しいバランスで動かなければならない。
(どちらに対しても不誠実な態度ね)
ジルコニアは心の中で葛藤していた。
クロヴァの期待に応えることで、彼との絆を深め、幸せな未来を築くことができるかもしれない。
しかし、国王の期待に応えなければ、家族や国に対する責任を果たせない。
考え込んでいると、スペイドが急に止まった。ジルコニアはぶつからぬよう、つんのめるようにして止まる。
「陛下、どうしました?」
ジルコニアは首をかしげる。つないだ手はそのままに、スペイドは遠くの暗がりを睨みつけている。
「番犬が来たようだ。見つかると面倒だから、私は退散しよう」
「犬? 犬がいるのですか?」
「ああ。呆れるほど優秀な犬だよ」
ジルコニアが周囲を見ようとすると、それを阻止するように、スペイドは彼女の手を自らの方へと強く引き寄せた。その突然の動作にバランスを崩したジルコニアは、スペイドの胸の中に倒れ込んだ。彼はその体を両腕で包み込み、抱きしめる。
そして耳元に唇を寄せ、甘い声でささやいた。
「君が別の男に取られて残念だ」
スペイドは名残惜しそうにゆっくりと体を離す。視線をわずかに残して背を向け、来た道を戻って行った。
ジルコニアはその場に立ち尽くし、スペイドの背中が暗闇に溶けていくのをただ呆然と見送った。彼女の首筋と耳元には、彼の熱や息遣いがまだ残っていた。
すべてが一瞬の出来事で、なにが起こったのかすぐに理解できなかったが、だんだんと顔がほてってくるのを自覚した。
「いまの、なに……?」
彼とは幼いころに数度会い、その後も何度かパーティや式典で短い言葉を交わす程度の仲だった。
幼馴染とまではいえないが、遠い親戚のような、懐かしい見知った関係というだけで、いままで男性として意識したことはなかった。
急にこのような態度をとられ、混乱と羞恥で顔の熱はなかなかひかない。
(私が『脱走癖』と
スペイドの真意が読めないまま、彼の消えた暗がりを見続ける。
……ザッザッザッ
正反対の方向から足音が近付いてきた。
そちらの方に振り向くと、ランタンを持った体格のいい男性が、早足でこちらに向かって来ているのが見えた。
彼はジルコニアの数歩前で止まる。
「見覚えのあるドレスだと思ったら、やはり君か、ジルコニア」
クロヴァだった。
騎士団長の濃い藍色の服を着て、片手でランタンを持ち、後ろに部下を2人率いている。
彼らの様子から察するに、会場の警備を行っている最中に見えた。
クロヴァは怪訝な顔でジルコニアに尋ねる。
「中庭で何をしている?」
「え、中庭……?」
ジルコニアはその問いに戸惑いながらも、急いで左右を見渡した。そのとき初めて、自分が王城の中庭にいることを知った。
考えごとをしている間に、スペイドはここまで連れてきてくれていたようだ。
王城の中庭は支柱に吊るされたランタンによって明るく照らされており、その柔らかい光は、中庭を穏やかな雰囲気で包んでいた。周囲には夜の涼みを求めてきた数人の招待客が、静かに談笑しているのが見える。
クロヴァがさらに聞く。
「ひとりか? 付き添いは?」
「あの……ひとりです。帰ろうと思いまして」
「もう帰るのか?」
「ええ。聖女様とのご挨拶は済みましたので。……その、例のお約束があるので、早く帰ったほうがいいかと」
クロヴァの背後に部下がいる手前、直接的な言葉は避けるが、彼から言われた『聖女に関わるな』という約束を守っていることを伝える。
喜んでくれるかと思い顔を見ると、クロヴァは目を見開いて驚いていた。
「……俺の言ったことを、守ろうとしているのか」
「は、はい」
驚く、という予想外の反応に、ジルコニアは戸惑いながら聞く。
「あの……今朝の言葉をそのまま受け取ったのですが、もしかして別の意味でしたか?」
「いや、そのままの意味だ。……少し待ってくれ」
クロヴァは少し考える仕草を見せたあと、後ろにいる2人の部下にいくつか指示を出す。部下たちは頷き、ランタンを受け取り離れて行った。
「仕事は終わっていて帰るところなんだ。部下に片付けを押し付けたから、家まで送ろう」
「そんな、私のことはお気になさらず」
「俺に送らせてほしい。何が起こるかわからないから、そばにいたいんだ」
クロヴァはそう言うと、ジルコニアの手をやや強引に取って歩き出した。
スペイドよりも分厚く硬い手のひら。先ほどの感触との違いに、思わずびくっと体が硬直する。
クロヴァはジルコニアの驚きを感じ取り、そっと手を離した。
「……すまない。君とはまだ数回しか会っていないのに、いきなり触るのは失礼だったな」
「いいえ、婚約者ですから問題ないですわ」
ジルコニアは慌てて、離れようとするクロヴァの腕を両手で掴んだ。
なぜ彼が触れたことに驚いたのか、自分でもわからなかった。
ただ、彼が昨日までの雰囲気と違うことが気になった。
昨日のお茶会での彼は、ぎこちなさを感じさせながらも、何とか歩み寄ろうとする姿勢を見せていた。
しかし、今朝からの彼の様子は一変していた。なぜか一方的な感情をぶつけられているように感じる。
彼の口数は多くなり、距離感が不自然に近くなったかと思うと、取り繕うように突き放される。
ジルコニアは不安を追いやるためにぐっと目を閉じたあと、笑顔を作ってクロヴァを見上げた。
「クロヴァ様の馬車はどちらに?」
「……正門に待たせてある。このまま行こう」
クロヴァは硬い表情でぎこちなく微笑んだ。
ジルコニアはそんな表情をさせてしまったことに罪悪感で胸が痛んだ。
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完璧令嬢のままでは彼を救えない 可明 @heia
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