05:旧神殿の篝火
ジルコニアは騒がしい会場を抜け出し、静寂を求めて夜の中庭に出た。しかしそこにも数組の人達がおり、おのおのが談笑をしている。
誰もいない場所を求め、中庭からも遠ざかる。月明りを頼りに進んでいく。
ふと目を上げると、すこし向こうに赤々と燃える炎があった。
ジルコニアは導かれるように、その明かりに向かって歩く。
着いた先は旧神殿だった。
迎賓館と城壁の間に隠れるように建っており、静かな存在感を放っている。
神殿の入り口にある
別の場所に新しく本神殿が建てられたため、この旧神殿は全く使われていない。
不要になった旧神殿にも火があるのは『聖女礼拝の儀』が催されているためだ。聖女への歓迎の意を示すため、国内すべての神殿に火が灯される習わしとなっている。
周囲には誰もおらず、少しだけ明るい。ゆっくりと考えごとをするには最適の場所だった。
ジルコニアは入口に数段ある階段を上がり、篝火を見つめながら深くため息をついた。
「……苦手な人だったわ」
あえて言葉に出して、自分の感情を整理する。
「聖女様は……悪い方ではないわ。少し変わった方。お父様は好意的に見ているし、周りも聖女様の優しさと誠実さを評価していたわ」
聖女の不躾に見える言動は無知からくるものだ。
淑女教育を受けていないため適切な振る舞いができてきないだけ。そう頭では理解している。
しかし、苦手意識が心の奥でくすぶっている。聖女の甲高い声が耳について離れない。
このまま関わり続けると、『シャンパンをかける』という意地悪な妄想を現実にしてしまうかもしれない。
ジルコニアには確信めいた予感があった。
「クロヴァ様の言葉もあるし、彼女には関わらないようにしましょう。近付くのは、お互い不幸になるだけ」
ジルコニアは数度深呼吸して、感情を整理し、気持ちを切り替える。
(自分の中に醜い感情があると知ったのはショックだけれど、抑える努力をすれば問題ないわ)
よし、と短く気合を入れて会場に戻ろうとしたとき、突然声がかかった。
「ジルコニア?」
男性の声だった。暗闇の中から、こちらへと近付く足音がする。
声の主が炎の明かりの中に入って来た。身構えていたジルコニアは、見知った姿にほっと安堵した。
先ほど会った相手、国王のスペイドだった。
ゆるくウェーブする細い金髪、炎を映してもなお青い瞳。
面持ちは繊細さが感じられるが、背が高く、国王としての確かな存在感がある。服装は正装である白い軍服姿で、胸元にある多くの徽章が炎の明かりの中で輝く。
ジルコニアは深呼吸をして動悸を落ち着け、ぎこちなく微笑んだ。
「驚きました。陛下、なぜこのような所に?」
「少し休もうと思って来たんだ。早朝に聖女が降臨されてから、ずっと働いていたからな」
軽い口調だが、彼の表情には確かに疲れが見えた。
「そうでしたか。お邪魔してしまい申し訳ありません」
「ジルコニアなら問題ないさ。君こそ、なぜここに?」
ドキッと心臓が動く。
まさか『聖女から逃げてきました』と本音が言えるはずもない。
「……私も疲れて、休みに来ました。会場にあれほど大勢いるのは、2年前の戴冠式のときくらいですから、人に酔ってしまったようです」
「戴冠式から2年か。――まだ2年か」
「お忙しいと時間の感覚がなくなりますわね」
「そうだな。もっと長い時間がかかったように思うよ」
スペイドは小さく笑った。ジルコニアは応えるように笑みを浮かべたあと、一礼する。
「それでは、私はもう下がりますね。お休みされようとしているところ、失礼いたしました」
「ジルコニア」
背を向けようとかかとを引いた瞬間、スペイドが声をかける。
「聖女のこと、気にかけてやってくれ」
意外な一言に、ジルコニアは一呼吸の間を置いて答える。
「レンダー家はあまり神事に関りは……」
「いまの社交界で、話題の中心はいつも君だ。だれもが君に一目置いている。その君が聖女と並んで立つだけで、彼女は強い安心感を得るだろう」
ジルコニアは答えられないでいた。
確かに、自身が目立つ存在であることに自覚はあった。
聖女の付き添い人のような位置を望まれていることも薄々わかっていた。
「君が頼りなんだ」
スペイドは眉尻を下げて懇願するように微笑むが、力強い視線はジルコニアをまっすぐ捉えている。
他でもない国王陛下直々の頼みを、正面から断るわけにはいかない。
ジルコニアはうまい言い訳が思いつかず、曖昧な回答で話を逸らすことにした。
「聖女様は、こちらの生活は不慣れでしょうね」
「そうだ。だから彼女の出る場所にはできるだけ出席して、近くで支えてほしい」
「聖女様も淑女教育を受けられるのでしょう?」
「一朝一夕でどうにかなるものではないだろう。何かあったとき、君がいれば心強い」
話をそらそうとしても、スペイドはそれを許さない。
ジルコニアはとうとう観念した。
「……承知しました。私のできる範囲で、聖女様にお力添えいたしますわ」
「ありがとう。君ならそう言ってくれると思ったよ」
スペイドは微笑んだ。
その瞬間、2人の間にあった緊張感がふっと消え去る。
交渉の上手さにジルコニアは内心で感嘆する。
彼は自身の立場、声音、表情、相手との関係性、すべてを効果的に使って物事を誘導する。しかし、不思議と嫌な気持ちは残らない。それが国王たる所以だろうか。
ジルコニアは力なく笑みを浮かべて言った。
「さっそく、と申し上げたいところですが、今日は疲れてしまったのでお
「わかった。近いうちに、少数を招いて交流の場を設けようと思っている。レンダー伯爵と共に来てほしい」
「ぜひ。……では、私は行きますね。陛下のお休みを邪魔して失礼いたしました」
ジルコニアは一礼し、今度こそ下がろうとするが、それをさえぎってスペイドが口を開く。
「馬車まで送ろう。こんな暗いなか、女性をひとりで歩かせるわけにはいかない」
「わざわざ陛下がエスコートなさるなど、恐れ多いです。ご心配でしたら陛下のお付きの方と馬車まで行きますわ」
「いや、ここには私だけで来た」
「おひとりで? 護衛もつけずに?」
スペイドは立てた人差し指を唇につけて、いたずらっ子のように笑った。
「休憩室の窓から抜け出して来たんだ。だから、ここで会ったことは内緒にしてほしい」
スペイドの子供のような態度に、ジルコニアは破顔する。
「変わりませんね、その脱走癖は」
ジルコニアは幼少の頃、父親に連れられて王城の図書館に行くことがあった。そこは王族とごく一部の貴族だけが利用できる特別な場所だった。
父が仕事をしている間、図書館の中を散歩することが彼女の楽しみのひとつだった。
ジルコニアが4歳のころ、いつものように本棚の迷路を歩いていると、8歳のスペイドと出会った。彼は剣の稽古が嫌で抜け出して来たのだという。
『おれは王様になるから、剣の稽古なんていらないんだよ。ぼくを守るのは護衛のしごとだ』
『あら、ご自分を守れないのに、民を守れるというの?』
そんな子供じみた会話をしたことを、ジルコニアはいまでも覚えている。
幼い日の出来事をスペイドも覚えていたのか、『脱走癖』とからかわれたことにバツが悪そうな顔をする。
「それは子供の頃の話だろう。いまは20歳で、国王の立場だ。――たまにしか脱走しない」
冗談めかして肩をすくめると、ジルコニアはくすくすと笑う。
「陛下、あまり周りを困らせてはいけませんよ」
「むかし図書館で何度も聞いたセリフだ。――さて、私の不在が明るみになる前に、君を馬車へと届けよう」
スペイドが手を差し出した。ジルコニアは自然に手を重ねる。
彼の見た目は華奢で線の細い印象だが、その手のひらはペンだこと剣だこでゴツゴツと男性的な手触りをしている。毎日の努力の感じられる手だった。
ジルコニアは国王の苦労を思い、自然といたわりの言葉が口から出た。
「聖女様のご降臨で大変とは存じますが、お励みくださいませ」
「……ああ」
スペイドは少し間を置いて頷いた。
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