04:聖女の降臨

 ジルコニアは着替えを済ませ、速足で廊下を歩く。

 険しい顔で前を見ながら、一歩後ろを歩く侍女に声をかけた。


「やっぱり、昨日のお茶会のことで叱りに来たのかしら」

「そんな用事でこの早朝にわざわざお越しになるはずがありません」


 侍女は即座に答えたが、その声にはわずかな不安がにじんでいた。その反応を見て、ジルコニアの心配はより一層深まった。


「ねえ、クロヴァ様から何も聞いていないの?」

「突然来られて、ひと言お伝えしたいとのことで、そのまま玄関でお待ちになっています」

「何のご用件かわからないと、どんな表情をすればいいか判断できないわ。微笑めばいいのか、申し訳なさそうにするほうがいいのか」

「もう、なるようにしかなりません」

「そんな……」


 廊下を進み、角を曲がる。ジルコニアは覚悟を決めきらぬうちに、玄関ホールへ足を踏み入れた。


 そこには、黒いコートを身にまとったクロヴァが、一点を見つめるようにして直立不動で立っていた。上背があり、雄獅子のように筋肉質で引き締まった体格。彼の姿はまるで英雄の彫像のように完成されたものだった。


 周囲の使用人たちは、客人を玄関で待たせてしまっている事態に困惑した表情で立ち尽くしている。


 ジルコニアは眉尻を下げて口角を上げ、曖昧な笑みを浮かべた。

 おずおずとクロヴァに尋ねる。


「クロヴァ様、お待たせいたしました。どうされましたか?」


 彼はジルコニアに向き直った後、手の中の懐中時計をちらりと見て言った。


「間もなく聖女が降臨される」

「……今日ですか? 降臨の祈祷きとうは終わっていると聞きましたが、聖女様がお応えになる正確な日時は誰もわからないでしょう」

「いや、もうすぐだ」


 ジルコニアが首をかしげるのと、窓からカッと強い光が差したのはほぼ同時だった。


 ドォーン……!


 続けて、大きな音と地響きが起こる。

 ジルコニアは悲鳴を上げて驚くが、クロヴァに支えられてなんとか倒れずに済んだ。


「な、なんですの!」

「いま王城の神殿に聖女が降臨された」

「ええっ」

「俺は聖女の警備全般を任されているから、すぐに行かなければならない。そうするとしばらく会えなくなる。だから今のうちに伝えに来た」

「伝えに? 何をでしょうか?」


 クロヴァは一呼吸置いて言った。


「聖女と関わらないでほしい」


 ジルコニアは、ぽかんと口を半開きにしてクロヴァを見上げた。

 次々と目まぐるしく起こる出来事に圧倒されるが、なんとか言葉を整理して答えた。


「聖女とは、そもそも交流する予定はありません。レンダー家は神事と距離を置いていますし――」

「今夜、『聖女礼拝の儀』が……聖女を囲むパーティがあるが、できるだけ聖女に近付かないでほしい。明日以降も、ずっと」


 戸惑うジルコニアだが、クロヴァが無表情で淡々と言う姿に圧倒される。


 彼が突然おかしなことを言い出したと思ったが、ジルコニアには心に引っかかるものがあった。


(夢の中の私は『聖女』と関わったせいで死んでしまった)


 『聖女』という単語を聞くだけで胸騒ぎがする。

 もしかしたら今朝の夢は、クロヴァからの忠告のことを示唆する予知夢だったのかもしれない。彼の言葉を信じろ、と神が告げているのだろうか。


 ジルコニアはいまだ事態を飲み込めていないが、頷いた。


「――わかりました。そのようにいたします」

「くれぐれも頼む」


 クロヴァはそう言い残すと、すぐに背を向けて足早にその場を去って行った。使用人たちが慌てて彼の後に続いて見送りをする。


 クロヴァを乗せた馬車が、徐々に遠のいていく音が聞こえる。

 残されたジルコニアはぽつりとつぶやいた。


「何だったのかしら……」


 周囲の者もみな、一様に首をかしげるばかりだった。



 ◇ ◇ ◇



 その日の昼、王室から『聖女礼拝の儀』の招待状が届いた。この夜、聖女の降臨をたたえ、彼女の祝福を受けるための盛大な祝宴が催される。


 この国に生まれ育った者であれば、『聖女伝説』を知らない者はいない。

 100年に1度降臨し、国の繁栄のために祈りを捧げる少女の話。希望と安寧を国にもたらす存在として尊敬され、愛されている。


 ジルコニアも幼少期から話を聞いて育ち、聖女と会える日を心待ちにしていた。

 人並みに聖女に対して興味はあったため、クロヴァから近付かないように忠告され、がっかりした部分もある。


「でも、クロヴァ様の言いつけを守らなければならないわね」


 イブニングドレスに着替えながら、ジルコニアは気を引き締める。

 あまり目立たぬよう、淡い水色で裾の広がらないものを選んだ。髪は後頭部でまとめ、耳の後ろからうなじにかけて三つ編みを施すだけにとどめる。装飾もパールの最低限のものを用意する。


「陛下と聖女にご挨拶して……あとは聖女と距離を取って、時間が過ぎるのを待てばいいかしら」

「それがようございますね」


 侍女がパールのネックレスを首にかけて留め具をつけ、鏡に映るジルコニアを見る。


「しかし、いくら地味にしても、お嬢様は目立ちますねぇ」

「次に仕立てる服は、もっと地味なものにしてもらうわ。今後も聖女のパーティに招かれるでしょうから」

「美貌がもったいのうございます」

「クロヴァ様の言いつけだもの」


 ジルコニアは立ち上がった。

 背筋をすっと伸ばし、あごを軽く引いて、微笑みを浮かべる。


 淑女という言葉を具現化したような、完璧な姿だった。


「聖女に関わらないでいたら、クロヴァ様は喜んでくださるかしら」

「なんとも、おかしな話ですね」

「きっと言えない事情がおありなのよ」


 ジルコニアは自分に言い聞かせるように呟く。


 その事情を知りたいと思うが、クロヴァとの関係は始まったばかり。踏み込んで聞く勇気はまだなかった。



 ◇ ◇ ◇



 王城敷地内にある壮麗な迎賓館の広間は、光り輝くシャンデリアと壁の燭台から放たれるやわらかな光に照らされ、華やかな雰囲気に包まれていた。この夜、300人以上の貴族たちが招待され集まっていた。


 今年20歳になる若き国王陛下が、会場最奥にある一段高い場所に立っていた。その横には、この国に新たに現れた聖女の姿があった。

 国王は広間に集まったすべての出席者を見渡し、この『聖女礼拝の儀』の開催を宣言した。召喚されたばかりの聖女は、やや緊張した面持ちながら、輝かんばかりの笑顔でシャンパングラスを掲げた。


 わっという歓声が上がり、パーティが幕を開けた。給仕たちが会場内を巡りながら、グラスに入れた酒や温かい料理を提供する。楽団による音楽が優雅に流れ始めた。


 聖女の年はジルコニアと同じ16歳だという。

 肩まである焦げ茶色の髪と、大きく丸い黒目。小柄だが、快活な笑顔は周囲をぱっと明るくさせるようなエネルギーに満ちていた。


 聖女のパーティでは、慣例として、同じ年代の娘のいる家は共に出席することとなっている。これは若い女性の聖女に配慮した形だ。


 ジルコニアはレンダー伯爵家当主である父親と共に出席し、国王陛下と聖女に挨拶をした。

 レンダー伯爵は国王陛下と仕事で顔を合わせることがあり、和やかに会話する。


 ジルコニアは2人が話す横に立ち、静かに微笑みをたたえて邪魔をしないよう控えていた。

 2人の会話に一区切りつくと、聖女が待ちきれないといった様子で口を開いた。


「あの! もしかして、ジルコニア様ですか!」

「……ええ、そうですが」


 唐突に大声を出されて驚くが、ジルコニアは微笑みを崩さずに答える。

 聖女は両手で口を押えて肩で大きく息を吸う。


「わ、わ、わ! ジルコニア様、ガチで美人だー!」

「褒めていただき、恐縮ですわ」

「ああー! すごい、リアルお嬢様ですね!」


 ジルコニアは微笑みを貼り付けたまま、無意識に一歩下がる。


(なんなの、この娘は)


 いままで出会った人たちは、相手の失礼にならないよう、気遣いと気配りを欠かさなかった。

 この聖女は突然大声を出したり、返答に困る言葉を投げたり、およそジルコニアの常識では考えられない態度を取る。


 近くを通った給仕が、シャンパングラスをトレーに乗せているのを目の端に捉える。


(彼女があのシャンパンの中身をかぶってくれたら、この妙な熱の高さが冷めるのかしら)


 ふっと思いついてしまった意地悪な案を、慌てて頭の中からかき消す。


(聖女になんて失礼なことを!)


 聖女はジルコニアが突然黙ってしまったことに不思議そうな顔をするが、ハッとして謝罪する。


「あっ! すっ、すみません。ちょっと興奮しちゃって……!」

「いえ。降臨したばかりで混乱されているんでしょう。今夜はよくお休みになってくださいね」

「神対応っ……! ありがとうございます! 聖女のお仕事、私にできるか不安ですが、精一杯がんばりますね!」


 その後少し話しを続けたあと、ジルコニアは一礼して、父と共にその場を離れた。

 父親は笑いながら言う。


「なかなか面白い聖女様だったな」

「ええ、はい、とても……」


 礼儀に厳しい父が、苦笑交じりだが聖女を好意的に評価する。

 歩きながら周囲の人たちの言葉に耳を澄ませると、聖女の態度に驚いているようだが、その心根の優しさや献身的な姿勢に、おおむね高い評価をしているようだ。


 ジルコニアはだんだん気持ちが沈んでくる。


(私は聖女を受け入れられず、そればかりか意地悪な仕打ちさえ思い浮かんでしまった)


 いままで社交界で問題なく過ごしてきたつもりだが、大きなズレを感じて不安が大きくなってくる。


「お父様、お友達がいましたのでお話してきてもいいでしょうか?」

「もちろんだ。挨拶は済んだから、好きなときに帰りなさい」

「わかりました」


 ジルコニアはドレスの裾を軽く持ち上げ、会場内の人の間をぬって進む。

 友達というのは方便だ。この不安を落ち着けるために、いまは少しの静かさがほしかった。


 人の少ない場所を探して進んでいく。

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