02:クロヴァの家の中庭で

 クロヴァ・メイスは戸惑っていた。


 メイス伯爵家の長男として、相応の教育を受けた。その中には茶会でのマナーも含まれており、どう立ち振る舞うべきかは理解していた。


 しかし、成人後は騎士団の中で鍛錬に励み、戦場を馬で駆け、騎士団長になってからは書類仕事で忙殺の日々。

 交流といえば晩餐会や酒の席のみで、昼下がりに紅茶を傾けるような優雅なひとときは、彼の生活からほとんど姿を消していた。


 そんな彼の目の前に、ジルコニアが小さなテーブルを挟んで座っていた。彼女の顔には、完璧なまでの微笑みが浮かんでいる。


「今日はお招きいただきありがとうございます。以前の夕食会も、大変楽しい時間を過ごさせていただきました」


 先日行われた顔合わせの夕食会は、両家の家族が和やかに交流し、つつがなく終わった。

 その席で、社交辞令として招待した今回の茶会。


「クロヴァ様とこうして2人で話すのは初めてですね」


 夕食会では両家の親が会話し、2人は隣同士に座っていたが会話らしい会話はなかった。


 クロヴァは28歳、婚約者となった彼女は16歳。年齢も、性別も、経歴も、何もかもが大きく異なる。

 そもそも、年下の異性とどう接すればよいのか、クロヴァは想像すらできなかった。


 美しい令嬢は、目を細めてニコリと微笑み、外を見やった。


「ここからの眺めは素晴らしいですわね。中庭が見たいと言っていたのを覚えてくださっていたんですね」


 この家はクロヴァが成人を迎えた時に建てられたものだった。

 1階の南西側に設けられたテラスからは自慢の中庭が一望できるため、客人をここでもてなすことが多い。


「様々な工夫があって、本当に見事なお庭ですわ。うちもそうですが、街中の邸宅の中庭ですとつくりが限られてしまうでしょう?」

「そうだな」

「お花も綺麗に咲いていますわね。先ほどの小径こみちにあった黄色いお花、ランタナというのですが、私の好きなお花ですの。クロヴァ様のお庭にもたくさん咲いていて、嬉しくなりましたわ」

「そうか」


 女性と2人だけで真正面から会話するのは、クロヴァにとってほとんど初めての経験だった。

 何を話せばいいのかわからず、言葉が短くなり、会話が続かない。


 ジルコニアはクロヴァの口数が少ないことを気遣い、様々な話題を出す。しかし会話が広げられない。


 これはまずい、と言葉を発しようとするが、なにも思い浮かばない。相槌に終始してしまう。


 焦りを隠すために、クロヴァは紅茶に口をつけた。

 ジルコニアも紅茶をひとくち飲んだ。


「あら、とってもおいしいわ!」

「よかった」

「今日は暖かいですから、すっきりした味わいの茶葉が合いますわね」

「ああ。……合うと思う」


 なんとか言葉を出そうとしても、うまく形にならない。


 その後も会話らしい会話は成立せず、ジルコニアの気遣いからの問いかけと、クロヴァの絶望的なまでに短い応答が続いた。

 時間経過によってお茶会は終わりを迎え、彼女は丁寧に謝辞を述べて帰っていった。


 クロヴァは見送りの際、馬車に乗り込んだ彼女になんとかぎこちない微笑みを作ることはできた。しかし、手を振り微笑みを返す彼女の胸のうちはわからない。最後まで、年下の女性に気を遣わせてしまった。


 彼女が完全に見えなくなったのを確認し、大きくため息をついて近くの椅子に乱暴に腰かけた。


 その様子に、かたわらに立つ使用人の男性が声をかける。


「坊ちゃま」

「言うな。わかってる。大失敗だ」

「大失敗でございますね」

「言うなって」


 再度、大きなため息を出す。


 ジルコニアに対して不満はない。

 むしろ、12歳も年下で、美しさと礼儀正しさを持つ少女に、恐れ多い気持ちすらある。


 年齢を感じさせない落ち着き、会話の糸口を探ろうと次々と話題を出す知識量、言葉選びの思慮深さ。

 完璧な淑女、とはまさに彼女のための言葉だった。


「俺は剣しか握ってこなかった」

「言い訳でございますか」

「ちが……言い訳だな」


 いずれ結婚しなければならない身であるのは当然承知していた。

 ただ、女性との関わりなんてどうにかなるだろう、と楽観視していた。

 蓋を開けてみれば、女性の扱いが壊滅的に下手な男がひとり。


(……情けなくて腹が立ってくる)


 クロヴァは八つ当たりと知りながら、使用人にとげとげしい声を投げつける。


「俺は彼女とどんな会話をすればいいんだ」

「普通の会話を」

「例えば何だ」

「流行の劇の話だとか、旅行の話だとか。まあでも、他の家の噂話が鉄板ですね」

「劇にも旅行にも行かない。他家には興味がない」

「坊ちゃまは剣しか能が……剣の才能がおありでしたから」


 ずけずけと言われ、クロヴァはむすっとして反論する。


「俺は騎士団長になれるだけの技量と人望はあるぞ。そのおかげで、あのレンダー家から縁談がきた。メイス家にとってこれほどの僥倖はない」

「人望はおありなのに……」

「その先を言うな。わかった、俺が悪い」


 クロヴァは両手を軽く上げて降参した。

 メイス家の使用人たちは率直な物言いをする。クロヴァは彼らに口で勝てたためしがない。


「坊ちゃま、どうなさるおつもりですか?」

「ジルコニア嬢は聡明な方だ。俺に悪意がないのは伝わっていると思う」

「しかしご気分は害されていると思いますよ」

「……礼と謝罪の手紙を出そう」

「女々しいですが、それが最善ですね」

「一言多い」


 クロヴァは何度目かのため息をついた。

 鬱々とした気持ちから意識をそらすため、頭を上げて空を見た。そこには澄みきった青空が広がっていた。


(そういえば、彼女はあの女神に似ていた)


 クロヴァの心の中には、数日前に見た城壁塔の女神の顔が静かによみがえっていた。

 遠目で見たため細部はわからないが、ジルコニアと似ているとこがありつつも、隙のない完璧な淑女の彼女よりずっと幼い顔立ちだった。


(本当に天から地上を見に来た女神だったのかもしれない)


 ぼんやりと取りとめのないことを考える。


「坊ちゃま、手紙はすぐに書いた方が効果的ですよ」

「わかってる」


 使用人の言葉で現実に引き戻され、クロヴァは重い腰を上げた。



 ◇ ◇ ◇



 夜、ジルコニアの自室。

 彼女はソファに座り、クッションを両腕で抱えていた。

 寝間着のワンピースに着替えてはいるが、寝る気配はまったくない。


「うぐぅ……」


 彼女はうめき声をあげながら、目の前のテーブルに置いてある手紙を睨みつけていた。


 送り主の名はクロヴァ・メイス。

 手紙は封も切られていない。


 そばにいる老齢の侍女がため息をついて言った。


「お嬢様、いい加減に開けてはいかがでしょうか」

「絶対にお叱りの手紙だわ! 舞い上がって私ばかりベラベラとしゃべって、品のない娘と思われて、こ、こ、こ、婚約破棄をされるんだわ……!」


 侍女は呆れて封筒に手を伸ばすが、ジルコニアが慌てて手首を掴んで阻止する。


「開ける! 自分で開けるから!」

「何度目ですか、このやり取りは。さっさと手紙を開けてさっさと寝ていただかないと、老婆も寝られないのですが」

「わかった、もう覚悟したわ!」


 ジルコニアの手は緊張で震えていたが、封筒を慎重に手に取り、侍女に渡されたペーパーナイフで丁寧に封を開けた。

 そして、まるで爆発物を扱うように、そっと便箋を広げる。

 両腕をピンと伸ばして文面を遠ざけて、いつでも目を閉じられるよう薄目で読み進めていく。

 しかし、読み進むうちに彼女の目は驚きで見開かれ、青い瞳が文字を追って左右に動く。


 手紙を読み終えた後、ジルコニアは手紙をそっと閉じ、胸に抱いて深く息を吸い込んだ。


「クロヴァ様、怒っていなかったわ……」


 呆然とした顔で、うわごとのように言う。


「それどころか、うまく話せなかったと謝っていらっしゃった……」

「思った通りの内容でした。ではお嬢様、さっさとお休みなさいませ」


 侍女はいまだ放心状態のジルコニアを立たせ、手慣れた様子で背中を押しながらベッドまで誘導する。

 シーツをかけられながら、ジルコニアは侍女に手紙を渡す。


「ねえ、この手紙はいちばん頑丈な金庫に入れておいて。あと、明日の朝にも読み返すから、朝食の前に持ってきて」

「わかりましたから。目を閉じてください」

「……やっぱり不安だわ。クロヴァ様、お優しいからこう書かれたけれど、本当は――」

「寝る前にあれやこれやと考えると、変な夢を見ますよ」

「わかってる、わかってるわ……」


 ジルコニアは落ち着かない胸を手で押さえて、無理やり目を閉じた。

 ぐるぐると希望と不安が入り混じるが、やがて意識は夢の中へ沈んでいった。

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