赤い絵

 聡は目が覚めた。

 昨日はソファーの上で寝たので少し寝覚めがよくない。台所で水を飲み、本棚から一冊取り出して眺めていると、ベランダの方から声がする。

「起きたのか、こっちだ」

 ベランダに出てみるとカズが例の絵を描いている。外は鮮やかに晴れ、ベランダに出ると太陽がまぶしい。

「こんなところで描いているんですか」

「部屋の中で描いていると汚れるだろ」

 中心部は薄く、縁にいくにしたがって濃い赤になっていいるだけの絵だ。赤というよりピンクに近いだろう。

「きれいな赤ですね」

「これはまだ背景だけなんだよ。上書き出来るのが油絵のいいところだ。中心部に人物像を描くつもりだ。ユニットバスに洗面所がある。顔を洗ってくるといい」

 聡が洗面所に行くとどこかのホテルからかっぱらってきたのか、袋に入った歯ブラシが置いてあった。聡が顔を洗っていると、カズが声をかける。

「冷蔵庫に気付け薬がある。持ってきてくれ」

 台所に行き冷蔵庫を開けると缶ビールが数本入っていた。

「カズさん、もしかしてこれですか」

 聡は缶ビールを二本揺らしながらベランダに出た。カズが笑いながらビールを受け取った。

 今日は晴れてすがすがしい朝だ。ベランダから外を眺めると、公園が見える。そこでは数人の母子が遊んでいる。聡は自分の子供が欲しくなった。夏海との子供だ。きっと可愛いに決まっている。

 カズも聡もビールを開け、乾杯すると一口飲んだ。朝酒は腹にしみる。

「いい天気ですね」

「ああ、いつも天気なんか関係のない生活だからな。たまの休みが晴れていると嬉しくなるよ」

 カズが微笑む。

 昨日の荒れたカズではなく、これが本当のカズだと信じたかった。

 聡は昨日のことを思い出していた。この仕事をしている限り、結婚すら出来ないとカズは言った。カズは覚悟を決めているようだが、聡はそこまで割り切れてはいない。

「カズさん、昨日の話ですけど」

 カズが振り向く。

「僕はやっぱり結婚は諦めたくないですよ。子供が欲しいですからね。いざパチンコが勝てなくなったら何でもしますよ。トラックの運転手、清掃の仕事、警備会社の旗振り。人が嫌がる仕事なら、たとえ職歴がなくても雇ってくれるでしょう」

「そうだな、お前さんの言う通りかもな。だけどおれは陰にこもり過ぎた。いまさら社会に出ていくには歳をとりすぎた。ハローワークに行ってみろよ。ほとんどが35歳未満だ。おれは今年で38歳だ。このままこの仕事を続けていくしかないんだよ」

 

 聡は自分のスキルを思い出した。

「カズさんいいことを思いつきました。二人でコンビニを経営しません?僕はフリーター時代はバイトリーダーで、業務内容は粗方知っています。この住吉はコンビニが少ないようなんで、立地条件も申し分ないですよ。どうでしょう」

 聡はカズを日の当たる世界に連れ出したかったのだ。

 しかしカズはあまり乗り気ではないようだ。表の世界では確かに嫌な客がいたり、残業が多かったり、その他もろもろあるであろう。しかしその分人生を謳歌出来るはずだ。

「確かにお前さんの言う通り日の当たる世界では人生も楽しいかもしれない。出口の見えない世界に光が差すかもしれない……」

「じゃあ、コンビニを経営するってことも一応頭の中に入れておいてくれますか」

「一応、な」

 カズはビールを飲み干した。

「でも期待はするなよ。おれはパチンコしか打てないんだよ」

 カズが右手を回して笑った。

「それにな」

 カズが絵筆を握りしめた。

「人は自分が本当にやりたいことで成功しないと、自己実現には至らない。おれの夢は最終的には絵の世界でいきてゆくことだ。そのための経済的アシストがパチンコなんだ。コンビニのお飾りオーナーなんかやっても結局満足しないだろう」

「日の当たる世界に出たいんですよ」

「金井さんのような生き方を貫いている人もいる。おれはどんどん視野が狭くなっているのかもしれないな」

 カズはまた背景に色を塗りはじめた。

「さっきの話の続きだが、お前さんたち結婚するんだろう?夏海ちゃんはどういう子なんだい」

 夏海は利口な子だろうか。頭の回転はまあ普通。一を言えば十を知る子かどうか。それをこれから見抜かなければならない。

 カズとこうして話していると豊かな時間を過ごしている気持ちになる。

 そこへ夏海から電話だ。

「昨日は寂しかった……」

 それはそうであろう。いきなりお泊りになったんだから。

「今日は帰ってくるんでしょう?」

「もちろんだよ。今日は仕事も休みだし、これから飛んで帰るよ」

「お師匠さんの所に泊まっていたんでしょう。何か大事な話?」

 聡は昨日の荒れたカズの姿を思い出していた。

「内緒、はは冗談だよ。一回カズさんの部屋をのぞいてみたかったんだよ」

「うふふ、じゃあ、お昼作って待ってるね」

「了解!」

 聡はビールを飲み干し、カズに帰ると告げる。

「昨日は世話になったな」

「いえ、こちらこそ、じゃあ失礼します」

「お土産買って帰るんだぞ」

「分かりました。なにかスイーツを買って帰りますよ」 


 聡は夏海が待つ家まで帰っていった。






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