凋落
聡は今日も勝っている。今日勝つと8連勝。夜10時、玉を流す。今日は6万円の勝ちだ。いまはただ稼ぎがあるのが唯一のプライドである。
この2年間で収支は1300万円を上回り、貯金額は1000万円を突破した。とりあえずの目標は20年かかってもいいから1億円の突破だ。この目標がある限り気力が尽きることはないだろう。
それに聡には夏海がいる。金井のように、妻子を持ってこの稼業をやっている者もいる。パチンコをするのに覚悟をもって臨むことが出来るようになっている。
カズはあれからまったく来なくなった。貯金はあるだろうからあの赤い絵を仕上げるまで休みを取るつもりだろう。展覧会も間近だったはずだ。
ときたま母親から電話がかかってくる。母は聡のことを心配して、とにかく一度帰って来るように言う。
「あんたは心配ばっかりかけて、まだコンビニのバイトやってるん?」
「いや、あれはもう辞めた。いまはもう少し割のいい仕事してるて」
「またバイトなの……」
就職に失敗したのだから、家業のみかん農家を継げというのである。
聡が大学を卒業してからもう4年になる。いまはまだパチプロになったなどとは当然言ってはいない。親が悲しむのが目に見えているからだ。学生の時、姉の結婚式に出て以来7年も家に帰っていない。甥っ子はもう3歳になるそうだ。
「そやからおれはもう少しで何かをつかめそうなんや。それが何なんかはまだ分からん。分かれへん者には一生分かれへん。そういうもんなんや。それが分かったら一度帰るから!」
よく分からない理屈をこねて電話を切る。
聡はもやもやした気分だ。心配してくれているのは分かっている。しかしいまは本当のことが言えない。
答えてくれるのはカズしかいない。電話をかけてみる。10コール鳴らしたが出ない。もう一度かけてもだめだ。聡は直にカズのアパートに行ってみようと思った。
地下鉄を乗り継ぎカズのアパートへと向かう。カズが好きだと言っていたウイスキーを買い、階段を上がりカズの部屋の前に来た。ノックをし、ドアノブを回すと鍵はかかっていない。おそるおそる部屋の中へと入っていく。
「カズさん……」
返事はない。電灯は消え窓から町灯りだけがうっすらと部屋の中を照らしている。
聡は目が慣れてくると驚愕した!部屋の中にはおびただしいほどのビールの缶やウイスキーの瓶が転がり、足の踏み場もないほどだ。カズはソファーに横になっていた。聡は思わずカズに駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
「よう、お前さんか……」
「ようじゃないですよ!どうしたんですか、こんなに酒ばかり飲んで。救急車呼びますから待っててくださいよ!」
陰の極に飲み込まれ、這い上がることが出来なくなった者のなれの果てだ。聡はぶつけようのない悲しみで床を殴りつけた。
「保健証はどこですか」
するとカズは観念したかのように、棚の上の小箱を指さした。
救急車がやってきた。聡も乗り込む。保険証を見ると驚いた。そこに記されていた名前は見たこともないものだったからだ。
(カズト……一人……独り)
病院につくと、すぐさま血液検査をされ、点滴を打たれた。肝硬変一歩手前だったらしい。アルコール依存症の人間は何も食べずに酒ばかりを飲んで、食べ物をまったく取らなくなる者もいるらしい。最悪餓死に至るそうだ。
「餓死……」
カズのところへ戻ると、もうろうとしていたさっきよりもだいぶ意識がはっきりしてきたようだ。
「すまなかったな、手をとらせて」
「医者が言うにはだいぶ肝機能が弱っているそうです。三日は絶対安静ということです。動いちゃなりませんよ」
聡は少しきつめに言い渡す。
「お前さん覚えているかい、一年前の旅打ちのことを。あの頃がいちばん楽しかったな」
「覚えてますよ。一日中浜焼きの店が見つからずに、結局空いた旅館に駆け込んで蟹食いましたよね。計画性も何もない旅でしたけれど楽しかったですよ」
それから二人は出会ってからのことをいろいろ話した。時にはきつい目にあったことや、時には大勝ちした時のこと、話はつきなかった。
「お前さん、10円玉持っているか」
「コインの賭けですか。なにもこんな時に」
「いいから」
聡が小銭入れから10円玉を取り出すと、カズは物置台の上で回し始めた。
「表か裏か、どっちに賭ける」
聡はあえて答える「表です。表しかありません」
カズがバシンと10円玉を止める。そっと手をあげると、そこには何もなかった。
「無だ」
聡は少し驚いた。でもすぐに分かった。コインはカズの手のひらに張り付いていたのだ。
「もう半年前になるかな。ついに株に手を出してしまった。しかし連敗が続いたんだ。その損を取り戻そうとさらにのめり込んでいってしまった」
聡はここのところカズの様子がおかしかった原因が分かって深くうなずいた。
「おれはプロのギャンブラーだ。負けるはずはないと自信過剰だった。なんのことはない、賭け金が大きくなるにつれあせり、追い詰められていったんだ」
聡はうつむいて聞いている。
「そのうち、それまでの負けを取り戻そうと信用取引に手を出してしまった。株価の上下に一喜一憂し、最後はやはり負けてしまう。パチンコじゃあ出玉に一喜一憂するのは素人だろう。賭け金のパイがでかくなればなるほど、ど素人になっていったんだ。いままでパチンコで10年以上もかけてためた5千万円が一気にパーだ。それから酒が切れなくなったんだ……」
カズは目を閉じさらに語る。
「そして……顔を思い出せなかったんだ。何枚スケッチブックに下絵を描いてもどうしても違う顔になる……そのうち展覧会の期限が過ぎてしまった……」
「また一からやり直しましょうよ。カズさんならきっとできますよ」
「そうだな……」
聡は後ろ髪を引かれる思いで病院を後にした。
3日後お見舞いに行くと、カズの姿はなかった。聞くと2日前に強引に退院したらしい。急いでカズのアパートへ行くともぬけの殻になっていた。
「カズさん……」
ベランダには、あの赤い絵が立てかけられていた。絵の真ん中には顔がない女性像が描かれていた。
「これで永遠にお別れなのか……」
聡は赤い絵を手に取り、呆然とその場に立ちどまり涙を流した。
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