迷宮

 地下鉄あびこ駅に着いた。

 カズの言うままにアパートを目指して歩いていく。

「さっきはどついたりして悪かったな」

「いや、もう気にしてませんよ」

 ふらつく足取りでガードレールに両手をつくカズ。

「この仕事は因果な商売なんだよ」

「……そうですね」

 やがてエレベーターもない古びたアパートについた。その6階にカズの部屋がある。カズはおぼつかない手つきで鎖につながれた鍵をポケットから取り出し、ドアを開け中へと入っていく。

「おじゃまします」

 聡も続けて入ると驚いた。八畳ほどの部屋の両側に大きな本棚があり、そこにはびっしりと本が並んでいた。

 背表紙をみると主に投資関係の本だ。ファンダメンタルズ、テクニカル、板読み、複雑系から社会行動学からゲーム理論まで……

「株だよ」

 カズはコップに入った水を聡に渡しながらソファーに座る。

 知識の迷宮に迷い込んだ子猿に答えるように、ゆっくりと話し始める。

「おれはこの10年、株で飯を食っていくにはどうしたらいいのかをずっと考えてきた。パチプロがパチンコで勝つように株で勝てる方法をな」

 聡は横のベッドへ座る。

「人間の経済活動の上澄みをすくいとるんだよ。その規模は無限大だ。パチンコの稼ぎなんか目じゃあない。ギャンブルのプロであるおれが負けるはずはない」

 カズは立ち上がり、その中の一冊を取り出して言った。

「この本には嘘しか書いてない。この本も、この本も。ずっとギャンブルで飯を食ってきた人間だ。怪しいところは鼻で嗅ぎ分けることが出来る。そうして嘘の部分を削除していけば最後は真実のみが残るはずなんだ」

 聡は少し悲しくなった。あのいつもドル箱タワーを築いて、聡があこがれていたカズとは別人のような気がしたからだ。

「あと一歩、あと一歩なんだよ。頭の中にまだ暗闇がある。あと一歩前に進めば、勝てる道理が分かるんだ」

 

 それからまたふらふらとソファーに倒れ込む。

「分からない。どうしても分からない。同じギャンブルのはずなのに」

 聡は部屋の隅になにやらゴミの塊のようなものを見つけた。近づいてみる聡。思わず後ずさりする。

「カズさん、こ、これは……」

 そこには何枚もの切り刻まれた画版が山積みされていた。

「展覧会に出して落選したおれの絵の残骸だ……」

 聡はその一つを手に取って見てみる。比較的に傷ついていないその女性像は透明なレースのワンピースを身にまとい、両膝を立てて小首をかしげこちらを振り向いている、絵が分からない聡が見てもうっとりするような素晴らしい出来栄えの作品だった。

「凄い……」

 聡は思わずカズに聞く。

「こんないい絵がなぜ落選するんですか!」

 カズはまたビールをあおり始める。

「分からない。何も分からない。おれには……株にしてもそう、絵にしてもそう、最後のところがわからないんだ!」

 

 ドンッ!


 カズがテーブルを両拳で殴りつけた。そのまま頭を抱えると、大声で泣き始めた。

「ううっ!出口が見えない。出口が見つからないんだ!なぜおれに誰も出口を教えてくれないんだ!うおーっ!」

 聡も思わず涙し、そこに立ちすくむ。

 あがいてももがき苦しんでもどうやっても出口の見えない人生。カズの苦しみがようやく理解できた聡。

「どっちを向けばいいんだ。なにもかにも中途半端なのか!誰でもいいからおれに教えてくれー!」

 その残酷なカズの姿に絶句し、聡は人生の不条理を噛みしめる。

「なぜ神はあの盤面という小さな牢獄からおれを出してはくれないんだ……」

 ぎりぎりという歯ぎしりの音が聡にまではっきり聞こえた。


 ひとしきり泣きじゃくったあとカズは立ち上がり、押し入れから寝袋を取り出した。

「今日は、このソファーで寝るといい」

 呆けたような横顔を残し、カズはベッドに潜りこんだ。


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