太極
次の日、カズと聡はいつもの店を離れ、カズが持ち駒にしている別の店で打つ。
心斎橋の店だ。ここもよく出す店のようで、朝から長蛇の列ができている。
全体的にいつもの店ほど釘が開いてはいないが、海のイベントでは千円25、6回転もする台を作ったりする優良店だ。
海シリーズのミドル機にカズの仲間が陣取っている。歳はカズと同じくらいか。ふっくらしたおじさんという風貌である。カズが「よう、金井さん。久しぶり」と声をかける。カズに仲間がいるということに聡は驚いた。天満の店ではまるっきり一人で打ち続けているからである。
まずは聡に台選びをさせる。聡は自分が打ちなれている、ミドル機のシマへ行き、ヘソを見て台を決めたようだ。
「ヘソしか見てないだろう」
カズが言った。
「おれが選ぶならこの台だ」
聡はカズが選んだ台を見てみた。ヘソの大きさはほぼ同じ、というか全く違いが分からない。
「試していいですか」
3千円づつ打ってみると、明らかにカズが選んだほうがよく回る。
「ヘソの大きさが一緒じゃあないんですか」
「ヘソはほぼ同じだ。しかし寄り釘がわずかに違う」
聡は2つの台の肩口の寄り釘を比べてみたが、全く同じに見える。
カズが台の一点を指さす。
「この風車上の鎧釘、ここが明らかに違うだろう」
聡が見比べてみると確かにカズが選んだ台の方が、鎧釘が内側に曲がっているようにみえる。
「こういう玉の流れを決定する釘を『急所』という。多くは肩口にあるもんなんだが、このように風車上の釘で調整している店も多い。それを踏まえてもう一度台を選びなおすんだ」
要点が分かった。聡は鎧釘だけを見て回り台を確保した。
カズはにやりと笑い、合格点を出した。
「ジャンプ釘は上げ釘でも下げ釘でもよくない。水平なのが一番だ」
「ヘソの形に注意が必要だ。一見開けているように見せかけて実は回らない調整にしている時がある。ヘソの右側の釘を斜めに下げる調整法だ。椅子に座らないと気付かない時も多いので気をつけろ」
一通りのレクチャーが終わるとカズのパチプロ仲間が手招きしている。聡は金井の横に座った。
カズとの出会いはカズがこの店にジグマとして居座ってから1年ほど経ってからの付き合いだという。最初はとっつきにくそうな奴だったが、飲みに誘うと案外気軽に付いてきたそうだ。
聡はいまカズに弟子入りしていると告げると「ああ、間違いない」と言った。
「まあ腕は抜群やし、いい親方についたと思うで」
勝負が始まった。聡は好調だ。玉がどんどん積みあがっていく。
結果はカズが2万円の負け。聡は6万円の勝ちとなった。
仕事を終えて金井を晩飯に誘うと、玉を流して近くの居酒屋に入る。
「へー、カズさんも負けることあるんですね」
「そりゃそうだ。台が極端に連チャンするようになって、いまでは勝率は7割だ。昔はもっと勝ててたんだがな。なあ金井さん」
「ああ、パチンコバブルの頃が懐かしいよ。日当4、5万の台がゴロゴロ転がっていたからな」
それぞれたのんだ定食が運ばれてきた。
「カズの弟子になる前は何をやってたんや」
「コンビニのバイトです。フリーターなんて月10万がいいところですよ。生きていくのに精いっぱいでしたよ」
「そりゃー報われへんわな」
カズが思い出したように言う。
「お前さん、『太極』って知ってるか」
「対局?将棋ですか」
「違うよ太極拳ってあるだろ、あの太極だよ」
聡がいぶかし気に聞く。
「それとパチンコと何の関りがあるんです?」
「パチンコの勝負には目に見える陽の勝負と目に見えない陰の勝負がある。陽の勝負は毎日の金額的な勝ち負け。陰の勝負は結果はどうあれいい勝負をしたかどうかの内容的な勝ち負けのことだ。これらはお互いになんの関係もないように見えるが、いつもどこかで繋がっていて、1年もするとほぼ同じ結果になる。だからいい台を選んでひたすら回転数を稼ぐんだよ。回る台で粘り倒す。最後はこれに尽きる」
聡が応じる。
「勝負に勝って試合に負ける……とかいうことですか」
「まあそんなところだ。今日はいい勝負をしたんだから結果は忘れて気持ちを切り替えろってことさ。今日負けた分は必ずいつか出るって信じることだ。この意味は分かる奴は分かるし、分からない奴はいくら教えても分からない。物事を考え果てた末にでる結論だからだ」
3人はその居酒屋で別れた。
聡は電車に乗ると今日あったことを思い出していた。とにかくいろいろありすぎて、頭の中がごちゃごちゃして整理がつかない。特にあの「太極」の話だ。カズお得意の禅問答のようなことなのか、頭が整理できればいつかは理解できることなのか。
まあ、今日は大勝ちしたことだし気分よく帰って行った。
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