第18話 『大迦葉の手記』の続き

 家に帰ると、梵天に報告。

大迦葉:今日は上手く行ったよ。

梵天:どんな感じ?

大迦葉:大麻で条件づけしたら瞼がひくついた。

梵天:そりゃあすごいなあ。そして次なるは

大迦葉:LSDを使おうかと思って。あと、最後はやっぱり催眠で。

梵天:そっかあ。上手く行くといいなあ。

大迦葉:まあ、催眠には自信あるから。


翌日妃奈子を体育館倉庫に呼び出すと俺は言った。

「お前は健康そうだよねえ」

「なにぃ、又何か説教?」

「そうじゃないけど、望花なんて、お前ら一家を見かけた立川で、ああいう所で疲れるのは、バーバリーのコートとかフェラガモの靴とか、そういうのに触れると自分の手油がついて、それで疲れる、とかいうのもあるんだけれども、それ以前に、高島屋という空間自体に疲れるというんだよねえ。

 望花曰く、ファーレ立川なるビジネス街を歩いていたら、スタバだかタリーズだかから、3人ぐらいテイクアウトのOLが出てきて、パンパンのタイトスカートに12センチぐらいのヒール履いて、あの人達、キャラメルマキアートだ、カプチーノだ飲んでビスケット食って、うんにはちゃんと出るんだろうか、

吹き出物とかできたりしないのだろうか、だって。

 お洒落な都市空間に厭離穢土的な、糞に白粉をまぶしたみたいな身体でいるのがつらくはないのか、と思うんだと。

 立川あたりでそうなんだから、まして青山だの六本木だったら、そこで平気で住んでいる人はどういう人なんだろう。

 表参道を颯爽と歩くのはどういう人?

 例えば、疲れない人って、J-WAVEのナビゲーターとか、滝クリとか別所哲也とか。

 そういうのの類似品で、フェラガモでもアルファロメオでも平気で消費する妃奈子は強いといえば強いって。

 なんでお前は平気なの? と俺も思うよ。

 まぁ、俺が思うには、一つは、たまたま宝物として生まれた、って事かな。

 人間ブランド品としてね。

 顔や身体が左右対称とかね。

 脚が長いとか。

 本人はナルシストで、自分にフェチなんだよ。

 もう一つは、なんでだろう、家が金持ちだから世襲議員や世襲経営者が威張っているような感じかな。

 人間、体がでかいだけで威張るし、でかい車に乗っているると威張るからね。

 BMの7シリーズに乗っていれば俺の軽バンなんてなんとも思わない様に。

 あれに乗っていれば、高島屋でも伊勢丹でも、青山でも表参道でも平気だろう」

「生きているだけで辛い人がいるのは知っているよ」

 と妃奈子が言った。

「マツキヨとか行くと、便秘薬とか、新ビオフェルミンだのエビオス錠だの、そんなので棚3メートルぐらいあるものね。

 あと、湿疹、かぶれ、ニキビだのアトピーだので1メートル。

 そういう人達こそ胎蔵界曼荼羅でおかしくなったちゃった人達で、“なまぐさ”をためているんじゃないの?

 そういう人こそポアすればいいのよ。

 私、ニキビって生まれてこの方出来た事ないよ」

「まあ、お前みたいな貴族は、自力本願で、自分で解脱してよ」

「勿論よ」

「だから今日はこれを用意してきた」

俺はパケに入った尿検査の紙みたいなのを見せた。

妃奈子もそれがLSDと分かったみたいだ。

「今日はこれを含んで、あと催眠だ。それで解脱だ。いいだろう?」

「いいわよ」

「じゃあ、まずこれを舌の上に乗せて」、と、LSDの染み込んだリトマス試験紙みたいなのを舌の上においた。

「じゃあ、妃奈子も慣れているだろうから、動画のヒプノディスクで。軽くトランスしようか」

言うとスマホでyoutubeのヒプノディスクを再生した。

渦巻の図柄がくるくる回って見ていると意識を吸い取られる感じがする。

「じゃあ、俺の手を握って、ぎゅーっと握って、握って」。ヒプノディスクを見ながらこっちの手を握ってくる。「さあ、もう開かない、開かない、開かないよー。さあ、もうトランスした」

妃奈子も催眠・瞑想研でしょっちゅうやっているものだから、簡単にトランスするのだろう。

俺はスマホを置くとポケットからライターを出して火をつけた。

「さあ、今度はこのライターの炎をじーっと見つめて。じーっと、じーっと見つめて。

さあ、吸い込まれて行く、燃えちゃうよー、意識が吸い込まれていって、燃えちゃうよー」

妃奈子の瞳を見ると、ウミガメが産卵でもしているみたいに潤んでいる。

「さあ、妃奈子さん、何が見えますか?」

「光があふれている、シャンパンがグラスからあふれるみたいに光があふれているわ」

これ、催眠が効いているのかLSDでらりっているのか。何れにしてもトランス状態であるには違いないだろう。

「それじゃあ妃奈子さん、私の手から手を放して。あそこに窓があります。外に何が見える?」

妃奈子は両手をだらーんとさせると、半地下の窓の外の木々を見た。「あそこに、恐竜がいる」と言った。これはらりっているな。

俺は、チューブ付きのゴーグルを取り出すと、妃奈子にかけた。

今妃奈子は変性意識状態で無意識の扉は開けっ放しだろう。チャンスだ。

俺はスマホのボタンを押してJ-WAVEのジングルを再生した。

「JJJ、J-WAVE

 JJJ、J-WAVE

 おはようございます。Good morning. It's five o'clock, from

the J-WAVE Singin' Clock」

エアースプレーのボタンを押すと、エアーを送る。妃奈子はすかさず瞬きを開始したが、嫌がるでもなく、窓の外の恐竜を見ている。

「さあ、J-WAVEのジングルが聞こえますね。そして瞼は痙攣しています。でも不快ではありません。気持ちいいぐらいです。J-WAVEのジングルを聞いて。瞼は痙攣します。でも気持ちいいー。気持ちいいー。これは癖になるぐらいです」

なお数分、J-WAVEのジングルを流しながらエアーを吹きかけて瞼を痙攣させるという条件づけを続けた。

もう十分だと思えたところで俺は妃奈子に言った。「さあ、妃奈子さん、これから3、2、1と言って指を鳴らします。そうすると目が覚めます。それでは、さん、にー、いち、パッチン、はい、目が覚めました」

妃奈子はゴーグルを外すと、「ヤクが抜けない」と言って、天井を見ながらねそべった。

扇状に広がったロングヘアーの上に頭があって、瞳はまだうるんでいた。

「少し休めよ」と俺は優しく言った。


翌日8組に行くと、後ろの方の席で、『カーグラフィック』やら『JJ』を広げている妃奈子と望花の背後に迫って、スマホのボタンを押してJ-WAVEのジングルを流す。

「エーリィワンぽいんスリー、ジェーウェーブ」

凝視すると妃奈子の瞼がひくひくひくーっと痙攣していた。

「あれ~」といって妃奈子はこめかみを押さえた。

(完全に効いている)と俺は思った。

妃奈子は背後の俺に気付く。

「やあ、調子はどうだよ」と俺。

「普通だよ」と妃奈子。

「コンタクトは何時手に入るんだよ」

「今日の帰りに取りに行くよ。ビックカメラに」

「アルファロメオは?」

「明後日に納車の予定だよ」

「ふーん」

用意万端整ったな。


 翌々日、世田谷通りアルファロメオ正規ディーラーから、アルファロメオ・ジュリエッタが届いた。

 妃奈子の寺は、山門から参道を行くと左右に塔やら金堂、奥にでっかい講堂のある法隆寺式で、裏に庫裏だのがあり、その裏の駐車場がある。

 そこに赤いジュリエッタが止まっていた。

 ピッカピカのジュリエッタにバーバリーのコートを着てエルメスのスカーフを頭に巻いて、もたれかかる妃奈子。

「どう? 決まっているでしょう、写真撮ってよ」

「おお」

 俺は、スマホを出すと、数枚撮った。

 カシャカシャ。

 妃奈子は、ジュリエッタのドアを開けると、ハンドルからシートから

シフトレバーまで総革張りの“なまぐさ”のかたまりに乗り込んだ。

 ブランドロゴの型押しされているヘッドレストに頭をつけると、あーっと伸びをする。

 それから、電動シートをいじくったり、インパネをいじくったり、ギアシフトをなでたりハンドルにもたれかかったり、している。

「やっぱりイタリア製の曲線美というか、エロテックでさえあるわ」

 エンジンスタートさせて、2、3回アクセルを踏み込む。

 ファィ~ン、ファイーーーン

 そしてにんまりと微笑。

「そんじゃあ、これからお前、試し運転してみろよ、オレが写真をとってやるよ」

 いうと俺はスマホを翳した。

「この望遠レンズで、あの急坂の真ん中の土手のところで構えているから」

 日野大阪上からの急な下り坂を俺は示した。

「その恰好で走り降りてこいよ、バーバリーのコートきて、エルメスのスカーフ

をまいて、こんな坂を下ってくるんじゃあ、モナコのグレース王妃みたいじゃないか」

「あら、8組のグレースケリーは蓮美なんじゃないの? でも、アルファロメオは

似合わないけど。チャリが似合いで」

「じゃあ、お前、グレースケリーとか言っても坂で事故るなよな。まだ免許取り立てだから気を付けて」

「分かってるって」言うとルームミラーをのぞき込んでコンタクトの位置を確認する。「これ、結構ズレるのよねぇ。ハードだから。私は乱視が酷いからハードじゃないとダメなんだって」

 そしてアクセルを更に2回、3回をふかした。

 ファイーーーン、ファイーーーン

「あっ、CD忘れた。

 曲がないのが寂しいなあ」

 と妃奈子。

「じゃあ、オレのダップ貸してやるよ」

 言うと俺は軽バンの助手席に行って、自分のDAPをとってきた。

「何、これ」

 とさっそく耳にイヤホンを突っ込んで再生する。

「普段俺が聞いているいい曲が入っているから。

 こんなイタリア車にばっちりな曲だよ。

 イタリア車だからってオペラじゃないよ。

 普段俺が聞いている、90年代2000年代の定番で、Hip Hop Hoorayとか

Cupid Shuffleとか」

「ふーん、いいじゃん」

 妃奈子は首を振ってのっている。

「じゃあ、俺が先に行って、カメラの準備が出来たらスマホで連絡するから、

そうしたらこいや」

 そして俺は、軽バンで坂を下ること、3分、この前妃奈子に抱き着かれて

転落しそうになった崖のちょっと先の、中腹の土手に停車。

 そして、スマホで連絡する。

「降りてこいや」

 そして俺はスマホを構えてアルファロメオを待った。

 1分、2分…2分30秒、3分後、赤いジュリエッタが見えた。

 妃奈子は窓全開でスカーフをなびかせつつ、いい調子で運転している。

 俺はスマホをそっちに向けた。

 写真を取るんじゃない。

 DAPに『HiByLink』というアプリで信号を送って遠隔操作する為だ。

 このアプリで信号をおくればタップの曲を選択することが出来る。

 妃奈子が例の崖の手前数十メートルに来た。

 俺は『HiByLink』のボタンを押して、遠隔操作する。

 妃奈子の聞いているダップは曲が飛んでJ-WAVEのジングルが再生される筈。

 JJJ、J-WAVE

 JJJ、J-WAVE

 J-WAVE トラフィックインフォーメーション

 JJJ、J-WAVE

 JJJ、J-WAVE

 エイティーワン、ポイントスリ~~~~、ジェ~~~イ、ウェ~~~ブ

 JJJ、J-WAVE

 JJJ、J-WAVE

 今、妃奈子のイヤホンからはJ-WAVEのジングルがまとめて流れている筈。

 そして目を凝らして妃奈子を見ると、目を瞬かす妃奈子が見えたーーーー。

 そして目を押さえた、かと思ったら、ハンドルを右へ左へと切り出す。

 妃奈子は完全にパニクっている感じだ。

 車はどんどんと坂道を加速して降りてくる。

 わーーーーっていう顔をして両手をハンドルから離しちゃって耳を押さえた。

 そして、ブレーキ音もしないまま、ピッカピカのアルファロメオは、錆びて朽ちかけたガードレールを突き破ると、崖から飛び出していった。

『テルマ&ルイーズ』のラストシーンみたいに綺麗な放物線を描いて落下していく。

 最後にガッシャーんという音が微かに聞こえた。

 あっけない最期だった。

 モナコでグレースケリーが事故った時もこんな感じ?」

『大迦葉の手記』終了。

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