第16話 『大迦葉の手記』の続き 条件づけ

 翌日8組のテラスに行くと、妃奈子が、ディーラーからもらってきたパンフレットを広げて望花と見ていた。

 望花は本物の車のみならず、パンフレットにさえも指をくわえている。

 俺は近寄ると、妃奈子のブレザーの肩のところをひっぱって、引き寄せる。

「ちょっとこっちこいや」

 そして俺はテラスのすみで説教した。

「いいかお前、衆生たるもの一度は、自分なんて白粉でまぶした糞だ、と思って、滅私しなくちゃならない」

「はぁ?」

「リエラだって、自分が白粉をまぶした糞に過ぎない事に気が付いて、即身仏的に拒食症になったじゃないか。

 なのにお前は、自分の厭離穢土に気が付かないで、着飾ったり、フェラガモを買ったりアルファロメオを買ったりする」

「いいじゃない、別に。

 平安時代の貴族みたいに、一日一回座禅か何かで瞬間的に解脱して、あとは好きかってにやっていれば。

 自力本願で」

「お前はそれでよくても、望花が嫉妬して“なまぐさ”が発生している。だから、お前が解脱しないといけない」

「なんで私が解脱するのよ。

解脱するのは望花の方じゃない」

「そうじゃない。

 お前が原因を作っているんだから。

 これは縁だよ。

 縁の上位の方が解脱しなければ」

「どうやって」

「ここじゃあ言えない。

 体育館倉庫に来て」


 放課後になって、妃奈子はのこのこと、体育館倉庫に現れた。

 よく来たな、と思ったが、あれだけアッシー君をやってやったのだから

当たり前か。

 俺は、半地下になった体育館倉庫に入って行くと、マットの上を指さして、

「さあ、そこに腰を下ろして」

「やだ、こんなところ、スカートが汚れるじゃん」

「そう思って、俺がシートを用意してきたよ」

 ダイソーのレジ袋からブルーシートを出すと、バサーっと広げてやった。


「さあ、座れ」

 そして俺も座ると瞳を覗き込んだ。

 なんでこんなに薄暗いところで、まぶしそうな目をしているの?

 全く厭離穢土を知らない顔だ。

 リエラや望花とは真逆。

「お前も解脱しなければならないが、その為には滅私しなければならない」

「えぇ?」

「リエラみたいに、拒食症になって、即身仏的に滅私するのは分かりやすいが、

お前みたいに、平安仏教みたいに、やりたい放題したまま瞬間的に解脱するには

まず滅私…」

「何で滅私するのよ」

「それは…滅私しないと解脱出来ないだろう」

 こっちの企みは、滅私、つまり自己の無い状態、つまり変性意識状態にして、

無意識に働きかけて、その瞬間に条件反射を入れてやろう、というものなのだが。

「それは、自分っていうのは“なまぐさ”みたいなものだろう。

 それを捨てて自分の胸にある仏性と宇宙のオウムを一致させるのが解脱なんだから、

自分の“なまぐさ”は捨てないと。

 だから、まず第一段階として、自分を捨てないと。

 では、自分を捨てるにはどうするか」

 俺は妃奈子のまぶしそうな目を見詰めた


「こんな倉庫はムードがないな」

 とスマホを出した。

「音楽でも聴く? ラジオでもかけるか、いや、俺、J-WAVEのジングルが

好きなんだ、それだけコピペした録音があるから、それ聞こうよ」

 ブルーシートの上にスマホを置いてスイッチを押すと再生されだした。

「エーリィワンぽいんスリー、ジェーウェーブ

ジェジェジェ、J-WAVE

ジェイ ウェーブ ジャム・ザ・ワールド on81.3

JJJ、J-WAVE

JJJ、J-WAVE」

「さてそれじゃあ解脱を開始するか」

「解脱ってどうすればいいのよ」

「まず、こうやって、人差し指をピーンと立ててみな」

 言うと俺は、妃奈子の顔の前で人差し指を立てて見せた

 妃奈子も真似して人差し指を立てる。

「じゃあそれをこうやって曲げてみな」

 と、俺は万引きのサインの様にコの字に曲げてみせる。

 妃奈子もかくっと曲げた。

「今、自分で曲げたと思っただろう。

 だが脳的には、曲げた0.2、3秒後に曲げろと命令しているんだよ」

「えー、そんな事あるのぉ」

「あるんだよ」

「えー」

「じゃあ、今度は、指を繰り返しコの字にカクカクやってみな」

妃奈子はカクカクと指をコの字曲げては伸ばすを繰り返した。

「もっと早く」

 カクカク、カクカク、カクカク、カクカク

「カクカクやりながら、般若心経を唱えてみな」

「かんじーざいぼーさつ ぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー

 しょうけんごーうん かいくう どいっさいくやく~~~~」

「できるだろう。

 今お前の脳は般若心経読経をやっている。

 だったら、カクカク指を曲げているのは誰なんだよ」

「えっ」

「それは、脳というより神経というか、それは無意識がやっているんだよ。

 まあ受動意識仮説、というか、トランス状態、つーか変性意識状態に近いんだが。

 その時、無意識にアクセスしやすんだよな。

 つーか、飛べる可能性があるんだよ。

 つまり瞬間的に解脱する可能性があるんだよ」


「それにしても、ここ、なんかアンモニア臭いわねえ。下水から臭ってくるのかなあ」と妃奈子。「こんなんじゃあ目に染みるし、集中して解脱出来ないわよ」

「そう思って俺がこれを用意してきたよ」

俺はコンビニ袋からゴーグルを取り出した。

前に買ったハーフヘルメットについていたゴーグルだ。レンズの左右に穴を開けてビニールチューブをアロンアルフアでくっつけてある。チューブのこっち側には酸素のスプレー缶がつながっている。スプレーのボタンを押すと、レンズの内側のチューブから酸素が出て眼球に吹きかけられる構造。

「これを頭につけてみろ」

「ええ」と難色を示しながらも、長い髪の上からゴーグルを被ると目の前に装着した。

「エアーを送るぞ」

言うと俺はエアースプレーのボタンを押した。酸素がチューブの中を伝わって、上手い具合に妃奈子の眼球を直撃した。

妃奈子は目を瞬かせてパチパチさせた。

「なにぃ、これ」

「それでアンモニアを避けるんだよ。アンモニアが目に染みるんだろう」

「そりゃそうだけれども、こんなの目に当てられたら」

「いいからいいから、解脱だ。さあ、指をカクカクさせて」

「ええ?」と言いながらもカクカクさせる。

「それから般若心経を唱えて」

「かんじーざいぼーさつ ぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー

 しょうけんごーうん かいくう どいっさいくやく~~~~」

そこで、エアースプレーのボタンを押す。

「ああ、目が」と妃奈子は目を瞬かせた。

「いいから続けて。解脱が足りないから目がくすぐったんだよ。もっとちゃんと解脱すれば気にならないから」

そして俺に目にエアースプレーを吹きかけられながら妃奈子は指をカクカクさせた。

「今度は読経はいいからこれを聞いて」

俺はJ-WAVEのジングル集が流れるスマホを妃奈子の耳にあてる。

「エーリィワンぽいんスリー、ジェーウェーブ

ジェジェジェ、J-WAVE

ジェイ ウェーブ ジャム・ザ・ワールド on81.3

JJJ、J-WAVE

JJJ、J-WAVE」


「JJJ、J-WAVE

 JJJ、J-WAVE

 J-WAVE トラフィックインフォーメーション  ブロートゥーユー バイ

 JJJ、J-WAVE

 JJJ、J-WAVE」


数分やって、スマホのジングルを消すと、妃奈子の額からゴーグルを外した。

「どう?」

「どうって?」

「解脱した感じする?」

「さあ」

という妃奈子を凝視しつつ、手元で、またまたJ-WAVEのジングルを再生する。

「JJJ、J-WAVE

 JJJ、J-WAVE

 J-WAVE ウェザーインフォーメーション ブロートゥーユー バイ

 JJJ、J-WAVE

 JJJ、J-WAVE」

妃奈子の瞳を見ていたが、瞼はぴくりともしない。ダメだなこりゃ。

アンモニアのせいか、白目が赤みがかってはいたが。

「トイレの配管がどっかにあって、そこからアンモニアが漏れているのかなあ」

「いやぁねえ。

 つーか、あなたの瞳も充血している感じだよ」

「え。

 マジ?」

 と俺は目をこする

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る