第14話 『大迦葉の手記』
『大迦葉の手記』
折角第一の施術者が記録を残したのなら、俺も自分の為にも記録を残しておくよ。
もっとも、犬山でも分からない様な裏の裏のそのまた裏の掲示板に載せるけれども。
事件が起こって、舌の根も乾かぬ内に、スノッブ、物欲の塊の妃奈子が、
免許を取るのにコンタクトを作るので、検眼に連れて行ってくれ、と言ってきた。
だから、軽バンで日野市の眼科医に検眼に連れていってやった。
妃奈子に「アッシー君になってもいいけれども誰にも言うな」と約束させて。
大きいクリニックで、待合室もお洒落で、床なんてオーク材で出来ているような
空間、カリモクで買ってきたみたいなソファ、ところどころに観葉植物があったり、
ピカソの鳩がかけてあったり、アンティークのガラスキャビネットの中におもちゃの
兵隊が並べてあったり。
待合室からガラス越しに大きな検査室でやっている検眼の様子が見えた。
眼圧のテストをするのに、ふっと眼球の空気を吹きかけられて、苦手らしく、
妃奈子はいちいち頭を反らしていた。
全くお洒落な空間で、有線のかわりに、J-WAVEなんてかかっていた。
♪エーリィワンぽいんスリー、ジェーウェーブ
全く、事件の舌の根も乾かぬ内に、こんなお洒落なクリニックで、検眼して、
コンタクトを買って、車も買うというのが、スノッブというか、J-WAVE的で。
J-WAVEってスノッブな感じがしないか。
滝クリとか別所哲也とか。
俺はあきれた感じで、妃奈子から目をそらして、あたりを見回した。
カリモクのソファの間のマガジンラックにさしてある『MONOマガジン』や
『カーグラフィック』や、あと『JJ』が目に付く。
あの『JJ』は医者の娘が見ているのか。
このクリニックの医者は、ヨーロッパ車に乗って、『MONOマガジン』に
載っている時計をして、つまりスノッブなのだ。
あのマガジンラックを見ただけで、びりびりびりーっと心にヒビが入る。
この感覚なんだろう。
そういう感覚はいくらでも言える。
例えば、六本木の防衛省の反対側の店、ヴェルファーレ跡地の雑居ビルの箱から出てきて、路地裏を歩いていると、チラッチラッっと六本木ヒルズが雑居ビルの谷間から見える。
あんなところから衆生の楽しみを見下ろしている金持ちがいる。
ZOZOの社長とかユーセンの社長とかアメブロの社長とか。
そう思った六本木午前2時、心にびりびりびりーっとヒビが入る。
そんなこといったら、ヴェルファーレの社長はグッドウィルの社長だし、
avexだって金まみれ欲まみれで、そういうのを考えている内に発狂しそうになる。
そういう感覚はいくらでも言える。
六本木のマックの2階から芋洗坂の方を見下ろしながらチーズバーガーを食っていたら、下の方からベンツBMベンツBMの車列が。箱乗りみたいにして虎マークの旗を出しているので、
「今日は巨人阪神戦でもあったのかな」
と言ったら。
「あれは『陸の王者』だよ」
と妃奈子が言った。
「陸の王者。何それ」
「慶応だよ、慶応、慶応未熟大学。
あんないい車乗っているんじゃあ医学部なんじゃない。
早慶戦でもあったんじゃない、神宮で」
それを聞いて、俺の心にはびりびりーっとヒビが入る。
妃奈子は平気でチーズバーガー(200円)を食っている。
「何でお前は平気なんだよ。
何で不公平だと思わないんだよ。
俺らと2つ3つしか違わない奴らがベンツやBMに乗っているっていうのに」
「関係ないじゃん、関係ないでしょ」
「何で関係ないんだよ」
「気になるんだった勉強して慶応に行けばいいじゃん」
「行ったって軽バンじゃあ相手にされないし」
何で普通の人は平気なのか。
何でみんなはイラつかないのか。
普通の人はそうならない?
普通の人は、そういうのを見ても、自分は額に汗して働いて、100ローや業務スーパーで買い物をする様な生活をしてもなんとも思わないのだろうか。
なんとも思わないんだよ。
サラリーマンになってもう自分の仕事の事以外は考えないとか、一家のお父さんになって自分の家族の事以外は考えないとか、そうなるともうなんとも思わない。
脳のニューロンの中に貧乏労働者のイオンがツーっと通っているので他の事は気にならない。
しかし、それが突然気になりだすのが、リエラ、それはリエラが代ゼミに行った時みたいに、経験の非連続が発生して、脳の状態が変わって、イオンが止まって、そのかわり脳のあちこちに、記憶エリアから何かがにじみ出してきて。
それがリエラの場合には、厭離穢土という身体の醜さ、吹き出物、便秘の気配、脂肪、であって、その醜さが、猛烈に求める仮想のイオンの流れがきっと、平等院鳳凰堂みたいな浄土なんだろう。
それと同じで、滝クリとか別所哲也とかスノッブに脳のイオンの流れを止められると、脳のあちこちに、六本木芋洗坂、早慶戦、神宮外苑、六本木ヒルズ、などが浮かんできて、それらが猛烈に求めている浄土は、伊勢神宮だの天皇家だのかなあ。
それは俺も猛烈に憧れるのだが、しかし、そにこには滝クリ的や別所哲也がいて、俺が軽バンで行っても中には入れない。
だったら、平安時代には、片方にスノッブな源氏物語があっても片方には空海の立体曼荼羅があったんだから、現代だって、J-WAVEじゃなくても、仏像やお経や曼荼羅やお香から、平等院鳳凰堂を思って満足する事は出来ないのだろうか。
滝クリ的や別所哲也や包茎未熟大学の医学部のやつらが絵画館、銀杏並木、神宮外苑や伊勢丹メンズ館や表参道から、伊勢神宮や天皇家に至るなら、こっちだって、立体曼荼羅や、弥勒菩薩半跏思惟像、阿弥陀三尊像や、ファッションだって小倉百人一首の坊さんみたいな恰好で音楽だって密教のお経があるし、香水だって塗香があるのだから、その先に、平等院鳳凰堂とか法隆寺とか、三十三間堂があれば、それで満足できないのだろうか。
それに魅力を感じないではないが、あのひりつくような感じにはならないな。
ちょうど今なら黄色く色づく神宮外苑の銀杏並木を歩く、スノッブの美しい男女にひりつくような。
何故仏教では萌えないんだろう。
寺院には禁止がないから、ひりつかない、のか。
禁止があるからこそ、そこにはお前なんて入れてやらないよ、と言われる可能性があるからこそ萌えるんだ。
そこいらのクラブだったら40歳以上ダメとかドレスコードがあってダサいファッションのやつは入れないとかあるけれども、ブスだからダメ、デブだからダメ、身体が醜いからダメ、吹き出物、便秘、脂肪、ダメ、という禁止がないと萌えないんじゃないか。
しかし、お寺には禁止がない。
なんたって死者だって入っていいぐらいだから。
神社の鳥居は生理でもくぐれない。
そういうところだ。
だからJ-WAVEでも神宮外苑でも表参道でも萌えるんじゃないのか…。
「何、考え込んでんだよ」
と肩に手を置かれて、はっとして顔を上げる。
太陽でも見るみたいにまぶしそうな目つきで妃奈子が見ていた。
これだ、この目付き。
日本史の教師など、『雁の寺』の若尾文子に雰囲気が似ているというが。
エロいけれども人懐こい、だから勘違いしてみんな近寄る。
女郎蜘蛛。
「ちょっと会計を済ませてくるから」
と言うと、妃奈子は会計にいって、でっかい財布を取りだした。
出てくると、妃奈子は、
「全くコンタクトを作るのに処方箋がいるなんて。
それに検眼したのコンタクト屋の店員じゃない。
あのクリニックと眼鏡屋はつるんでいるんじゃない」
などとぶつくさ言っていた。
出てくると、俺の軽バンの中で、『LaLaBegin』なるファッション雑誌を読みだす。
「おい、俺は運転手じゃないんだぞ、俺とトークしろよ」
「じゃあ話してあげる。
この靴いいと思わない?」
言って広げた雑誌を見せてくる。
「これ買ったんだ。
立川の伊勢丹で」
「それ、いくらするんだよ」
「10万だよ。
フェラガモのローファー」
「それ学校に履いてくるつもり?」
「制服に合うでしょう? リーガルとは違うんだから」
軽バンの中でも、チープなスピーカーの乾いた音質でJ-WAVEがなっていた。
ジェジェジェ、J-WAVE、とジングルが鳴る。
「わー、目のところがこちょばゆくなってくるわ」
と妃奈子。
「ふっと機械で空気をかけられたのを思い出す」
それから軽バンは、妃奈子の家のお寺に向かったのだが、これは甲州街道日野坂の下から細くて急な坂を日野大阪上まで上って行くのだった。
ところが、何を思ったが妃奈子が、こっちにもたれかかって、ふっとこっちに息をかけてきた。
「さっき検眼の時にこうやって目に空気をかけられたのよ」
とか言って。
その瞬間ハンドルを切り損ねて、あやうく崖っぷちから転落しそうになった。
「危ねーじゃねーか」
と怒鳴る
「そんなに怒鳴らないでよ」
言うと、まぶしそうな目をして口をとんがらせた。
「だってお前、あそこから落ちたら、命がないぞ」
「ちょっとふざけただけだよ」
「それにしても、あの崖は危ないな。
ガードレールも劣化しているし」
と俺はルームミラーで見て冷や汗が出た。
細い上り坂の中腹に路肩と腐りかけのガードレールがある、20メートルぐらいの崖っぷちになっている。
あんなところから落っこちたら『テルマ&ルイーズ』のラストシーンだ。
翌日学校に行って、ちょっと8組に遊びに行ったんだが、俺は貧乏人の悲しさを見たねえ。
妃奈子はいなくて、腰巾着の望花がいた。
机のところに行ってみると上履きのサンダルを履いた横にフェラガモのローファーがおいてあった。
「なんでそんなものそこに置いてあるの? 下駄箱に入れないで」
「盗まれるから。
買ったばかりだし」
いうと、蒙古襞の厚い一重でじろりと睨まれた。
アトピーっぽいりんごほっぺ。
「へー、それって、妃奈子とお揃いだろう」
「これ、コピー商品なんだ、本物は高くて買えないから。妃奈子のもっているのは、本物だけれども」
「コピー商品はいくらすんだよ」
「3万ぐらい」
「10万出せば買えるんだったら買っちゃえばよかったのに」
「踵が減るし。
それにお金はあっても、本物を専門店で買うなんて出来ないよ。
ああいう店で商品に触れると自分の手油が付いちゃって悪いから出来ない。
コピー商品なら手油がついてもいいし。
それに、専門店なんて。店自体が綺麗すぎて。居ずらいのよ」
丸で望花って、リエラの厭離穢土みたいな感じをもっているんだな。
リエラが平等院鳳凰堂を目指したみたいに、望花の浄土って銀座のフェラガモだったりするんだろうなぁ。
でも、自分の手の油がつくから触れられない。
丸で厭離穢土。
「でも、妃奈子はそういうの平気で消費していて、そんなの見てどう思うんだよ」
「妃奈子のお寺はお金持ちでうちとは違うから…」
と蒙古襞の目で又睨む。
“なまぐさ”はたまっていると思う。
たとえ妃奈子が、全く無邪気に、フェラガモだのを消費しようとも、衆生の望花が嫉妬をしているので、そこで“なまぐさ”がたまる。
「ドンキホーテに行けばいいんだよ。ドンキホーテでもブランド品を扱っているだろう」
と俺は前の机に腰掛けて言った。
「銀座のフェラガモのありがたみってどこから来ているか分かる?」
「さあ」
「禁止があるからだよ」
「禁止?」
「例えば、リエラで言えば、普通につーっと生活していて、つーっと脳内のニューロンにイオンが流れていたのに、代ゼミなんて言ったものだから、イオンが突然止まって、脳内に色々なイメージがわく、厭離穢土、便秘の気配、吹き出物の気配、脂肪の感じ、みたいな身体的なものが。
そうすると遠くに平等院鳳凰堂が出てくる。
でもそれには触れられない。
自分は厭離穢土という禁止があるから。
つーか禁止があるからこそ平等院鳳凰堂が輝いて見えるんだよ。
その禁止こそが神の意味なんだが」
「…」
「それと同じで、銀座のフェラガモも、望花の手油がつくからというのが禁止になっていて、その禁止こそが魅力になっている。
そして輝いて見える」
「へぇえ」
と蒙古襞の厚い目で見る。
「でも、ドンキホーテには、その禁止がない。
神がいない。
だから商品に手油をつけても平気」
「ドンキだったら平気そうだよねぇ。ヤンキーがいっぱい来ているし。店員もDQNだから」
「だろう。
でなければ、仏教の修行をするしかないな。
仏教だったら気だの縁だので、手の油も、銀座の専門店もドンキもなくて、みんな解けて気になるから」
「ふーん」
そこに、妃奈子が、戻ってきた。
今度はファッション雑誌じゃなくて、『カーグラフィック』を小脇に抱えている。
こっちにくると、ばさーっと広げる。
「こんど、これを買ってもらう」
アルファロメオ ジュリエッタ 399万円~
「なんだ、こんなコアラの鼻みたいなフロントグリル」
「可愛いじゃない」
「まだ仮免許をとったばかりなのに」
「世田谷にディーラーがあるんだけれども、君の軽バンで乗っけてってよ」
「親と行けよ」
「親は法事で忙しいんだよぉ」
「お前よお、そんなに次から次に欲しいもの買って、“なまぐさ”が過ぎるんじゃ
ないの?」
「なんで、いいじゃない、フェラガモとかアルファロメオとか、そういうの集めると、丸で、立体曼荼羅みたいで、“なまぐさ”じゃないじゃない」
俺は望花の方を見やった。
相変わらず腫れぼったい目でこっちを見ている。
こいつが“なまぐさ”をためてくれるよなー。
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