第12話 『優波離様の秘密の手記』の続き

 ホテルを出てから、見られるとまずい、と言って、二人は別々に、ケーブルカーの

駅に向かった。

 やたら蕎麦屋と饅頭屋のある参道がケーブルカーの始発駅、清滝駅につながっていた。

 清滝駅の前には、ワンダーフォーゲルの恰好をした英語の女教師、普通のスラックスにジャンパーのじじいの日本史教師、輪袈裟を体操着にぶら下げた古典の教師、など引率の教師がいて、生徒が列を作っていた

 自分のクラスの列に並ぶと、担任が点呼を取り出した。

 しかし、クラス毎に点呼だけ済ますと後はクラス単位では移動せず、好きな友達と行動していい。

 点呼が終わると、みんなが蜘蛛の子を散らす様にばらばらになり、又好みの仲間で集まる。

 リエラ、腐れ縁の樋上今日子、如来さま、三銃士、あと何故か保健室の先生、そして部活のみんなあたりが一つの集団を作った。

 もちろん俺もそのグループに紛れていく。

 三々五々歩く感じで、駅に向かう。

 片道四八〇円の切符を買う。

 カチャカチャ切符きりで切られて改札を通過する。

 ケーブルカーに乗り込むと、リエラ、樋上今日子らは先頭でキャッキャしている。

 オレはニヤリとほくそ笑んだ。

「高尾山行きケーブルカー、これより発車です」

 というアナウンスと共に、車体が引っ張られて上がり出した。

「このケーブルカーは標高四七二メートル地点にございます高尾山駅までご案内致します」

 というアナウンス。

(人が転落死するには十分な高さだな。

 ちょっと足を滑らせれば一巻の終わり)。

「高尾山薬王院は山頂高尾山駅より歩いて15分程のところにございます。

 薬王院は今から約一三〇〇年以上前、行基菩薩により開山されたと伝えられ、川崎大師、成田山とともに関東の三大本山の一つとなっております」

(そんな由緒あるところでやったらバチが当たるかな。

 あのメロディーを聴いて潮を吹くのは向こうの勝手だとしても、潮吹きだけじゃあ滑落しないので、確実に滑落する様な仕掛けを仕組んだのは僕だしなぁ。)


 ケーブルカーを降りて、ぞろぞろ歩いていくと、新宿副都心が見える展望台、サル園、樹齢四百五十年のたこ杉、と続き、浄心門という山門をくぐるといよいよ境内に入る。

 如来さまと三銃士が先頭を行き、リエラと樋上今日子、そして保健室の先生が続く。

 オレは部活のメンバーに紛れて歩いて行った。

 左右に灯篭のある参道を更に進んでいくと、男坂と女坂というコースにY字型に分岐している。

 男坂に進んで、煩悩の数だけの石段を上ったが、これにはばてた。

 茶屋があって、ごまだんごと天狗ラーメンのいい香りが漂ってきた。

「お弁当買ってきた?」

 と保健室の先生が振り返った。

「うん、駅ビルで買ってきた」。

「何を?」

「牛タン弁当」

「ふーん」

 言うと尻をぷりぷりさせて参道を進んで行った。

 参道を更に進むと四天王門という山門があって、又石段があった。

 その先に、薬王院の本堂があって、そこを裏に回ると又石段。

 権現堂というお堂があって、裏に回って、更にきつい石段。

 奥の院というお堂があって、裏に回って、木のだんだんを上って行く。

 くねくねと舗装された道を行くと、軽自動車が2台止まっていた。

(なんだよ、車で来れるのかよ)

 とオレは思った。

 しかし、もうちょっと行ったら山頂に着いたのであった。

 展望台から「富士山、丹沢が見えるー」と、ワンダーフォーゲルの恰好の女教師やら日本史のジジイ教師と生徒複数名が、喜びのため息をもらしていた。

「じゃあ、みなさん、ここでお昼の休憩にします。出発は一時四十五分です」

 と英語の教師。

 今十二時半。

 1時間15分も昼休みか。

 教師やら、多くの生徒達が、そこかしこにシートを敷いて、弁当を広げだした。

 途端にあたりが難民キャンプの様になる。

 如来さまと三銃士、腰巾着の樋上今日子は

「私たち、そばを食べてくる」

 と言って茶屋に入っていった。

 弁当持参じゃなくてもいいのかよ。

 催眠・瞑想研究会も、地面に固定されているテーブルの上にナップなどをバサバサ下ろす。

「じゃあ、オレらもここで食うか」

 と誰かが言った。

 みんなベンチにぎゅうぎゅう詰めになって、おにぎりなどを食いだす。

「あれ、リエラは食わないの?」

 と誰か。

「ばてすぎちゃって食べたくない」

 とリエラ。

「なーんだ。 まだ、摂食障害が残っているのか」

 と誰かが言うと握り飯を食う。

「ここは修験道の霊山でもあるから、我が催眠・瞑想研究会でも、そういう修行でもして解脱するか」

 と言っておにぎりを食う。

「修行って何するのよ」

「断食、断水、断眠、断臥して、琵琶滝で滝行を」

 といっておにぎりを食う。

「人一倍健康でないと解脱出来ない。真言宗の水行」

 と言っておにぎりを食う。

「健康でないと解脱出来ないというのは皮肉だな」

「でも、ランニングハイみたいなのもあるのかも」

「ランニングだったらまだいいけれども、山だと危ない。

 人一倍神経を研ぎ澄ませていないと危ない。

 実際に琵琶滝の方で滑落事故があったんだから」

「そんなで解脱出来るのかなあ。催眠・瞑想とは違う感じだな」

 食い終わると全員だらけて、その場で堕落したり、あちこちに移動したり。

 何気、リエラは展望台の先っぽに移動する。

 オレもみんながバラバラになっているので目を盗んでついていった。

 ベンチに腰掛けると、富士山を見る。

 オレは、横目で、リエラの体を、革ジャン、V系パーカーの上からガン見した。

(さっきやってきたばっかりなのに、まだ未練があるのか。

 こんな痩せぎすの棒っ切れ。

 しかし、タブーを冒す楽しみも教えてくれたしなー。

 しかもあの体、あの菩薩みたいな体、あんなの二度とお目にかかれない。

 これを崖下に放り捨ててしまうなんて勿体ないんじゃないのか。

 しかし、味の素を舐める様ななジャンキーだものなあ。

 お仕置きしなくっちゃ。

 つーか、何時も中田氏しているから妊娠しているかも。

 そうしたら自分の子供もろとも崖下に捨てるって事か? 

 それでもいいや。

 中絶の手間が省けて。

 どうせ妊娠したら公衆便所で出産してママチャリの籠に捨ててくるタイプだろう。)

「部室のロッカーの扉の裏に胎蔵界曼荼羅が貼ってあるでしょう」

 オレは富士山を見ながら語りだした。

「胎蔵界曼荼羅が仏像を孕んで娑婆に産むというのだって、“なまぐさ”といえばそうだけれども、それはしょうがないと思う。

 そうしないと“なまぐさ”は消えないんだから。

 油性のマジックインキは油でないと消えないから、“なまぐさ”は“なまぐさ”でないと消えない。

 だから、セックスして、子供を産んで育児をするというのも“なまぐさ”だけれども、それはやむ得ないよ。

 しかし、それを、ポテトは食わないけれども味の素だけ舐めるっていうんだったら、もう、嗜癖化していると思うんだよね。

 そういうのは、やむを得ぬ事情もなくて、“なまぐさ”がたまるだけ。だから、お仕置きが必要だ」

「何をするの?」

「さぁ、今に分かるさ」

 しばしベンチで堕落していたら、すぐに時間は経過した。

「それではそろそろ出発しまーす」という英語の教師の声がした。

 時計を見るともう一時四十五分。

 よーし、いよいよだ。


 生徒達はアリの様にぞろぞろと山道を歩いていた。

 オレの前後では、如来さまと三銃士、保健室の先生、オレと部活のメンバーが少し、その後ろに樋上今日子とリエラ、という順番で来た道を引き返していた。

 浄心門まで戻ってくると左側の4号路に入り、高尾山の北斜面を下る。

 鬱蒼としたブナなどが左右から道を覆って筒状になっている。

 しばらくは丸太と盛り土の階段を下っていた。

 比較的幅広で手摺もあった。

 しかし、すぐに道は 上りの人とすれ違えない程の、かなり細い下り坂に変わった。

 右手からは樹木の根が迫っていて、老婆の手の静脈の様に見える。

 左側は切れ落ちている。

「これ落ちたら死ぬで」

 樹木の生い茂った崖下を見下しながら三銃士の一人が言った。

「こんなところ死体が上がらないぞ」

 後ろでは、樋上今日子とリエラがよろよろしている。

「スニーカーじゃあ危なかったかも」

「季節的に落ち葉があるから滑るのかも」

(ちょっとつついてやれば崖下に転落するかな)とオレは思う。

 時計を見ると、まだ一時五〇分。

 しかし、丸太の階段と下り坂が交互に続いた後、道幅は急に広くなってしまった。

 4号路と、いろはの森コースという別ルートの交差点の先には、丸太のベンチまで

設置してあって、休憩出来る様になっている。

(こんな幅広の道じゃあ、安全すぎる)

 と思う。

「休憩する?」

 と保健室の先生と如来さまが言い合っている。

 時計を見ると一時五三分。

 こんなところで休まれたら予定が狂う。

「行こう、行こう、一気に行った方が楽だから」

 オレは前のみんなを押し出す様に圧をかける。

 しかし、丸太の長い階段を下ると、急に道幅が狭まったかと思うと、左手は切れ落ちの崖の斜面に出た。

 ここでもいいが、時計を見ると、まだ放送までには時間がある。

 少しして、左手の崖下はブナなどの木で見えなくなってしまったが、しかし川のせせらぎがきこえてくる。

 あれは「行の沢」のせせらぎだ。

 樹木が生い茂っていて見えないのだが、崖下には「行の沢」が流れている筈。

 吊り橋も近い。

(ここだ)

 と思った。

 時計を見ると、一時五八分。

(あと二分か)

 オレは、歩調を弱めると、立ち止まり、そしてしゃがみこんで、靴ひもを結ぶふりをした。

「早く行ってよ」

 後ろで樋上今日子が言った。

「お前ら、先に行けよ」

 と、樋上今日子とリエラを先にやる。

 紐を結びながら時計を見る。

 一時五九分五九秒、二時!

 吊り橋の向こうから、「♪you don't have to worry worry」、『守ってあげたい』の木琴Verの防災放送が流れてきた。

 キター。

 オレはしゃがんだまま(どうなるか)と三白眼で前を行く女を睨んでいた。

 リエラがもじもじしだした。

 そしてすぐに、蛙の様に飛び跳ねだした。

 かと思うと、樋上今日子にしがみついた。

 二人共バランスを崩した。

(あのまま二人共落ちてしまえ!)

 しかし、リエラだけが崖から転落していった。

 ああぁぁぁぁぁー、と、悲鳴ごと吸い込まれていく。

 ボキボキボキと枝の折れる音。

 かすかに水の音が。

「リエラぁーーーー」

 と叫ぶ樋上今日子。

「どうしたぁー」

 と保健室の先生が振り返った。

「リエラが落ちました」

「えーーーー」

 とか言って、保健室の先生だの、如来さまと三銃士が崖下を見下ろす。

「リエラぁーーーー」

 と崖下に叫ぶ。

 しかし、沢のせせらぎが聞こえてくるだけだった。

「降りて行ってみよう」

 と三銃士。

「危ないからダメ。警察を呼びましょう」

 と保健室の先生。

 スマホを出すと110番通報した。

「…4号路の吊り橋の手前です。

 はい、そうです。

 はいはい。

 そうです…」

 他のメンツは、心配そうに崖下を覗いていた。

「一体何が」

 通報が終わった保健室の先生が言った。

「突然もじもじしだしたと思ったら、飛び跳ねて、そして、私にも抱きついてきたんですけれども、一人で、一人で、崖下に…。私が突き飛ばしたんじゃありませんから」

 と樋上今日子。

「それはもちろんだけれども」


 たった15分で、赤いジャージに青ヘルの屈強そうな一五、六名の救助隊が到着した。

 背中に黄色い文字で『高尾山岳救助隊』と刺繍されている。

「山岳救助隊、隊長の新井です」

 日焼けした馬面の中年が言った。

「どうされましたか」

「突然メンバーの一人が暴れだして、ここから沢に落下したんです」

 見ていたかの様に保健室の先生が。

 隊長は、しばし、崖下を見下ろす。

 すぐに背後の隊員のところへ戻ると、円陣を組んで、隊員達に言う。

「これより。滑落遭難者の救助を行う。

 それでは任務分担。

 メインロープ担当、山田隊員、

 メインの補助、今村隊員、

 バックアップロープ担当、江藤隊員、

 バックアップの補助、池田隊員、

 メインの降下要員、椎名隊員、

 補助要因、豊田隊員。

 以上任務分担終わり。

 準備が出来次第、降下を開始する」

「はーい」

 と隊員らは声を上げる。

 隊員らは、太い木を探して、ロープを巻き付ける。

 ロープに、カラビナや滑車などを取り付けると、降下用のロープを通す。

 それを降下する隊員のカラビナに縛り付ける。

 降下要員にメインとバックアップの2本のロープがつながれた。

「メインロープ、よーし」

「バックアップよーし」

「降下開始ーッ」

「緩めー、緩めー、緩めー」

 の掛け声で、降下要員が後ろ向きに、崖下に消えて行った。

「到ちゃーく」

 と茂みで見えない崖下から隊員の声がする。

 続いて、補助隊員も降下していった。

 既に垂らされたロープをつたって、するするすると崖下に消えていく。

「隊長ーー」

 崖下から声がした。

「要救助者、心肺停止の状態。

 これより、心臓マッサージと人工呼吸による心肺蘇生を行います」

 数分経過。

「隊長ーー。

 心肺蘇生を行いましたが、効果ありません。

 斜面急にて担架は使用不可能。

 よって背負って搬送したいと思います」

 しばしの静寂。

「隊長ーー。

 ただいま、要救助者、背負いました。

 引き上げて下さい」

「よーし。

 これより、降下要員引き上げを行う。

 メインロープを引っ張って」

「メインロープ、引っ張りました」

「ひけー、ひけー、ひけー」

 の掛け声で引っ張り上げて行く。

 すぐに降下要員が、崖下から姿を現した。

 背中にはぐったりとしたリエラを背負っていた。

 引き上げられたリエラは、担架に移されると、ベルトで固定されて毛布をかけられる。

 4人の隊員が担架を持ち上げる。

「これより、要救助者、下山させる。

 いっせいのせい」

 で持ち上げた。

 先頭に4人、担架の4人、後ろに4人の体制で、それこそ天狗の様な速さで下山していった。

 橋のたもとには、保健室の先生、如来さまと三銃士、取り残された樋上今日子、

あと山道には、しゃがみ込んだり突っ立ったりしている生徒達が残された。

 それを見ていたオレは心の中で(ミッションコンプリート)と思う。

『優波離の手記』終了。

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