第4話 クラスの如来様に文化祭で催眠をかける

 翌日の2時頃だった。文化祭の教室で、小暮勇による遊佐蓮美への催眠が行われていた。

 6組では、クラブをやっていて、7組ではねるとんパーティーをやっていて、その雑音が微かに響いてきていた。8組では、アマチュア無線部が無線体験をやっているのと、鉄道研究会の模型が走っているだけで静かだった。

 パーテーションで区切られた薄暗い一角が催眠・瞑想研究会のコーナーだった。

 お香が焚かれていて、googleアプリでダウンロードしてきた、電子音楽にハープの調べ、水の流れる音、小鳥のさえずり、などの瞑想音楽が流れていた。

 職員室から借りてきた長椅子に遊佐蓮美を座らせるとその前で小暮勇が前かがみになって、顔を覗き込む

 パーテーションの裏からは、剛田剛と海里、三羽烏の残りの二人の乾明人と城戸弘、

あと、蓮美の信者の犬山、猿田、雉川の三銃士が覗いていた。

 犬山は謎の中国人、ヨーヨーマとかマイケルチャンみたいな顔、猿田は幽霊っぽい雰囲気、雉川は老け顔だった。

「それじゃあこれから催眠をかけて、このレモンを食べてもらうよ」

 と小暮勇は長椅子の前に屈みこんで、皿の上に乗ったスライスしたレモンを見せた。

「えぇー」

 という怪訝そうな顔をする蓮美。

「本当はチューブの練りからしの予定だったのだけれども、それじゃあ、8組の如来さまに似合わないというんで、急遽レモンに変更した」

 蓮美はつんと乙にすました顔をする。

 当たり前じゃない、とでも言いたそうに。

「それじゃあまず、催眠の理屈を説明するよ。

 別に騙す訳じゃないから、そっちにも理屈を知ってもらっていて協力してもらった方がいいんだよ」

「いいわよぉ」

「このレモンを見て、君はすっぱい、って思うよね」

「当たり前じゃなーい」

「それは、意識の場に、目や鼻から入ったレモンの知覚情報がいって、脳の中から、すっぱいという記憶を呼び起こしてきて、すっぱいと判断するから。わかる?」

「うん」

「でも、そこで、催眠で、知覚を遮断してしまって、それから、耳元で、無意識に直接、レモンは甘いんだよという情報をささやいてやれば、それが君のリアルになる」

「どうやってそんな事をやるのよぉ」

「それにはまず、君が、催眠になんてかかる訳ない、インチキだ、と思っていたら、ダメなんだよね。

 もしかしたら催眠にかかるかも知れない、と思ってもらわないと」

「どうやって?」

「それには、君と僕との信頼関係、これをラポールというのだが、それを作らないと」

「あなたと信頼関係?」

「いや、まあ、本当に催眠にかかるかも知れないと思ってもらえればいいんだよ。

 いいね」

「いいわよぉ」

「それではリラックスして」

 言うと、小暮勇は蓮美の後頭部を左手で押さえると頭頂部を右手で鷲掴みに掴んだ。

 パーテーションの後ろでは犬山がものすごい目力でガン見して歯噛みしていた。

「如来さまの首すじに触れやがって」

 小暮勇とて、ストリートで鍛えているとはいえ、如来さまに触れるのには緊張した。

(ストリートの女とは違う。

 売春婦のこーまんに価値がないように、素人の女には価値がある。

 つーか、コーマン自体が想像できない、この蓮美には。

 コーマンなんて遺伝子情報の一部から合成されたタンパク質にすぎないが、

蓮美の顔には遺伝子そのものが浮き出ている感じがする。

 タレントで言えばUQモバイルの満島ひかりとか平手友梨奈の顔ってなんか遺伝子

が浮き出ている様な、何か不思議なシンメトリーを感じるが、蓮美はもっともっと

綺麗だが、そういう遺伝子そのものの美を感じる)

 と思いつつ、薄暗い中で蓮美の顔を見詰めていた。

(こうやってこっちが見ていても、安心して目をつむっている。

 超美形だからどこから見られても安心ってか?

 見とれている場合じゃない。

 催眠だ。)

 小暮勇は、蓮美の頭をゆっくりと回した。

「はい、リラックスして。

 だんだんと、だんだん、力が抜けていきます。

 リラックスして、はい、力が抜けていきます」

 頭部から手を放すと、蓮美を見据えて、

「目をつむって」

 と言った。

 言われるがままに目をつむる蓮美。

 小暮勇は蓮美の額に人差し指をあてた。

「さあ、ここを意識して。

 さあ、ここに意識を集中しましょう。

 はい、123というとあなたは目を開こうとします。

 はい、いち、にぃ、さん、開けてみて」

 そして蓮美は瞼を開けようとするが開かないで白目を剥いている。

「ほーら、かかったぞ。

 ほら、あなたはもう目が開けられない」

 と小暮勇。

「それじゃあ今度は自分の右手をにぎって。

 ギューッと握って。

 ギューッと握って。

 じーんとするでしょう。

 熱くなってくる。

 だんだん熱くなってくる。

 さあ、それではぼくが123と言ったらもう開かない。

 いちっ、にぃ、さん、はいもう開かないよ」

「開かないっ」

 と蓮美が唸った。

(カタレプシーに入ったな)

 と小暮勇は思った。

「それじゃあ今度は握ったこぶしを緩めます。

 123といったら、ゆっくり緩めます。

 それでは、いち、にい、さん、はい、緩めてー。

 ゆっくり緩めてー」

 言いながら、小暮勇は蓮美を手を取って腹のあたりに戻した。

「それではリラックスしてくださーい。

 はい、リラックスしまーす。

 体の力が抜けていってリラックスしまーす。

 さあそれじゃあ目をつむったまま聞いてねぇ。

 それではこれからエレベーターに乗ります。

 ふかーくふかーく下がっていくエレベーターに乗ります。

 イメージしてください。

 僕の言うことを想像して下さい。

 僕が10から数を数えます。

 数が減る度にエレベーターは下がっていきます。

 そして、エレベーターが下がるほど体の力が抜けます。

 はい、ぼくの言葉を聞いて。

 10から数が減っていきます。

 10、…9、…8、…7

 さあ、だんだんエレベーターは下がっていきます。

 そしてあなたは気持ちいい眠りの世界に入っていきます。

 6…5…4、さあ、もうウトウトしています。

 ぼーっとしています。

 とてもいい気持ちだ。

 3…2…1、さあ、1階につきました。

 そのままふかいー眠りの中に入っていきます。

 もう眠っています。

 さあ、君の無意識に囁きかけてみよう。

 レモンは甘いと。

 さあ、甘いよ。

 さあ、このレモンは甘いよ。

 まるで桃かナシの様に甘い。

 さあ、それでは、目を開いて。

 それではこれを食べてみて」

 言うと、小暮勇は、一枚のレモンスライスをつまんで、蓮美の口に滑り込ませた。

 全く平気な顔で咀嚼すると、「あまーい」

 と蓮美は言った

「そうでしょう、そうでしょう。

 甘い桃のようです。

 咀嚼して飲み込んで下さい」

 言われるがままに蓮美は飲み込んだ。

「さあ、これで催眠は終了です。

 じゃあ、このまま終わりにしたらまずいから、ちゃんと覚醒させまーす。

 じゃあ、今度は催眠をとくよ。

 さあ、それじゃあ、123というと、催眠がとけるよ。

 いち、にぃ、さん、はいっ」

「うう、酸っぱい」

 と言って蓮美は口をおさえる。

 しかしもう嚥下していたので吐き出すことはなかった。

 そして酸っぱさがひと段落すると言った。

「わー、すごーい。

 催眠術ってあるのね」

 パーテーションの裏で剛田剛が海里に言った。

「何が起こったか分かる」

「ええぇ?」

「最初に額に指をつけて、目が開かなくなるのは、別に、人間の体の仕組みがああなっているからであって、不思議でもなんでもないんだよ」

「へー」

「元々人間は眼球が上を見ている状態では瞼を開けないんだよ。

 でも蓮美は催眠にかかったと思いこむ。

 フラシーボ効果っていうんだけれども。

 そうやって信じ込んだところで、今度は手を握らせて、開かない開かないと

硬直、カタレプシーを起こさせる。

 こうなるともう催眠にかかっていると思っているから、イメージ法で眠りに誘う。

 エレベーターでおちーる、おちーる、って。

 そして最後に無意識に語りかける。

 レモンは甘いよーって。

 そうすると、レモンが甘く感じる。

 そして最後に完全に覚醒させる。

 それでおしまい。

 でへへ」

 と笑うと、下膨れの顎が膨らんで、濃い髭が出ているのが見えた。

「オウムも、ああやって催眠で弟子を増やしたのかなあ」

 と海里。

「いやあれは“転移”だろう」

「“転移”?」

「ああそうだよ」

「“転移“なにそれ」

「何か道を求めている人に、技を、チラッと見せると、これだー、と飛びつく

感じなんだけれども。

 病気で死にそうな人が、医者に、チラッと治療法を言われて、これだー、って

飛びつく様に。

 そういう時は騙されやすいでしょう。

 オウムはそれと同じだよ。

 迷える信者に、教祖が、チラッチラッと奇跡を見せると、これだーって

思っちゃうんだな」

「へー、そうなんだ」

 と海里は素直に関心してやった。

 実は海里も似た様な施術をされたことがあった、亜蘭に。

 椅子に座らされて、額に指をあてられて、「さあ、あなたはもう立つことが出来ない」と言われて、実際に立とうと思っても立てなかった。

 その時は、海里は、催眠やら瞑想について知りたかったので、そんな技をチラッと見せられただけで「亜蘭は何でも知っているに違いない、すごい人だ」と思えたものだった。

 後から、人体の構造上、立ち上がる時には前かがみにならなければならず、額に指をあてられていたら立つに立てないのだと知った。

(あれは“転移”だったのか)

 海里は思う。

(という事は、亜蘭は自分を、何か、陥れる為にあんな事をしたのか。

 そんな訳ない。

 というのも、亜蘭は兄の死にただならぬ自責の念をもっていたから、そんな事をする訳はないのだ。

 命をかけて私を守らないとと思っているのだ。

 私には双子の兄がいた。

 小学校3年の頃、兄や私、亜蘭他5、6人で、多摩川に魚とりに行った時だった。

 中央線の多摩川橋梁付近から河原に降りていくと、橋脚のところが深くなっていて、

滝つぼの様になっていて、ハヤだかが飛び出てきていて、きらきらと光っていた。

 亜蘭は、危ないからやめろというのに、網でそれを狙う。

 そして足を滑らせて川の深みに飲み込まれていった。

 そして、兄が飛び込んで助けた。

 みんなで亜蘭を引き上げて、さあ兄も上がるか、という時に、突然兄の顔色が変わり、何かに足でも引っ張られるみたいに川の深みの中に引き戻されてしまった。

 次に上がってきた時には、頭を水につけたまま肩甲骨を上にして浮き上がってきたのだった。

 そして兄は死んだ。

 以来、亜蘭は生涯私を守ると誓ったのだった。

 だから、私を陥れる為に“転移”を起こさせる様な事をする筈がない。)

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