第3話 胎蔵界曼荼羅とはなにか

 北側に校舎を背にして、南側の部室棟に向かって、海里とリエラは、プールだの

体育館の横を歩いて行った。

 体育館の角まで行くと左に曲がって欅の下の小道を歩く。

 部室棟の階段を2階に上って、外廊下を真ん中辺まで行くと、催眠・瞑想研究会は

あった。

 鉄の扉に『催眠・瞑想研究会 梵我一如研究会』という看板が張り付けてある。

 扉を開けて中に入った。

「こんちわーっす」

 とリエラ。

 正面に窓があり、左手はロッカーで隣の部室と仕切られていて、床にはビニール製

の畳が敷き詰められていた。

 その上に、小暮勇と乾明人、城戸弘が座っていた。

 乾明人はK-POPのイケメンみたいな顔をしている。

 小暮勇は山田孝之似。

 城戸弘は神田正輝か三浦友和みたいな感じ。

 この3人はナンパ師三羽烏と言われている。

 みんな3階の3組の男子だった。


「リエラ。おめー、変わりすぎだよ」

 と乾明人。

「あれ、あんたらも自習?」

 外履きを脱いで畳に上がりながらリエラが言った。

「おお、教師がノロウィルスに感染しやがってよぉ」

 と乾明人。

 小暮勇と城戸弘は立て膝をしてにやけていた。


 鉄扉が開いて、3階4組の伊地家益美が顔を突っ込んできた。

 名の通りいじけた感じがする女子で、フィギュアの村主章枝に似ている。

「あれー、篠田君は?」

 と部室を見回す。

「いないの? じゃあ帰る」

 と言って行ってしまう。

 篠田亜蘭というのが催眠・瞑想研究会のリーダーだ。


 伊地家が行ってしまうと、城戸弘がが突然リエラに言った。

「リエラ、お前、解脱しないとやばいよ」

「えーっ」

「おめー、身体を厭離穢土的に感じているらしいけれども、その段階で”なまぐさ”がたまるんだから」

「みんなが無知なだけなんだよ、脂肪や便秘の気配に」とリエラ。

「そうじゃない。脂肪も便秘の気配にも気が付かなければ”なまぐさ”はたまらないんだよ。お前みたいに意識しだした瞬間から”なまぐさ”はたまりだす。そして摂食障害になったりして、東電OLみたいに嗜癖的セックスにはまって、ますます”なまぐさ”をためるんだよ」

「じゃあ、どうしろっていうのよ」

「ポアだね」

「私に死ねっていうの」

「そうだよ。”なまぐさ”がたまらない内に死んだ方がいいんだよ。そのまま痩せれば即身仏みたいなるんじゃないの? まあ死ななくてもいいけれども解脱しないとな。瞬間的に」

「そんな事より、明日の文化祭の出し物、どうするんだよ」と小暮勇が言ってきた。

「お前、催眠術でもやればいいんじゃないの? 得意技だろう」と乾明人。

「誰にぃ?」

「とりあえず、8組の如来様。遊佐蓮美だな」

「えー、そんな事したら、犬山君が発狂しちゃう」

 とリエラ。


 犬山というのは7組の生徒で、催眠・瞑想研究会と一緒にアマチュア無線部にも

入っていて、宇宙からのメッセージが如来である遊佐蓮美に届くだのと、とにかく

電波なやつで、猿田、雉川らの信者と共に蓮美の三銃士を結成しているのだ。

「犬山みたいなスクールカースト下位の野郎が遊佐蓮美みたいな鮮度のいい女と仲良くしているのか。許せないな。こっちはストリートに出て、すれっからしのずべ公ばかり追っかけているっていうのに」

 と乾明人が言う。

「お前はすれっからしに縁があるからな」

 と小暮勇。

「乾は去年卒業した一個上のヤンキーの姉ちゃんにまだつきまとわれているんだっけ」

 と城戸弘。

「俺は最近つくづく、スクールカーストの嘘、というのを感じてるよ」

 と乾明人。

「『アメリカングラフィティー』っていうジョージ・ルーカスの昔の映画をネットフリックスで見たんだけれども、あれでも、不良は街に出て、追っかけている女はすれっからしで。

 でも、学校ではプラムがあって、ロン・ハワードみたいな、スクールカースト下位の

野郎が鮮度のいい女子を相手にしている」


「じゃあ、明日は、鮮度のいい女に催眠をかけてやるかなぁ。催眠・瞑想研究会の出し物は催眠でいいよ。あのグレース・ケリーにS&Bの練りからしを食わせてやるよ」

 と小暮勇言い切った。

「それをきっかけにしてお近づきになってもいいんじゃない?」と乾明人。

「それにストリートは危ないしな。

 海里、お前の地元でも、ひと夏で3人も死んだんだって」

 と小暮勇が言った。

 海里の地元の日野市立2中の卒業生で、違う高校に行ったり就職したりしていたOBが3人もこの夏から秋にかけて、バイク事故で亡くなっていたのだった。


 鉄扉がギューッと音をたてて開いた。

 篠田亜蘭が剛田剛と部室に入ってきた。

「よぉ、お疲れさん」

 などと言って、乾明人と城戸弘がさっと立ち上がると、小暮勇もよっこいしょと、

立ち上がって上座をあけた。

(なんでこの三羽烏、亜蘭に気を遣っているのだろう)

 と海里は思った。

(多分こうだ。

 亜蘭の祖父が三鷹の方ででっかいお寺を営んでいるのだが、…亜蘭の父は

サラリーマンで後を継がなかった。

 だから亜蘭がいきなり住職になるかも知れない、…そのお寺が最近ボヤを出した。

 そんで、本堂修復の為に、宮大工だの仏具屋だのに大量の発注をするのだが。

 小暮勇んちは仏具屋、乾明人んちは宮大工で、城戸弘は石材店。

 それで気を遣っているいるのでは。

 この三羽烏は国立府中周辺に住んでいるので三鷹と近いし。

 嫌だね、業者は。)

 そう思って三羽烏と上座にどっかと腰を下ろした亜蘭を見比べていた。

 亜蘭の横では弁慶か明王の様に、如来を守る様にして、剛田剛があぐらを

かいていた。


「さてと、お経でもあげるかな」

 と剛田が片膝を立てて、お香だの数珠だのがしまってある共用のロッカーに手を

伸ばして扉をを開けた。

 すると、扉の裏に、曼荼羅が貼ってあった。

「何、それ、誰が貼ったの。昨日までそんなの無かったよ」

 と海里。

 亜蘭も身をよじって見て、首をかしげる。

「わー綺麗、万華鏡みたい」

 とリエラ。

「万華鏡じゃねーよ、曼荼羅だよ」

 と剛田。

「知っているけど」

「つーか、お前なんてお寺の娘じゃないから、こういうの詳しくないんじゃない?

 こういうの、意味分かる?」と剛田。

「意味? わかんなーい」

「じゃあ説明してやろうか」

「うん」

「それじゃあまず」

 剛田はロッカーの前にずれていってしゃがみ込むと扉の裏を指さして説明した。

「まず上の曼荼羅は、これは、こうやって月輪状の絵が3×3に並んでいるが、

これは、金剛界曼荼羅といって、これは、大日如来の智慧や道徳を表しているんだよ」

「ふむふむ」とリエラ。

「それから下のこれー。

 これは胎蔵界曼荼羅といって、この真ん中のが大日如来。

 この絵を中心に9つの仏像がキューピーちゃんみたいに並んでいるでしょ。

 これは胎内の胎児を表していると言っていいだろう」

「胎内?」

「おお、まあね。

 でへへ」

 剛田はがちがちの原理主義者なのだが、“でへへ”と笑う癖があった。

「金剛界曼荼羅は宇宙のお父さんで、胎蔵界曼荼羅は宇宙のお母さん。

 お父さんのダイヤモンド的な智慧が、お母さんの胎内にぴゅぴゅぴゅっと発射されて、9体の仏像が懐胎し、生まれると娑婆に出て行く、という感じだろうか」

「娑婆でのミッションは?」とリエラ。

「それはねえ、この9体の子供は宇宙の智慧を持っているのだが、“なまぐさ”も持っている。

 だから、何十年かの娑婆での生活で、それを減らす、というのが この9体の人生の目的だな。

 そうすれば、曼荼羅に帰った時に、宇宙全体の“なまぐさ”も減るだろう。

 それが娑婆にきた目的だな」

「ふーん」

「しかーし、宇宙に“なまぐさ”が少しでも残っている間は、輪廻転生が繰り返される。

 だがやがて、宇宙全体に一点の“なまぐさ”もなくなったならば、この輪廻転生は終わって、宇宙全体が解脱して極楽浄土が完成するのである」

「じゃあ、その×はなによ」

 3×3段に描かれているキューピーちゃんの様な仏像の、上の段と真ん中の大日如来に×印がしてあった。

「えぇ? 誰かがいたずら書きしたんだろ」

 と剛田。

「何で宇宙の“なまぐさ”を娑婆で減らさなきゃならねーんだよ」

 乾明人が脇から突っ込んできた。

「そりゃあ、油でないと油はとれないから。油性のマジックインキなんて油でないととれないだろう。それと同じで、下等な人間でないと“なまぐさ”は消せないんだよ。

 だから、胎蔵界曼荼羅の仏像が人間に姿を変えて、“なまぐさ”を背負ってこの世に降りてきて、“なまぐさ”を減らすんだよ。

 増やすやつもいるけどね」

「何すると“なまぐさ”が増えるんだよ」

 と小暮勇。

「そうだなあ、例えばストリートでジャンクフードを食ってナンパするとか。

あと、それに飽きてあろうことか、平和な教室で女子を誑かしたりすること」

「俺はそうは思わねーな」

 と乾明人。

「そんなよぉ、精進料理食って禁欲生活してりゃあいい、なんて発想は浄土宗みたいで貧乏っくせえや。

 俺はむしろ、平安時代の貴族みたいに、やりたい放題やって、1日に一回だけ禅や瞑想で解脱して、又やりたい事をやってみたいに、自力本願がいいよ。

 俺も小暮勇も城戸弘も、催眠で瞬間的に解脱すれば“なまぐさ”は減るだろう、

と思ってんだよ。

 別に女と遊んでもさ」

「そうそう、私の話はどうなった? 厭離穢土になってしまったら、解脱して“なまぐさ”を減らした方がいい、とかいうのは」

 とリエラ。

「まあ、それは、明日の文化祭の後だなあ」

 と乾明人が言った。

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