――おとぎばなし A――

――おとぎばなし A――

 そこは城壁の淵でした。


 男と、幼女と、人形がはるか眼下に街を一望しながら、暢気に茶を啜っています。


「ほら、さっそく役に立ったみたいだね。君の構築した防御システムが」


 モレクは城壁に腰かけて、手で造った庇で陽光を遮りながら、眩しげに目を細めます。


 風にのって、銃声や金属のぶつかり合う音が、二人のいる場所まで届いていました。


「全くとんだ不幸なのです。金のためにあんな安い人形を造らされるなんてありえないのです。私は『恋人』以外は造りたくないのに、守銭奴のモレクが無理矢理やらせたのです。鬼畜なのです」


 いつでも不機嫌なベラドンナも、むすっと頬を膨らませて城壁に腰かけて脚をぶらぶらさせておりました。


『僕こそが君にふさわしいよ』


 話しかけてもほとんど答えてもらえない『恋人』は、かいがいしくベラドンナの肩を揉みながら言いました。


「普通の人間は人形を『恋人』にしようなんて考えないからね。強いだけで十分なのさ。まあ、たくさん儲かったんだからいいじゃないか。君だって、『恋人』造りの材料がたくさん手に入って嬉しかっただろう」


 モレクはただのお茶を、天使がいれたネクタールのように頬を緩ませて飲み干します。


「当然の報酬なのです。それに、人形が強いのは当たり前なのです。いくら安物でも私の造った人形がただの人間に壊せるはずがないのです」


 瞬間、城壁に振動が走りました。


 ベラドンナは危うく、城壁の外に身を投げ出されそうになり、『恋人』に慌てて引き戻されます。


「そうでもないみたいだねー」


 モレクはお茶のおかわりを自分の湯呑に注ぎながら言いました。


 彼の足の下の壁には、首の吹き飛んだ四脚の人形がめりこんでいます。


「っつ、ありえないのです! 私の人形を壊せる可能性のある人間は、ココノテだけなのです!」


 焦りと怒りがないまぜになった声でベラドンナが叫びました。


「じゃあ、そのココノテがやったんだろう。何がありえないっていうんだい?」


 モレクは全く動ずることもなく、お茶の味を楽しんでいるようです。


「いくらココノテでも、ここまで人形を吹き飛ばせるほどのココノハを操ることができるはずがないのです。生身の人間の弱い心では、ココノハの反動に耐えられるはずがないのですから!」


「僕はできるけど?」


 モレクは片手で城壁から人形を引っ張り出すと、有用なパーツだけを瞬く間に分解して、地面に投げ捨てました。


「モレクは頭がおかしいのです! お前みたいな人間が二人もいてたまるか! なのです」


 激昂しただけで疲れたのか、ベラドンナは息を荒くしました。


「そうかなー。とにかく、君は人間技じゃないって言いたいんだね。じゃあ、誰の仕業だって言うんだい?」


「馬鹿ですね! そんなの決まってるではないですか! 私の造った人形を吹っ飛ばせるのは、やはり、私が造った人形以外にありえないのです!」


 ベラドンナは確信に満ちた声でそう言うと、彼女を後ろから抱きしめていた『恋人』の鳩尾にひじ打ちを食らわせました。


 『恋人』は直角に腰を折り、足を城壁につきたてます。あっというまに『恋人』は望遠鏡に早変わりします。


 ベラドンナは片目を閉じて、レンズを覗き込みます。


 それから、口をあんぐりと開けました。


「……ありえないのです! 私の『恋人』が泥棒猫に寝取られたのです!」


 ベラドンナは目を血走らせ、手が痛むのも気にせず、何度も城壁の石床を殴りつけました。


「はは、それは愉快だ。でも、何で寝取られたとわかるんだい? 恋人987号みたいに君に愛想を尽かして、自分から浮気したのかもしれないじゃないか」


 モレクはお茶に立った茶柱を幸福そうに見つめながら言いました。


「はっ、モレクは何もわかっていないのです。恋人1635号は、精神面での最高傑作なのです。高潔な人格と極限まで高めた自由意志を併せ持ちながら、私を愛するという軸だけはぶれない完璧な調整なのです! だから、どうせあのビッチが私に会えるとでも言って、恋人1635号をだまくらかして連れ出したに決まっているのです。最高傑作を寝取られるなんて、私はこの世で一番不幸な女に違いないのです」


 嘆きながらもどこか嬉しそうなベラドンナの様子は、まるで痛めつけられて喜ぶ性的倒錯者のようでした。


「でも、自由意志を持ったものは『学習』することができるよ。君の束縛から逃れる方法を何かの拍子に見つけ出すかもしれない」


 三色団子を頬張りながら、モレクがベラドンナに水をさしました。


「その可能性くらい、私だって考慮しているに決まっているのです。それでも、恋人1635号が裏切ることはありえないと断言できるのです!」


「ほう、この世の全てを疑っている君がそこまで信頼するなんて、よっぽどの理由があるのかい?」


 食べ終わった団子の串を隙間にねじ込んで、モレクは興味津々に目を見開き、白い歯のこぼれる笑みを浮かべました。


「恋人1635号の目はガラス玉なのです! ガラス玉では物事の本質を見ることはできないのです!」


 ベラドンナが胸を張って言いました。


「君、それすごい自虐ネタだね。最高におもしろいよ」


 モレクは腹を抱えて笑いました。


 笑い過ぎて転げまわる程でした。


「うるさい! 黙るのです! それにしても、なんなのですか、あのビッチは……単体であんなに巨大なココノハ、見たことがないのです。鋏ということは、恐れの象徴、『痛み』を捨てた狂戦士という訳ですか。気に食わないのです、あのビッチココノテ!」


「うん? 鋏?」


 それまで、遠くの戦闘を音だけで楽しんで、目の前の食事に集中していたモレクは、そこで初めて遠くを見遣りました。


 もちろん、彼には望遠鏡など必要ないようです。


「……ああ、あの子か」


 旧友にばったり会った時のような親しげな声で、モレクは呟きました。


「知り合いなのですか? あのビッチと」


 探るような声でベラドンナは問いました。


「昔、ちょうど今の君みたいに一緒に旅をしていたことがあったんだ。僕の『人類最高ハッピー計画』の良き賛同者だったんだけど、色々あってね。彼女自身、人一倍臆病で、恐れが強くて、様々な痛みを抱えていたのだが、中々自分では痛みを取り除いてくれとは言わなかった」


「……じゃあ、なんで今あのビッチは鋏を振り回して、私の人形の首を刎ね飛ばしているんですか。この糞野郎」


 ベラドンナは拗ねたように口を尖らせて言いました。


「彼女は僕に惚れていて、告白してきたんだよ。だけど、僕が恋愛なんて余計な重荷を心に抱えるはずがないからね。当然、断った。それで、彼女は失恋の痛みに耐えきれなかったんだろう。ついに、僕に自分の中の『痛み』を取り除いてくれと言ってきた。僕はその通りにしてやった。失恋以外の彼女の苦しみも痛みも、まとめて取り除いてやったんだ」


 モレクは思い出を反芻するように目を閉じて、満足げに何度も頷きます。


「それがあの鋏というわけですか?」


「そうなんだよ。僕も驚いた。痛みが彼女と不可分に結びついていたせいか、大きいばかりじゃなく、自立した意思を有している。そんなココノハは初めてだったよ。まさしく、分身という奴だね。それにしても、彼女もココノテになっていたとは。実におもしろい」


 空っぽの湯呑を指で回しながら言いました。


「で、冷静になって、モレクの糞さに気づいたビッチに捨てられたのですね。ざまあ、なのです」


 ベラドンナは暗い笑みを浮かべました。


「いや、それが聞いてくれよ。全く意味が分からないんだ。彼女、一度取り除いた痛みを元に戻して欲しいなんで言い出すんだよ。『痛みも私に必要なものだから』って。ありえないだろ? 自分から苦しみを浴びに行くなんて、『人類ハッピー計画』に真っ向から反する考えだよ」


 デフォルトの笑顔はそのままで、僅かに眉を寄せて、モレクは首を振りました。


「はあー。大体わかったのです。それで、お前はどうしたのですか?」


 ベラドンナは呆れたようにため息をついて、結末がバレバレなドラマの筋書を尋ねるように言いました。


「もちろん! 逃げたに決まっている。せっかく彼女にあげたハッピーを、僕が台無しにするなんてありえないから!」


 モレクは自分の正しさを一ミクロンも疑っていない満面の笑みで、万歳をして寝転がりました。


「やっぱりなのです。でも、残念だったのです。お前がハッピーにしたビッチは、今、この場で私がぶっ殺してやるのです」


 ベラドンナは意地の悪い笑みを浮かべ、モレクをチラ見しました。


「何が残念なの? 君が彼女を殺しても、僕が助けてあげたっていう事実は絶対に変わらないんだから、彼女が生きようと死のうとどうでもいいよ」


 モレクはくだらない冗談を言われた時のように、ベラドンナの言葉を鼻で笑い飛ばしました。


 ベラドンナは一瞬、泣き笑いのような表情を浮かべた後、真顔に戻り、望遠用に手をかけます。


「『偵察』モード解除、『修羅場』モード起動。ターゲット――巨大な鋏を有するココノテの女をばらばらのぐちゃぐちゃに破壊するのです! 邪魔をするあらゆる障害は排除しても構わないのです!」



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