4 感受性――sensitive――(4)

 ふかふかの椅子に腰かける。照明が消えると、目の前の巨大スクリーンに白黒の映像が映し出される。


 無声映画のようだ。


 セールはどんな度胆を抜くシーンが飛び出すのかと身体を硬直させながら、その光景を見守る。


 少年が公園でダンボールの中に入った小犬と戯れている。

 少年は毎日、自分の給食を少し残しておいて、子犬の下にせっせと運ぶ。

 子犬も少年になつき、二人は蜜月の時を過ごす。

 しかし、ある晩、大嵐がやってきた。

 少年は授業中にも関わらず、子犬のことが気になって居ても立ってもいられず、学校を抜け出す。

 公園では子犬が寒さに震えていた。       』


 セールは不思議そうに、絵描きの横顔を見た。彼はすでに目から涙をはらはらと零し、鼻をぐしゅぐしゅ言わせている。


 少年は子犬を抱き上げ、自分のシャツが濡れるのにも気にせず拭いてやり、家に連れ帰って温かいミルクを与える。

 学校から連絡を受けた両親は、慌てて仕事から戻り、学校をさぼった息子を責める。

 少年は自らの非を認め謝った上で、子犬を飼いたいと両親に懇願する。

 両親は、仕事に出ている間面倒を見る人間がいないから、と少年に元いたところに子犬を戻すよう命ずる』

 セールはスクリーンから視線を外し、劇場に目をこらした。

 皆、目を泣き腫らし、すすり泣き、両手で顔を覆っている。

 セールには皆が何を悲しんでいるのか、理解ができなかった。

 もちろん、このストーリーが表現したいことはわかる。

 しかし、知識の中にある『映画』の定義が正しいなら、それはただの虚構である。雨に濡れる子犬は撮影が終われば身体を拭かれ、栄養バランスの考慮された餌を与えられているはずであるし、少年は子犬を愛しているわけではない。

 そんなことよりも、さっき見た野菜売りの女性のため息の方が、セールにはよっぽどせつなかった。

『少年は仕方なく、手持ちのガラクタでダンボールに屋根を造ってやり、公園の元あった場所に戻す。これからも子犬のために食事を運ぶという決意を胸の内に秘めながら。

 しかし、その夜、両親はこっそり家を抜け出し、公園に向かう。少年の勉学の邪魔になりそうなその子犬が入ったダンボールを』


 唐突に映像が途切れた。


 スクリーンが色を取り戻す。


 次の瞬間、画面を埋め尽くしたのは、赤、赤、赤。


 キャアアアアアアアアアアアア!


 金属をチェーンソーで切断したような悲鳴が館内に木霊した。


「こ、これは……」


 セールは背筋に冷たいものを感じながら立ち上がる。


 これは、この光景には――、確かに見覚えがあった。


 逆さに磔にされた死体の首がひねられ、血だまりに落ちる。

 手を真っ赤にした少年が、首から恥骨の辺りまでを包丁でざっくりと切り裂き、腸を取り出した。少年は得物を小さなナイフに持ち替え、慎重に皮を剥いでいく。』


 もはや、館内に悲鳴はあがらない。


 館内にいた客たちは、皆、殺虫剤を噴射されたゴキブリのように気絶し、ひっくりかえって手足をひくひくさせていた。


「セール! 迎えに来たわ!」


 朗々とした声が響いた。


 声の主はスクリーンを鋏で真っ二つに切り裂いて現れ、檀上に堂々と仁王立ちする。


「ど、どういうことだ! なぜ、あの国の映像が! どうして、彼らは気絶して!」


 しどろもどろに狼狽しながら、セールはエイクに叫びかける。


「何って、決まっているじゃない。慈善事業よ。『衝撃の問題作』の看板にふさわしい、素晴らしい映画にしてあげただけ。セールが撮影した映像がしっかり役に立ったでしょ。もっとも、繊細で感受性の強い観客の方々には刺激が強すぎたみたいだけど」


 エイクはそううそぶいた。観客席の端から、座っている人間に次々と腕を突っ込み、綺麗な宝石の原石を引っ張り出してはずだ袋に詰めていく。


「エイク……お前、人のココノハを勝手に奪うなんて! そんなこと許されると思っているのか!」


 セールは激昂して、拳を席に叩きつけた。


「許しを求めたことなんて、産まれてこの方一度もないわ。それに私がとっているのは、彼ら本来の持ち物でない余分なココノハだけ。彼らが権力と金で奪うのと、私が暴力で奪うのにどれほどの違いがあるというの?」


 エイクは止まることなく、作業の暇つぶしと言った感じで応答する。


「しかし、こんなに純粋で、優しく人を思いやれる彼らに、どうしてこんなにひどいことを。エイクには人の心がわからないのか?」


 セールが責めるように言った。


「ええ。わからないわ。人の心って何よ。セールが定義できるというなら、私に教えてちょうだい」


「それは、それは――」


 何も言えなかった。つまるところ、セール自身もそのことで悩んでいるのだから。


「大体ね。こいつらのどこが純粋だって言うのよ」


 いつの間にか、セールの隣にまで来ていたエイクは、セールの隣にいた絵描きの青年の手を思いっきり踏みつけた。


「うわあああああああああ!」


 気絶しているはずの青年は、呻き声をあげて起き上がり、エイクを睨み付けながら、手の甲をさすった。


「図太い神経しているくせに繊細ぶるんじゃないわよ。凡人が。あんたなんか腕を突っ込むまでもないわ。心が貧乏みたいだし、奪ったところでゴミみたいなココノハしか取れないだろうから。嘘をついて、思いやりのある人間のふりをして楽しい?」

「な、何を言っているかわからないな。僕は絵画を通じて他の人を見ることで、その人の抱いている悩みも、喜びも全てわかるようになったんだ」


「ふーん。だったら、今、私が何に悩んでいるか当ててみなさいよ」


 青年はエイクの挑発に、不敵な笑みを浮かべた。


「わかるよ。君が抱いているのは孤独だ。誰にも自分を理解されないと思い込んでいる。その不満の発露が、今回の凶行だ。苦しみをみんなにわかちあってもらいたい、という潜在意識が君をこうさせたんだ。だけど、大丈夫、こんなことしなくても腹を割って話し合えば――」


「はい。外れ。正解は今夜の晩御飯」


 青年が言い終わらないうちに鳩尾に拳を叩き込む。


 今度こそ、青年は微動だにせず床に倒れ込んだ。


「彼らは……みんな人の痛みがわかるふりをしていただけなのか」


 セールが肩を落として言った。


「みんなじゃないわ。中には本当にたくさんのココノハを有していて、相手の気持ちがわかる人間もいるけれど、半分くらいはそういうふりをして、良い職にありつきたいだけの偽物」


 エイクは跳躍して、逃げ出そうとする『偽物』たちの出口を塞いだ。


「ね、そうでしょ、小説家さん?」


 まさに扉に手をかけようとしていた髭の老人に蹴りを食らわせながら、エイクが言う。


 しかし、まだ、希望はある。


 半分でも人のことを思いやれる人間たちがいるならば、この国はやはり、素晴らしい国と言えるはずだ。


「ココノテさんの言う通り、わしは偽物じゃ。ココノテが喜ぶようなココノハは持ち合わせておらん。なんとか、ばれないように名作を剽窃するだけのしがない小説家。どうにか、見逃してくれ」


 小説家の老人は跪いて、拝むように手を合わせて懇願する。


「別に命までとろうっていうんじゃないわ。もうしばらく、騒がないでいてもらわないと困るの」


「さ、騒ぐなんてとんでもない。わしだって、『心豊か』な人々は大嫌いなのじゃ。あいつらは確かに、ココノハをたくさん持っておって、人の気持ちがわかるかもしれん。しかし、奴らは人の気持ちがわかることを自分たちの心と金を肥やすことにしか使わん! 『優しさ』を向けるのは家族か自分の気に入った奴だけ、なのに『悲しさ』はいらない程押し付けてくる。その癖、表向きは、『博愛』だの『思いやり』だの反論しにくいお題目を掲げるから性質が悪い!」


 他の『偽物』たちも口々に賛同の意を口にする。


 セールはがっくりと肩を落とした。


「ま、金持ちは『優しさ』だけじゃなく、『欲望』も『疑念』も人よりたくさん抱え込んでいるから仕方ないわね。じゃ、扉から離れてかたまってじっとしていなさい。セール! 見張っといて」


「あ、ああ……」


 セールは呆然としたまま頷いた。


 しかし、セールが何かするまでもなく、『偽物』たちは観客席の前にあるスペースにおとなしくかたまった。そして、憎々しげに『本物』を睨み付けはじめる。


 エイクは脇目もふらず淡々と『本物』からココノハを回収していく。


 セールは悲しかった。


 でも、それは陰気なものでなくて、どこか爽快感を伴った不思議な感覚だった。


                 *


 映画館を飛び出すエイクを追って、外に飛び出すと光景は一変していた。


 色彩豊かな家々はしっかりと地下に格納され、元々は家があった場所を分厚いシャッターが封鎖している。


 もちろん、通りには人っ子一人見当たらない。


 代わりにそこに存在していたのは、四脚を持つ下半身に、セールの上半身をのっけたような人形たちだった。


 もっとも、その身体は宝石などの高級品ではなく、鉄やアルミなどの実用的な金属のココノハで構成されているが。


 そんな人形たちが、通りの隙間もないほど辺りを埋め尽くし、じりじりとセールたちを包囲してくる。


「思ったよりも対応が早いわね。新しい警備システムでも導入したらしいわ」


 エイクが涼しい顔のまま、声だけに焦りを滲ませて言った。


「それはそうだろう。心豊かなものは『警戒心』も人一倍なのだろうから」


 セールは内心の狼狽を押し隠して言った。


 この造作は間違えなく『恋人』の手によるもの。


 彼女は確かにここにいたのだ!


「もうちょっと皮肉のセンスを磨いた方がいいわね。まあ、嫌味の一つも言えるようになっただけましだけど」


 エイクは鋏を覆い隠していた包みを破くように解いて構えた。


「戦うのか?」


「逃がしてくれるように見える? セール、言ったわよね。私には負けないって。その本気、今ここで見せてもらうわよ」


 エイクは犬歯を剥き出しにし、期待の眼差しでセールを見た。


「……仕方あるまい」


 セールは自らの眼孔に指を突っ込んで、戦闘には役に立たないガラスの目玉を飲み込んだ。アクアマリンの胃袋に格納するのだ。目玉がなくても視覚には影響しないし、『恋人』からもらったものはがらくたであれ傷つけてはならないのだから。


 『恋人』の作品を壊すのは忍びないが、ココノハを傷つけられるのはココノハだけ。


 普通の銃器にはびくともしない自分の身体でも、ココノハでできた人形の攻撃を食らえばただではすまないだろう。


「『鏡よ鏡。不思議な鏡。燐寸売りなんてやりたくないの。どうせやるならシンデレラ』」


 エイクは呪文のように何かの歌詞を呟き、鋏に彼女の顔を映した。


 鋏の長さに合わせて、間延びした顔は錆のせいで所々見えない。


 途端にエイクのワンピースはきらびやかな舞踏用のドレスに様変わりし、彼女の長い髪は戦闘の邪魔にならないように短く結い上げられる。エメラルドのついた首輪と銀糸の手袋が、装甲のように彼女を覆った。


 ただガラスの靴だけはいつものままで、彼女は悠然と鋏を構える。


「カラクリ仕掛け。石の恋人。汚れは知らぬ。血も知らぬ」


 セールは大きく息を吸い込んで口を開いた。


 右腕は第二関節のところでぽっきりと折れ、重なり溶け合って、大口径の砲身に変わる。左腕が眩暈をおこしそうな渦巻と共にドリル型の剣へと変化する。


 セールはエイクと背中合わせに、人形たちと対峙した。

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