第12話
老人や子供、そして女ばかりの一団が、身の丈ほどの夏草の生い茂った草原を隠れながら歩いている。そこへ、何処からともなく現れた満人とおぼしき群れが襲ってくる。何発かの拳銃の音が響くが、大勢に無勢、取り囲まれた日本人の一行は、なすすべもなく、荷物を取り上げられ、身に着けていた金品を奪われる。抵抗するものは手にした棒で滅多打ちにされ、婦女は乱暴を受けた上、辱めを受けるものもいる。泣き叫ぶ女子供、息絶える年寄り、裸同然に身ぐるみぬがされてへたり込み、気が狂ったように泥水で体を洗おうとする女もいれば。抱えていた赤子の首を絞め、自らの命を絶つ女もいる。戦利品を手にしたものたちは、雄たけびを上げ、意気揚々と去っていく。
襲われた日本人たちは、死んだ仲間たちを葬ることもできずそのまま放置し、ただただ日本に向かって歩を進める以外に選択肢はなかった。
遠くに動いているはずもない満鉄自慢のあじあ号の汽笛が聞こえる。歩き続ける人々には、その音は聞こえていないのだろう。ただ、黙々と足を引きずるように歩き続けるだけだ。一方、ここにいるべきしていない男たちは、すでに徴兵されていて、どこかで戦死しているか、ソ連兵に捕らえられ、抑留されているはずだった。これが夢に誘われて満州にわたってきた開拓団の末路だった。
1931年9月、満州事変が勃発。関東軍は、瞬く間に日本の国土の2倍の広さを持ち、3000万人の中国人が住む満州を侵略し、占領した。満州はもともと清朝の発祥の地であった。そして、そこは、大多数を占める漢人のほかに、満人、日本人、蒙古人、朝鮮人が暮らす多民族居住地となった。
関東軍は、軍事侵攻により首都を長春に定め、そこを「新京」と改めると、国家元首に清朝の最後の皇帝愛親覚羅溥儀を据えた。
さらに、新国家は、多民族国家ゆえに、構成する五族を協和させ、すべての民族に喜ばれる平安な国とする、という高邁な理想を掲げたのだ。
冬には、凍てつく曠野も、夏には、熱波が襲うこともある満洲という慣れない大自然の中に、大日本帝国は国策として、日本から多くの開拓団を送り込んだ。彼らは、そこで待っていた匪賊との争いも、厳しい自然の克服といった幾多の苦難も、希望があればこそすべて喜びと感じていたのかもしれない。だが、その希望の地はもともと満人たちの土地。夢を追うばかりに、そこから満人たちを追い出し、わがもののようにふるまってきた罪は大きかった。
もちろん、それは農民たちだけではない。満州に夢を追って渡っていった様々な職種の人間も同様、根底にあるぬぐいきれない差別意識から出た傲慢なふるまいを抑えることができなかった。それゆえ、その後に待っていた悲惨な運命を甘んじて受けざるを得なかったのだ。
満映のスタッフの中にもそんな悲痛な運命に遭遇したものもいる。満映解散時に、直ぐに内地に帰ろうとせず中国に残った幾ばくかの映画人がいた。たとえば監督の内田吐夢。彼は満人たちの映画の指導にあたろうとして残ることを選んだのだが、仲間の映画人から人員整理の対象にされてしまった。一時は映画の世界から追い出された彼は、中国軍に捕虜のように扱われ、炭鉱のようなところで過酷な強制労働をさせられていたとも言われている。
多くの人々に悲惨な運命を課した満洲国だったが、その一方、満洲で一旗揚げ、内地に戻ってもその勢いをそのままに、戦後の日本を切り回す要領の良い者たちも出てきたことも忘れるわけにはいかない。
満映の理事長室の黒板。書かれているのは、甘粕によって書き残された辞世の句「大ばくち 身ぐるみぬいで すってんてん」
甘粕が理事長室に立って外を見ている。
この満映から戦後活躍した多くの中国や北朝鮮の映画人が出たことは、彼にとって唯一の自慢かもしれない。
中庭には毛沢東の像。その周りを若い紅衛兵たちが隊列を組んで行進している。そして片隅では、一部の紅衛兵によって映画人とみられる数人が捕らえられ、総括、自己批判させられている。
(完)
夕映えの曠野に死す 寺 円周 @enshu314
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