第11話

 満州の曠野に伸びる満鉄の線路の上を無蓋の貨車が行く。大勢の日本人がぎゅうぎゅうになって乗っている。その中に、大杉栄と伊藤野枝、宗一少年、そして、甘粕正彦の姿も見える。


「満洲の大地には夕陽が似合うな」ガタガタ揺れる列車の中から、大杉が外の美しい景色に目を見張っている。


「ここは、お国の何百里、離れて遠き満洲の~」自然と、口をついて出てくるアナキストには不似合いな歌。


「この満州の地にこそ、アナーキーな国づくりができたのかもしれないわね」

と、野枝がしだれかかるように大杉に同意を求めるが、


「そうだな。しかし、無政府主義と専制主義とが同居しているようでもあるね。満洲、いや中国の歴史を見れば一目瞭然だ。一方では自然なるままに任せた生き方、もう一方では力と策略にすべてを託す生き方、ここではどちらも正義なのさ」


「この大地のせいね。近い国なのに、日本人の考え方とはずいぶん違うわ。そもそも満洲へ移民してきた日本人には、そのへんのことをまだ十分に理解できてなかったのじゃあなくて。甘粕さんはどう考えていたのかしらね」


「我々のやってきたことは一体何だったのか、と思うね。広い大地と豊富な資源。ここのそんな魅力にひかれ、石原莞爾と板垣平四郎が色気を出して始めたのが満州事変だ。結果、その大陰謀事業は、ここの土地を満人たちから奪い、追い出してきた。そして奪った領土と様々な人種が混在する民を統治するために、五族協和、平安楽土などのお題目を立てると、はじめは、満洲軍閥政治の排除、人民の自治、租税の軽減といった、いかにも満州人民の喜びそうなご立派な国づくりをするかに見せて、その実、裏ではどんどん大日本帝国の植民地化をすすめていった」


「デ、デ、でもだ。逆に、日本人から見れば、国内で食い詰めたり、狭い日本に生きる場所を失った者たちにとっては、この地は天国のように思えたのは間違いないんじゃないかな」


「確かに、私も刑が終わってからは、何処にも居場所を定めることもできず、たとえフランスへ逃れたところで癒されることもなく、生きることに絶望していた。が、ここ満洲に来てからというものは、私には合っていたのだろう。過去をとやかく言うものはいないし、自分の力を存分に発揮するチャンスもあった。そして、私を認めてくれる人もできたのだ」


 真っ赤に燃える夕陽に顔を染めて、無蓋の貨車の乗客たちは、何処へ向かっているのだろうか、遥か遠くの行く手を望んでいる。


 貨車の外では、内地に引き上げる一団が、草むらを群れを成して行くのが見える。重い荷物をしょった年寄り、髪を切り、顔に泥を塗って男の格好をした女性たち。裸足の子どもたちがいる。みな空腹に耐えながらの必死の逃避行だ。ふらつきながら泥濘に足を取られて倒れ、そのまま泥の中に横たわるものも見える。


 大杉がその様子を見て、

「夢をかけて・・・それが、あの始末だ。イ、いったいだれが責任を取るんだ」


「私には、満映だけでなく、邦人たちでつくった共和会で満洲の発展を図ったという負い目があった。だから甘粕正彦は責任を取ったのだ。だが、ここでさんざん利権を貪ったくせに平気な顔をして内地に帰っていった輩も多い。そんな連中が、戦後ここで蓄えた資産を武器に大いにご活躍という筋書きだ」


 貨車の外では、引揚者たちがソ連軍の飛行機の機銃掃射を受けている。そして、キャタピラの甲高い音を響かせる戦車と、銃を手にしたロシア人たちが迫ってくる。逃げ惑う人々。襲われ、傷つけられ、強姦され、捕らわれ、殺される。中には、飢えと病に性根尽き原野に朽ちていくものもいる。


 列車は、汽笛を鳴らすと、そこかしこで亡くなった人たちを貨車に乗せ始める。


 大杉と甘粕が倒れた人たちが貨車に乗るのを助けていると、野枝が、

「いつまでこの光景を覚えていられるでしょうか」


 甘粕が、まだ荒野を逃げ惑う人たちを見ながら、


「彼らが、こんな状態で逃げるようにして帰国する羽目になったのは、もともと、日本のお偉いさんたちがこの他人の地を侵略して植民地あつかいしたことから始まったんだ」


「自分たちの戦争に負けがあることを知らなかったんだよ。神国と信じられていたからな。そんな奢りも罪だよな」


 いつしか、列車は軌道を外れ、少しずつ宙に浮いていく。


 甘粕が嘆くように、

「敗戦国となった以上、これからは日本も傀儡政府が立てられ植民地化されてしまうんだ。すっかり洗脳されて、我々の夢は忘れられてしまうんだろう」


 甘粕の絶望感に対して大杉は、

「傀儡政府だと。我々主義者にとって少々厄介なことになるかな」


 そうは言うものの、大杉栄は、まだまだ諦めるわけにはいかないぞ、と伊藤野枝の手を固く握りしめている。

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