第7話
銀箔を張ったレフ板が並ぶ中、李香蘭と日本内地からやってきた男優が、シナ人の監督から演技について指導を受けている。ソ連との国境に近い町は、昼間とはいえ氷点下の冷気に包まれている。長く引かれたレールの上には、移動車が置かれている。撮影部のスタッフが、カイロで温めたドイツ製のカメラを移動車の上にセッティングすると、フィルムが装填される。撮影のチーフ助手が、絞りを決めかねてカメラマンと相談している。何人もの演技人に加えて30人近くのスタッフが忙しく動き回っている。甘粕は自動車の中からその様子を見ている。
そこに馬車に乗った大杉と野枝が近づいてくる。大杉は馬車を降りると、興味深く撮影隊の間を縫ってそれぞれの作業をのぞき込んだりしているが、そのうち車の中の甘粕に声をかける。
「ド、どうだい、私も出演させてくれないかね。演技力はあると思うよ」
長身の大杉に対し、小柄な甘粕が車のドアを開け降りてくると、ディレクターチェアに座り、
「君がカメラの前に立ったって、映りやしないんだ。邪魔はしないことだな」
「ハハ、確かにその通りだ。しかし、キ、キ、君のところにはいろんな人間が集まっているな」
「ト、ところで、あそこで記録を取っている女性は、望月百合子じゃないのかな。ボ、ボクの舎弟の石川三四郎のところにいたはずだ」
「そうらしいな」
「何を白々しい。君は彼女がアナキスト仲間だということを知っているんだろう。キ、キ、君は、社員やスタッフのことはすべて把握しているはずだ」
「確かにその通りだ。だが、私は一人一人の能力と努力を評価するのみだ。誰が何を考え、どういう思いで仕事をしているかは問題ではない。ましてシナ人であろうと満人であろうと差別をしないようにしている。彼ら一人一人をひとりの人間として見て、彼らが与えられた仕事を誤魔化すことなく、いかに忠実にこなしているか、そこを正確に読み取り、それに応じた評価を与えている。そして、そのためにこそ、その人間の学歴はもちろん、過去に何をしてきたかもしっかり把握していなければならないと思っているよ」
「ジ、実に合理的だ。しかし、だからといって右でも左でも構わないとはならないだろう。君の周りには、右翼の仲間だけでなく、共産主義者や、社会運動家という経歴を持ったものも大勢いる。それも映画関係者だけでなく、内地にいられなくなったお尋ね者といった連中までいるじゃないか」
「そうだな。彼らが心入れ替えたり、転向したりするとは思えないが、国を思い、社会を良くしようという熱い心さえあれば、どこか通じるところがあると思うんだな」
「それは、甘粕大尉、私たちを捕らえた頃の考えとは違うんじゃないか?」
「私は、違っているとは思わない。君たちのアナキズムには、少なくとも国を思う心を感じなかった。労働者たちを煽り、国家転覆を狙って革命騒ぎを起こしても、その先がない。自分勝手な世界しか君たちにはないんだ。それは社会思想ではない。単なる自己満足に過ぎないんじゃないのか」
撮影準備ができたようだ。監督の声が響く「よーい、ハイ」カチンコの乾いた音。カメラ前の女優が走り去る。それを追う男。カメラもレールの上を小雪を巻き上げて滑走する。
男優「待ってくれ、誤解だ」
女優「あなたの勝手にはついていけないわ」
二人の演技、いつもの中国語ではない、それは、ロシア語で交わされるセリフだった。
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