II.襲撃〈Najazd〉

九月一〇日 午後一時三〇分

 クリシュタノ市 ケルベスト区 〈フォルディヴェア南駅〉

  

「……ん」

 蒸気が吹き出される音で目を覚ます。すっかり眠っていたらしい。

「(もう着いたんだ……)」 

 乗客は次々と出口へと向かっている。 

 急いで荷物を持ち機関車を降りると、見渡す限りの群衆に圧倒される。港町のシルドヴィアも、賑わい、活気ある町だったが、それの比にならない程の人の海。行き交う人々は老若男女様々で、自分の入る隙間もないほどひしめき合っている様子は踏み込むことを躊躇させる。

 しかしここを乗り越えないと父には会えない。

 まずは深呼吸、心を落ち着かせると覚悟を決めて突き進んでゆく──が流されていった……。


 


 ──人の波に飲まれ、ふらふらになりながら出口をくぐると新鮮な空気が全身に染み渡るのを感じる。

 照りつける日差しに細めた目をゆっくりと開く。すると今度は目を見開く。

「凄い……こんなに大きな町、初めて……」

  

 メイシで最も石炭が産出されるフォルディヴェアはこの国で最も栄える町であり、大陸の国々に負けず劣らずの大都市である。シロノヴィア南部の小さな町出身のアウスラにとって衝撃的な光景だった。

 

「(地図があるとはいえ、迷子にならないか不安だな……)」

 人通りが多く、建物が立ち並ぶ駅前は、気を抜くと迷子になりそうな程入り組んでいた。

「(お腹も空いてきたし……お父さんに会う前になにか食べておこうかな)」

 普段はもう昼食を取リ終えている時間帯だ。空腹を感じるのも当然であろう。

 駅の周りということもあり、ここから見える範囲には幾つかの飲食店が見える。

「(でもレストランに行けるほど時間が有るわけでもないし……お父さんの所に行くのが遅くなっちゃう)」

 向こうに着くまで我慢しようか、でも一時間程歩かなければならないことを考えると食べておいたほうが良いかも……と悩む彼女の背中に声がかかる。 

「〝あんた、どうしたの〟」

 振り向くとメイシ人の女性がこちらを不思議そうに見つめている。外国人の女の子が一人で、それも道のど真ん中で立ち尽くしている、というのは周囲の目をかなり引いていたらしい。

 ただここで問題が生じる。アウスラは最低限のメイシ語しか話せないのだ。

「〝ずっと見ていたけど何か困っている事でもあるの? 私でよかったら手を貸すよ〟」

「……? ……??」

 全くわからない、このように町中で話しかけられることは全く想定していなかった。想定が甘かったか……、と過去の自分を恨みながら他国に行くのにその国の言葉が話せないなんて非常識だ、怒られるかもしれない……と思い不安に押し潰されそうになる。

「〝もしかして、メイシ語が分からないのかい?何処の国の人だろう……インゼルティア? それともレイデン?〟」

 インゼルティア、レイデン。どうやら国の話をしているらしい。

「シロノヴィア……?」

 不安そうに言ってみる。

「”ああ! シロノヴィアの人ね! ええっと……どうしたの?ツォシェスタウォ”」

「……!」

 女性も簡素もシロノヴィア語で尋ねてくれる。伝えるなら今しかない。

「〝食べる……たい……? 何か……? 少し…………?〟」

 これであっているのか? と自信なさげにそう伝える。

 それを聞いて女性が吹き出す。やはり間違っていたのだろうか……と気恥ずかしく思っていると。

「〝なんだ、お腹が空いていたんだね〟」

 そう言うと持っていた鞄から何かを取り出す。

「”これだけしかないけど、これをあげるよダムチトゥおにぎりだよ”」

 渡してくれたのは米を固めた食べ物、オニギリ? というらしい。食べていいよ、というようなジェスチャーをしながら頷いている。

 見ず知らずの自分にここまでしてくれるのか、と驚きながら笑顔で〝ありがとう〟と返す。

 女性は満足そうに微笑むと

「”気をつけて行くんだよ、それではまたねドヴィヅェニャ”」

「本当にありがとうございますバルドゾジェンクゥエ! 〝さようなら!〟」




 女性は足早に立ち去って行き、すぐに姿は見えなくなった。急ぎの用事でもあったのだろうか、と少し申し訳ない気持ちになるが、手に置かれたままのオニギリを見ると、今はその親切を素直に受け取っておこうと思うことにした。

 そうしてオニギリを口にしてみる。ほどよい塩加減でとても美味しい。

 あっという間に食べ終えると、再び目的地の父が働いている炭鉱を目指して歩き出した。

 



午後二時五〇分 〈ナジェイエ・クリシュタノ鉱業所〉 事務所前


「やっと着いた……お父さんは事務所の前で待っているって言ってたけど」

 事務所らしき建物の前に父の姿は見えない。

 近くの旗竿にはメイシ連邦の国旗とシロノヴィア共和国の国旗がはためいている。

 

 ナジェイエ・クリシュタノ鉱業所にある〈クリシュタノ第二炭鉱〉はメイシ最大の炭鉱でありフォルディヴェア東部からアルヴァに連なる山脈の一つ〈ラフィリグ山〉に位置する。現在はシロノヴィアの石炭開発企業〈ナジェイエ〉がメイシと共同で採掘を行っている。

 以前よりこの炭鉱はラフィリグ山をくり抜くようにして石炭の採掘が行われてきた。そのため内部は坑道が入り組んでおり。崩落の恐れもあるのだが、この地に眠る無尽蔵の石炭を得るために多少の危険性には目を瞑られている。

 また内戦時、この地は激戦地だったこともあり、炭鉱内には未だ多くの兵器や不発弾、遺骨が眠っているとされ、不発弾に至っては度々爆発を起こし、多くの死者が出ているほどである。

 入り組んだ坑道、残された兵器、激戦の跡地、そのような理由から〈クリシュタノ要塞〉とも呼ばれている。

 

「やっぱり何処にもいないな……」

 ふと事務所前のベンチに腰掛けて眠っている男性を見つける。少し怖そうな人で起こすのは憚はばかられるが他に人も居ない。このままここにいても仕方ないので父のことを聞いてみることにする。

「あの……」

 すると目を覚まし、不機嫌そうにこちらに目を向けて来る。

「……なんだ、なんかようか?」

 本当に不機嫌そうだ……。

「えっと……フォルカー・ヴェルナーという人が何処にいるか知っていますか?」

 そう言うと急に驚いたような顔になる。

「お前、アウスラちゃんか?!」

「え? そうですけど、私のこと知っているんですか?」

「知ってるも何も昔あったことが有るんだが……もう十年以上も前のことだから覚えていないかもしれないな」

 先程までの不機嫌顔が嘘のように嬉しそうな顔をしているこの男性はエリックというらしい。父とは私が生まれる前からの付き合いで親しい仲なのだそう。

「駅からここまで歩いて疲れただろう。お前のお父さんは急ぎの仕事が入って第二炭鉱の方に行っている。もう少しかかるだろうから少し中で待っていようか」

「すみません、お邪魔させていただきます」

 そうしてエリックに連れられ事務所に入ろうとした。

 その時──

 

 ラフィリグ山の方から耳を劈つんざくような轟音がとどろいた。

 

 いきなりの事態にアウスラはエリックとともに硬直する。


「まさか、不発弾が爆発したのか?」 

 再び爆発音。今度は山の方から火柱が上る。

「いや、それにしては様子が変だ。何が起きているんだ?」

 とエリックが呟くがアウスラは父の安否が気になり、それどころではなかった。

「お父さんは……あそこに居るんですよね」

「……あ? そうだが……おいお前、何処に行くつもりだ?」

 ふらふらとした足取りで歩き出したアウスラをエリックが呼び止める。

「お父さんを助けに行かないと……」

 目に涙を浮かべ、どうみてもパニックを起こしているアウスラ。

「馬鹿野郎! お前が行っても危ねえだけだ!」

 エリックが声を荒らげる。

「じきに救護隊が向かうはずだ。彼らに任せれば後は安心だ。お前は俺とここで待っておけばいい」

 そう諭すエリックの言葉を聞いて、アウスラは釈然としない様子だが一先ずは頷くのだった。




午後三時二〇分 〈クリシュタノ第二炭鉱 三号炭坑 入り口〉 


 辺りでは未だ火が燻くすぶっているが炭鉱救護隊の隊員たちは続々と炭鉱の坑道内部へと進んでゆく。

 そんな中、まだ新人の青年は何とも言えない不安を感じていた。まるでここから先に進んではいけないと本能が告げているかのように身体が思うように動かない。

「(クソっ、俺は怖がっているのか? 中には一刻も早い救助を求めている人がいるかも知れないのに……!)」

「……お前はここで待っていろ」

 その様子を見ていた隊長がそう告げる。彼の状態を見抜いたようだ。

「そんな! 私は大丈夫です! 行けます!」

「そんな調子で怪我でもされて、いざというときに動けなかったら堪らんからな」

 厳しい口調で告げる。

「大丈夫だ。俺たちも初出動のときはそんなもんだった」

 班長もそう言って肩を叩いてくる。

「今日のお前の仕事は、生きて帰ることだ」

 隊長はそう言ってすぐに歩き出した。

「まぁいざというときは直ぐにここを離れるんだぞ」

 班長もそう言って歩き出す。

 残された彼は自分への不甲斐なさ思い、その場で立ち尽くすのだった。




午後四時一〇分 〈ナジェイエ・クリシュタノ鉱業所〉 事務所 客室


「──それで、よかったら遊びにおいでって言ってくれたんです」

「そうか、それじゃあそれまでは体調を崩さないようにしとかないとな」

 客室では幾分落ち着きを取り戻したアウスラがエリックにここに来るまでの話をしていた。

「ここに来る前も優しい女の人に食べ物をもらって、メイシの人はとても暖かいんですね」

「そうだな、少し気性が荒い時もあるが実際話してみると誠実な奴らが多いな」

 ここでふと気になったアウスラはエリックと父との付き合いについて聞いてみることにする。

「ところでエリックさんとお父さんはどうやって──」

「なんだか外が騒がしいぞ?」

 不意にそんな事をいうエリック。耳を澄ましてみると確かに外が騒がしい。

 エリックが扉を開けてみるとボロボロになった救護隊の青年が慌てた様子で事務員に詰め寄っていた。

「〝急いで軍隊の派遣を要請してくれ!〟」

「〝そんな話、信じて貰える訳が無いでしょ、そんなのは見間違え、あるいは幻覚。君も怪我してるみたいだし、まずは治療を受けないと。ガスも吸っちゃったかもだし一応検査を受けたほうが〟──」

「〝本当なんだ! このままだとここも危ないかもしれない! 頼む、信じてくれ!〟」


「〝何があったんだ〟」

いつの間にかその場に行っていたエリックがそう尋ねる。

「〝炭鉱から、バカみてぇな数の化け物がウヨウヨと出てきたんだよ! そいつらにみんな殺されちまった!〟」

「〝化け物? どんな〟」

「〝確か……真っ黒で形は歪な丸をしていたと思う……〟」

「〝そいつらは今何処に?〟」

「〝俺が逃げて来たときは未だ炭鉱の周りに居た人間たちを襲っていたが……もうすでにここまで来てるやつがいるかも知れない……だから早く! 軍隊を呼ばないと!〟」

「〝ずっとこんな調子で、どうしましょうか……?〟」

 困った様子で悩むエリック。

「(嘘を言っているようには見えない。だが、そんな化け物が居るなんてとても信じられない……)」

「〝信じてくれないなら俺が直接呼びに行く!〟」

 そう言うと青年は外へと飛び出した。

 二人が急ぎ後を追うと、ラフィリグ山の方から土煙を上げながらこちらへと向かってくる黒い謎の大群が見えた。目なのか無数の白い光点が不気味にこちらを見つめている。

「まさか……あれがそうだとでも言うのか! しかも、なんて数だ……!」

「〝もう来やがったか……!〟」

 青年が怪物を睨みつけながら言う。

 これを見るともう信じないわけにはいかない。

「全員急いで車に乗り込め! アウスラも早く来い!」

 事務所に居た職員たちとアウスラに叫ぶエリック。

 外に止まっていたトラックに所狭しと乗り込むと全速力でその場を後にした。


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