SacelFodina【サーケル・フォディナ】

煤石雪

I.上陸〈Lądowanie〉

九月一〇日 午前五時四〇分

 エンデリウェル諸島沖 メイシ島から南に約一〇〇キロ

 

 薄暗い海上を数隻の軍艦が進む。

 甲板には遥か遠くの島を見つめる少女。海風を受け結った髪がふわりと揺れる。

「あれが……メイシ……」

 そんな呟きが夜明け前の海に消えてゆく。


 ここはシロノヴィア海軍の戦艦〈ベラクラート〉の艦上。

 無数の大砲で装飾され力強い印象を抱かせる戦艦と可愛らしい服装で着飾った可憐な少女。

 普通ではありえない奇妙な組み合わせは神秘的な雰囲気を作り出している。

「(もうすぐ……お父さんに会えるんだよね……!)」

 まだ16歳になったばかりのアウスラ・ヴェルナー。7年振りの父との再会を思い自然と口元が綻ぶのを感じながら、遠くに浮かぶメイシ島を眺め続ける。


 明かりは島の中央部以外には見られない。月明かりに照らされ島の輪郭が浮かび上がる。それはまるでこちらに迫り来る巨大な怪物のように錯覚してしまい、不気味である。

 対照的に島の中央部、目的地である軍港では明かりが眩いほどに輝いており、美しい光は暗闇との相性が良いのか、よく栄はえている。

 不気味さと美しさという二つの要素が合わさって創り出された世界は幻想的なものだった。


 そんな景色を時間も忘れて眺め続ける──



 ──随分と長い間、眺めていただろうか。

「荷物の整理もしておかないとな……」

 名残惜しさに後ろ髪を引かれながらも、上陸に備えてその場を後にした。







「おはよう。もう起きて居たんだね」

 部屋に戻ると相部屋の老人ヴェネディクト・ソスナが声を掛けてきた。

 時刻はまだ六時前だ。

「はい、もう目が覚めちゃって」

 おはようございます──と返しながら木製の椅子に腰掛ける。

「お嬢ちゃんとの船旅も今日までか、なんだか寂しいな」

 本国シロノヴィアの港からの付き合いであるヴェネディクトとアウスラは約9日間の船旅を通じて、祖父と孫の様な親しい仲になっていた。

「私も寂しいです。だけどお互いに目的地もバラバラだからずっと一緒にいるわけにはいきませんよね……」

 寂しそうな笑みを浮かべ、そう応える。

「君はお父さんに会うためクリシュタノへ。私は友人に会うためにクアイ島へ行かなければならないからね……でもまぁ本当に色々なことがあった船旅だった。客船が運休してしまったときはどうなることかと思ったが」

「優しい軍人さんのお陰で助かりましたね。あの日を逃してたら次は1週間も待たなければいけなかったから、戦艦に乗るなんてなかなかできない経験もできましたし」

 港で往生する民間人は30名程。仕事や観光目的の人の他に、本国に帰ろうとするメイシ人など多様である。それを見兼ねた水兵たちが上官に掛け合い、戦艦に受け入れてくれる事になったのだ。

「ただ、私が乗ることをよく思っていない人も居たみたいですけどね……」

 受け入れられた人々のうち、女性はアウスラ一人だけ。船に乗ったときから一部の水兵からは無視をされたり冷たく接されるなど邪険な扱いを受けていた。

「『海の神が嫉妬して不幸が起こるので船に女性を乗せてはいけない』 昔から船乗りに伝わる迷信を未だに信じている人間がいるんだ」

 気にすることはない、と優しく慰めるヴェネディクトの瞳には、微かに怒りが浮かんでいた。

「心配しないでください、私も気にしてないですよ。水兵さんたちも危険と隣り合わせの仕事なんですから、そういった言い伝えに敏感になってもおかしくないです。それに優しく接してくれる人もいたので……ところで、ソスナさんはこの後も別の船に乗るんでしたよね?」

「……クアイ島には古い友人が住んでいてね、久しぶりに会おうと思ってね。だから私の船旅はまだ続くのさ」

「たしか自然が豊かなことで有名な島ですよね?」

「この時期はコスモス畑がとても綺麗なんだよ。君もお父さんと一緒に訪れてみるといい」

「はい……! 絶対に……」







 時刻が一〇時を回った頃

 戦艦が錨を下ろし、停泊すると、人々は慌ただしく下船をはじめた。

 アウスラもリュックを背負い、ヴェネディクトと並んで歩きながら埠頭へ降りるタラップを目指す。

「それでは皆さん、お気をつけて」

 水兵たちが民間人を見送っているのが見えた。甲板に並ぶ水兵たちの前に立つと

「ありがとうございました」

 そう言って頭を下げる彼女を見て水兵らは笑顔で労いの言葉をかけつつ、優しく手を振ってくれた。こちらも笑顔を返しながらその横を通り過ぎる。

「あいつのせいで俺たちはみんな死ぬんだ……クソっ……! くたばっちまえスピェルダライこの──クソ女!」

 突然、背後からそんな言葉が飛んできた。アウスラの身体は硬直し、麻痺したかのように動かせなくなった。

「なんてことを言うんだ!」

 各々が声を荒らげて件の水兵を非難する。

「俺の親父が乗っていた駆逐艦は女を乗せたから沈んだんだ! きっと俺たちも同じ運命を辿るに違いない……! こいつを乗せてしまったから……!」

悔しそうに、恨めしそうに叫ぶ声がアウスラの胸に突き刺さる。

泣き出しそうになったアウスラの肩を抱くと、ヴェネディクトは

「早く降りよう」

と囁き、足早に立ち去った。


 ベラクラートから離れて二人は、クアイ島行き客船の乗り場に来ていた。アウスラの表情は暗く、明らかに落ち込んでいる。

「やっぱり……あのとき船に乗らないほうが良かったんじゃ……私が乗ってしまったから……みんなに迷惑が!」

 今にも泣き出しそうな表情で、弱々しくそう呟く。

「そんなことはない! あんなのは出鱈目だ! ──アウスラ……私が君と過ごした9日間はかけがえのない時間だった。いや、私だけじゃない、聞こえただろう? 君のために怒ってくれている人もいた。君と過ごした日々を大切に思ってくれたからこそ、君が侮辱されたことが許せなかったんだよ」

 ヴェネディクトは彼女を抱きしめながら、そうなだめる。それがトリガーとなったのか、決壊したかのようにアウスラの目からは涙が溢れ出す。固い手のひらで頭を撫でる。その姿は泣いてしまった娘を慰める父親さながらだった。

 

 ──そして出航の時間が来てしまったようだ。

 アウスラを抱きしめる腕を緩めると、ペンで紙に何かを書き始める。

「私はクアイ島のマグリネア市に居る。いつでも会いにおいで」

 そう言って住所を書いた紙を手渡してくる。アウスラはその紙を大切そうにポケットに仕舞うと

「ソスナさん……本当にありがとう……きっと会いに行くから……」 

「ああ……いつでもおいで」

 そっと握手をする。小さな手は大きな手に包まれてしまう。そっと手を解くとヴェネディクトはゆっくりと船に向かって行った。

 アウスラは、その後姿が見えなくなるまで延々と見つめ続けていた──。

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