第7話 ジュブナイル 4
芙蓉は、一言で言えば『嫌な女子』だった。
口を開ければ嫌みや皮肉を言い、高慢な態度でクラスメートたちを見下していた。
それは中学に上がってからではなく、同じ小学校に通っていたリースに聞けばすでに小三くらいでそんな性格だったそうだ。
特に男子に対してはひどかった。
かっこよくない、頭が悪い、運動神経がにぶい、欠点を見つけてはけなしていた。
それを何とも思っていないふうだった。
女子に対しても多少手加減が見られるくらいで、ほとんどやっていることは変わらなかった。
他人を不愉快な気分にさせる行為がいずれ自分に返ってくると、どうして分からなかったのだろう。
とっくに中学に上がる前には彼女は孤立していた。しかしそれでも態度は変わらなかったようだ。
中学ではさらに嫌われ、多くの敵を作った。
言動だけでなく、彼女の容姿もまた嫌われる理由となった。
芙蓉は美人だったが、顔つきは大人びていて中学生としては老けて見えた。化粧の似合う容貌だった。
実際、口紅こそつけていなかったものの、眉を描き、薄くファンデを塗っていた。
さらに中一のときに眼鏡をかけ始め、これが金縁のシャープなフレームのものだったからさらに外見が実年齢からかけ離れてしまった。
ローティーンの中学生女子のなかで、彼女の顔つきは異様なくらいに目立っていた。
それで体もリース並みのスタイルなら良かったのだが、身長は低く、メリハリのない体で、まだ第二次性徴を迎えていないのではと影口を叩かれていた。
つまり、大人の女の顔が、小学生レベルの体に乗っかっていたのだ。チンチクリンと揶揄されていた。
ユウたち『はぐれ組み』のなかで、彼女は唯一おおっぴらにいじめを受けていた。
中学一年のときはかなりひどかったと聞いた。持ち物を勝手に捨てられるとか、机に落書きなどはまだぬるいほうで、制服をハサミで寸断されて泣きながらジャージで帰るはめになったり、眼鏡を取り上げられて踏み割られたあげく、窓から捨てられたりしたと聞く。
それでも芙蓉の性格の悪さは変わらなかったらしい。
むしろ攻撃を受ければ受けるほどにエスカレートし、辛辣な言葉を吐いて毒をまき散らし、クラスの空気を険悪にした。
確証はないらしいが、裏サイトでも執拗な個人攻撃を繰り返したと噂されている。
そしてとうとう、起こるべくして事件は起きた。
中学二年の三学期、冬の寒い日の早朝に芙蓉は校庭で裸にされた。
自らが貶めている男子たちに囲まれてコートから制服から、下着も何もかも、全部を剥かれた。
必死で大事な部分を隠す手を暴力的に引きはがされ、その状態をスマホで撮られた。
校庭には当時ほかの生徒もいたはずだし、教師も校内のどこかに絶対にいたはずだった。
それが誰も芙蓉のことを助けようとはしなかった。
そして、それは自業自得だと思われていたようだった。
多くの者がやんやと囃し立てる拍手喝采のなか、おぞましい催しは十数分にわたって続いた。
下手をするとそのまま犯される危険だってあっただろう。
そうでなくとも、似たようなことをされていたかも知れない。
と言うのも、一人の男子が部室棟から外してきた蛍光灯を手に、『穴』に無理矢理突っ込んで腹を蹴ろうとか言ったらしかったのだ。
それを聞いて芙蓉はすさまじい悲鳴を上げ、暴れまくって拘束をほどき、一糸もまとわぬ状態で冬の校庭を逃げ回った。
そのときの様子をユウも校舎から見てしまっていた。
ユウだって彼女の悪評を聞いてはいたが、あれはさすがにひど過ぎた。普通の日常では相当悪辣で残酷な光景だった。
芙蓉の哀れな姿は当然のようにネットに上げられ、興味と悪意の波に乗って世界中に拡散した。
それはもう、二度と消去不可能であることを意味していた。
逆にこれがきっかけで校内のいじめが外部にも知られることとなり、学校関係者は徹底的に世間から叩かれた。
校長・教頭・担任が、謝罪を公にすることになっても学校への批判は落ち着かなかった。
服をひん剥いた生徒たちや、写真をネットに上げた生徒は特定され、これらはネット上で実名・住所等の個人情報とともに晒された。
一方で当の被害者である芙蓉は、世間からほとんど何もされなかった。
これは彼女にも意外だったようだ。少なくとも自分を擁護する意見と、逆にこき下ろす意見が現れると覚悟していたら、ほぼ誰も何も言わなかったのだ。
これは世間が被害者の女子に気を遣ってのことと思われた。
もしくは単に被害者に関する内容を、ネットパトロールが丁寧に削除して回っていただけかも知れない。
だが、芙蓉はこれを無視と捉えた。
そこが芙蓉の性格の悪さ、ひどさと言える。
芙蓉は今度は自分から世界を無視するようになった。
毒を吐かない代わりに、冷たい石となった。
上っ面の慰めをしてくれていたほかの生徒たちも、次第に彼女に近寄らなくなった。
腫れ物になど誰も触れたくはなかったし、相手が望まないのならあえて踏み込む者などいなかった。
芙蓉という女子がどうしてそんな性格に育ってしまったのか、それは同級生や教師はもちろんのこと、おそらく彼女の両親ですら永遠の謎なのではと思ってしまう。
いろいろ理由づけしても、彼女の人格形成の過程は複雑怪奇で、誰にも分からないのだった。
そんな彼女が中学三年で同じクラスになったと知ったとき、ユウは不快な気分にしかならなかった。
自分に関する特殊な事情さえなければ、口をきくこともなかったと思う。
ユウたち『はぐれ組』は何度となく実習や行事で同じグループになることがあったので、芙蓉と顔を合わせる機会がないわけではなかった。
だがユウは彼女を避けた。
気分が悪くなるし、それに見ていていたたまれなくなるからだ。
そもそもユウはほかの生徒と関わるつもりは毛頭なかった。虎ちゃんとだけ表面的でも一応の会話をしており、ユウにとって人とのコミュニケーションはそれで充分だった。
そんなユウが、芙蓉と友好関係を築こうと考えたのは、長年温めてきた計画を実行に移すためだった。
計画を実行するには、他人とある程度深く関わらねばならない。
それまでは人との関わりなどに興味を持てなかったが、計画を滞りなく進めることを考えるとこれからはそうはいかない。
あの遺跡の最深部へ行くのなら、誰かほかの人間を用意しなければならない。
そしてそれは『はぐれ組』のメンバー以外考えられない。
と言うより、ほかにいない。
現時点では彼らはただのクラスメート、知り合いに過ぎない。
もし、もし本当に計画を実行するのなら、どうしても彼らと仲良くしておかなければいけない。ただの知り合い程度では駄目だ。
そう考えると、芙蓉はユウにとって最大の難関であった。
だから最初、彼女のことを一番後回しにしようと思った。
ほかの二人と仲良くなってから、搦め手で彼女を囲い込むようにして仲良くなろうと策を練った。
ゆっくりと時間をかければ、あるいは仲良くなれるきっかけをつかめるかも知れない。
だめならだめで別にいい。そう考えていた。
ところが、そう悠長なことを言ってもいられない事態が生じることとなる。
修学旅行の班が『はぐれ組』で固められてしまったのだ。
ユウのほか、虎ちゃん、リース、そして芙蓉の四人。
しかもユウは積極性の乏しい面子のなかで班長をさせられることになった。
さすがに芙蓉だけ無視するわけにはいかない。旅行中だって無言で過ごすわけにもいかない。どうしても仕方なく、彼女に話しかける必要に差し迫られることとなった。
芙蓉の自分に対する第一声は、忘れられない。
「なんなの?」
こちらは普通に挨拶しただけだった。
なのに、なんなの、とはなんだ。
怒りを覚えた。
だがそうは言っても話を続けなければならない。
「同じ班として、よろしく」
虎ちゃんやリースは礼儀正しく「よろしく」と言ってくれるのに、芙蓉は、
「あんたが班長だなんて、誰が決めたの? 一人よがりに付き合わされるのは嫌だから」
と色をなして吐き捨てた。
なんて女だ。
ユウはあきれてしまった。
それに、初めて言葉を交わす相手のことを『一人よがり』とはまったくもってご挨拶だ。
彼女は自分の何を知っているというのか。
しかし頭のどこかで、図星を指されてうろたえる自分もいた。
ユウは他人の事情を忖度することはない。いつも自分が主軸で行動していた。
班を決めたら何度か話し合いを持つことが義務づけられた。
ほかの班は自由行動の計画を立てたり、評判の高い土産物屋の検索をしたり、傍目にも楽しそうだった。
それに比べ、自分たちの班はどんよりとした雨雲でも上に漂っているかのような、陰鬱な空気だった。
話し合いの際にユウは虎ちゃんよりもリースよりも、芙蓉と話すことを心がけた。
彼女と少しでも話せるようになっておかないと、旅行中いろいろと大変な気がする。
そんなユウの態度にも芙蓉は悪口で答えていた。目を吊り上げ、口をとんがらせ、ユウの外見・内面ともにこきおろした。
さすがにへこたれそうになり、虎ちゃんがフォローしてくれなければユウは彼女を殴るか、班長をボイコットするかしていただろう。
芙蓉の態度は、リースがいさめてくれた。
内気なリースにしてみれば口の悪い芙蓉は近づきたくない存在だったと思う。
しかしあまりに険悪になる班の雰囲気に、リースも勇気を出して「そういうこと言うの、よくないよ」と芙蓉に忠告してくれた。
班内で女子は二人だけで、リースは芙蓉と仲良くなるしかないと思い込んでいたのかも知れない。
リースにたしなめられて芙蓉は意外にも頬を赤らめて恥じ入る様子だった。
それ以来、リースと芙蓉は二人だけで会話をすることが若干増えたようだった。
ただし、ユウに対する暴言は減ることはなかった。
虎ちゃんに言わせれば、芙蓉は「ユウくんに気を許しているんだ」ということだった。
あの冬の日の事件以来、普段は誰に話しかけられても無視し、固く閉ざす二枚貝の如く学校生活を送っている芙蓉が、ユウに対してだけは一年前のように毒を吐くのだ。虎ちゃんはそれを「親しみの裏返しだよ」と言った。
頭の良い虎ちゃんの言うことだから真面目に聞いても良かったのだが、こればっかりはとても納得できない。
ユウ自身は芙蓉のことをむかつく女子だと思っていた。
芙蓉も間違いなく自分のことを嫌っていると思った。
それでも修学旅行中、少しはたわいない話をした。
試しに冗談を言ってみたら、口をへの字にして不愉快そうな顔を見せた。
失敗したかと落胆したが、よくよく観察するときつめの目元が緩み、頬が不規則に動いていた。
笑いを噛み殺しているのだと気付いて、ほんの僅かだが親しみを感じた。
性格の悪い女子だが、こんな態度は可愛らしいとも思った。
芙蓉は、自分のせいでもあるが、本当に悲惨な体験をした女子だった。
こんな女子と見せかけだけで仲良くなろうとし、自分の暗黒面の犠牲にして本当にいいのだろうか。
知らず、そんな疑問を持つようになった。
彼女は今も苦しんでいるのに違いないのだ。
学校生活が彼女にとって楽しいものだとはとても思えない。気が強いのが幸いして、自殺もせず、引きこもったりもせず、淡々と通学してくる。
あと一年、中学はそれで乗り切ることができるかも知れない。
だが数年後、十年後はどうだろう。
彼女を苛む要素は半永久的に消えず、どこまでもつきまとうのだ。
彼女の例の画像は、今もネットの海にたゆたい、消しても消してもどこかから際限なく増殖してくる。
ユウ自身も白状すれば、実は芙蓉の写真目当てに匿名の某巨大掲示版を漁ったことがある。
それは想像以上に、ユウの心をえぐるものだった。同年代の女子の秘所を凝視しようなどとはとても思えず、恐怖と屈辱で歪む彼女の顔は正視に耐えかねるものだった。
これなら無修正動画を探して見るほうがまだましだと思った。
激しく自分を羞じた。
ユウは芙蓉に対して同情を禁じ得なかった。
同情がときに人をさらに傷付けるのは知っていたが、それでも心の奥底から自然と沸き上がってきた感情は抑えられなかった。
ユウたち四人の前に現れた女は、慇懃な態度で挨拶をしてきた。
「こんにちは。はじめまして。私はここの土地を所有する会社の社員よ。本当なら社会人らしく、名刺の一つでも渡すところだけど、わけあって名前は名乗れないの。だから、私のことはCAって呼んでくださいね」
ユウは甚だ戦慄していた。
こんな偶然があるだろうか。追ってきたのがよりにもよって、この女とは。
芙蓉が隣からこちらの顔を盗み見て、勝手に肩をびくつかせた。
さぞかし、今の自分は憎しみに充ち満ちた顔をしていることだろう。
「あなたたち、だめじゃない。ここは勝手に入ってきちゃいけないのよ。こっそり入ったつもりなんでしょうけど、山道や神社のすみに監視カメラが設置してあるの。すぐに分かったんだから」
それを聞いてユウは自分の迂闊さを悔やんだ。
監視カメラがあっただなんて。
もう少し山や神社のなかを注意深く観察するべきだった。
いったい、いつからあるのだろう。以前二回、下見で神社まで来たときにはすでにあったのだろうか。
「神社に入った君たちの姿を見つけて、急いでバイクでかっ飛ばしてきたの。危険なところへ入る前に追いついて、ほんと良かったわあ」
CAと名乗る女は、ぱんっと両手を合わせて、わざとらしく微笑んだ。そして次には急に真面目な顔付きになり、諭し始めた。
「企業の敷地へ無断で侵入することは、立派な犯罪です。でも、速やかに退去するなら不問に致します。まだ見たところ、中学生くらいだし……」
女は喋りながらユウのほうを注視した。注目しているのは、手に持つ刀のようだった。
まずい、と感じたが遅かった。
「ふふ、そちらのきみは、はじめましてではなくて、お久しぶり、かしらん。ほんと、奇遇よねぇ。こんなところで再会するなんて。監視カメラの画像見てひょっとしたらって、思ってたけど。やっぱりねー」
虎ちゃんたち三人の視線が一気にユウへ注がれる。
ユウは刀の柄に手をかけた。
「その刀。うん、間違いないわ。きみはいつぞやのお坊ちゃんね。少年の同業者がいるって聞いてはいたけど、あなたのことだったの。へーえ。ここにはよく来るの? うちの会社、つい最近、ここを買収したばっかだから気付かなかった」
手の甲を口元に当てて、くすくすと笑う。
赤い唇が、白い手に映えて艶めかしい。
ユウは怒りを抑えるのに必死だった。
世にも残酷な光景を見せた当人が、目の前にいて笑っている。
刀の柄をべたに握ることで、かえって冷静になろうと試みた。
「みなさん、お仲間? よく彼と遺跡探索に来るの?」
女はくるりと頭を回して、三人を順繰りに眺めた。
虎ちゃんたちはふるふると無言で首を振った。
女は目を半分閉じて、ユウを斜め上から見やった。
蔑むような目だったが、その内に感心するような様子が若干含まれているような気がした。
奇妙な目つきだった。
「ふ~ん、じゃあ、ここにいる子たちは今日初めてこの遺跡に来たのね。多分だけど、ほかの遺跡にも行ったことないんじゃないかしら。一体、どこでここを知ったの?」
三人が揃ってユウを見る。女は一度こくりとうなずいた。
「なるほど……彼に連れて来られたのね。まあ、そうだと思ったわ。でもなんでまた、きみは彼らをここへ連れて来たのかなあ。おねーさん、それ興味あるわね、くすっ」
悪寒に似た怖気が走る。この女、何を言い出すんだ。
「観光だ」
かろうじて出した返答に、力はこもっていなかった。
はっきりと言い切るつもりだったのに、声はかすれて、語尾は小さくしぼんだ。
リースと芙蓉は、何を話されているのか捉えきれないようだった。惑いがありありと顔に出ている。
虎ちゃんの顔は、恐くて見れなかった。
きっと頭の良い彼のこと、すでに何とはなしに察しがついているはずだ。
今の彼の目を、真っ直ぐ見られる自信はない。
ユウたちがずっと黙ったまま何もしないので、仕方ないといったふうでCAという女は再び話しかけてきた。
「観光だって言うのなら、すぐに帰ってね。でも、本当にそうなのかな。そこの金髪のおじょうさん、どうなの」
リースは急に指名されて、きょどきょどと目を左右へ彷徨わせた。
「ん?」と女に返事を促されると、芙蓉に助けを求めるように目を向けた。
「あ、あの人が、綺麗な景色があるから、だからみんなで見に行こうってことになりました。観光で間違いないと思います」
さすが、芙蓉は毅然としている。
嫌みなところがあってユウは彼女のことが苦手だったが、強気の性格は尊敬していた。
こういう場面では有り難い。
しかし、大人はそう簡単に騙されてくれなかった。
「観光。へーえ、観光。まあ、あなたたちはそう言われて来たのね。でも、そこのにわかサムライくんはどうなの? 本当に友達を観光に連れて来ただけ?」
そこまで言いかけて女は、くっくっくっと喉を鳩のように鳴らしたあと、急に仰け反ってあははははっと遠慮のない笑い声を立てた。
「わかったわ、おねーさん、わかっちゃった」
赤い唇を目一杯、広げて笑っている。
瞼はほとんど閉じて、睫毛の間から黒い瞳が垣間見える。
そこには冷たい光が湛えられている。
ユウは女が本当に可笑しくて笑っているのではないと確信した。
わざと大きな笑い声を立てて、自分たちをいっそう怯えさせようとしているのだ。
辺りの壁に反射して、遺跡内のあちこちから女の笑いが還ってくる。
何度も繰り返し跳ね返って、ほかの反射音と混じり、もとの笑い声とは違うものに変わってくる。
あああんっと嬌声が、うおあああっと悲鳴が、ぐうおおおんっと唸り声が、間を置いて耳に届く。
ただ笑うというだけの行為で、女はこの場の空気を狂気を孕んだものに変えた。
CAと名乗る女は目を横長にすうっと細めて、よく通る声で言い放った。
「あはははっ、そんなわけないわよねえっ。だってここには、命を吸う『炉』があるんだから。ここへ以前来たことがあるなら知ってるはずよね。きみ、なんて名前だったっけ? もう忘れたわ。でも、私に恨み、あるんでしょ? 今も凄い目して見てくるし。きみが友達をここへ連れてきた本当の理由、当ててあげようか」
ユウは血の気が引く思いがした。
やめてくれ、言うんじゃない。そんなこと、みんなの前で言われたら……。
「下の泉まで連れて行って、お友達の命を吸うつもりだったのよね。そうでしょ、当たり? だってそうでもしないと、私を殺せないもんね。復讐したいけど、力が足りないもんね。うふふ、そうそう、そうやって冷徹にならないと私たちにはぜーんぜん、かなわないわよ」
ユウは顔が自然と強ばるのを感じた。
唇を噛む。今すぐにでも刀で切り殺したい衝動にかられる。
ふっと目線をずらすと、虎ちゃんたち三人はユウと女を見比べていた。
困惑の色はさらに強くなっているようだった。女の言うことが今ひとつ理解できていないらしい。
それは知らなければ当たり前の反応だと思った。
「命を吸うって、なんですか?」
虎ちゃんが質問した。授業で質問するのと同じ態度だった。
女は彼に対してにっこりと微笑んだ。
「そう……、あなたたちは全然知らされてないのねぇ。じゃ、おねえさんが教えてあげる。この遺跡はね、歴史には記されていない文明人の残したものなの。今の文明が電気文明なのとは違って、その文明はね、命を汎用エネルギーとしていたのよ。生き物から命を吸い取って、それで物事を動かしていたの。ほら、ここまで来るのに何度か見たでしょ? 青く光る石。あれは命の特性を付け加えられたものよ。それ以外にも多くのアイテムがあるんだけど、残念ながらここにはもうほとんど残ってないみたい」
「へえ。命を吸い取って、エネルギーに、ですか。面白いですね」
虎ちゃんの返しに、女はちょっとぎょっとした顔をした。
「変な子。自分の命も危ないって言うのに、面白いだなんて」
「えっと、アイテムのことなんですけど、ほとんど残ってないってことは、一応あるにはあるってことですよね?」
何のてらいもなく、虎ちゃんはしれっと質問した。
彼はさっきニンギョウのことを聞いている。知っていながらの質問だった。
ひょっとすると、ユウ以外の人間から同じ話を確認したいのかも知れない。
「ほんとに変な子ねえ。もしかして興味があるの? じゃあ、そんなきみにイイこと教えてあげる。特別よ。この遺跡にはね、隠し通路や隠し階段がかなりあって、まだ見つかっていない部屋があるはずなの。以前、ここを調査した際に、相当貴重なものが眠っているって分かったんだけど、それがどうしても見つからないの。一体、どこにあるのかしらねえ」
女が虎ちゃんと話し込みそうになっていたとき、消え入りそうな、か細い声が聞こえた。
「自分の命も危ないって、何なの……」
リースだった。
額にかかった金色の髪が、汗でべっとりとくっついている。
眉間から頬にかけて、色が抜けて蒼白になっていた。瞳の青色が、生気のない白い顔に滲んで見える。
「ここって、そんなに危ないの、だったらもう帰ろうよ……」
またしても女はくつくつと笑った。この状況、目の前にいる少年少女をとことんからかって楽しんでいるようだった。
いや、そうじゃない。
ユウは無意識のうちに面が下がってきた。
下を向く。顎が胸に付く。
女はみんなをからかっているんじゃない。自分一人をからかっているだけだ。
これから女が何を言うか、怖ろしかった。
「ここは確かに危険な遺跡よ。死んだ人もいっぱいいるわ。でも、私が言ってるのはそうじゃない。さっき言ったでしょ? 聞いてなかったの、きれいなお嬢さん。じゃ、もっかい言うわよ。あそこの彼氏くんはねぇ、あなたたちを殺すつもりでここへ連れてきたのよ。この遺跡の最深部には泉があって、そこに命を吸ってエネルギーに変換する『炉』があるの。そこへあなたたちを放り込むつもりなのよ。自分の命が危ないっていうのは、そういうこと。お・わ・か・り?」
ユウは俯いたまま、顔を上げられなかった。
誤魔化そうと思えば、いくらでも誤魔化せると思えたが、なぜかそんな気は起きなかった。
ばれたほうが、むしろ清々すると思った。
小さな指が、ユウの袖をつまんだ。くいくいと引っ張る。
半ば放心した状態で振り返ると、芙蓉の顔が目に入った。
いつもはきつめの眉が下がり、睫毛がしっとりと湿っていた。半泣きの表情だった。
「ねえ、ちょっと……。あの人の言ってることって」
芙蓉はもう何かの拍子で涙を流しそうだった。
こんなことで計画が挫折するとは想定していなかった。
突然現れた仇に心の内を看破され、暴露されて、もはや当初の目的は達成できそうにない。
芙蓉もリースも、虎ちゃんでさえも、もうこうなっては遺跡の最深部まで一緒に来てくれないだろう。
ユウはひたすら、女が憎かった。
反面これで良かったんだという思いもする。
心を鬼にすると決心したとは言え、やっぱり心苦しかった。
罪悪感が常につきまとっていた。
「さ、みなさん、お帰りなさいな。あったかい、おうちに。この子とはもう付き合わないほうがいいわよ。死にたくないならね。あ、そうそう。あんただけは、ただで帰すわけにはいかない。殺しはしないけど、代わりに大切なものを置いていってもらうわよ」
女はユウの持つ刀に、人差し指を向けた。
「それ、前に手に入れ損ねて、喉に骨が引っかかっているみたいに気持ち悪かったのよねえ。それを私に渡すのなら、あんたを無事に帰してあげる。どう? 悪くない提案でしょ?」
憎い女が、赤い唇を開いたり閉じたりしながら、話しかけている。
見るだに吐き気がする。
こんな女がこの世に存在することが腹ただしくてしょうがない。
「この刀は、渡さない」
「はあ?」
「確かに、僕はひどいことを考えていた。殺人未遂とも言える。でも、お前は本物の人殺しじゃないか。誰が、お前の言うことなんか聞くか。どうせみんなのことも、帰すとか言いながら殺すつもりじゃないのか!」
強く言葉を出すと、力が少し湧いてきた。
腰を落として重心を安定させ、腹式呼吸をして呼吸を整える。
なのにまたしても女の吐いた言葉に精神を揺さぶられた。
「う~ん、そうねえ。まあ、実を言うと、うん、その通り。ご明察」
女の答えに一同が絶句した。
あまりにも簡単に認めたことに、ユウも驚きを隠せなかった。
「ここで処理すると後片付けが大変なのよ。外の山まで連れてからか、もしくは家を調べて後日にするか、迷ったのよねえ。ま、でも、どこだっていいわ。片付けも私がやるわけじゃないし。会社の別部署に頼んでやってもらえば済むことだわ」
仕事の段取りを考えるように、女は人を殺す話をしている。
その様子を、ユウたちは呆気に取られて見ていた。
この女が殺すと言っているのは、自分たちだと認めたくないという心理が働いているのかも知れない。
「ここは門外不出、企業秘密。絶対に外へ情報は出せないの。同業者だって見つけたら即排除するのよ。昔は、迷い込んだ素人は放っておいたんだけどね。今は情報化社会が進みすぎて、素人のほうがよっぽど恐いわ」
ユウは柄を持って振った。勢いで鞘を抜く。
女が目を瞠った。
連れの三人がユウのそばへと身を寄せてきた。
虎ちゃんからはあまり警戒心を感じなかったが、リースと芙蓉は恐る恐るであった。
「ふぅん、刃向かう気なの。まあ、そうするしかないだろうけど。でも、あんたなら分かってるでしょ。私がとお~っても強いこと。だからこそ、その子たちの命を吸おうと考えたんじゃないの? その刀で私を殺せると思うなら、やってみたらぁ?」
女に警戒しつつそばの三人を見ると、ひとり虎ちゃんだけが肩の力が抜けていた。
すぐにでも動けるような脱力の体勢だった。
瞳には抜け目ない光が宿り、名前通り虎視眈々と女の隙を伺っているように見える。
彼は目をユウと合わせると、瞬きだけで頷いて返したように思えた。
ユウにはそれが嬉しかった。
ユウは刀を正眼に構えて、大きく吠えた。
声を出さなければ、気を呑まれて居竦んでしまいそうだった。
女は笑みを絶やさない。
なんて腹ただしいのだろうか。だけど、もう選択肢はなかった。
考えてみれば、この女を殺すことが最終的な目標だったのだ。
今ここでやってしまえば、もうあれこれ画策しなくても済む。復讐は終わるのだ。
体を斜めにして、ユウは一足飛びに距離を詰めた。
何度も練習した技だった。腕は考えずとも自然に動いて、真横に薙ぎ払われる。
この刀の異常なほどの切れ味を活かした、無造作な胴斬りだった。
我流の剣でも、これなら簡単に敵を分断できる。
――はずだった。
腕は途中で止まっていた。
刀の物打ちが女の脇腹に当たる寸前だった。
ユウの胸は激しく早鐘のように鳴っていた。口の中がからからに乾いている。
どういうことか理解するのに、わずかな時間を要した。
何の事はない。自分で止めてしまったのだ。
女は何もしていない。
ただ、笑って見ていた。せせら笑いだった。
「動くなっ」
殺すつもりでかかっておきながら、自分でも失笑だと思った。
照れ隠しでもあった。
急いで切っ先を首に突きつける。それでも女は眉一つ動かさなかった。
「動くと、どうなるわけ」
「刺すっ、殺すっ、首をっ」
もう何を言っているか自分でもよく分からない。怯えながら、脅している。
下っ腹に力を入れ直した。
ぐっと奥歯を噛む。
この女を出し抜かなければいけない。
どうすればいい。いったい、どうすれば……。
女が手をかざした。
ゆっくりとした動作で、妙な意志は感じられない。
女は手を首元まで持ってきた。
そこにはユウが突きつけた刀の切っ先がある。女はその細く長い指を、すうーっと刀に当てて、引いた。
手品でも見ているかのようだった。
女の指は刀をすり抜けていった。人差し指から中指、薬指、そして小指と。
刀の先端から、ほんの僅かばかりの血が垂れた。刀を伝い、鍔元まで降りてくる。
それをユウは愕然と見ていた。
ぽとり、と指が落ちた。小指だった。
「あっ」と女が空中でキャッチして、また元の位置に戻した。
ぐっ、ぱっ、と握ったり開いたりをして、動くのを確かめている。
「失敗、失敗。あはは」
女のやったことは、刃物なんか意味ないわよ、というパフォーマンスだった。
見間違いでもなければ、もちろん手品でもない。垂れた血と、落ちた小指が物語っていた。
そもそも、この女の異様さは何年か前に見て知っていたはずだった。
それでもユウは体中の筋肉から力が抜けていく気がした。無力感を痛烈に感じていた。
気が付けば叫んでいた。
「虎ちゃん! 二人を連れて逃げてっ!」
言うや、人の形をした塊がもの凄い勢いで駆けていった。
女が無用な行為をした、まさにその瞬間を彼は狙っていたのだ。
女が捕まえようと手を伸ばしたが、彼のほうが刹那に速かった。
あとのことはあとで考えるとして、今はとりあえずこの女から逃げることが先決だった。
自分が女を抑えている間に、虎ちゃんに女子たちを連れて行ってもらう。
リーダーの器を持つ彼ならきっとやってくれるはず。それは奇しくも当初考えていた二手に分ける案と似ていた。
女が追いかけようと動きだすところを、ユウは女の喉に切っ先を当てて、押した。
手が震えた。両手とも震えている。
押した力はさほど強くなく、先端の尖った部分が少し肉にめり込んだ程度だった。
「ふふ。根性なしね。ここまでして、刺しきれないの」
女はからかったが、虎ちゃんはかなり遠くまで走り抜けていた。
このときになってユウは初めて、虎ちゃんが手を引いているのはリースだけだと気づいた。
女から目を離すのは危険だと分かってはいたが、思わず振り向いてしまった。
ユウの真横に、血の気のない顔をした芙蓉がへたり込んでいる。
「おっ、あっ、なんでっ。なんで付いていかなかったんだ!」
遠くでリースが振り返った。
リースは何か言いかけたようだが、虎ちゃんが無理に引っ張って連れていき、先程通ったばかりの分岐部を走り抜け、そして二人の姿は見えなくなった。
芙蓉はユウのズボンに手をかけて握っていた。
一方の手にはさっきユウが落とした刀の鞘を持っている。
顔色同様に、手も血の気が引いている。
きっと、虎ちゃんは二人を引っ張るのは無理だと判断したのだろう。
体が大きく気の弱いリースのほうを優先して引っ張ったのだ。
芙蓉は自力で付いてくるとでも思ったのではないか。そうに違いない。
彼は自分とは違って、他人を見捨てるような人間じゃないはずだ。
ユウは突如沸き起こるような恐怖を覚えた。
よそ見をして、女を視界から外してしまっていた。うなじの毛がびりっと立つ。女が殺気を発している。
恐怖に駆られ、女の姿を確認しないまま、気配のするほうへ無茶苦茶に刀を振り回した。
手応えはなかった。
ただ、そこらの壁石や床に赤い血が少しだけ、飛沫のように飛び散ったのが視界の端に映った。
女を再び見ようともせず、ユウは芙蓉の襟をつかみ、無理矢理立たせて走り出した。
背中から呪詛のような低い声が響いてくる。
およそ女の声とは思えなかった。
「あっちは帰り道、こっちは中へ行く、と。へ~え……」
がくがくと膝が抜けそうになりながら、ユウは走った。
右手には抜き身の刀、左手には芙蓉の小さな手を持って走った。
息が続く限り走ろうと思った。
途中で芙蓉が止まっても、引き摺ってでも進むつもりだった。
遠く、後ろのほうから、女のよく通る声が飛んできた。
さっきとは打って変わって、澄んだ音色の声だった。
それが尚のこと怖ろしく思えた。
「あんたたちー、先に行っててねー! あっちを先に捕まえたら、また探しに行くからあー!」
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