第6話 アドレッセンス 3 

「あらぁ、ほんと奇遇ねえ」


 壁からのぞき込んだ女は、ユウを見て意地悪くけたけたと笑った。


「CA(シーエー)、誰かいましたか」


 少し遠くから男の低い声がする。


「いたわよー、男の子が」


 CAと呼ばれた女はユウの肩を乱暴に掴み、引きずり出した。

 ユウは、何がどうなっているのか、見当がつかなかった。

 榊がちっと舌打ちをする。

 彼の前に、痩せた男と巨体の男が立ち塞がっている。


「どうします? こいつら」


 どうします、とはどういう意味だろう。あまり穏やかな感じはしない。


「そうねえ」


 女はユウの体をぽんっと榊の横へ突き飛ばした。

 榊が「後ろにいろ」と命令してくる。

 戸惑いながらも素直に従った。


「ここでなら、何も気にする必要はないわよね。そっちの男だけ殺しちゃって? 男の子のほうはあたしが処理するわ」


 女は色気を含む明るい声で指示を下した。

 簡単な仕事を分担するみたいな、軽いノリで言う。

 暗闇のなか、女たちの持つライトのおかげで、榊が立っている辺りと女たち三人の姿をはっきりと見ることができた。

 女の顔を見れば、にっこりと口元に笑みを浮かべている。ボブカットの黒髪が耳元で揺れている。瞳は黒目が大きく、目が合うと心が吸われそうになる。

 痩せた男が広い刃のナイフを取り出した。

 前屈みになり、ナイフを逆手に持ってゆらゆらと動かす。

 巨体の男は背中の荷物を下ろし、筒状のものを取り出して構えた。

 形状と持ち方からすると、ショットガンのような銃器に見える。

 本当にこの二人の男たちは、命令通り人を殺すつもりなのだろうか。

 榊から話を聞いていたにもかかわらず、ユウにはまだ信じられなかった。

 それは、あっという間の出来事だった。

 ユウがまぶたを一回、閉じて開く、それだけの間に起こった。

 痩せた男の首が横に飛んで、床に落ちた。

 ごろりと音がする。

 巨体の男ががっくりと膝から落ちて、どうっとうつ伏せに倒れた。

 すぐに血だまりが広がる。

 一際硬い足音がしたかと思えば、CAが飛び退いていた。

 気付いたときには、榊は抜き身の刀を引っ提げていた。

 ユウは何が起こったか、ようやく理解できた。

 榊が、抜き打ちで痩せた男の首を刎ね、返す刀で巨体の男を袈裟切りにしたのだ。さらに続いて女の足元も払おうとしたようだ。

 ユウは今頃になって急に心臓が激しく打つのを自覚した。

 同時に生温かい汗がだらりと垂れる。

 冷や汗と、脂汗が、混じっている。

 呼吸もいつの間にか速くなっている。

 あの刀、あんなに簡単に切れるのか、すごい。いや、それより、榊のおにいちゃんが躊躇いなく人を殺した。

 信じられない。こんなこと、現実なのだろうか。

 ユウの眼前に、斜めに裂かれた大男の胴体が倒れている。

 傷口は広く、それはむしろ断面と言ったほうがよかった。その断面の上層には黄色い脂肪が、下層には赤くて厚い肉がある。断面の内側には、黒い斑点のあるスポンジのようなものが見える。その下からは歪な風船のようなチューブが押し出され、どろりと垂れている。黄色い汚い網のようなものも出てきている。

 目を逸らしたかったのに、どうしても見入ってしまう。衝撃が強く、かえって吐き気も起きない。

 視界の端っこにはもう一人の体が目に入る。

 首のない体が横たわり、どくどくと血を吹いている。それも次第に勢いを失って、そして肉体に真の静寂が訪れた。


「あら、青臭いぼくちゃんが、随分と成長したじゃない」


 女はほんのちら、とだけ二人の男の亡骸に目を向けた。


「その刀、切れ味凄いわねえ。気をつけなきゃね」


 気をつけると言いつつ、女は真っ直ぐ無防備に向かってきた。

 握手でも求めるかのように、手を差し出してくる。

 ユウはその手に攻撃的な意志を感じた。

 と、いきなりその手が、ぼとりと落ちた。

 ユウがはっと目を瞠ると、女の手首から先がなかった。

 うめいて女が体を曲げる。


「いったぁ」


 目に見えるかどうかの早業だった。

 榊が女の手を刀で切り落としたのだ。


「おい、走るぞ」


 榊は呆けているユウの襟首を引っ張り、暗闇の中を猛然と駆け出した。

 ユウは体の向きを変えるいとまもあらばこそ、引っ張られるままにただ足を繰り出して転ばないよう走るしかなかった。

 榊に口を挟む余裕もなかった。

 そのままユウは全速力で走らされた。

 遺跡の奥へ、奥へ、と。

 音も光も、吸い込まれる闇のなか、ユウは榊の手だけを頼りにして走り続けた。

 走りながらも、ユウはどこかその状況にデジャブを感じた。

 榊に引っ張られて走る間、ふっと脳裏をよぎるものがあった。

 以前、自分は確かにここへ来たことがあるはずだった。

 そのときの記憶はほとんどない。

 ここがそうだという確信はなく、全ては榊のおにいちゃんが調べたことだった。

 しかし今、こうして遺跡のなかを駆けていると、見えないはずの闇のなかに遺跡内の通路が見えてくるように思えた。

 ただ手を引かれているだけのはずなのに、自分で道を選んで進んでいるような気がしてくる。

 もう暗闇に足を進めることに恐怖はなかった。はっきりと道筋が分かるのだ。

 ユウは確信していた。

 ここは、かつて通った道。

 たとえ見えていなくとも、そう断言できる。

 何も目に映らない暗闇のなか、延々と走り続けているうちに、次第にユウの意識のなかで幼少時の記憶と現在の感覚が混濁していった。

 遺跡内をひた走っていると、何も見えない先に小さな女の子の後ろ姿が見える。

 片手でしっかりユウの手を握って、懸命に走っている。

 同じく、何かから逃げているようにも見える。

 その子は頭の後ろが見えるだけで、肝心の顔はよく見えない。

 「こっちだよ」、「いそいで」、そんな言葉を聞いたように思えた。

 足をもつれさせ、前へつんのめった。

 榊の背中に鼻をしたたかにぶつける。

 「しっかりしろ」と言われてやっとユウは我に返った。

 榊は一旦、立ち止まって後ろの様子を伺った。

 女はすぐには追ってこないようだった。

 けれど猛烈に恐怖を感じた。

 その恐怖の元凶を置き去りにして自分たちは逃げている。

 呑み下せない異物が喉につっかえている気持ちだった。

 どれだけ走っただろうか、止まると急に息がまともにできなくなり、ユウは何度もえづいた。

 榊ですら息が上がっている。

 彼はへたり込んで戻しそうになっているユウの背中を、ごしごしと乱暴にさすってくれた。


「これだけ離せばしばらく大丈夫だろ。でもユウ、安心するなよ。多分逃げられないからな。追ってきたところを、物陰から不意打ちする」


「はあ、はあ……。あ、あの、おにいちゃん。んぐ……。ふー、ど、どういうこと、なの……」


 まだ息は整っていなかった。

 呼吸が落ち着くより先に知りたいことがあった。


「教えて……。ふー、はー。いったい、なにが、どうなって……」


 榊がユウの手を引いて、細かく二度曲がり、壁にもたれさせた。

 相変わらず真っ暗で何も見えないが、遺跡内の石室とおぼしき空間だった。

 じゃりと壁が擦る音がして、榊の気配が下に降りた。

 次いで何かをひねる音、液体を口に含む音、飲み下す音がする。

 榊は座って水筒の水を飲んでいるようだ。ユウもそれに習った。


「あの女は、まずい。あれに比べたら、一緒にいた男たちなんかただの木偶だ」


「そんな、まさか」


 ユウには信じられない。

 榊がどうしてそんな言葉を口にするのか分からない。それに、どう考えても榊のほうが強いと思う。切れ味抜群の刀も持っている。


「手……切ったよね……」


「あんなの、あの女には傷のうちにも入らん。すぐにくっ付くだろうな」


「うそ」


「うそなもんか、本当だ」


 人間の体が、そんなプラモみたいに簡単にくっ付いたりするはずがない。


「あの女はな、『命術(めいじゅつ)使い』だ。まともな人間じゃねえんだよ」


「めい……。え? なに、それ」


 そこまで言って、榊は黙った。

 暗闇のなか、榊の息づかいが聞こえる。

 もう榊の呼吸は整っていた。

 それなのに何故か黙ったまま、次の言葉を発しない。

 自分の心を落ち着けようとしているようだった。闇に乗って、彼の迷いが伝わってくる気がした。

 榊は今、どんな顔をしているのだろう。

 いつものどこを見ているか不明瞭な目線を闇に彷徨わせているのだろうか。

 それとも自分のほうを見て思い悩んでいるのだろうか。

 どれくらい時間が経ったろうか。ほんの数分しか経っていないかも知れない。榊はようやく沈黙を破った。


「ユウ、お前、命ってなんだと思う」


「え?」


「命ってのは、どういう機能だと思うか、って聞いてんだ」


 まったく唐突な質問だった。今の状況とどう関係があると言うのだろう。


「……自己を複製する、とか授業で習ったと思う」


「それだけか? 本当にそれだけだと思うか? 少なくとも、この遺跡を造った文明人はそうは思っていなかったみたいだな。なあ、ユウ。これまでに、遺跡文明のことを何度か講義してやったよな。けど実は、一番重要なことを教えていなかった。わざと、だ。ここと大いに関係あるからな。お前の思い出を下手に刺激したくなかったんだ」


 ユウは榊の言葉に静かに頷いた。

 それが向こうに見えたかどうかは分からない。だが多分、見えたはずだ。

 榊のおにいちゃんは、ユウが一人で勝手に先走らないよう注意を払っていた。この遺跡の場所だってぎりぎりまで内緒にしていた。

 その『一番重要なこと』というのを教えてくれなかったのも、きっと同じ理由からだろう。

 気遣いは嬉しいが、なんだか信用されていないようでちょっと寂しい。

 榊は訥々と話し始めた。


「エントロピーって言葉があるだろう。熱力学第二法則、物事はすべて乱雑な方向へ向かうっていう法則だ。諸行無常、この世のものは全て、細かく崩れて、乱雑に散らばってゆく運命にある。宇宙の絶対法則だ。ここまではいいか?」


「う、うん」


「じゃあ、生き物はどうして体を保つことができる? 死んだらエントロピーに従って腐って土に還るが、生きているうちは体を保っていられる。何故だと思う?」


「えっと、それは……」


 そんなことをユウは考えたこともなかった。

 だけど考えてみればたしかに、生きているうちに腐らないのは奇妙だ。


「ごめん……、わかんない」


「それはな、外から栄養を取り込んで、体を常に再構築しているからだ。生き物は結局エントロピーを克服していないが、再構築を繰り返すことでエントロピーの波をうまく乗りこなしているんだ。命の機能ってのはそういうことだ。その命の特性とも言うべき機能をエネルギーに転用しようとしたのが、この遺跡を造った奴らだ」


「命を、エネルギーにしたってこと?」


「そうだ。命の特性を応用の利く形に変換して、様々なものを造り出した。下りの階段で見た壁石しかり、俺の持つこの刀しかり、だ。ほかにもたくさんある。どれも命を動力源にして動く、一種の永久機関だ。そしてそれを研究して、復活させようとする連中が現代にいる。あの女のようにな」


「そんなことがもし、出来るようになったら……」


「ああ、考えるだけで恐ろしい。火に薪をくべるようにして命を燃料にするだろう。ただ、今の時代でもかなり理解困難な技術らしくてな、まだ完全にものにしてはいないようだ。もっとも、一部は復活できている。道具だけじゃねえ、人間自身に命のエネルギーを注ぎ込んで、魔法みたいな技を使えるようになっている」


「それが、命術使い? それがあの人なの?」


 かちり、と刀の柄が鳴った。

 榊が握り直したようだ。小さく、榊の喉が鳴った。

 榊のおにいちゃんが、緊張している。

 へらへらしたいつもの態度からは想像できないことだった。

 本当に今、どんな顔をしているのか見てみたかった。


「そんなにあの人のことが恐いの?」


「ああ恐い。勝てるかどうか分からん」


 ユウには事情がうまく飲み込めなかった。

 この場で詳細な事情を聞くのはなんだかはばかられた。

 何より榊のおにいちゃんよりも、当人を前に聞いてみたいと思う。

 ユウは意を決して提案した。


「僕、おとりになろうか?」


 はっと、短く息を吸う音がした。

 そして、すぅーっと吐く音が続いた。


「ああ、頼めるか。そうだな、お前ならできる」


 榊はあっさりとお願いしてきた。

 ユウの立場を考慮してなのか、それとも命術使いに確実に勝つためなのか、分からなかった。

 作戦を立て終わった頃、気のせいか妙に空気が禍々しく感じられてきた。

 榊がユウの肩に手を置いた。

 言葉にはせずとも、頼むぞ、という気持ちが込められているように思える。

 禍々しさはさらに増した。ひりひりとして、肌が灼けるようだ。

 どうやら、女が追いついてきたようだった。

 二人して石室内で息を殺していると、かつん、かつん、と靴音が近寄ってきた。

 「どこにいるのー」、「出てきてー」と声がする。

 少し上擦った、場違いな色気を含む声だった。

 靴の鳴る音と、どこへとなく話しかける声は段々と大きくなってきた。

 ユウは暗がりの中、手探りで壁伝いに歩き、声のするほうへと寄っていった。

 静かに、慎重に音を立てないように歩いた。ともすれば足が震えて、へたりそうになる。

 一歩、進むごとに恐怖がいや増した。

 かつ、と靴の音が止まった。

 音はユウの目前まで来ていた。

 黒い闇に包まれて何も見えないが、正面に女が立っているのが感じ取れた。

 ユウはつばを飲み下して、腹に力を入れた。


「あの……」


「あら、一人? どうしたの、あの人はどこ?」


 ユウの鼻にふわっと香が漂ってきた。柑橘系の香水の匂いだった。

 耳に、固い糸の束のようなものが触れる。

 女の髪だと気付いた。ボブカットの髪が、耳に触れるほど近くにある。

 女の顔がどこにあるのか想像して、ぞくりと背筋が凍った。

 きっと女は身を屈め、ユウの頬に触れるかどうかの位置に顔を寄せているのだろう。

 手を伸ばせば届く距離にいる。今にも肩をつかまれるのではないかと怯えた。

 暗闇は深く、これほど近くにいてもユウには相手が見えなかった。

 女のほうには、どういう原理かこっちが見えているようだった。


「ね、あの人と話がしたいの。さっきの殺すっていうの嘘だから。話し合い、しましょ」


 耳たぶのそばで言葉が生じている。耳殻に吐息がかかる。息に籠る、熱を感じる。

 ユウはなけなしの勇気を振り絞った。

 自分には油断して近づくと踏んでいた。

 ここまで近いなら、見えなくても組み付くのは簡単だった。

 大きく腕を回して、相手に両手を巻き付けた。密着すると、スーツの滑らかな感触が顔に当たる。回した腕にはスーツを通して柔らかい部分が感じられる。その上に細い骨が並んでいるが分かる。

 どうやら脇腹に引っついたようだ。

 女は動じなかった。

 余裕か、おふざけか、ユウの頭を撫で撫でしてくる。

 肩にも手が置かれた。一方で別の手はまだ頭を触っている。

 ちゃんと二つの手がある。そんな、当たり前のことにユウは恐怖した。

 榊の言うとおり、女の手は元通りになっているようだった。

 二人がそのままの状態でいると、斜めから風を切る音がした。

 何かが勢いを持って飛んでくる。それはばしっと乾いた音とともに止まった。


「なにこれ、キックのつもり? だめねえ。こんなの、わたしには通用しないわよお」


 榊の奇襲は、いとも簡単に防がれてしまった。

 ユウは今だとばかりに組み付いた両手をほどき、背中に背負ったバックパックへ差しておいた抜き身の刀を抜いた。


「あぁー、それも見え見えだから」


 即座に、刀を持つ手を女に捻りあげられてしまった。

 そのまま反転され、女の前に盾にされる格好となってしまう。

 首にもう一本の手が回されて軽く締め上げられる。

 引き寄せられ、今度は背中が女と密着する。

 ふんわりとした柔い感触がする。ユウの頭のてっぺんに、女の尖った顎先が当たる。


「この刀、あなたの生命線とも言えるのに。馬鹿ね、こんな子に持たせるなんて」


 女は刀をユウの腕ごと前方へ振るった。

 抵抗しようとしても思ったとおりに体が動かない。

 がきんっと激しい金属音が響き、暗闇に火花が散った。

 一瞬、榊の目元と頬が照らされて闇に浮かぶ。

 腕を介して、刀が固い物に当たって弾かれたことが分かった。

 接した背を通じて女の動揺が伝わってきた。ユウも驚いていた。

 あの異常な切れ味を誇る刀を遮るようなものを、榊は持っていただろうか。

 ごつ、がつ、と鈍い音が数回、間近で連続した。

 続いて女がううっと呻いて、崩れ落ちた。

 ユウが何も見えないまま往生していると、スーツのすれる摩擦音がした。

 女の弱い声も聞こえる。

 音からすると、榊が女の体をてきぱきと拘束しているようだ。

 ぱっとライトが光を出した。

 急に視界が明るくなる。無意識に目をかばい、ユウは闇へ視線を戻した。


「眩しかったか? 悪い悪い。見えなくて困ってると思ってな。隠れるためにライトは使わなかったが、もういいだろ」


 目を何度かしばたたかせていると、ようやく明るさに慣れてきた。

 ライトの光は広く、強く照らされている。

 CAと呼ばれていた女が、手足をビニールテープで巻かれて蓑虫のように倒れていた。

 こめかみに腫れと赤みが見られる。顔が苦痛に歪んでいる。


「すまねえな。ちょっと鞘でぶっ叩いた」


 榊は女に向かっていやらしく言い放った。

 さっき榊はCAのわずかな動揺を突いて、鞘を使い当て身を食らわせたのだ。

 途中、刀による攻撃を防いだのもあの鞘だろう。考えてみれば鞘は刃を納めておくものだ。しかもあの刀に限っては、納めるのはただの刃ではない。異常な切れ味の刃なのだ。鞘が切れ味に負けては意味がない。きっとあれも普通の材質ではないのだ。

 数回音が続いたのは、頭と脇腹、脛と三ヶ所を叩いたからだと榊は説明した。

 CAは、憎々しげに榊とユウを見上げた。

 目元に色気は残したまま、三白眼となって見上げるさまは凄艶という言葉がぴったりだった。


「やってくれたわね……」


「これくらい、どうってことないだろ。さっき切った腕もちゃんと付いてるみたいだし。にしても、会社ご自慢の命術使いもこうなっちゃ形無しだな。ビニテをちぎることだってできやしない」


 女はぐっと悔しげに唇を噛んだ。

 その首元に、榊は刀の刃を当てる。


「疑わしい動きは一切するな。したら、すぱっと切るぜ。いいな、すぱっ、だ」


「今、やりゃあいいじゃないのっ! 遠慮することないわよっ。ずっとそうしたかったんでしょっ!?」


 ユウは二人のやり取りを不思議に思いながら聞いていた。

 この二人には、一体どんなことが過去にあったんだろうか。

 親しみと、憎しみが入り交じった奇妙な関係に見える。

 二人の男女の間に、ユウが入れるような空気はない。

 膨らんだり縮んだりを繰り返し、今にも破裂しそうな空気だった。

 ユウは二人の会話を聞くのはおろか、見るだに怖ろしかった。


「こんなチャンス、二度とないわよ。本当に今やらなくていいの? あとで絶っ対、後悔するから」


「まあ、そんときは、そんときだ。かまわねえよ」

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