第5話 ジュブナイル 3

 リーシャイン・絵理・メルヴィルは、アメリカ人の母親との間にできたハーフだった。

 ハーフと言うと、ユウはタレントやアナウンサーで活躍する人たちを連想する。

 エキゾチックとオリエンタルが絶妙に融合された姿は、見る人を魅了してやまない。

 だが一概にハーフやクオーターはそんな外観の人ばかりではないようだ。異国の要素ばかりで東洋の特徴が消えていたり、年齢不相応に大人びて見えたりすることもある。

 リーシャイン、つまりリースはそんなハーフの一人だった。

 彫りが深い顔立ちで、鼻は高く、肌は白く、瞳は碧く、髪はくすんだ金髪をしていた。

 母親の血のほうが強く出ているようだった。

 彼女は誰が見ても純粋な白人にしか見えなかった。

 さらに加え、小学生のときにはすでに身長が百七十センチを越えて、到底小児と思えないほど肉感的に成長してしまっていた。

 大人の服装をして歩けば、白人の成人女性として充分通用したことだろう。

 ユウだって前もって彼女のことを知らなければ、英語の講師か何かとでも勘違いしたと思う。

 彼女にとっての不幸は、外見の派手さからは思いもつかないほど中身がナイーブで臆病だったことだ。

 ギャップはときにより本人の魅力を引き立てるが、このギャップは正直あり得なかった。

 リースが中学に上がったとき、西洋的な美貌とグラマラスな体型であっという間に有名になった。

 学校中知らない人はいないほどだった。

 当初、彼女はことある毎に周囲から声をかけられた。

 クラス内の女子の仲良しグループからファミレスやカラオケに誘われ、体格を見込んだ運動部からいくつも勧誘がかかり、学年問わずたくさんの男子から交際を申し込まれ、彼女はかなりの人気者だった。

 だが当の本人はそれをあまり嬉しく感じていなかったようだ。

 そしてそれが徐々に周囲にも伝わり始め、一ヶ月もすれば潮が引くようにして近づく人間の数が減っていった。

 リースは極度に内向的な性格で、しかも積極性というかやる気というものがなく、いつも何かに怯えているかのように振る舞っていた。

 引っ込み思案で、自分の気持ちを言葉にするのが不得意で、下を向いて歩くのが癖になっていた。

 大柄で一見大人に見える彼女がおどおどしている様は、周囲に苛立ちを感じさせるものだったようだ。

 彼女は次第にクラスから孤立していった。

 自然の成り行きだった。

 気づけばリースは誰からも話しかけられなくなり、それどころか無視されるようになった。

 学校生活を送る以上は、どうしても他人と口をきく必要に迫られる。そんなときはリースも仕方なくクラスメートに対して言葉を発するのだが、返事をされることは少なく、ときには『いないもの』として対処されることもあった。

 彼女はこのいじめのような扱いを、ただ平坦に受け止めていた。

 怒ることはおろか、悲しむ様子もない。

 平静なままだった。

 あんまり平然としているので、感情がないのではと、不思議がられる始末だった。

 目立っていじめようとする生徒がいなかったのは、あまりに派手過ぎる外見のために周りが気後れしたせいかも知れない。

 それだけが救いだったと言える。

 ユウはリースのことを全くと言っていいほど知らなかった。

 知っているのはハーフだということだけで、あとは噂や又聞きだけだった。

 中学三年で初めて同じクラスになったが、教室内で一人たたずむ彼女を見たとき何とも言えない切ない気分になってしまった。

 見た目の存在感があるのに、まったく誰とも繋がっていないのだ。

 会話だけでなく、目線ですら他人と交わることがない。

 浮いている、という表現は彼女のためにこそあると思われた。

 リースの日常はある意味異常だった。

 彼女は学校内のほとんどの時間を自分の席に座って過ごした。

 昼休みなど授業がないときは机に突っ伏して寝ているか、スマホをいじっているか、大抵はそのどちらかだった。そしてたまに席を立ったかと思えばお手洗いに行った。

 クラス内のどのグループにも属さず、どこの部活にも入らず、ずっと一人の世界で半日を締めくくっていた。

 当然、友人などいるわけがない。

 修学旅行の班編制の際にユウたち『はぐれ組』に放られたのは当たり前と言えば当たり前だ。

 修学旅行の準備のため集まったとき、ユウは初めてリースとコンタクトを取ろうとした。

 意思疎通ができたかどうか怪しいものだ。自由時間中にどこを観光したいか聞いてみても、迷惑そうな顔をして、ようやく分かるほど小さく首を横に振ったくらいだった。

 到底返事になっておらず、あれはどういう意味だったのか未だに分からない。

 そんな彼女だから旅行中、ほとんどユウたち男子と口をきくことはなかった。

 唯一話すのは芙蓉くらいのものだった。

 ユウはリースのようなタイプの人間を、極めて危うい存在と考えている。

 内向的で臆病だから一見、人畜無害そうに思えるが、こういう人間は概して押しに弱く、簡単に誘惑に負け、またコミュニケーションを取ろうとしないので他人に相談しようとせず、結果として種々のトラブルを招きやすい、そう考えている。

 修学旅行中にリースが地元の男にナンパされたことがあった。

 彼女の外見ならナンパもされるだろう。

 それも大学生や社会人に。

 そのときのナンパ相手も明らかに中高生ではない、大人の臭いのする男だった。

 それ自体はユウにとって問題ではない。問題は彼女がはっきりと断らなかったことだ。

 相手は押さば押せ、引かば押せとばかりに強引なアプローチをやめなかった。

 ユウは班長ということもあり、仕方なく両者の間に割って入った。

 「僕たちは修学旅行中の中学生です」と声高に言うと、相手は大袈裟に驚いてあっさりと身を引いてくれた。

 あれが話の通じない暴力漢だったらと思うとユウは肝が冷えた。

 リースにはトラブルを自力で対処する能力がない。その上、無自覚に周囲を巻き込む。

 ユウはいつかまた彼女がトラブルを呼び込むのではないかと不安で頭が痛くなった。

 幸いにしてそれ以外は特に何事もなく、旅行は無事に終わってくれた。

 そして同じ班という束の間の関係性も終わった。

 考えてみればあの班はリースにとって他人との初のコミュニティだったかも知れない。

 リースがユウや虎ちゃんと知り合って何を思ったのか、その心の内を知る手がかりはまるでない。

 嬉しかったのか、鬱陶しかったのか、それとも何も思うところはなかったのか。

 修学旅行中、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけユウとも話せるようにはなったが、それで何が変わったというわけではなかった。彼女の笑顔すら見たことがない。

 ユウはリースのことをほとんど知らないままだ。


「わたしたちのこと、殺すつもりなのね……。そうとしか、そうとしか思えない……」


 リースは悲愴な顔でつぶやいた。消え入りそうな声だった。

 ユウに対して言った台詞だが、ユウに顔を向けてはいない。

 自分に言い聞かせるかのように言っていた。


「そんなことはない、殺すつもりは、ないよ」


 答えてから、しまったと思った。

 これでは殺すつもりはなくとも、別の意図はあるように聞こえてしまう。

 案の上、リースは顔を引きつらせた。


「なんで、わたしたちを連れてきたの? 何がしたいの?」


 絞り出すような声だった。そうしてとうとうしゃがみ込んでしまった。

 金色の髪がこめかみから頬にかかっている。髪先が滲んだ汗に濡れて張り付いている。

 瞼は閉じられ、睫毛に細かな水滴が乗っている。雨のあとのクモの巣に似ていた。

 芙蓉が、リースの背中と肩に手を置いた。

 一瞬、びくっと体をわななかせる。

 虎ちゃんは立ち竦んだまま、成り行きを見守っている。

 ユウはリースの質問に答えられずにいた。


「教えて、おねがい……」


 白い頬の膨らみに沿って、涙がすーっと流れた。声がかすれ、いっそう聞き取りにくくなる。

 ユウはこのままではとても協力を得ることはできないと考えた。

 ここでリースの言葉をないがしろにすれば、ほかの二人も納得しないだろう。

 思うとおりの結果を望むのなら、ここは真摯に答えるべきだと判断した。


「僕は、ある人に復讐したいんだ」


 最初に、はっきりと目的を述べた。そのほうがいいと考えたからだ。

 リースは泣いたまま、薄く瞼を開けた。碧い瞳がユウを捉えている。


「何年か前のことだけど、その人のせいで僕は大切な人を失ってしまった。僕は許せない。必ず、復讐すると決めたんだ。みんなには僕を手伝って欲しいんだよ」


 言い終わるや否や、芙蓉がいきりたった。


「なんで、なんであたしたちがそんなことしなくちゃいけないの!」


「……とても恐い相手なんだ。一人じゃ勝てるかどうか分からない。でも、僕には自慢じゃないけど友達と呼べるひとはいなくて」


「それで、あたしたちを仲間にしようとしたの? でも、それとこの遺跡とどう関わりがあるのよっ」


「僕の大切な人も、その人を死なせた相手も、どちらも同業者だったんだ。実はここと似たような遺跡を探索して回っている人たちがいる。同業って、そういう意味。みんなに伝ってもらうにあたって、どうしてもこの遺跡文明のことを知ってもらう必要があったんだ」


 リースはえぐえぐとしゃくり上げながらも、果敢にユウのことを見つめていた。

 涙で濡れた睫毛の間から、ユウのことを見つめていた。

 少し、斜めを向いて、うつむき加減で、時折手で涙をぬぐいながら。


「その人って、なんで死んだの……」


 ユウは思い出す。あの日のことを。

 あんな残酷なものを、幼かった頃のユウは生で見てしまった。


「殺されたんだよ。だから、復讐するんだ」


 少し、恐い顔をしていたかも知れない。

 リースはまたユウから目を逸らして、地面を見つめた。


「それって、ユウくんが一人暮らしをしていることと、関係ある?」


 虎ちゃんが後ろから聞いてきた。

 まったく、嫌になるほどいい勘してる。

 返事をせずにいると、リースは少し話題を変えてきた。


「ここって……本当に一体何なの……。命をエネルギーにするって言ってたけど……」


「僕も大まかにしか知らない。大昔にできたのは間違いない。でも、正確にいつできたか、どんな人たちが造ったかは分からない。研究している人たちはいるけど、まだきちんと把握されてはいないんだ。分かっていることは、遺跡に残されたものが生き物としての特徴を持っているってこと」


 虎ちゃんがその言葉に敏感に反応した。


「生き物? それってどういうこと?」


 ユウは、青い光を灯した壁石を例に挙げた。お社から降りる石段にあった、弾力のある生暖かい壁石だ。

 あれは単に岩石から切り出したものではなく、人工的に造られた模造生物とでも言うべきものだ。

 周囲の砂や微生物を吸って新陳代謝を繰り返し、自己補完を半永久的に行う。

 だから放射性同位元素の測定でも正確な年代が分からない。

 あの青い光は、酵素を使ってATPを消費し、蛍や深海魚と似たような方法で発している。

 そこまで説明して三人を見回すと、一様に不可解なものを見る目でユウを眺めていた。

 唐突にこんな話をされたらそうなるのは仕方がないが、実際にこうやって見ているのだから信じてもらいたいと思う。


「この辺りにいっぱい飛んでる、ムシみたいなのも、そうなの?」


 芙蓉が目をすぼめて疑わしそうに、頭上や足元に広がる空間を見つめた。

 長く続く回廊には、音もなく静かに青い光の群れが飛び交っている。

 きら星のごとく強く輝くものもあれば、渦を巻いて星雲のような形を作っているものもある。

 ユウはそうだ、とだけ答えた。

 厳密には違うが理解できるように話すのがめんどくさい。あれは未加工のままの『原石』の輝きだ。だが原理は同じなので別に説明は省いてもいい。

 それにしても、いまいち信じてもらえていないようだ。

 ストレスが腹に溜る。

 ユウはもう一つ例を挙げてみることにした。


「実は、この刀もそうなんだ」


 ユウは黒い鞘をずいと突き出した。

 リースがびくっと体を震わせる。


「上で岩を切るのを見たでしょ。ただの金属じゃ、いくらなんでも岩は切れないよ。これはね、刃が触れた物体の結合を『食べて』瞬時に切り離しているんだ。こう見えて生きてるんだよ」

 本当は生きていると言っていいか疑問だ。授業で習った生命の定義には当てはまらない。


「どれだけ固い物を切っても刃は曲がらない。欠けてもすぐ直る。傷が癒えるみたいに」


 女子二人が胡散臭そうに眉をひそめているなか、虎ちゃんはなにがしか思案しているようだった。そして口を開いた。


「あの、ニンギョウも?」


 ……言われると思った。

 正確にはちょっと違うが、大本は同じだと答えておいた。

 青く光る壁石やユウの持つ刀が、中世や近代の人たちの手によって遺跡内に残された物質から加工されたものであるのに対し、黒いニンギョウは遺跡文明の遺物そのもので後世の手は加えられていない。

 加工品はこれからも造ることはできる。材料さえ見つかれば。

 だがオリジナルの遺物のほうは技術が失われているうえ、数が少ないためまともに研究もできておらず、希少価値が高い。

 話し終えると、虎ちゃんの顔は益々思案げになっていた。


「ユウくん、なんでそんなに詳しいの?」


 ユウは顔にこそ出さなかったが、ぎくりとした。

 虎ちゃんの質問が、話の根拠を求めているのではなく、情報源(ソース)を聞きだそうとしているように思えたからだ。


「それは、さっき、話した通り……。教えてもらったんだよ。その……殺された人に」


 これは嘘ではない。だが全てでもない。

 隠したいことを隠すためには『本当』のベールで覆うのがいい。


「ひょっとして、どこかの本とかネットに載ってる?」


「さあ……知らないけど、どうだろ」


「ふ~ん」


 虎ちゃんは唇をとんがらせている。

 何か感づかれたかも知れないが、だからどうというわけでもない。スマホを取り上げておいたから、どうせネットには繋げられない。

 ユウは説明ついでに、本題を切り出すことにした。ちょうどいい頃合いだ。


「僕はずっと一人で調べてきた。でもそろそろ限界なんだ。仲間が欲しい。みんなには、是非、手伝って、欲しい」


 みんなには、ぜひ、てつだって、ほしい。と、わざと言葉を区切った。

 その合間に刀の鞘をぶらぶらと揺らし、それとなく脅してみる。


「それでね、さっそくだけどお願いがあるんだ。遺跡の最深部に入る直前にね、変な仕掛けがあって、二つの道から同時にアプローチしないと開かない扉があるんだよ。そのためには、ここからすぐのところにある分岐部で別々の道に進まなきゃいけないんだ」


 誰かが息を飲む気配がした。

 ユウは精一杯の微笑みを作って言った。


「だから一度、二手に別れよう」


 一様にみな、無言でこちらを見つめていた。

 顔色が悪く見えるのは、周囲の青い光のせいだけではないだろう。しょうがないか。


「え、いやよそんなの……。こんな、わけの分からないところ、歩きたくない……」


 リースが泣き言を口にした。想定内だ。


「大丈夫だよ。道は簡単。あとで教えるよ。細い脇道は無視してそのまま進めばいいだけ。危ないことは、何にもないよ」


 優しい言葉、作り笑顔、ちらっと見せるに留める刀。

 なんとかアメとムチを使い分けられているといいな、と思う。


「ぼく、最後まで行ってみたいな」


 虎ちゃんは好奇心丸出しだった。目が生き生きとしている。口元もほころんでいる。

 芙蓉とリースは顔を見合わせ、黙ったままだった。

 何も言わずずっと顔をつきあわせているものだから、なんだか目で合図しているようにも見える。何をやり取りしているのだろうかと変に勘ぐってしまう。


「行ってくれる?」


 二人の女子はユウの質問に答えない。

 だが、悩んでいる様子だった。

 悩むということは、絶対に嫌ということではないわけだ。

 ユウはこれを是と取った。


「ありがとう」


 情感を込めて、お礼の言葉を述べた。

 芙蓉が目線を合わせて、渋々といった感じでうなずいてくれた。

 リースも顔を上げないままに、同じくうなずいた。


 ――やった。良かった。


 最大の山場を乗り切った。ユウは心の中で快哉を叫んだ。

 気の変わらないうちに進んでしまおう。

 この場でユウは二班を編制することにした。

 虎ちゃんと芙蓉、自分とリースだ。そう提案すると、リースはいやいやとかぶりを振った。


「ふよーちゃんと一緒がいいっ」


「女子二人だけにはさせられないよ。……じゃ、虎ちゃんと一緒にしよう」


 またも左右に首を振る。金髪が振られて揺れた。

 結局、ユウの指示通りに進むという条件で女子二人、男子二人の班に決まった。

 当初の計画とは違うが成り行き上、仕方がない。

 女子たち、途中で帰ったりしないかな、と心配になった。

 リースが多少は平静を取り戻したので、ユウは三人をうながして歩行を再開した。

 列車に乗っていたときと同じく、四人とも誰もしゃべらない。

 リースと芙蓉を先へ歩かせ、自分は虎ちゃんと並んで歩く。

 分岐部で女子二人と別れたあと、しばらく留まって時間を潰そうとユウは考えた。

 そうすれば女子たちがユーターンして逃げても捕まえられる。

 二人の歩くスピードを計算に入れて、彼女たちが仕掛け扉の近くまで進んだ頃合いになったらもう一方の道を走って行こうと思った。

 虎ちゃんの運動能力は高い。重そうな荷物を背負っていても、走ることはできそうだ。

 そうこうしているうちに、そろそろ分岐部近くに来ていた。マップからすると、あと二、三百メートルくらいといったところだ。三人に周知させとこう。

 さあ、とユウが声を出そうと思ったときだった。

 リースが、何を思ったか急に立ち止まった。

 後ろを凝視したまま青い顔をしている。

 白人だからか、青ざめると目の下や頬が透けたようになる。冴え冴えとした月の色に似ている。

 ここへ来るまでの途中、リースが不安と恐怖のためか何度も何度も繰り返し繰り返し、後ろを振り返るのをユウは見ていた。

 自分のことを警戒しているのだと思っていたが、そうではなく、どうもリースは何かを探しているのだと気付いた。


「リース、なんだよ」


「どうしたの、リース」


 ユウと芙蓉の声が重なった。

 思わず二人は顔を見合わせる。

 すぐに芙蓉は不愉快そうに眉をひそめて、リースのほうへ向き直った。


「ふよーちゃん……、あたしの気のせいかも知れないけど」


「なぁに?」


「足音、四人分より多いなあって。誰か付いてきてるみたい。それに、なんだか視られてる感じがして気味悪いの……」


 ユウは肩を落として、苦笑いを噛み潰した。

 こんな洞窟だ、足音が壁に反射して響き、何人もの足音に聞こえてしまうのは仕方ない。

 視線だってそんなもの、気のせいに決まっている。

 こんなところまで誰が来るというのだ。

 リースは恐怖のせいで余計なことまで心配するようになっている。

 そう思いつつも、一方でユウは神社で感じた嫌な感覚を思い出していた。

 リースの碧い瞳は、普段見慣れている黒い瞳とは違うように思える。放射状にスリットの入った碧い瞳孔は、自分とは違うものを見ているように思えてしまう。

 彼女を見ているとこっちまで不安が伝染する。気の弱い女子はだから嫌だ。

 体が大きいのだからもう少し泰然としてもらいたいものだと思う。

 尚も立ち止まって振り返るリースの背中をぐいっと押した。Tシャツ一枚のうえ、汗ばんでいるので、薄い布を通じて熱い体温を感じる。

 不覚にも胸がどきっとする。リースが驚いてまた振り返る。

 別に下心があったわけではないと心の中で言い訳する。しかし後ろを歩く虎ちゃんに悟られていないか気になって、ユウも振り返ってしまった。

 そのとき、回廊のカーブから何かゆらゆらと揺れているのが見えた。

 影法師に似ていた。

 それが何であるか、無視したままではいけないと感じた。

 揺れたものは、回廊の土壁に映る薄い影だった。

 四方を飛び交う青い光が投影する、薄い透けるような影だった。

 周囲から柔い光を当てられて、丈の違う同じ形の影が放射状に並んでいた。

 それがユウには人影に見えた。

 それは決して見間違いや疑心暗鬼などではなく、そう思えたのだ。

 嫌な予感が急激に膨張し、背筋に寒気が走った。

 誰かが、後ろから付いてきている?

 逃げよう、即座にそう思った。

 リースに目を向けて、唇に指を当て、静かにするようジェスチャーで示す。そのまま、ほかの二人にも向けた。

 リースがかがんでユウの近くで囁いた。


「誰か、いるの・・・・・・」


 だから、喋るな。

 心のなかだけで毒づいた。

 びびられると面倒なので、上辺ではうなずいて返しておく。

 ユウは三人を見据え、回廊の先を無言でくいくいと指差し、に、げ、る、ぞ、と唇だけ動かして伝えた。

 そして有無を言わさずリースの手を取って走り出した。

 ひっ、とリースが短く悲鳴を上げる。

 睨むとすぐに黙った。

 虎ちゃんと芙蓉は驚いていたが、少し遅れて付いてきた。

 走りながら思考を巡らせる。

 考えてみれば、上の神社の有様からして奇妙な違和感はあった。

 前に二度、下見に来たときは結構荒れていた。それが小綺麗にされ、壊れていた部分も修復されていた。明らかに最近、人の手が入っている。地元の人が清掃し、修理をしたのだとばかり思っていた。

 けれどこの土地がすでに人手に渡っていたとしたらどうだろう。

 ちょっと前に三人に説明したでたらめを思い出す。

 自分はここが企業の私有地になっていると言ったが、それは嘘から出たまことなのでは? 

 この遺跡は現在、誰かの管理下にあるのではないだろうか。

 もしそうなら、侵入者を放っておくはずがない。

 後ろから、足音とはっきり分かる音が近づいてきた。

 もう疑いはなかった。

 何者かが自分たちを追ってきている。

 遺跡内で恐いのは罠でも獣でもなく、同業者だ。こんな所を管理する者がいるとすれば、それは同業者以外ない。

 追跡者はこちらが気づいたことを悟ったようだった。隠れているのはやめて、捕まえようとしている。

 怯えるリースの腕を引いて、一気に回廊を駆け抜けた。

 芙蓉と虎ちゃんもユウたちと離れまいと付いてくる。

 曲がりくねった道なので後ろを振り返っても追跡者の姿は見えない。

 懸命に走っているうち、とうとう分岐部にまで到達した。

 人が通れる高さの穴が二つ、ぽっかりと口を開けている。

 穴の輪郭には所々タイルのようなものが顔を覗かせて、人工的な分かれ道であったことをうかがわせる。

 どうやらもとは長方形だったようだが、雑草や土くれでおおわれ、単なる大きな穴ぼこと化している。

 その穴の奥のほうから流れ出るようにして、青い光が漂っていた。

 ざーざーと水が流れる音も響いている。音からするとかなりの水量が流れているようだ。

 ユウはここで二手に別れるのはもはや無理だと判断した。

 このままどちらかに行くしかない。

 どちらに入るかなど、どうでもいい。迷わないことが肝心と、特に理由もなく左側へ進むと即断即決した。

 走っている勢いのまま左側の穴に飛び込もうとしたが、しかしほかの三人がブレーキをかけて止まってしまった。

 ユウは焦りで地団駄を踏みたくなった。

 だがここで癇癪を起こしても意味はない。ぐっと堪える。

 虎ちゃんがそろそろと近づいて穴に顔を入れて、左右を見渡した。

 芙蓉は距離を取ってそれを眺めている。

 リースは足を地に刺してのけぞり、ユウがどれだけ手を引いてもテコでも動こうとしない。

 すんなりと入ってくれない三人に業を煮やし、ユウは多少、強硬手段に出た。

 虎ちゃんの背中をぐいっと押して穴へ放り込み、腕を引っこ抜くつもりで思いっ切りリースを引っ張った。

 バランスを崩し、体ごと彼女が倒れ込んでくる。豊かな胸が、肩と背に当たる。こんな状況でなければ嬉しいのだが、そんなこと考えている暇はない。

 さっさと逃げたほうがいい。

 穴から中へ這入ると、一層明るい青い灯が辺りを支配していた。滲むような、浮かぶような、そんな青色の明かりが幾つも灯り、周囲を照らしている。

 岩肌の一部の所々には、太い気の根のようなものが見え隠れしている。上の進入口を塞いでいたものと同じものだろう。これも淡く青の光を帯びている。

 地下遺跡なのに意外なほど明るく感じる。足元もちゃんと見える。先の通路も分かる。

 足場の悪い下り坂に、かつて人が住んでいたと思われる跡地が並んでいた。家とは思えない。生活の痕跡がまるで見られない。作業場、というイメージだった。

 壁の半分以上が崩れ、中が丸見えだった。横道だけしか残っていないものもある。何度も盗掘にあったせいか中はがらんどうで何もない。

 さながら廃れた炭鉱だ。

 ゆらゆらと動く青い照明のもと、もの悲しさとわびしさを伝えてくる。

 水の音の出所を探すと、あちこちに大きめの河くらい幅のある水路があった。

 青く照らされ、水面がゆらゆらと瞬いている。ざばざばと水の流れる音が響いている。

 上で見た景色ほど素晴らしい景観ではないが、これはこれで趣がある。

 残念ながら、立ち止まって眺めている時間はなかった。

 一回振り返ったが、追っ手はまだ見えない。

 ユウはこのまま一気に走り去ってしまおうと考えた。

 だが、そうそう思う通りにうまくいかなかった。

 手を引いていたリースが地面のでこぼこに足を取られた。

 成人並みの大柄な体が、前のめりになる。つられてユウも体勢を崩した。

 ユウがリースの脇をかかえ、起き上がらせようとするが、体格に差があってうまくいかない。本当にでかい女子だった。

 リースは泣き言を言った。


「なんで逃げるの・・・・・・? わたし、もう走れない・・・・・・」


 芙蓉と虎ちゃんが手を貸してくれて、なんとか彼女を起き上がらせる。

 リースは腰を折った姿勢で、荒い息をしていた。


「ねえ、追ってきてるの、ここの土地の人なんじゃない? だったら勝手に入ったことを素直に謝ったほうがいいんじゃないの?」


 芙蓉が言うことはもっともだと思う。

 ただし話の通じる相手なら、という前提だ。


「とにかく、まずは逃げきろう。どこか隠れる場所を探してやり過ごして、相手の出方を見よう」


「いやっ!」


 リースは突然大声を出した。

 もういやだ、走れない、帰りたいと繰り返す。

 大人と変わらない姿の彼女が金髪を振り乱し、駄々をこねるように叫ぶのを見苦しいと思った。

 まるで洋物のB級ホラーのワンシーンだ。

 途方にくれていたそのとき、背後に強烈な気配を感じた。

 降って湧いたような気配に振り返ると、一人の女が遺跡内の通路をゆっくりと歩いてくるのが見えた。

 しまった……っ。追いつかれてしまった。

 青い灯が蛍光灯のように女の体を照らす。

 徐々に、その全体像が明らかになる。

 その姿を見て、ユウは全身の血の気が引く思いがした。

 まさか、そんな。

 あの女、あの女は、まさしく自分が探していた相手だ。

 しかし、相手は自分のことをちゃんと覚えていないのだろうか、その視線は四人に均等に注がれている。

 横目で見れば、芙蓉も、虎ちゃんも、リースも、女のいるほうを向いて凝視していた。

 女が、かつかつと足音を鳴らして近づいてくる。

 芙蓉がちら、と自分を見た。

 なんでこっちを見る。目が合わないように視線をずらす。

 虎ちゃんはちょっとだけ後ずさり、背負ったリュックのベルトを握っていた。リースは泣きやみ、顔を涙で濡らしたままへたり込んでいる。

 視線を前に戻したとき、もう女はユウたちの目と鼻の先にまで来ていた。

 女は全員の顔を順番に見渡していき、ユウの顔で目をとめて……。

 にたりと気味悪く笑ってから言い放った。


「あらぁ。奇遇ねえ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る