第3話暁先生

「暁先生。」


「...。」


「昨日はまた休まれたんですか。」


「はい。」


「最近、急に体調が悪くなるのは大変ですけれど、

できれば、あまりお休みなさらないでくださいね。担当の方たちに迷惑をかけてしまいますから。」


「すみません。」


「そういえば、201号室の患者さん、先生担当ですよね。先ほど目を覚ましたようですよ。」


「そうですか...。」


「それにしても、困りましたよね。

入院していた市立病院の外で倒れているなんて。何度か前例があるようですし。

夢遊病ですって、先生気をつけてくださいね。」


「はい。」





「...。」


白い天井。


「わたし、また...。」


覚えている。


私は、病院の窓を開けて、飛び降りた筈だった。


頭やお腹、胸を触ったけど、何も不調はないようだった。


...。


また、助けられちゃったのかな。


においで分かる。


ここはあの人がいる場所。


妙に真っ白な病院だ。


ガラっと音がして、白衣を着た人が入ってきた。


あの人だ。


「真壁さん、

調子はいかがですか。」


「...暁先生...?」


「...。」


「名前、看護師さんにきいたんです。

先生が私の担当だって。」


「なるほど。熱とか測った?」


「はい、異常はないって。」


「それはよかった。

今日は一応、一通り検査して、明日には退院できるから。」


「...はい。」






夜、

廊下に抜け出すと、暁先生がいた。


「真壁さん。何処に行くの?」


「え、っと...。」


「もう夜遅いから部屋に戻ろう。」


「...また、私が飛び降りたら困るから??」


「...。」


「私、覚えてる。

自分でそうしたんだから。夢遊病でも精神病でもなくて。」


「...。」


「私が死にそうになってるところを先生が助けてくれたんでしょ。」


「...さあ、もう寝ようか。

先生も一緒に行くよ。」


「...はい。」


「ねえ、先生。

先生は不思議な力が使えるの?」


「不思議な力?」


「私の怪我を全部治したでしょ。

しかも一度のことじゃない。」


先生は何も言わなかった。


でも、その表情には少し悲しい気持ちが読み取れる。


「もし、私がその力に甘んじて、何度も何度も同じこと、繰り返したら、先生は治してくれる?」


「...。」


「冗談だよ。

って言い切れればいいけどね。」


「...。」


「先生はがんばって

って言ってくれたけど、私にはもう無理だよ。

また、同じことの繰り返し。」


「...。」


「だから甘えてもいいでしょ。

また苦しんでも助けてくれるんだから。

...。」


先生は静かに、横たわっている私の頭を撫でた。


「...!」


「よく、がんばったね。」


すうっと今まで感じていただるさや、心の淀みが消え去ってゆく。


これが、この人の力なの...?


「先生...なんだか眠く...。」


「おやすみ。

ゆっくり休んでね。」


心地の良い闇に包まれていく。


こんなに静かで穏やかな夜は、久しぶりだ。






朝...。


目が覚めると、どことなく視界がはっきりしていた。


不安はあるのに、変な感じ...。


ちょうど、看護師さんが部屋に入ってきた。


「真壁さん、調子はいかがですか。」


「だいぶ、楽になりました。」


「それは良かったわね。

それで、退院の手続きの書類、今持ってる?」


「いえ、まだ先生が預かってると思います。」


「ああ、やっぱり。

実は、検査とか書類整理にもう1日かかるかもしてないって、先生おっしゃってたから。」


「...私、どこか悪いんですか?」


「いいえ、どこか悪いというよりかは、確か検査の項目を途中で変えちゃったとかで、不都合があるかもしれないからってことだったけど。」


「...?」


「まあ、いずれにしてもこちらの手違いよ。

ごめんなさいね。

親御さんには連絡とって許可を頂いたわ。

それで...いいかしら?」


「はい、大丈夫です。」


「暁先生、

201号室の真壁さんのことなんだけど。」


「はい。」


「ちょっと気になったのよ。

やっぱり、先生もそれでお引き留めなさったんでしょう?」


「いえ...それは...。」


「だって、変じゃありませんか?

何度も外に抜け出して倒れている娘さんなんですよ。普通は心配して家族の方などお見舞いぐらいくるでしょう?」


「ええ...まあ。」


「それに今朝電話したときだっておかしかったんですよ。

まるで他人事みたいな感じで。」


「そうなんですか。」


「ええ。

それに娘さんもなんだか、昨日はまるで目が死んでいたのに、今日はなんだかスッキリしてて。

何か精神的な問題があるんじゃないでしょうか。」


「...なるほど。」


「それに、娘さん、切り傷や痣が身体にいくつかあるなんて話も同僚からきいたんですよ。

もしかして、家庭内で...。」


「それは、まだ分かりませんが、そのことも視野に含めて改めて詳しく検査してみます。」


「ええ、お願いします。

それと、先生。」


「はい...?」


「余計なお節介かもしれませんが、近頃顔色が悪いですよ。

もしかして、またお身体悪いんですか?」


「いいえ。大丈夫です。」


「...大変ですね。

お大事になさってくださいね。」


「はい、ありがとうございます。」






「失礼します。」


カウンセリングする部屋に案内された。


中には、暁先生がいる。


きっと、色々きかれるに違いない。


「そんなに緊張しなくてもいいよ。

今日の検査について少しお話しするだけだから。」


「...はい。」


「そこに座ってくれるかな?」


言われるがままに席に座った。


先生は優しい顔をしている。


普段は無表情で冷たい感じの人かなって思ってたけど。


表情とか、やっぱりそれ用に作っているのだろうか。


まあ、気遣われてるだけ、感謝すべきだろう。


「色々また検査することになっちゃってごめんね。」


「いえ、大丈夫です。」


「昼まで連続で検査だったけど、気分が悪くなったりしていない?」


「大丈夫です。」


「それなら良かった。

じゃあ...。

最近何か、悩んでいることや困っていることはないかな?」


やっぱり、早速きいてきた。


「いいえ...特にはありません。」


「本当?」


「話すようなことは特に何も。」


先生の深い瞳に吸い込まれないように、必死に抵抗しているような心持ちだった。


そうしないと、どうせ私の肩身が狭くなるだけだ。


先生のことは嫌いじゃない。


だけど、無責任なことは言って欲しくない。


「先生、ここで私から先生に質問する権利ってあるの?」


「もちろん。質問だけじゃなく、意見や反論、拒否、黙秘する権利だってあるよ。」


...なんだか、裁判受けてるみたい。


私は被告人なのかな...?


「じゃあ、今ここで私に何を求めてるの?」


「それは...。」


先生は穏やかな表情だが、言葉に詰まっている。


というより、あえてここで止めて私の反応を見ているような感じだ。


「私が、ここで色々自白したら、何か変わる?」


「自白なんて、実に面白い表現だね。」


まさに皮肉...。


言わなくても、先生の感じていることは伝わる。


「何かあるなら先生から話してよ。

どうして急に検査なんかして、こんな狭苦しい部屋に2人きりにするのか。」


「ごめん、もしかして気を悪くしたかな?」


「...その環境自体は別にどうだっていいけど、そうやって大人の事情みたいにこそこそしてるのが1番気分が悪いです。

今日の検査だって、なんか認知症の検査みたいだし。私のこと、なんだと思ってるんですか。」


あれ、

なんで私、こんなこと言ってるんだろ。


先生は微笑むばかりだ。


なんか、負けた気がする。


「先生は...。

私のこと、精神病とか、被害者だとか思ってる?」


「...どうして?」


どうして...か。


「お医者さんはみんな冷たい人ばっかり。

病気だから仕方ないって、感じで扱うの。」


「俺は、確かに、君が思ってる以上に冷酷な人間さ。

...それを否定する権利はないよ。医者は皆ね。」


「...。」


「でも...。医者は患者を放っておくことは出来ない。

俺たちにとっての患者っていうのは、ただ病気にかかってしまった人って意味じゃなくて、誰かの助けを必要としてる人のことを指すんだ。」


誰かの助け...。


「ひとつ君に言いたいことは、

痛みや苦しみは、相手にちゃんと伝えなきゃ分からないってことだよ。」


「...。」


「そのことをダメなことだと思っているかもしれない。でも、いずれにしても、自分の傷みは自分にしか分からないのさ。」


「でも...。」


「それを、誰に伝えて、誰に助けてもらえばいいのか。それは誰にも分からなかった。

それじゃ、皆つらいだろう?」


「...。」


「だから、少しでもそんな人を減らせるように、医者や病院ってものは生まれたんだと思うよ。医者はいくら冷たい人でも、そういう前提は忘れないで持っていなきゃ、医者だって言えないんじゃないかな。」


「...。」


何も言えない。


情緒じみた一般論を押し付けられた気はする。


でも、そんなことを一から教えてくれる人なんてまず誰もいなかった。


「だから、俺はひとまずここで、真壁沙羅っていう子が、今、どういった助けを必要としているのか、それが知りたい。


それでも納得できないなら、

言い方を変えて、

今の段階で、誰にも君のことは伝わらず、、それで君は本当に平気なのか。

このまま家に返していいのか。

その確証を君から得たかった。」


なるほど。


「...医者って、私が言わなくても大抵は分かるものなんじゃないですか。」


「俺は医者だからね。

専門家がそうじゃない人より詳しいのは当たり前だ。」


「...。」


「でも、限界は確かにある。

それは医者として、その技術として、人としてもいちいち存在してる。


医者は意外と、いや、やっぱり無力なんだ。


だから、君のこと、よく知りたい。


君を担当する医者として。」


それは、私が1番ききたくなかった言葉でも、1番欲しかった言葉でもなかった。


でも、さすが、


専門家の言葉は、よく響く。


「君には、物事をよく把握できる力がある。だから、君にいくら甘い言葉を投げかけても、君は心を閉ざしたままだろうね。

医者らしい、外見だけの洗脳の言葉も、クスリも結局、君には全く効かない。」


「...。」


「俺もそんな厄介な君から逃げることはできる。

最低限、することだけやって、他に放り投げることもできる。」


「...。」


「でも、今日伝えたかったのはそんなことじゃない。君に失望して欲しくない。



君を助けたい。」



...。




この人、医者には不向きだ。



医者にしては、人間すぎる。


それじゃあ、患者に自分の感情論を押し付けているだけじゃないか。


それは、医者として1番やっちゃいけないことじゃないだろうか。


この人は医者失格だ。


この人を信用しちゃいけない。


うさんくさい、ただのヤブ医者だ。


...。



いくら、心の中でそう足掻いてみても。


彼の瞳に溺れていく。


彼を否定できる者など誰も存在しない。


何もできない。


彼の得体も知れない力に、抵抗できる術もない。


くやしい。


...。


それからは、

彼のなすがままだった。


学校のことも家族のことも、

全て吐かされてしまった。


「...ひっく。」


泣きすぎて、上手く喋れない。


でも、


こんなに誰かに自分の気持ちを、


きいてほしいと思ったことがあっただろうか。

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