第19話 天才声優の恋愛事情
シノさんが仮想通貨を手放したのは、バーチャルサイン会の直後だった。
「まだ、仮想通貨が話題になって間がなかったころです。ファンの一人に、大学生がいたんですよ。その子が、『仮想通貨って話題だそうですね!』って」
その大学生は、シノさんが金融に興味があると知っていたのだ。
「帰宅後、私はすぐに仮想通貨を売りましたよ。そしたら、その翌週だったかな? 仮想通貨の会社がハッキングを受けたんです!」
「ああ、あの事件ですか!」
そのときに売り抜くことができて、今の財を築くことができたという。
「まるで、『クツ磨きの少年』みたいですね」
「なんの話なん、むつみちゃん?」
「さる投資家が、靴磨きの少年から投資の話を持ちかけられました。その銘柄を聞いて、投資家は所持していたその銘柄株をすぐさま売ったんです。その直後、世界大恐慌が起きたというのです」
一九二九年に、実際におきた出来事らしい。
靴磨きの少年にさえ投資の情報が入る状況は、バブルの兆候であると考えたほうがいい、という教訓だ。
「結果的に、その投資家は破産のリスクを抑えることができたそうですよ」
「はい。私も、その伝説は知っていました。大学生って一番お金がかかる上に、お金なんて持ってるわけないですよね? でもそんな彼らが話題にするようでは、仮想通貨はバブルだなと考えましたね」
現在は「お金のない大学生でさえ投資を始めたから」と、「もう天井かも」と相場を危険視している投資家も多いらしい。
「仮想通貨にお金を出すくらいなら、まだ
早々と利益確定して、すべて売り抜いた。
シノさんは、更に続ける。
「なにより、仮想通貨などのコモディティ、いわゆる『先物商品』は、個人事業主からすると、売買するだけでもリスクです」
「なんでなんですか?」
「確定申告が必要なので」
「あらああ……」
我々個人事業主にとって、避けて通れない苦行。
それこそ、確定申告である。
「株式投資なら、確定申告や年末調整は必要ありません。特定口座や非課税口座なら、全部証券会社がやってくれます。しかしコモディティはそうはいきません」
かくいうシノさんも、多額の税金を取られてしまったらしい。
「大手箱のVさんが、『国からのカツアゲ食らった!』って話していたのが、まさか自分にも降り掛かってくるとは、って思いましたね」
仮想通貨には、手を出さないでおこう。
ただでさえ値上がりの複利効果が得られないだけでなく、売買のタイミングも自分で把握しなければならない。おまけに確定申告は、自己申告。面倒くさいことこの上ない。
「金は本当に、オススメですけどねえ。値上がりもスローですが、値下がりもスローですから」
「有事の金」と言われるだけあって、市場がパニック状態の時は金を持っていると安心するという。
「というわけで、アンさん」
「はいな!」
「こういう資産知識を身に着けていただくために、密着していただきたいと思います」
「え!?」
「数日、シノさんのおうちにお泊りしろ」と、むつみちゃんは告げた。
「厳密には、三日ほど滞在していただきます」
そこまでのお許しは出ているとか。
「えー。そんなん言われても、お料理とかお掃除とかは難しいで」
ウチはメイドさんの衣装には、興味あるけど。
「大丈夫です。私も、お料理とお掃除はできませんから。だから、人を雇っているんですよ」
たしか、アメリカに滞在している日本人女性お笑い芸人は、家がゴミ屋敷なため、週イチでヘルパーを雇っていると、聞いたことがある。
「私の場合は、お話相手が欲しいのもありますね。『孤独は、認知症リスク』が跳ね上がるといいますから」
お金があっても家族がいないと、生活にすべてお金をかけなければいけない。
その最大リスクが、認知症だ。
「シノさんって、恋人とかパートナーとかは、いてはらないんですか?」
「一人、お見合いしたことはあります」
「ええじゃないですか!」
「財産目当てでした……」
お金を稼いでいると、どうしてもそういう人に目をつけられるという。
「だからローンを組んでいるのは、そういう人たちを遠ざけるためでもあるんですよ」
あえて「借金がある」と話しておけば、お金目当ての男性は寄り付かないのだ。
「わかる。ホント現実の男ってクソだから」
しらすママが、妙に納得していた。
「ママも、一人暮らしやんね?」
「ウチはアシスタントさんがいるから、まだ平気」
春になる度にメンバーが入れ替わり立ち替わりするので、常に新鮮な情報が入ってくるという。
「人間は好きなのよ。でも、それと恋愛は別よねー」
「ですよねー」
シノさんの従業員も、数年ごとに入れ替えがあるのだとか。そうしないと、メンバーがここに依存してしまうから。お互いに、成長が止まるのだ。
「そもそも、声優を目指したんは、いつ頃なんです?」
「生まれたときからでした。私が思春期の頃は、サブカル全盛の九〇年代でしたから」
なるほど。それは、生身に興味がなくても仕方ない。
「アンさんと
「知ってる! 伝説のエロゲ声優よね!」
ウチとむつみちゃんが反応する前に、しらすママが声を張り上げた。
ちょっとだけならウチも知っているが、当時の人気は凄まじかったのを覚えている。
九〇年代を代表する、エロゲ声優だ。
「全年齢版だと、名前が違うんですが、当時はすごかったです。成人して、出演作を大人買いしました」
それで、声優を目指したと。
「しかし、親の説得はムリでした。親と親戚は全員、公務員でして。みんな、学校の先生なんですよね。『大学いかんかいね』と」
おお、意外である。
てっきり、社長令嬢かなにかだと思っていたが。
「この家を買った名目も、『ピアノ教室』なんですよ」
「たしかに! 看板がありましたね! よその家かと思ってた!」
シノさんは「ピアノで生計を立てていることにしておいてくれ」と、親には話しているとか。
「シノさんは、ピアノ弾けるんですか?」
「実は弾けなくて。ベースはできるんですけどね」
「ですよね? ライブでもベース弾きますもんね?」
実際にピアノを教えているのは、夫婦で執事さんとメイドさんに志願ししてきた二人だ。共に同じ音大を出たが、不況の影響で楽器販売店をリストラされたらしい。そこでシノさんの家に、転がり込んできたのだ。
「ご両親にはまだ、芸能活動を反対されているんですか?」
「そりゃあね。未だ現役の、エロゲ声優ですから」
まだ親戚には、素性を隠しているという。
「親戚にはVであることまでバラすと、エロゲ時代の過去も探られちゃいますからね。あまり、いい顔はされないでしょう」
視野の狭い田舎町なので、余計に変なウワサが立つらしい。
「一人娘なんで、なおさら親戚からはあれこれ聞かれるそうですよ」
なので、家族親戚とは疎遠になっている。
法事以外では、まともに顔も出さない。
「まあ私は、親からすれば恥なので」
辛い。親に歓迎されないってのは。
「だから、お金を稼ぐしかなかったんですよね」
自衛のために、お金を稼ぐ。そういう道もあるのか。
「そうなんです。こういう資産家・実業家もいると知っていただくために、密着してもらいます」
「いつから?」
「今日から」
「マジでか!」
「ちゃんと、着替えも用意していますから」
さすがむつみちゃん、仕事が早い。
「って、言うてる場合か!」
「実は、私が
「そうなんですか?」
むつみちゃんに、直接お願いしたとは。
「カフェで、お見かけしまして」
やはり、あのときカフェにいた少女は、シノさんだったんだ。
「ですから、私の方からお願いします」
「わ、わかりました」
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