第20話 富裕層密着 二四時 前編
モーニングルーティンから、ウチは脳をやられた。
「Good morning」
モーニング・コールがかかる。
スマホを取ると、相手は英語だった。英語で、モーニングコールが来るとは。
しかも、すごいいい声で。
「ぐっども~に~んウフフ……」
「いい朝だね、今日も一日、いい日になるといいね」と、エモい言葉をかけられた。
イケメン声でそんなこと言われたら、イヤでも起きてしまう。
ウチは、ベッドの上でバタ足をする。
「おはようございますぅ、リアンさん」
隣のベッドで、シノさんがモーニングコールで起き上がった。
「おはようございます~。うひょ~。これは朝から、テンション上がりますよねえ」
時計を見ると、朝の六時である。
昨日はお酒もほどほどにして、眠った。
なのに、さっきのコールで完全覚醒している。
「海外の声優養成所から、コールを送ってもらっているんですよぉ」
「ほんなら、向こうは夜なんや?」
「アメリカの養成所からだったら、そうですねぇ。さっきの学生はインドネシア在住ですから、向こうは朝の七時ですぅ」
海外に住む声優の卵から、毎回モーニングコールをお願いしているという。
「彼らは、お金がありませんからねぇ。少しでもバイトして、稼がないとやっていけませぇん」
もちろん、日本からのコールも頼んでいるという。
全世界からルーティンで、モーニングコールをお願いしているらしい。
「いいでしょ~? 世界各国のイケメンから、おはようって言われるのってぇ」
「ムズムズします」
「これね、男の先輩から教わったんですぅ。『ボクは全世界の美少女声で、起こしててもらうんだ』って」
「男性がやってるって聞くと、ヘンタイチックになりますね……」
なんでだろう? 違うことを想像してしまった。
「散歩の後、朝食にしましょう」
起き上がって身支度をし、散歩に向かう。
風がやや冷たいが、朝日が気持ちいい。
むつみちゃんから、朝は外に出ろって頻繁に言われていた。
なかなか起きられなくて、いつもお昼前になってしまうけど。
「朝の太陽光を目に浴びると、眠りがよくなるんですよぉ。不規則な生活をしていると、どうしてもメンタルが終わるのでぇ」
可能な限り、朝日は浴びるのだとか。
朝食の時間となった。
これだけの富豪なのだ。さぞ、豪勢な食事が出ると思っていたのだが。
出てきたのは、計量したシリアルと、アーモンド八粒だけ……。
「アーモンドだけの朝食は、マイケル・ジャクソンも行っていた健康法ですぅ」
朝に食べすぎると、一日のパフォーマンスが鈍るという。
「そうなんですね? てっきり、朝からガッツリ食べて、パワーを蓄えるんやって思っていました」
「それだと、消化に大半のパワーを使ってしまうんですよね」
朝は最低限のエネルギー補給で、済ませるといいらしい。
「さすがにアーモンドだけだとバテてしまったので、シリアルも加えています」
あとは、少量のフルーツを。
でもシノさんは、フルーツを多めに食べていた。やっぱり足りなかったのか?
で、撮影に入る。
「ASMRは、朝に撮るんですね?」
「以前は朝活動画とかも、撮っていたんですけどね。私の声はどちらかというと夜向きみたいで、夜は配信、朝は動画みたいにしています」
たしかに
「お仕事お疲れ様」的なときに。
ひとまず、ASMRのレクチャーを受ける。
昼食も、比較的質素に済ませた。
焼いたししゃもと、野菜の煮物、ほかはお漬物と汁物だけ。
コンビニ弁当より、おとなしめかもしれない。
ただし、外の庭で食べる。
メイドさんもみんな手を休めて、おにぎりを頬張る。
庭でおにぎりをかじっているだけなのに、おいしい。
みんなも、楽しそう。
「ささやかな食事でも、みんな一緒だとおいしいですよね」
「わかります! ウチも最近は自炊するようになりましたけど、一人で食べたら味気なくて」
「はい。私も自炊時代は、みじめな気持ちになりました。お金持ちになったら、人を集めてみんなでワイワイ食べようって、決意しましたね。みなさんには、感謝ですよぉ」
孤独は、人の心を殺してしまうんだな、と改めて思った。
誰か大切な人が一緒なら、のびたカップ麺でもおいしい。
むつみちゃんがすごく大事なんだと、ウチは理解した。
食後は、近所のジムで汗を流す。
比較的ハードめなメニューで、コーチを付けてもらいながら行った。
「小学校の先生の資格だけでも取ろうかなって、思っていた時期はあったんですよ」
「そうなんですね?」
公務員一族な実家にいい印象がないから、シノさんはてっきり公務員には否定的だと思っていたが。
「当時は、就職氷河期って言われていましたからね」
しらすママが常々、口走っているワードだ。
当時の就職事情は、新型感染症ショックの頃よりひどかったとか。
副業ダメな会社も、多かったらしいし。
ウチはよく知らないため、想像もできない。
「はい。背に腹は、変えられなかったんですよ」
しかし、体力がなさすぎてあきらめたらしい。
「とはいえ、声優業も身体が資本です。体幹がバッチリだと、声の伸びもいいんです!」
重いプレスを、シノさんは細い腕で持ち上げる。
他にも、ボクシングのミット打ちなども行った。
ウチもやってみたが、サンドバッグがこんなに痛いものだったとは。
女性用の柔らかいタイプだと聞いたが、手首が痛む。
ウチがモヤシなんだろう。
ジムから戻って、夕方は事務作業だ。
主に案件CDの、台本読みである。
時々声を出して、セリフの確認を取るのだ。
「普段は、前の事務所にいた子たちとやるんですけど」
「耳が妊娠してしまいそうです」
「よく言われます。私は男の子みたいな声ですからね。至近距離でささやくと、気絶しちゃう子もいて」
夕飯も、軽めにパスタのみ。
「夜からゲーム配信があるんで、あまり食べるとゲップが出ちゃうんですよ」
で、夜配信を終えて二三時に就寝。
「ホンマに、質素なんですね?」
富裕層は案外、食事にお金をかけないという。
別に、節約だけを意識しているわけでもない。
暴飲暴食を避けて、健康に気を使うという。
「明日はオフなので、そちらも密着なさってください」
二日目の朝も、イケメンの声で起こされて悶絶した。
「今日は、リアンさんにもメイドさんになってもらいますねぇ」
「おっ。待ってました」
実は、メイド服には興味があったのだ。
しかも、ドンキなどで売ってるミニスカ系ではない。本格的な、衣装である。
「メンヘラメイドさんが、完成しちゃいましたねえ」
シノさんに指摘されて、ウチはくるりんと回る。
「ミニスカの方が、よかったですか?」
「そっちの方が、メンヘラ度合いはあがるでしょうねぇ。でも、それでいいですよ。では、やっていきましょう」
なんと、シノさんもメイド服でお掃除を始めた。
といっても、自室にあるPCのホコリを落とす程度だが。
「お掃除とか、されるんですね?」
「下手くそでも、自分の家ですからね。特にPC周りは、自分でやらないと」
たしかに。
掲示板が運営する動画サイトが重いと、「また掃除のおばちゃんが、サーバー周りに足を引っ掛けたか?」とか言われるものだ。
スタジオなども周り、自分がどういった機材を扱っているかも把握するのだという。
なにより驚いたのが、トイレ掃除を率先してやっていることだ。
「どの社長も、『トイレは自分でやる』って言いますねえ。みんなが嫌がる場所を自分がやることで、責任感が生まれるのでしょう」
便器を磨きながら、シノさんはニコニコしている。
ウチも見習おう。
密着の、最終日を迎えた。
オフはどうかというと、シノさんは菓子パンを食べている。
メイドさんも、今日はほとんどいない。
「オフは、メイドさんもほとんど休ませているんです。お掃除する人以外は、みんな休んでますね」
食事も作らなくていいと、頼んでいるそうだ。
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