第5話 汚部屋で、ディナー
地面が見えてきたところで、夕飯を取ることにした。
テーブルがこんなに片付いているなんて、いつ以来だろう?
「ウチも、ゴハン用意するから、待ってて」
カイナが一旦、退席する。
「ウーバー頼む?」
「それもいいのですが、アンさん。この際、自炊をしましょう」
たしかに、節約や貯金と言えば、自炊を極めしものの到達点だが。
「いや、キッチンが」
ウチが困った顔をしたので、むつみちゃんがキッチンへと向かう。
「うわ」
ひときわトーンの低いうめき声が、むつみちゃんのノドからほとばしった。
洗ってないお皿や鍋などが、散乱している。
「ちょっとこれは、不衛生ですね。ここを片付けて、今日は終わりにしましょう」
視聴者に聞かれないように、むつみちゃんはマイクをオフにした。ウチにだけ語りかける。
「リスナーも、めちゃ引いてるな」
お昼から夕方にかけての配信なのに、たくさんの視聴者に見てもらえた。
再度マイクを入れて、リスナーに語りかける。
「こんなにいっぱいコメントくれてたのに、読まれへんかった。シカトしてゴメンなー。みんなー。せっかくの初配信やのに。ちょっとな、掃除に夢中になってたわ。お詫びに、スパチャ読みとかはゴハン食べながらやるでー。待ってて」
一旦マイクをオフにして、デリを探す。
「ひとまずピザかな。ソバもええけど、引っ越しとはちゃうもんね」
「事務所の移籍は、しましたけどね」
「せやね。むつみちゃんは食べるの?」
「普段はあまり」
そういえば、ランチでもそこまで大量にドカ食いする人ではなかったな。
ピザと寿司の、炭水化物爆弾で攻めることにした。
先に寿司でネタを頼んでおいて、ピザはキッチン周りを片付けてから頼むことにする。
寿司デリを頼んだ後、キッチンを使える状態に戻す。
「では、デリが来るまでキッチンを片付けていこうと思います」
キッチンには、ゴミが出ていない。
そこはちゃんと、衛生的にしている。
料理をしないから、生ゴミが出ないとも言うが。
洗剤を水アカ周りにまぶして、使わなくなった会員カードでこそぎ落とそうとした。
「待ってください」
むつみちゃんに、止められる。
「なんで? キレイにせいっていったんはむ……社長ですやん?」
むつみちゃんといいかけて、慌てて言い換える。
「ひとまず、ピカピカにするのは後回しにしましょう」
「そうなん? これたしか、テレビでやってたんやけど?」
「この配信は、お掃除の裏技を披露する番組ではないので」
掃除では、やりすぎは禁物だ。あまり根を詰めすぎると、次がおっくうになる。
とにかく、利用できるような形に戻すのが先決だ。
少しずつ片付け、衛生的な場所にしていく。
まずは、生活空間を。趣味スペースは、一番最後にまわす。少し気になる場所は、それこそ最悪やらなくてもいい。
「裏技は楽しいんですが、次の機会に。まして便利な掃除道具を買うなんて、もっての外です。その道具を置くために、また部屋を散らかすのがオチなので」
部屋を片付ける動画は、過去にも別のVを相手にやったことがあるらしい。
その子はいきなり、水圧で汚れを落とす器具を買っていたという。フロが小さいのに。おまけにその器具は、よく見ると車を洗うための品と書いてあった。
撮れ高は稼げたが、掃除の習慣は身につかなかったという。
やり過ぎる子は、方向性がぶっ飛ぶからできなくなるのだ。
「洗剤を節約するために、重曹を買う子もいました。でも重曹って、使い方を知らない子が買っても、宝の持ち腐れなんですよね。使い方を教えるサイトや動画を見るクセがある子なら、使いこなせるんですが」
「そう言えば、そうやな」
「お掃除が好きになって、『ちょっとあちこちの汚れが気になってきたなー』ってときに、試せばいいんですよ」
とにかく今は、キッチンが使えるようになった自分を褒めてあげて、と言われた。
片付けが済んで、鍋や皿があるべき場所に設置される。
その後、掃除機をかけた。
部屋をむつみちゃんに見てもらって、ゴミ出し。
「ちょっと休憩にしましょう」
「ほな、お茶入れるわ。ケトルに水を入れて、火にかけまーす」
この作業、いつぶりだろうか。
ケトルなんて、何年も見ていない気がする。
「シンクに顔が反射しないように」
「わかってまっせ。インスタントコーヒーでいい?」
「いただきます」
ウチは、コーヒーが大好きだ。舌をヤケドしないように、ホットでも牛乳をたっぷりと入れる。
「フレッシュでいい?」
「フレ……ああ、関西ではミルクをそう呼ぶんでしたね。では、二つお願いします」
むつみちゃんが、Vサインを見せてきた。
ミルクだって、ちゃんと期限を守っている。
コーヒーを飲んで、少しまったりとした。
この間に、ピザも頼んでおく。
一息ついた後、コメント返しを。
[思ってた以上に片付いてなくて草]
「それな」
しかし、部屋の周りをまともに片付けていないのは理由があるのだ。
ガラス棚の前には、わざと段ボール箱を置いている。
ウチやむつみちゃんの顔が反射するを、防ぐためだ。
顔出し配信なら、気にしなくてもいい。
だが、ウチらはVTuberである。
アイドルではあるまいし、現実の露出は極力避けるべきだ。
スパチャや応援コメントのお礼をしていたら、デリが到着する。
「さて、では。いただきます」
ひと仕事終えた後の寿司って、なんでこんなに美味いんだろう。
「はあ。コメが全身に染み渡る」
ハイボールも、うまい。
昨日飲んだのと、同じやつである。
やはり、ウチの精神状態がおかしかっただけみたい。
メンタルが回復すると、味覚も正常に戻るんだな、と。
[あぶLOVE加入、おめでとうございます]
「はい。おおきに」
[そこで、質問です。あぶLOVEといえば、大食いですよね? お寿司屋さんなら、何皿食べられますか?]
「……二〇を、超えるくらいちゃう? サイドメニュー入れても、三〇は食べられへんかな?」
ウチは、人よりは食べるタイプだ。
とはいえ、あぶLOVEのメンバーほど健啖家ではない。
せいぜい、街の大食いレベルである。
人より病的に細いので、「見た目にしては、よく食べますね」と見られる程度だ。
[ブルーのパンツ助かる]
「助かるなと。忘れろビーム撃つぞ」
[隣の人、本当に社長? ずいぶん馴れ馴れしかったけど?]
「ママつながりで、親しい人やってん。紹介してくれたんも、ママやねんよ」
コメントを返していると、カイナも自分のチャンネルで配信を始めた。
食事シーンの配信だ。
「やほー。いいもの食べるじゃん」
「おー。おかえり。なに食べてんの?」
「角煮丼! ラフテー丼かな?」
「ええやん。さいこ……うお」
カイナのチャンネルに映っているのは、すり鉢に乗った角煮丼である。
おお、寿司がこみ上げてきそう。
これが、あぶLOVEの底力か。
「まだまだ。デザートにクレープも冷やしてあるから」
「おおお」
むつみちゃんが、ウチに節約を頼むわけだ。
この子たち相手なら、節約なんてできない。
そもそもベクトル……チャンネルの方向性が、まるで違う。
いっぱい食べて、いっぱい稼ぐのだろう。
こちらのテーマは、節約と投資だ。
「安心してください。アンさんの動画テーマは、投資ですから。そちらでがんばってください」
そうは言っても。
「うちはどっちかいうたら、あぶLOVEやのうて【かぶLOVE】かもな」
「いいね、【かぶLOVE】! 語呂も良くてさ!」
カイナだけではなく、リスナーもワイワイと騒ぎ出す。
「そうですね。ではサブ企画のチャンネル名は、【かぶLOVE】ということで」
あっさりと、ウチのサブ企画チャンネル名が決まった。
[¥:五〇〇〇。チャンネル名決定記念。あと下着特定代]
「それは特定せんでええから」
(第一章 おしまい)
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