第9話 悩みは尽きないもの

「ロゼ様ぁ……あの時引き止める事ができずに申し訳ありません」

「泣かないでよエルマー。 あれは仕方ないって……」

 

 お風呂ぐらい一人で入りたいと言ったけど、閣下の命令ともあって許可して貰えなかった。

 なのでエルマーはグスグスと涙を拭きながら、私の髪を丁寧に洗ってる最中だった。

 そしてその隣で侍女長さんは渋い顔をして溜息をついた。


「全く、閣下もその気ならそうと言ってくださればいいのに……。 で、何があったのです?」

「ですから打ち込みをして、その後は別にこれといった事は……」


 思い当たると言ったら髪を撫でられた事ぐらい。

 あの時間帯のどこに甘やかそうと思うきっかけがあったのか、私が聞きたいぐらいだ。


「何もないのにあんな恋人同士の様な空気になる訳ないでしょう」

「恋人どぉ……っうぷ」


 侍女長さんはザバリと容赦なく、私の頭にお湯をかけ泡を落としていく。

 何だか清められてる気分だ。


「しかしあんなお優しい顔を見たのはいつぶりでしょう。 いいリハビリになるといいのですが」

「……いつも仏頂面だったですか?」

「えぇ。 我々の事など気にも留める素振りもなく」


 そう話す侍女長さんの表情は少しだけ寂しげだった。

 だから出迎えの挨拶もよそよそしかったんだ。

 どんなに尽くしたって閣下には響かない。

 なら干渉もせず、必要最低限のやり取りでも問題ない。

 確かにそれが一番楽でいいかもしれない。

 でもそれって何だか淋しいな。

 フワフワのタオルに包まれながら、冷え切った関係に思いを馳せた。


「こうなったらロゼ様、貴女にはヴランディ家に嫁ぐ婚約者、令嬢としての自覚を持って頂きます!」

「なんでそうなるんですか?!」

「魔力をもたないという点は正直不安ではありますが、キアノス様がようやく当主としての責務を果たそうとお考えになったのです。 この機会を逃すわけにはいきません!」

「待って、私の意志はどうなるんですか?! 私は騎士になりたいんですけど!!」

「両立すればいいだけの話です」

「そんなぁ!」 

 

 ユーリ様といい侍女長さんといい、のらりくらりな閣下が余程もどかしかったんだろう。

 確かに閣下はお世辞抜きで強いしカッコいい。

 平民同士ならきっと迷わなかった。

 でも閣下は王家に仕える公爵家の当主だ。

 そんな人と魔力をもたない私とが結ばれていい筈ない。

 それに私が令嬢としての教養を身につけたところで、公爵家の妻が務まるとも思えない。

 何とか婚約者候補から外れる道はないのかな。

 折角身体は綺麗になったというのに、頭の痛い問題を抱えて眠る羽目になってしまった。 


 ◇◇◇◇



 次の日の午前演習は魔法について。

 なので私は見学組となった。

 寝不足気味だったので丁度良かった。

 今だけは婚約者の話は忘れて演習に集中しよう。

 今回は魔法を使って的を壊すという内容だ。

 教官の掛け声と共に、其々が得意とする魔法で的を壊していく。

 

「フェリス・ヘーレン、調子でも悪いのか?」

「すみません……」


 そんな中、フェリス様がなかなか的を壊せないでいた。

 いつもなら百発百中なのに、魔法の軌道が乱れたり威力が足りなかったりで集中できてない様子だった。

 顔色も心做しか青い気がする。

 その時フッと昨日の出来事を思い出した。

 まさか昨日の私とのやり取りを引きずってるのかもしれない。

 あんな顔をさせてるのは自分だとしたら、

このまま放っておく訳にはいかない。

 理由を確かめて謝罪しないと絶対駄目だ。

 一先ず閣下の事は隅において、演習後手早く昼食を済ますと、フェリス様を探しに訓練所内を駆け回った。

 

◇◇◇◇


「返して! それは貴女達には関係無いものなんだから!」


 辿り着いた中庭の奥から、フェリス様の声が聞こえてきた。

 不穏な空気を察して茂みから様子を伺うと、フェリス様と三人の女性が何やら揉めているようだった。


「抜け駆けする元気はあるのに演習を疎かにするなんて、騎士として恥ずかしくないんですの?」

「抜け駆けなんかしないし、疎かにもしてない。 貴女達こそ私のする事にいちいち口出ししないで!」

「あらやだ怖い顔だこと。 綺麗なお顔が台無しですわよ」


 フェリス様の前に立つ主犯格らしい女性は確かリリアナ・マーシェルだ。

 キラキラと輝く金髪を縦に巻いてるのは彼女だけだからよく覚えてる。

 そんなリリアナ様は何やら小さな紙袋を手に持っていた。

 どうやらフェリス様はそれを取り返そうとしてるみたいだ。


「あら、こんなのエメレンス様の好みじゃないわ。 だからこれは私達が片付けてあげる」


 リリアナ様は紙袋の中から空色の包みを出すと、そのままそれを地面に叩きつけ踏みつけた。


 「止めて!!」


 フェリス様が必死に叫んでもその声は届く様子はない。

 更には隣で見ていた二人も加わり、三人は笑いながら包みを踏み潰していく。

  まるで自分の心を踏みつけられているような光景に、私はギュッと唇を噛んだ。

  嘲笑う声の中で動けなくなってるフェリス様が、支配されていた頃の自分と重なった。

 だけど今はあの時とは違う。


「止めてください!!」


 三人は一瞬驚いたものの、私だと気づいた途端に唇を弓形に撓らせた。

 この時には既に空色の包みは泥に塗れ、無惨な姿になっていた。


「貴女は確かセロの……」

「ロゼ・アルバートです」

「そうでしたわね。 全く、盗み見なんて品の無いことをするのね。 これだからセロは……」

「話し合いをされてる雰囲気ではなかったから来たまでです。 で、こんなところでコソコソ何やってるんです?」

「フフ、フェリスさんったら演習をサボってまで抜け駆けしようとしていたんですの。 エメレンス様は皆の憧れの人だからそれはよくないって注意したんです」

「なら口で言えば良いでしょう。 いい大人が見苦しいですよ」

「な……っ!!」


  するとリリアナ様はギュッと眉根を寄せ私を睨みつける。


「なによ、セロのくせに偉そうに説教しないでくださる?」


 またそれか、と思わず溜息が漏れる。

 それと同時に怒りもこみ上げてきた。

 人が大人しくしてればどんどんつけあがって馬鹿にして。

 更には食べ物を粗末にするなんて。

 こっちはついこの前までまともに食べられなかったっていうのに全くもって許せない!


 私も負けずにギロッ!と睨み返すと三人はたじろぎ、ようやくフェリス様から距離をとった。


「フェリス様! 大丈夫ですか?!」 

「ロゼ……」


 急いで駆け寄ると、フェリス様は小さく身体を震わせ必死に涙を堪えていた。

 こんな状況でも泣かずに堪える姿は痛々しくもあったけど、強い人なんだと改めて知った。

  そんな彼女の気持ちを踏みにじるなんて許せない。

 私は小さな声でクスクスと笑う三人を睨みつけた。

 

「フェリス様によくも酷いことをしてくれましたね」

「なぁに? 貴女もフェリスさんを庇うおつもり?」

「はい、私は強い方が好きなんです」

「強いって、やり返すことも出来ないフェリスさんが?」

「はい。 同伴者がいないと何も出来ない貴女達よりもずっと」

「何ですって?!」


 リリアナ様は顔を真っ赤にして私に掴みかかろうとしたけど、後の二人に抑えられて何とか踏みとどまった。

 けれど怒りは収まってないらしく、ギリッと唇を噛み私に指さした。


「そこの召使い!」

「……え?」

「午後の演習でこの私と勝負しなさい!」


  え、召使いって私の事?

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