第8話 距離感が掴めない

 閣下と話す時はいつも見上げてるから、目線が同じだなんて初めてかも知れない。

  月明かりで妖艶に見える眼差しに、ドンドン心拍数が上がっていく。

  その紺青の瞳には不思議な力があるんじゃないかと疑ってしまう程、身体が固まってしまった。


「ロゼ」

「は、はい!」

「ロゼは俺の事、ルカス殿から聞いていたか?」

「いえ、父が指導側にいたことすら知らなかったので……」


  そう答えると閣下は額に手を当て項垂れた。


「すみません、何か大事な約束でもあったんですか?」

「いや……。 悪いのはルカス殿だから君は気にしなくていい」

「はぁ……」

「閣下! いつまでやってるんです!」


 すると演習場入口からユーリ様の怒号が飛んできた。


「しまった、長居しすぎたか」


 閣下の視線が外れてようやく緊張が解けた。

 頬に触れたら少し熱くなってる。

 閣下に触れられた所にまだ指の感覚が残ってて何だかこそばゆい。

 なんだろう、この感じ。


「部下とは言え、未婚の女性を遅くまで外に連れ出すなんてマナー違反です!」

「そうか、それはすまなかった」


 目くじらを立てて説教を始めたユーリ様の後ろで懐中時計を開けてみると、夕食の時間をとうに過ぎていた。

  エルマーも一人でヤキモキしてるかもしれない。

 身支度して早く戻らなきゃだ。


「全く貴方と言う人は……。 そんな事だから婚約者どころか候補すらこないんですよ!」

「好きでもない相手に言い寄られて困るのは俺だぞ。 それに……」


 ふと閣下と私の視線がぶつかった。

 何やら言いたげな表情をしてる。

 どうしたのかと小首を傾げると、閣下は小さく溜息をついてからユーリ様を睨んだ。


「その件はちゃんと考えておく。 だからこれ以上口を出してくれるな」


 閣下は語気を強めて言い捨てると、『帰るぞ』と踵を返した。

 ズンズンと先を行く背中が、さっき迄と違って重々しく見える。

 何だか放っておけなくて、私は慌てて後を追った。


「閣下、待ってください!」


 もうすぐ屋敷に着こうかという所でようやく閣下に追いついた。

 私に服を掴まれ、閣下はゆっくりと私の方を振り返った。


「……どうした?」

「あの、今日はありがとうございました!」

「何をだ」

「打ち合いに誘って頂いたおかげで気も晴れましたし、何より閣下と父の話が出来て嬉しかったです!」


 すると閣下は目を瞬かせた。

 ザクセン男爵は父の事を嫌っていたから思い出話なんて出来る状態じゃなかった。

 でも閣下が父の事を覚えていてくれたおかげで、大好きだった父の笑顔を思い出すことが出来た。

 これ程幸せな事って他にはない。


「君は……怒ってないのか?」

「何をです?」

「その、遅くまで連れ出されていた事について……」


 閣下はシュン、と斜め下を見ながら呟いた。

 さっきユーリ様に注意されて気にしてるみたいだ。

 

「最近まで女性どころか、人間扱いすらされてこなかったので全然気にしてません。 というか、こんな貧相な女に興味を持つ人などいるはずないです」

「……それはどうかな」


 突然閣下は私の腰を引き寄せ、薄い唇を私の耳元に寄せた。


「笑った時の顔はなかなか可愛かったぞ。 この小さな身体にだって、食べれば肉も付いてくる。 この意味が分かるか?」

「……わ、わかりません」

「君に興味を持つ男がここにいるという事だ」

「??!!」


 またもや魔法を掛けられたかのようにピシリと身体が動かなくなってしまった。

 すると閣下は笑みを浮かべて私を横向きに抱きかかえた。


「君は女性扱いされてこなかったと言ったな。 ならこれからは俺がしてやる。 ドロドロに甘やかしてやるから覚悟しておけ」

「そ、そんな事されては困ります! 騎士になろうとしてるのに甘やかすなんて……」

「それはそれ、これはこれだ」 

 

 そう言って閣下は私を抱えたまま再び屋敷に向かって歩き出す。


「……もしかして、このまま帰るつもりですか?」

「何か問題でも?」

「お、下ろしてください! 一人で帰れます!」

「動けないのにどうやって帰るつもりだ。 大人しくしてろ」

「ひぇっ……」


 閣下がグイッと抱え直した事でより密着度が増した。

 精緻に鍛え抜かれた屈強な身体に、私を支える逞しい腕。

 心臓の音が外まで聞こえるんじゃないかと思うほどに大きく脈打ってる。

 肩に担がれたのですら恥ずかしかったのに、今度はお姫様の様に抱っこされて帰るなんて耐えられない。

 堪らなくなって私は両手で顔を覆い、誰とも目を合わせないようにして屋敷に戻ることにした。

 扉が開いたらいつものように抑揚のない『おかえりなさいませ』が待ってる筈だ。


 でもこの時ばかりは違ってた。


 扉が開いたというのに、使用人達からの出迎えの言葉はなく、ただただ静寂だけが流れていた。

 どうしたのかとチラリと指の間から覗いたら、そこにいた使用人達が全員あんぐりと口を開けて固まっていた。

 ……あぁ、今すぐここに穴を掘って隠れたい……。


「侍女長はいるか?」

「は、はい! こちらに!」


 動揺した表情で前へと進み出たのは、初めて来た時にドレスを着せてくれた年上の方の女性だった。

 夜だというのに、髪の乱れは一切ない。

 几帳面な性格なんだと一目でわかる。

 

「打ち込みで疲れて動けないらしい。 しっかりと休ませてやってくれ」

「か、かしこまりました……」

「待ってください! 私は大丈夫だって言ってるじゃないですか!」

「大人しく甘えてろ」

「そんなの無理ですって!」


 幾ら訴えても閣下の意志は覆らない。

 寧ろ私の反応を楽しんでるみたいに薄く笑みを浮かべてる。


「彼女は俺の大事な部下だ。 これまで以上に、丁重に持て成してやってくれ」

「ですが、その方はセロで……」

「そんなもの関係ないだろう」


  閣下の鋭い視線に侍女長さんはじめ、その場にいた使用人達は息をのむように押し黙った。


「魔力があろうがなかろうが、彼女も一人の人間だ。 わかるよな?」

「は、はい!」

「よし、では後は頼んだ。 俺は部屋に戻る」

「かしこまりした!」

 

 侍女長さんに私を預け、閣下は二階へ続く階段を上がっていった。

 それを私以外の全員が頭を下げて見送った。

 改めて私の事を周りに認知させて、気負う事ないようにしたんだ。

 一人の人間、か……。

 自分が一番忘れてたのかも知れない。

 閣下の言葉にじんわりと胸が熱くなった。

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