第7話 大切な人のことを思うと

 『誰を好きになるかはその人の自由だよ』


 帰り道、フェリス様の言葉が小さな棘になって胸に刺さってた。

 ザクセン男爵の屋敷を出てからの生活は夢の様で、今は私を受け入れてくれる人達がいる。

 だから普通の人になった気でいた。

 でもそうじゃない。

 私は魔力をもたない人間だ。

 だから私は、自由に人を好きになってはいけない。

 理由は魔力をもたない体質がそのまま子に遺伝する可能性があるからだ。

 昔は魔力をもたない子の方が生まれる確率は高かったけど、今ではそれが逆転してる。

 特に貴族の間ではより強い魔力を持つ子孫を残そうとする傾向が高く、その為の政略結婚や子どもの奪い合いが頻繁に起きている。

 そんなご時世に、リスクのあるセロをわざわざ選ぶ人間なんているわけない。

 だから私はお姫様にはなれない。

 いや、なりたくない。

 私だって好きになった人にそんな重荷を背負わせたくないから。

 

「只今戻りました……」


 ようやく辿り着いた屋敷の扉を重々しく開けた。

 広間に居た全ての使用人が私に向かって頭を下げた。

 けれど皆して無表情なので、決して歓迎している訳では無い。

 きっと閣下に言われているから仕方なくだろう。

 

「ロゼ様、おかえりなさいませ!」

「た、ただいま……」


 すると奥からエルマーが笑顔で駆け寄ってきた。

 そして私の顔を見て早々に小首を傾げた。


「どうかされましたか?顔色が余りよくありませんよ?」

「そ、そう?」

「何か御用がありましたら何でも言ってくださいね」


 付き合いは浅いのに、エルマーは私の事をよく見てる。

 侍女だからかもしれないけど、普通ならセロを甲斐甲斐しくお世話するなんて有り得ない。

 何だか彼女の優しさがジンと胸に沁みた。


「ありがとう、エルマー」


 礼を告げるとエルマーの顔がパッと明るくなった。

 あぁ、フェリス様もこんな風に笑ってたな。

 あの時、もっと言い方があった筈だ。

 やり直せるかな。

 いや、もう見限られただろうな。

 益々育成所に行きづらくなってしまった。


 するとカラン、と扉に取り付けられたベルが鳴った。

 次の瞬間、この場にいた使用人全員が扉に向かって背筋を伸ばし身構えた。

 これから軍事演習でも始まるのかと思うような雰囲気だ。

 さっきまで笑っていたエルマーでさえも表情を固くする。

 どんな危険人物が入ってくるのかと思って扉を見つめていたら、入ってきたのはまさかの閣下とユーリ様。

 主人が帰ってきた割には使用人達はよそよそしく、私の時と大して変わらない表情。

 何だか想像していた出迎えとは全く違って驚いた。

 

「おかえりなさいませ!」


 一足遅れて私も階段上から出迎える。

 すると私に気づいた閣下はひどく驚いた顔をした。


「なんだ、君もいたのか」

「はい、先程戻りました」


 急いで階段から降りて閣下の側に駆け寄り一礼した。


「どうした? また何か報告でもあるのか?」

「ち、違います。 閣下が帰ってきたからご挨拶に参りました」

「……それだけの為にわざわざ降りてきたのか?」

「はい。 用がないと来ちゃ駄目でしたか?」

「いや、駄目ではないんだが……」


 すると閣下はフイと視線を反らして口元を隠した。

 よく見ると耳が少し赤い。

 まさか熱でもあるのかと思ったけど、閣下は咳払いを一つしてすぐに眉根を寄せた。 

 

「そう言ってごまかそうとしても無駄だぞ。 訳なら聞くからちゃんと話せ」

「ち、違います! 私はただ……」


 いや、ちょっと待って。

 もしかしたらあれはやらかした事になるのかも。

 別に危害を加えたわけじゃないけど、なんせ相手は閣下の幼馴染のフェリス様。

 優しいフェリス様のご厚意を無にしたといって苦情が来るかもしれない。

 それってかなりマズイのでは。

 

「おい、ロゼ」

「……何でしょうか」

「本当に何も無いのか?」

「……」

「……よし、分かった」

 

 発端が恋愛観についてだったから、なかなか切り出せなくて目を反らしたのが良くなかった。

 閣下の顔つきが更に険しくなった。

 でも閣下はそれを追求するより先に私をヒョイと肩に担ぎ上げた。

 

「な、何するんですか!」

「場所を替えて聞こう。 じっとしてるんだ」


 閣下は私を担いだまま踵を返すと、再び屋敷の外へと向かい歩き出した。

 私の目線の先には呆気に取られるユーリ様と、不安気な表情のエルマーがいるけど、助けてもらえそうにない。

 やっぱりあの惨めな話をしなきゃならないのか。

 下手したら領地外へと放り出されて解雇になるかもしれない。

 閣下の肩に乗せられたまま、私は今後の行く末を考え倦ねた。  

 けれど辿り着いた先は何故かヴランディ家の演習場。

 閣下はゆっくり私を降ろすと、そのまま用具庫から練習用の剣を二本出してきた。


「ほら、打ち込んでこい」

「え?」

「全部止めてやるから好きなだけ打ってきたらいい」

「え? でも……」

「ここなら幾ら動き回っても安全だ。 しかも俺に一撃でも当てたらもっと気分が良いぞ」

「ストレス発散に閣下を叩くなんて出来るわけないじゃないですか!」

「そうだな。 そもそも君では俺を叩くなんて出来ないしな」


 挑発的に口端を上げた閣下の顔にカチンときた。

 丁度モヤモヤしてたし本人が良いって言うんだから、ここはお言葉に甘えて叩かせてもらおうじゃないか。

 私は差し出された剣を取り、早速閣下に向かって剣を構えた。


「わかりました。そこまで言って下さるのならいかせてもらいます。 そして前言撤回してもらいます!」

「あぁ、本気でこい。 俺を退屈させるなよ?」

「勿論です!」


 閣下もまるで悪役の様な口ぶりでこちらに剣先を向けた。

 煽ってまで打ち込ませようとするんだから悪い人だ。

 なので今回は絶対に一発入れてみせる。

 私は重だるかった身体を叩き起こすように剣を大きく振り下ろすと、強く踏み込み駆け出した。



 ――――それからどれぐらいの時間打ち合ってたんだろう。



 暗闇にも目が慣れた頃、私はようやく足を止め地に膝をついた。


「もう終いか?」

「あ……ありがとう、ございました……」


 駄目だ、結局かすり傷一つも付けられなかった。 

 しかも閣下はまだ涼しい顔をしてる。

 こっちはゼェゼェと息切れ状態だ。

 男女の力の差もあると思うけど、スピードも持久力もまだまだ足りてない。

 強化が必要な箇所が分かったから明日から早速特訓に組み込んでみよう。


「少しはスッキリしたか?」

「え?」

「また喧嘩でも吹っ掛けられたんだろう。 暫くは騒々しいかも知れないが直に落ち着く。 全てを相手にしようとするんじゃない」

 

 もしかして今、慰められてる?

 話せないのには理由があると察知してくれたのかもしれない。

 だから閣下は思い当たる節を考えて声をかけてくれたんだ。

 本当の所はちょっと違うけど、その気遣いに胸がキュンとなった。

 ということはさっきの挑発も、私に憂さ晴らしさせようとして打った芝居だったんだ。

 そうとも知らず本気で叩こうとしてしまってごめんなさい。

 私は地面に正座して頭を下げた。


「ご心配おかけして申し訳ありません。 でももう大丈夫です」

「なら良かった。 俺もなかなか楽しかったよ」

「本当ですか? ではまたいつか手合わせお願いします!」

「あぁ」


 閣下は詰め襟を外しながら微笑んだ。 

 前も思ったけど、こういう時の顔がカッコよくて困ってしまう。 

 不意打ちの笑顔にやられて、また心臓が早鐘を打つ。


「閣下もこうやって父と手合わせしていたんですか?」

「ルカス殿とか?」


 気持ちを切り替えたくて別の話題を持ち出した。

 すると私の隣に腰を下ろした閣下は空を見上げてポツリと呟いた。


「そうだな、会えばすぐ『稽古を付けてくれ』って頼んでいたな」

「フェリス様がいても?」

「何故君がその名を知ってる?」

「今日お会いしたんです。 それで少し話を伺いまして」


 すると閣下はバツ悪そうな顔で頭を掻いた。


「何をどう聞いたのかは知らないが、別に彼女を邪険にしていたわけじゃない。 あの頃の俺はルカス殿に追いつきたくて必死だっただけだ」

「父はそんなにも強かったのですか?」

「強かったよ。 剣の腕も、ルカス殿自身も」

「そうですか……」

「君の前では違ったのか?」

「いえ、討伐中は確かに強かったですけど、母には頭が上がりませんでした。 『すぐ私を甘やかすんだから』って言って叱られてました」

「言われてみればそうかもな。 『俺の娘は世界一可愛いんだ』って散々言っていたし」

「え?!」


 確かに小さい頃、そのセリフは何度も聞かされた。

 大人になってから聞くと顔から火が出そうなくらいに恥ずかしい。

 しかもそれだけ溺愛ぶりを発揮してたって事はもしかして……。


「まさか自分の娘が魔力なしセロだってこと、バラしてないですよね?」

「いや。 バラした上で『可愛い娘に手を出したら承知しない』って牽制されたな」

「嘘……」


 そんな事言ったら『セロを産んだ親』だと指をさされて孤立させられるのに。

 父はそんなにも私の事を……。


「ルカス殿は本当に強い人だ。 今でも尊敬するよ」


 父の事を話す時の閣下は驚くほど穏やかだった。

 そんな彼の口から聞いた父のもう一つの顔。

 あの愛に偽りはなかったんだと分かり、無性に淋しくなってきた。


「……今、すごく父に会いたいです」

「……そうだな」

「でも、もう会えないんですよね」

「……あぁ」 


 久しぶりに大口を開けて笑う父の姿が目に浮かぶ。

 今の私を見たらどう思うだろう。

 なんて声をかけてくれるんだろう。

 私は感情が溢れてしまわないよう、ギュッと膝を抱えた。


「すまない。悲しませるつもりはなかったんだが……」

「いえ、聞いたのは私の方です。 それに、こうして父の話が一緒に出来る人がいてくれた事の方が何百倍も嬉しいです」


 そう言って笑うと、閣下は大きな手で私の頭をそっと撫でた。 


「ようやく笑ったな」

「え?」

「俺に笑ってくれたのは今のが初めてだ」


 撫でていたその手がそのまま耳元まで降りてきて、スルリと私の横髪を掬った。

 



   

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