第三章:百日草(ジニア)

 そこからはよく覚えていない。頭の中がボーっとしていて、気づいたら朝だった。

 ただ、テイの夢を見た。ぼくは今よりも目線が低く、目の前にはぼくが立っている。隣には小学生の時の煌華おうかが見える。あぁ、ぼくに初めて声を掛けてくれた時のテイの夢だ。二人は笑顔でひとりぼっちのぼくに声をかけてくれたんだ。テイが新しい両親の元へ行く前の日、三人で施設を抜け出してイザを拾ったあの公園で手持ち花火をしたんだ。確か、今と同じくらいの時期だったかな。

 それからテイとの最後の日。もちろん寂しいけど、テイが幸せならって精一杯笑って見送った。煌華はとても悲しそうな顔をしていたけど。

 その後は、ぼくの知らないテイの記憶。カスミさんと桔梗ききょうさんと楽しそうに話ながらご飯を食べているテイ。学校の友だちと昼休みにふざけあっているテイ。部屋でぼく、煌華、テイとそれからイザで撮った写真を大切そうに見ているテイ。テイはずっと笑顔で楽しそうで幸せそうだった。あぁ、こんなに幸せなら、この幸せがいつか終わってしまうものなのだとしたら、ぼくはきっと。


 目が覚めて、頭はぼーっとしていた。でも、昨日よりも落ち着いて夢のおかげか、自分なりにテイの死を受け止めることができていた。フラフラとした足取りでくちなしさんの家の居間へ向かう。目が覚めたら布団にいたから泊めて貰ったのだろう。


「おはよう維久いくくん。少しは休めたかな」


 居間に座って本を読んでいた桔梗さんが、こちらを向いて笑う。


「維久くん、おはよう。朝ごはん食べて行って」

「おはよう維久」


 カスミさんと煌華が台所から出てきて、ぼくの前にご飯とお味噌汁を置く。


「あ、おは…」


 二人は泣き腫らした目で笑っている。


「…おはよう!わぁ、美味しそう」


 ぼくの言葉に三人はホッとした様な表情をした。四人で手を合わせて朝食を食べる。お味噌汁の温かさで少し落ち着いた。


「美味しいです」


 煌華が言う。昨日あんなことがあったのに、いやあったからか、ご飯の美味しさが胸に沁みる。ご飯を食べ終わったあと、ぼくと煌華はカスミさんに言って二人で食器を洗った。


「煌華」


 何となく煌華の名前を呼ぶ。


「なに」


 煌華は手を止めずにこっちを見た。


「んーん、呼んでみただけ」

「そう」


 煌華は再び食器に視線を戻す。


「維久」


 次は煌華がぼくの名前を呼んだ。


「どうしたの」

「呼んでみただけよ」


 お互いに名前を呼び合っただけなのに少し泣きそうになった。ぼく達が食器を洗い終えて居間に戻ると、梔さん夫婦が2人で座っていた。ぼく達も二人の前に並んで座り、少し息を吸う。


「あの、昨日のこと、燈華のこと聞いても、いいですか?」


 桔梗さんはいつもの笑顔で微笑む。


「あぁ、もちろんだよ。少しは落ち着いたかい?」

「はい、昨日はご迷惑をお掛けして、すみません」

「いや、仕方ないよ。あの子は、君の家族みたいなものだろう」


 桔梗さんの言葉に胸がキュッとする。


「燈華はね、自分で命を絶ったんだよ」


 …あぁ、そっか。今日見た夢のような、幸せな日々の中で、テイはぼくと同じように感じたのかもしれない。


「最後に会った時もいつも通りの明るさと笑顔で、前の日は友だちと花火するんだって出かけて、私たちにも分からないんだ」


 桔梗さんは目を伏せて言う。


「私たちが、貴方たちと引き離してしまったから、本当は寂しくて。私たちの愛情が足りなかったから、知らないうちに追い詰めてしまっていたのかしらね…」


 カスミさんは悲しそうな顔で言う。


「そんなこと…」

「カスミ」


 煌華の言葉を遮って、桔梗さんが低く力のこもった声で名前を呼ぶ。


「僕達は、あの子にできる限りの愛情を捧げてきた。そうだろう?私は間違ってなかったと、思うんだ」


 ぼくは梔さん達の方を真っ直ぐ見て言う。


「燈華は確かに幸せだったと思うんです。だから、きっと、貴方たちのせいじゃない」


 ぼくの言葉に梔さん達は顔を見合せた。


「分かっているの。あの子の命呼執みことを見れば知ることができるって。あの子がどんな思いで生きて、どんな気持ちで命を絶ったのか。でも、私たちのせいなんじゃないかって、勇気が出なくて…」

「本当に情けない話なんだ。こんなことを言っておきながら、真実を知る勇気は僕達には無くてね」


 ぼくと煌華は顔を見合せる。それはそうだ。怖いに決まってる。


「そうですよね…。やっぱり怖いですよね」


 煌華は静かな口調で言う。


「あの、提案なんですが、私たちが命祀めいしのほうに持っていきましょうか…?」

「「え?」」


 梔さん夫婦は驚いたように声をあげる。


「私、燈華がこうなってしまったのはお二人のせいではないと思うんです。こんなに温かい愛情を貰って、燈華が幸せでない筈がない、って思います」


 煌華の言葉に梔さん夫婦は顔を見合せ、二人で頷くと「そう、そうだね。良かったら、頼んでもいいかな。燈華の命呼執を」と言った。


「「はい」」


 ぼく達の返事で桔梗さんは立ち上がると、棚から綺麗に収納されていた、まだ花の咲いている命呼執を取り出した。


 命呼執には『梔 燈華』と記されている。


「一番近い命祀ノ棚って、維久くんと煌華ちゃんの住んでるとこの近くよね。私たちが車で送るわ。ありがとうね」


 ぼくはイザの命呼執を持ち、煌華がテイの命呼執を受け取ると、それぞれ自分たちの荷物も持つ。時刻は朝の十一時。

 煌華が燈華の命呼執を撫でる。命呼執に咲いている複数の花弁を持つ花が静かに揺れた。



 車で一時間半くらい走ったら、薄暗い林の入口に着く。この林を抜けたところに、命祀ノ棚はある。ここからは歩いていかなければならない。真夏の暑い日だと言うのに、この辺りは涼しいくらいの気温だった。林を抜けた開けた場所に、塔のような建物、命祀ノ棚がある。命祀ノ棚へと近づくにつれ緊張で鼓動が早くなる。チラッと煌華の方を見ると、煌華も強ばった表情をしていた。


「私たちはここで待っていてもいいかな」


 ハの字眉で笑顔で笑う桔梗さんの足は少し震えている。ぼく達は黙って頷いて、扉に手をかけた。ぼくが扉を開くと、命呼執守みこともりはまるで来ることが分かっていたかのように微笑んだ。


「やぁ、維久君じゃあないか。久しぶりだね。と言うほど久しぶりでもないか」

「み、命呼執守様…」


 煌華は少し驚いた表情で言った。


「おや、煌華ちゃんもいらっしゃい。その髪飾り、まだつけていてくれたんだね」


 命呼執守の反応を見て、ぼくはイザの命呼執を持ってきた時のことを思い出す。


『どうか、良い旅を。』


「命呼執守様…ぼく達がまたここに来ることを分かって…」

「なんのことやら」


 命呼執守はとぼけたように笑う。


「それで?僕に用があるのだろう?私が思うに……煌華ちゃんが持っている、その命呼執のことかな」


 命呼執守はそう言いながら煌華の持っている命呼執に視線を向けた。煌華は少し躊躇いながら、震える手で命呼執を渡した。命呼執守はテイの命呼執を優しく撫でながら「また会えたね」と小さな声で言った。


「この命呼執を読めるようにすればいいのだね」


 命呼執守はぼく達を見据えて言う。


「「はい」」


 ぼく達は覚悟を決めて頷いた。命呼執守は燈華の命呼執の花を摘み取る。そして、優しく命呼執を開く。


百日草ジニア。花言葉『不在の友を思う、絆、いつまでも変わらぬ心』」


 すると、花は淡い光に包まれながら一枚の栞に変わる。


「これで読めるはずだよ」


 ぼくは命呼執守から命呼執を受け取ると、近くの机に命呼執を置いて、煌華の方を見る。煌華は小さく頷いた。ゆっくりとページを捲る。テイの命呼執はまるで小説のように、テイの字で書いてあった。初めは線のようなものや幼い子供が描いた絵が多くて読むことができなかったが、途中から平仮名ばかりの拙い字になった。そして段々と綺麗で丁寧な字に変わっていく。まるで一つの物語のように、テイの人生が書かれてあった。


 煌華と二人でこの施設に来た時のこと。

 ぼくと出会った日のこと。

 イザを拾った日のこと。

 二人で煌華のお菓子を盗んだ日のこと。

 施設を退所する前の日の夜のこと。

 施設を退所する日のこと。

 施設を出たあとの何気ない幸せな日々。

 その全てが宝物のように書かれていた。


 ぼく達は震える手でページを捲り続けた読み進めた。幸せな命呼執で悲しいことなんてほとんど書いていないのに、鼻の奥がツンとする。

 煌華はどんな顔をしているのだろう。どんな気持ちでこれを読んでいるのだろう。ページを捲るぼくの手に、どちらのものかわからない涙が落ちる。命呼執の残りのページが後わずかになったところから、燈華の命呼執には頻繁に『幸せ』と言う言葉が書かれるようになった。


『俺は人に恵まれてると思うんだ。

 煌華って言う可愛い妹もいて、維久って言う優しい親友もいる。

 母さんも父さんも沢山愛してくれて、学校の友だちだってみんな面白いやつらばっかり。

 ほんとに幸せ者だなと思う。ほんとに幸せすぎて怖いくらい。

 この先これ以上に幸せな時なんてないのかもしれない。

 もし、そうなら。

 俺は一番幸せな時に死にたいって、そう思うんだ。

 煌華も、維久も、イザも、俺を引き取って大切に育ててくれた父さんも母さんも、みんな愛してる』


 そこで命呼執は終わっていた。煌華の方を見ると奇麗な顔が涙でぐちゃぐちゃで、ぼくの視界も涙で歪んでいた。テイの命呼執も濡れてしまっている。


「良かった」


 煌華がポツリと呟いた。


「うん、本当に良かった」


 ぼくも煌華の言葉に返すように言う。良かった。ほんとに良かったと思う。燈華は幸せだったんだ。その時後ろから、扉が開く音がした。振り返ると、にこにこと笑っている命呼執守と、不安そうな表情のカスミさんと桔梗さんが立っていた。ぼくと煌華はテイの命呼執を持って立ち上がり、二人の前まで歩く。煌華が涙でぬれた笑みで桔梗さんとカスミさんにテイの命呼執を手渡した。二人は煌華の笑みを見て、安心した様子で泣き崩れた。


「燈華は、お二人のこと本当に大切に思っていたんですね」


 ぼくは微笑んで言う。


「お義父さん、お義母さん。幸せにしてくれてありがとうございました」


 煌華も精一杯に笑って伝える。その時の煌華の笑顔の奥に、燈華の笑顔が重なる。ぼくは思わずこう呟いた。


「二人とも愛してる」

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