第二章:衝羽根朝顔(ペチュニア)①

「テイ元気かなー?」


 ぼくはそう言いながら煌華おうかに目を向ける。

 テイというのは、燈華とうかのこと。小学生の頃、煌華が燈華のことを『テイ』呼んでいたのを聞いて、ぼくは彼のことをそう呼んでいる。

 煌華は少し戸惑いが混じったような優しい微笑みを浮かべて「多分ね」と言った。


 …煌華、どうしたんだろう。最近は煌華と話すことも少なかったから分からないけど、煌華の様子が少し引っ掛かった。何か怖がっているような不安を抱えているような…。何が煌華にそんな表情をさせているのかぼくには見当もつかない。


「あ、維久いく、そろそろ戻ろ。お昼ご飯の時間になるよ」


 ふと気が付いたように煌華が言った。煌華はいつもの表情に戻っていて、気のせいだったのかとも思える。


「え、もうそんな時間?」


 二人の会話が聞こえていたのか、命呼執みことの整理をしていた命呼執守みこともりが棚の間から顔を覗かせた。


「おや?もうそんな時間かい?通りで…僕のお腹の虫が騒がしいと思ったよ」


 相変わらず命呼執守は奇麗な顔でケラケラと笑っている。


「その命呼執どうするかい?ここに保棺する義務は無いし、持って帰ってもらっても構わないよ」


 命呼執守の言葉にぼくは思わず「え!いいんですか?後で煌華と二人でじっくり見たいし、持って帰りたいです!いいよね!煌華!」と言った。いきなり話を振られた煌華は困惑しながらも笑って返事をしてくれる。


「う、うん!そうだね。持って帰ろうか」

「この栞があればいつでも読めるから。あとこれも」


 命呼執守は目を細めて微笑みながら「どうか、良い旅を」と栞をぼくに手渡し、机に飾られていた1輪の花を煌華の髪に飾った。


「旅?旅ってどういう…」

「さぁて、僕はお昼ご飯にでもしようかね。お腹の虫が何か食わせろと文句を言っているよ」


 ぼくの疑問が命呼執守に届く前に、命呼執守は螺旋階段へと戻って行った。



 昼食を食べ終わったぼくは命呼執を持って煌華の部屋に行った。ぼくの部屋と煌華の部屋は少し離れているが、花を摘んだ命呼執は普通の本と見た目が差ほど変わらないのでさっきみたいにこそこそせずに持っていく。


「煌華!続き見よ!」


 それからぼくらは、イザの命呼執を読み進めていった。懐かしいアルバムを見ている気分だ。小さい頃のぼくたちはイザと顔も近くはっきりと写っていた。でも時が経つにつれて、ぼく達の身長も伸び下から見た姿が多くなりなんだか不思議な気持ちになる。そして最後の方は体格や服装で誰だか判断はできるが、顔ははっきり見えなくなっていた。イザが最後、目がよく見えていなかったということだろう。

 そして、この命呼執を見ていて一つ気が付いたことがある。ぼくたちが見ていない間に、三人以外にイザの世話をしていた人がいるということだ。

 施設の職員の山川さん。ぼく達にいつも寄り添ってくれる常勤のスタッフさんだ。彼はぼくたちがイザにあげる餌が足りない時に追加したり、使われていない小屋を整理してくれていたり、イザのために用意した小さなシーツを洗濯したりしてくれていた。それにぼく達が学校へ行っている間に動物病院にも連れて行ってくれ、ぼく達が安全に飼えるようにも。ぼくはてっきりきれい好きな煌華がいつもしてくれているものと思っていたが、確かにこんな長期間育てていて誰にもばれていないわけがなかった。とはいえ、時々イザと散歩をしたり遊んだりしているテイの様子を見ると元気でやっているんだろう。


「テイ、元気そうだね!」


 ぼくはそう言いながら煌華の顔を見た。ぼくの言葉に煌華は一瞬、顔を強張らせ肩を揺らしたように見えたが、いつもの笑顔で「そうね」と言った。イザと遊んでいるテイの笑顔を見ていると、イザとぼくら三人の思い出がフラッシュバックする。


「……テイに会いたいなぁ」


 思わず口に出した言葉に煌華は少し驚いたようにこちらを見た。


「でも、何処に住んでるのかも知らないのに」

「煌華も知らないの?」

「……う、うん、しらない、」


 煌華は心なしか、少しどもって答える。


「じゃあ、聞いてみればいいんじゃない?」

「いや、でも、ほら、個人情報だし、さ、教えてくれないでしょ」

「もー、聞いてみないとわかんないよ!煌華はテイに会いたくないの?」


 ぼくの言葉にいつもは大人しい煌華が少し声を荒らげて言った。


「そんなの…そんなの、会いたいに決まってる!」

「じゃあ…」


 煌華はぼくの言葉を遮るように立ち上がると「聞いてくる!!兄妹だし、教えてくれるかもだし!」と言って部屋を出ていった。


 煌華…、どうしたんだろう。ぼくと関わりが少なくなった後に何かあったのだろうか。今までの煌華の様子に違和感を感じたと同時に嫌な想像や、イザとぼくら三人の思い出、何故か今日の昼食の事などが頭の中をぎゅうぎゅうにする。そんな色んなこと同時に考えられないのに思考が止まってくれないから、いつも一人で困ってしまう。

 それから十分くらい部屋で待っていると、煌華がとぼとぼと帰ってきた。


「どうだった?」

「教えて、くれたけど…」

「けど…?」


 煌華はそこまで言うと少し黙った。それから指でそっと鼻に触れるような仕草をし、へらっと笑うと「金鳳花町きんぽうげちょう」と言った。


「きんぽうげ…?」

「そう。そこら辺に住んでるってことだけ、教えてくれたの」

「ってことは…」

「そこまで行けば見つけられるかも…だけどここからは少し遠いんだよね」

「いいじゃん!行こ!!イザの命呼執をヒントに探せば見つけれるよ!多分」


 呆れたように笑う煌華は、少しだけ嬉しそうに見える。


「うん…。そうだよね!頑張ろっか」



 それからぼく達は燈華に会う為の計画を立てた。まず施設のパソコンを借りて、金鳳花町への行き方を調べた。ぼくたちは周りの高校生とは違い、スマートフォンというものを持っていない。そもそも連絡取る人も居ないしあまり必要性を感じない。話すことが出来るのも、昔から煌華と燈華しかいなかったし。

 そういえば、煌華と燈華と共に過ごすのは当たり前で、これまで聞いた事がなかったけど…


「煌華って、なんでここに来たの?」


 ぼくの言葉に煌華は変な声を出す。


「へっ?!え、なに、いきなり。なんでって…え?ん??」

「あ、えっと。どうしてこの施設に来ることになったのかなって、聞いたこと無かったなと思って…」


 言葉足らずで煌華が困ってしまったのでぼくは慌てて言い直す。


「あぁ、そういう…。そっか、話したこと無かったかもね」


 ぼくは手を止め煌華の方を見た。煌華はパソコンを触りながら話し出す。


「私と燈華にはね、元々お父さんがいなかったんだ。私たちがお母さんのお腹にいる時に亡くなっちゃって」


 ぼくは黙って煌華の話を聞く。


「お母さん、一人で頑張って育ててくれてたんだけど、やっぱりお父さん死んじゃって辛い中で、一人で私たち育てるのも限界だったみたいで、私あんまりいい子に出来なかったと思うし…」

「煌華は…いい子だよ」

「今はね」


 煌華は眉毛を八の字にして笑った。


「ま、そんな感じでさ、お母さんは段々家にいる時間も少なくなって、ある日帰ってきたお母さんは私たちを連れてこの施設に…ね」


 煌華はそこまで言うと、手を止めて「そんな感じかな」と言ってぼくの顔を見た。

 ぼくは、煌華の笑顔を見て何も言えなくなった。自分から聞いたのに。


「維久は?私も答えたんだから教えてよ。ここに来た理由」

「へ?」


 ぼくは再び煌華の顔を見た。ぼくは少し考えてから話し出す。


「んーとね、ぼくの父さんと母さんはね、ぼくが小学生の時に、死んじゃったんだよね」

「うん」


 煌華は手を止めたまま、ぼくの話を聞いている。


「事故で二人とも死んじゃって、ぼくだけ生きてて、父さんも母さんも一人っ子だし、おじいちゃんおばあちゃんはどこにいるかわかんないしで、気づいたらここにいたんだよね」


 煌華は優しく微笑みながら「そっかそっか」と話を聞いてくれた。



 そんなことを話しているうちに、ここから金鳳花町まではバスで二時間程かかることが分かった。


「やっぱりちょっと、遠いね」


 煌華は行き方を見ながら呟いた。


「夏休みとか、時間ある時じゃないと難しいかな」

「うん、そうね。夏休みまで後二ヶ月くらいだし…それまでにお金貯めて、計画立てれば…」


 幸い、二人ともバイトがOKな学校なのでぼくはスーパーの品出し、煌華はカラオケの店員をしている。ぼくは不器用で人付き合いも苦手だから、これでバイトも三つ目なんだけど。


「よし、ぼくシフト増やしてもらうっ」


 すると煌華も「私も増やして貰おうかなっ」と言った。


「でも、維久、シフト増やしてしんどくない?大丈夫?」


 煌華は心配性だからいつもぼくの心配をする。ぼくも、もう高二だし大丈夫だと思うんだけどなあ。


「そういえばさ、イザの命呼執に山川さん載ってたじゃん」


 ぼくはふと思ったことを話す。


「あぁ、そういえばバレてたみたいだね」

「そうそう。知ったうえで黙ってぼく達がイザを飼う手助けしてくれてたわけだからさ、イザが命呼執になったこと言った方がいいと思うんだよね」

「確かに。お礼も言いたいもんね」


 煌華の言葉にぼくもうなずきながら話す。


「でも今日は山川さん早番でもう帰っちゃったから、明日朝ごはんの後とかに話に行かない?」

「そうだね。二人で行こう」


 ぼく達は明日山川さんにイザについて話に行くと決めそれぞれの部屋に戻った。


 山川さんはぼくの中で一番信頼できる大人だ。

 優しく、一生懸命で面白く、そしてちゃんと叱ってくれる。一部の職員には嫌われてるらしいけど、きっと大人の嫉妬という奴だろう。小さい頃、中学生や高校生のお兄さんお姉さんが大人に見えた。だけど実際高校生になってみると自分が大人になれるわけじゃなくて、小さい頃と基本的には何も変わってなくて、でも今の小さい子たちから見たらぼくもきっと大人に見えている。山川さんは立派な大人に見えるけど、周りの大人や山川さん本人にとってはまだまだ子供なのかもしれない。でも、大人になったと勘違いして自分が偉いと勘違いした子供のままの大人よりも、自分はまだまだ子供だと知り、学んで成長している大人の方が信頼のできる大人だとぼくは思う。山川さんはぼく達子どもと一緒に成長しようと努力してくれる大人だからきっと信頼できるのだろう。


 次の日、朝ごはんを食べたぼくが命呼執を手に煌華の部屋へと向かう廊下を歩いていると前から歩いてきた煌華と会った。


「あ、維久!今から部屋に行こうと思ってたの」


 煌華がかわいらしく微笑む。


「ぼくもだよ」

「それじゃ、行こっか。たぶんホールのところのカウンターにいると思うんだよね」


 この施設は三階建てで、一階には食堂、キッチン、ホール、小さい子たちが遊べる部屋などがあり、二階には女子部屋とレクリエーションルーム、三階には男子部屋と職員室、相談室などがある。ぼく達は階段で一階まで降りると、ホールに向かった。

 ホールに入るとカウンターで仕事をしている山川さんが見える。


「あ、山川さん!」


 煌華が声を掛けると山川さんは返事をしながらこちらを向いた。


「お?維久と煌華か。久しぶりに見る組み合わせだな」


 山川さんはぼくと初めて会った時より少し貫禄の出た顔で子供のように歯を出して笑う。


「話したいことがあって、今忙しい…ですか?」


 前はため口で話していたものの、高校生になってから年上にため口でいいものかと、下手な敬語を使う。


「話したいことか。今まとめてる奴がもう終わるからそのあとでもいいか?」


 山川さんはチラリと手元の紙に目を向けるとそう言った。


「大丈夫です」


 煌華が答える。


「それじゃあ、そうだな。多分今相談室空いてるはずだから先に行っといてくれるか」


 ぼく達は相談室に行き、山川さんを待った。

 煌華がふぅ…と息を吐いて言う。


「山川さんと話すの慣れてるのになんだか緊張しちゃう」

「わかる。ぼくも少しドキドキしてる」


 それから二十分程して山川さんが相談室に来た。


「お待たせ。で、話って?」

「はい、えぇとイザのことで…」

「イザ?」

「あ、えぇとぼく達で飼ってた犬の…」


 山川さんはハッとした顔をした後すぐに眉を潜めた。


「あぁー、ん?俺バレてたのか?犬のこと」

「いえ、知りませんでした」

「じゃあ…」

「昨日、朝ごはんあげに行ったらイザが居なくて」


 山川さんは相談室にあるお菓子をつまみながら話を聞いている。


「それで、イザがいたところに命呼執があって」

「あぁ。何となくわかった。つまりあれか。命呼執がその、イザ?のもので、そこに俺のことが描かれてて…みたいな」

「そう。そうなんです」

「それを報告しに来てくれたわけか」


 山川さんはうんうんと頷きながらぼく達の方にお菓子の籠を寄せる。煌華は小さく会釈をするとキャラメルを一つ取って口に入れた。


「それとずっと一緒にお世話してくれてたお礼を言いたくて」

「お礼なんていいんだよ。それにここの施設の職員みんな知ってたんだよ。イザのこと」

「「へ?」」


 ぼく達は間抜けな声を出して山川さんの顔を見た。


「餌代とか職員みんなで出し合ってたんだよ。お前らがあまりに可愛がってたからこっちで色々手続きしてな」


 山川さんの話によると、ぼく達が内緒で犬を飼ってることに気付いた時、ぼく達が自分たちなりに考えてお世話しているのを見て、最初は誰にも言わないつもりだったらしい。しかし、バレるのも時間の問題で自分だけでサポートするのも限界があると判断した山川さんは施設の職員らに相談し、協力してもらっていたという。


「そう、だったんですか。ほんとに、ありがとうございます」

「おう。よかったらその命呼執貸してくれないか?俺も見たいんだ」

「私たちいっぱい写ってて少し恥ずかしいけど、いいよね」

「もちろん」


 ぼく達は山川さんに命呼執を貸して相談室を後にした。



 それから二ヶ月。

 明日から夏休みに入る。


「さて維久!明日から夏休みだよ!」


 学校が終わり部屋で明日からの準備をしてたぼくの前に仁王立ちで煌華が言った。珍しく張り切ってる様子で、こっちまで気分が上がる。ぼくは椅子に座ったまま煌華を見上げて言う。


「うん、そうだね!今ね、明日の準備してたんだ」


 煌華はそのままぼくのベッドへ移動し、腰掛ける。


「私はもう終わったよ。維久絶対忘れ物するから手伝いに来たの!」


 やっぱり煌華は心配性だ。でも、そこが優しくて好き。


「えへへ、ありがとう。煌華のそういう優しいとこぼく好きだな」

「すっ…?!いや、え、何言ってんのっ!ほら、さっさと準備するよ!」


 煌華は顔を赤くして言った。


「煌華暑い?ぼく寒がりだし冷え性だから冷房の温度高めなんだよね。下げる?」

「あ、えと、うん、ちょっと暑いかも、でも、大丈夫だよ。ありがとう」


 ぼくは冷房を下げて、二人で雑談をしながら準備を終わらせた。



 次の日の朝。ぼく達は施設で朝ごはんを食べてから家を出た。ぼくは地図を見ても道に迷うから、煌華が施設のパソコンから印刷した地図を手に持って歩く。


「ここ真っ直ぐ行ったところのバス停から金鳳花町に行くバスがあるみたい。でも、まだ時間あるし、飲み物でも買っていこうか」


 ぼく達は飲み物を買うために、徒歩1分くらいの所にあるコンビニへと向かった。コンビニに入るとスっと風が顔に当たり、思わず「わ、涼しー!」と声に出す。それから飲み物を買うために、コンビニ内を歩く。水を手に取っている煌華にふと気になったことを聞いた。


「そういえば、煌華は今までテイに会いに行こうと思わなかったの?」

「んー、何度か、行こうとは思ったの。もちろん維久も誘ってね。だけど…」


 水のパッケージを眺めながら煌華は言葉を止めた。ぼくは黙って次の言葉を待つ。


「うん…だけどね。なんて言えばいいんだろ。んー…怖かった、んだよね。…せっかく新しい家族が決まって、新しい幸せが待ってるはずの燈華の日常にさ、過去を思い出させるようなことをするのが。……あと、ずっと一緒にいた私のいないところで幸せになってる燈華に会うのが」

「そっか」

「うん。私、いい子じゃないから」


 煌華は塩分チャージのタブレットを手に取る。後ろ姿で表情は見えない。ぼく達はそれぞれ買い物を済ませ、コンビニを後にした。



「お嬢ちゃんたち、金鳳花町へ行くんかい?」


 バス停で話しているとき、横にいたお婆さんがにこにこしながら言った。


「あ、えと、親友に逢いに行くんです」

「そうかいそうかい。ワタシはね、金鳳花町から来たんよ。孫に会いたくてねぇ」

「金鳳花町はいい所なんよ。自然豊かで、花がようけ咲いちょってねぇ、ちいと田舎なんやけど…いい所よぉ」


 ぼく達はお婆さんと話しながらバスを待つ。


「お嬢ちゃん達も次のバスに乗っち行くんやろぉ?良かったら一緒に行かんかしら。話し相手になっち欲しいわぁ」


 ぼくと煌華は一瞬顔を見合わせて「「是非!」」と言った。ぼく達はバスへ乗ると、一番後ろの席で三人並んで座った。


「そういえば、名前聞いてなかったねぇ…」

「あ、えと、ぼくは維久って言います。で、えと、そっちの子は煌華です」


 お婆さんは相変わらずにこにことしている。笑った顔がいつもの顔なのかもしれない。


「わぁ、素敵な名前ねぇ。維久さんと煌華さん。えらしいわぁ」

「ワタシはねぇ、キクって言うのよ。あのー、菊の花の菊ね」


 キクさんは、孫のことや金鳳花町のことなどを話してくれた。のんびりしていて、雰囲気の良い町ということ、美味しい定食屋さんのこと、子どもが減ってきていること…。


 それはそうと、バスで遠出をするのは初めてだけど、どんどん流れていく山や田んぼ、家々がとても奇麗だった。川を反射する光はきらきらと目に映る。景色があまりにも奇麗で、燈華にも見せたいと思うと同時に‘‘死にたい‘‘とぼくは感じた。

 …ん?死に、たい?

 なぜぼくは今死にたいと思ったんだろう。いやいや、生きたいの間違いだ。きっと。死にたいも生きたいも、似た感情だから勘違いしたんだろう。


 キクさんとお話をしているうちに、気づいたらぼく達は金鳳花町に到着していた。


「お友達に会いにいくっち言っちょったかしら。こん町はそげん広うないけん、人に聞けば直ぐに見つかると思うわ。早く会えるといいわねぇ」

「はい!ありがとうございました!」


 ぼく達はキクさんと分かれ、金鳳花町の地図を見るために近くのベンチに座った。喉が渇いていたぼくは、さっき買ったオレンジジュースを開けて思っきり飲む。


「んぅえっ?!あ、うえぇ…煌華ぁ…これ、ぱちぱちするぅ…」


 普通のオレンジジュースと思って飲んだのに、シュワシュワパチパチで、驚いて煌華に助けを求める。


「ちょ、え?維久何やってんの」


 煌華はぼくの方を見ると、笑いながらぼくのオレンジジュースを取った。


「はい、こっち飲みなよ。維久は昔から炭酸苦手なんだからちゃんと確認して買いなね」


 二人で休憩しながら地図を見る。


「今いるのが、多分ここのバス停。だから、多分こっちに真っ直ぐ進んだら住宅地があると思う!」


 煌華が地図を指さしながら説明してくれる。イマイチ分かってないけど、煌華に着いていけば多分大丈夫!!にこにこしながら頷いているぼくに「分かってないでしょ」とツッコミを入れながら、煌華は立ち上がる。


「町の方に行ったら、さっきキクさんが言ってた定食屋があるみたいだからそこでお昼食べてから探そうか」


 歩き出す煌華に続いて、ぼくも歩き出す。


「お腹すいたなあ!煌華、抹茶好きだったよね!あるかなあ〜」


 煌華は少し驚いたように笑いながら「よく私が好きな物覚えてたね?」とぼくの方を見て言う。まぁ、そりゃ……


「好きな人の好きな物くらい覚えてるよ」

「えっ…?!」

「テイは唐揚げとかチキン南蛮とか大好きだったよね〜」


 ぼくも笑いながら煌華の方を見る。


「んぁれ?煌華ちょっと顔赤くない?あ、暑い中歩いたもんね!お水ちゃんと飲むんだよ」


 煌華は少し膨れたように「分かってるって」と言った。やっぱり反応面白いなぁ。見てて飽きない。


「あっごめん!そういえば、さっきぼくが煌華のお水貰っちゃってたね!はい!これ飲んで?」


 煌華は何か言いたそうに口をモゴモゴさせた後、ふぅ…と息を吐いて「ありがとう!貰うね!」と笑った。

 そうこうしている内に、気づいたら建物に囲まれていた。


「あ……話に夢中になってたけど、多分ここが住宅地だね」


 ザ・田舎!と言うほど田舎ではない様子で、田んぼも多く見られるが、綺麗な一軒家も多い。マンションなどの高い建物はほとんどないが、すれ違う人みんなに「こんにちは〜!」と挨拶される。

 なんだかここは…


「温かい町だね」


 ぼくと同じことを考えていた煌華が口に出していった。


「そうだね。あったかいし、きれい!」


 気づいたらもう十二時を回っている。


「煌華ぁ、お腹すいた…。定食屋さん何処かなぁ」

「う~ん、そうだね。ここら辺にあると思うんだけど…」


 ぼくは辺りを見渡し、煌華は地図を見る。


「あっ煌華見てみて!」

「ん~?定食屋さん見つかっ…て、わぁ!向日葵だ。凄いね。こんなにたくさん…」

「うん。すごい。………煌華って、向日葵似合うね。絵になる」


 向日葵を見ている煌華を見ながらぼくは笑った。


「向日葵ってなんか。大人っぽさと無邪気さを兼ね備えてるみたいな感じがするじゃん?」

「え?あー。確かに、背が高くて明るい感じがしてかわいいし…」

「うん、そこが煌華みたいだなと思って」


 煌華はぼくの話を聞きながら嬉しそうに笑う。


「それを言うなら維久だって向日葵みたいだよ」

「え?ぼくも?…じゃあお揃いだね!」


 お揃いという言葉に反応して、煌華はぼくの方を見る。そして、少し照れたような動作をし、さっきよりも嬉しそうに、向日葵のような笑顔で笑った。


「そういえば、煌華は向日葵の花言葉、知ってる?」

「知らないかも」

「『あなたを見つめる』『憧れ』らしいよ」

「あなたを見つめる…憧れ・・・」


 向日葵を見ながら復唱する煌華の横顔をぼくは見つめる。見慣れた横顔にテイの面影を感じて、より一層テイに会いたいという気持ちが強くなった。


「さ、定食屋さん探そ!……維久?」

「あ、ああっ!ごめん!向日葵があんまりにも奇麗で…」


 テイのことを考えていて、一瞬呼ばれたことに気づかなかったぼくは慌ててよく分からない言い訳をした。煌華は不思議そうに「私の事見ながら?」と首を傾げる。煌華の動作は一つひとつが奇麗で、女の子らしい…というか可愛らしい印象だ。学校でも噂になるくらいにはモテるみたいだし、いつも一人のぼくと人気者の煌華がこうやって二人で出かけるのは、ぼくにとっては少し億劫に感じる。


「煌華がいるから、向日葵もより奇麗に見えるのかもねっ!さ、お腹空いた〜。定食屋さんどこかなー?」

「え?え?ちょ、維久っ!待ってって」


 最近の煌華の様子は少し気になるけれど、こんな日常のやり取りが楽しかったと改めて実感する。


「んー、ここら辺だと思うんだけどなぁ」

「定食屋さん…定食屋さん、なんだっけ『ふじや』だったっけ」

「キクさんがそう言ってたはず……あ、維久、見て」


 煌華は少し進んだところで止まると、満面の笑みでこちらに向き直し、すぐ側にあった古い家を指さした。


「んー?……あ。ふじや!」


 煌華の指さす方を見ると、古い家の玄関に「お食事場 ふじや」と書かれている看板があった。定食屋を見つけた嬉しさでぼくのお腹がぐぅとなる。


「ふふっ…早く入ろ!お腹すいたね」


 と言いながら、煌華はふじやのドアを開けた。


「あら、いらっしゃ…あらあらあら、見ない顔!若い子たちが来てくれたわ!」


 ぼく達を見るなり、お店の人が人懐っこい笑顔で歓迎してくれる。


「えと、二人で…」

「二名様ね!お好きな席座ってちょうだい!

 貴方ー!お冷とおしぼり二つー!」


 夫婦でやっているのかお店の奥から「あいよー」という返事が聞こえる。


「お嬢ちゃん達いくつかい?」

「どこから来たの?」

「ここの海老天食うてみぃ?絶品よ」


 お店にいたお客さん達も、笑顔で話しかけてくれる。


「ちょっとちょっと!質問は後!うちの定食食べに来てくれたんだから、先にご飯よ」


 お店の女性がお冷とおしぼりを机に置きながら言う。


「これ、メニューね。お昼の定食はここからだから、好きなの食べて!」


 ぼくがメニューを覗き込むと「当店おすすめ好きな料理 五百円」とデカデカと書かれてある。


「お、おすすめのやつって…」


 お店の女性はうーん…と少し考えてから


「旦那が作る料理はどれも絶品だから、特別オススメなものとかはないのよねぇ〜。強いて言うなら、全部?えーと、お名前を聞いても?」

「あ、えと、維久です」

「煌華って言います」

「維久君と煌華ちゃんは好きな食べ物とかある?」


 ぼくは反射的に答える。


「エ、エビフライっ」


 その言葉にお店の女性はにんまりと笑いながら、煌華に目を向け「煌華ちゃんは?」と聞く。


「えぇと、チキン南蛮と、あと、抹茶…」

「飲み物は?」

「オレンジジュース…で」

「あ、私、烏龍茶…」


 お店の女性はうんうんと聞いたあと、


「エビフライと、チキン南蛮と、抹茶ね…。そういえば、ここに来る度に唐揚げかチキン南蛮をよく頼む、君たちと同い年くらいの子がいたんだよねぇ」


 と懐かしそうに言った。

 お店の女性の言葉に、ぼく達は思わず声を出して顔を上げる。


「「えっ?!」そ、それって…」


 お店の女性はキョトンとしながら「あぁ、いや、でも、半年以上前で、今はもう来てないんだけどね」と笑う。そして「料理出来るまで少しかかるから待っててね」と厨房へ消えていった。


「煌華…!店員さんが言ってたのってもしかして…!」


 ぼくは止まらないフワフワした気持ちを抑え、ニヤつく顔を隠しながら煌華に問う。煌華は…笑顔ではなかった。


「半、年……」

「お、煌華…?あの、テイがさ!もしかしたら!」

「お前たち…あー、維久くんと煌華ちゃんだっけ?その坊ちゃんと知り合いなのかい?」


 お店にいたお客さんの言葉に煌華はハッとしたように顔を上げ、いつもの笑顔で笑う。


「はい!多分、双子の兄なんです!」


 ぼくも続けて「一緒に育った親友だと思います!今日はその子に会うためにここに来たんです!」と言った。


 お客さん達は、顔を見合わせると


「そうかぁ!あいつは明るくて良い奴でよー!街のみんなに好かれてんだ!」

「よくこのお店に来て『美味い美味い!』『おばちゃんの料理は最高だね!』って美味しそうに頬張ってたのわ〜」

「よく見ると煌華ちゃん、その子と顔立ちがよく似てるねぇ〜」


 などと口々に言い出した。


「でも、ここ最近姿を見なくてよぉ、まぁもしかしたらこの店に来る暇もないくらいお友達が増えたのかもしれないな」


 お客さんはみな、表情豊かに話していて人の良さが伝わってくる。


「そ、そうですよね!!あいつ一人で突っ走るけど、意外と周りよく見てて!」


 そんな話をしていると、両手に料理を持った店員の女性が戻ってくる。


「お〜!盛り上がってんねぇ!ほい!これ、エビフライ定食と、チキン南蛮定食ね!それと、オレンジジュースと烏龍茶」


 目の前に美味しそうなエビフライが置かれる。揚げたてで、キラキラと光る大きなエビフライ。


「い、「いただきます!」」


 二人ともお腹が空いていたので、思っきり頬張る。昔、母親が作ってくれたのを思い出して涙が出そうになるのを抑えながら「うんまぁ〜!」という声は抑えられない。煌華もハフハフしながら美味しそう食べる。


「うんうん!いい食べっぷり!やっぱり煌華ちゃんのその顔、あの子にそっくり!」


 と店員の女性は言う。

 エビフライ定食に付いてたおにぎりも、両手で持って口いっぱいにかぶりつく。


「それじゃ!ごゆっくりね!」

「「はい!」」


 返事をして、二人とも夢中で食べる。もう少しで食べ終わる…ってところで、お店の女性が再びやってきて


「はい、デザートの抹茶アイスと、みかんのアイスにしたけど良かった?」


 と言いながらアイスを二つテーブルに置く。

 ぼく達は目を輝かせ、残ったご飯を完食すると「「ありがとうございます!」」と言ってアイスを食べる。冷たくて舌にのせた瞬間溶ける。


「んぅ〜〜!」

「維久、美味しそうに食べるよね」


 煌華はぼくを見て、笑いながら言う。


「だって、美味しいんだもーん!ほら!煌華も食べてみて!」


 ぼくは一口スクって、煌華の方へスプーンを向ける。煌華は少し顔を赤くして、目をキョロキョロと逸らしたあと「あ〜もう!」と言いながら、みかんアイスを食べる。


「あっ…美味しい!」


 食べるとパッと目を輝かせてぼくの方を見る。


「い、維久もこれ…」

「食べていいの?!いただきまーす!!」


 煌華の言葉に、ぼくは抹茶アイスをスクってぱくりと食べる。


「あ、え…」


 煌華はぽかーんとしている。


「あれ、食べちゃダメだった?」

「はぁ…んーん、私もあげようと思ってたの」


 呆れたように笑う煌華。本当に可愛くて面白くて、一緒にいて楽しく思う。ここにテイが居れば…なんてことは、テイに会ってから話すことにしよう。



 ご飯を食べ終わったぼく達は、お茶を飲みながら少し休憩をした。


「ん~!お腹いっぱいだね~」

「食後のお茶が美味しい…。ご飯の後のお茶ってなんでこんなに美味しいんだろうなぁ…」

「煌華おばあちゃんみたぁ~い!」

「お、おばあちゃんって…」


 ぼくが煌華をからかうと少し驚いた表情をしたが、直ぐにほっぺたを膨らませてぼくを睨む。


「私がおばあちゃんなら、維久はおじいちゃんだね!」

「えっ…」


 ぼくが困惑した表情を浮かべると、煌華は勝ったとでもいうようにどや顔をした。


「ってことは、おじいちゃんとかおばあちゃんになるまでぼくと一緒にいてくれるってこと⁈」

「えっ、あ、えと、ちがっ…くはないけど、えぇと、あの…」


 今度は煌華が困惑しながら、恥ずかしそうにきょろきょろと目を泳がす。


「そうだよね!ぼく達ずっと一緒って約束したもんねっ!」


 そう。イザを拾ったあの日、ぼく達三人はイザと一緒に約束をした。新しい家族が決まっても、沢山会いに行って、ずっとずっと一緒にいると。年をとって、しわしわになっても、いつまでも一緒にいると。この、イザの命呼執を見つけたときは不安と焦りとでパニックになっていたけれど、イザは寿命で弱っていることは知っていたし、命はいつかなくなるものと分かっていた。だから、思ったよりも早くイザの死を受け入れることができたし、命呼執があるから離れ離れだとも思っていない。テイもイザが命呼執になってしまったことを知れば悲しむかもしれないけど、大丈夫なんだと思う。


「よし!休憩もできたしそろそろいこうか!」


 テイに話したい事もたくさんあるんだ。それに、ぼく達のところに来ないってことは、さっきのお客さんも言ってたように、そのくらい色んな人に囲まれて、幸せなのかもしれない。



「ご馳走様でした。美味しかったです!」


 煌華は言いながらお会計をする。ぼくもその後ろに並んで順番を待つ。そして、お会計をしながら聞きたかった、聞かなきゃいけなかったことを聞く。


「あ、あの。さっき話に出た男の子って、どこに住んでるか分かりますか?」


 お店の女性はお釣りをぼくの手に乗せながら


「多分、くちなしさんのとこじゃないかしら。あのー、五十代のね、夫婦のお家なのよ」


 梔さん…。


「どの辺にありますか?お家」


 煌華も続いて聞く。


「そこまでは私も知らないのよ。ごめんなさいね」


 ぼく達はお店の女性にお礼を言い、お店を出た。お店を出る時に「ご馳走様でした!」と言ったら、お店の奥から「あいよ〜」と声が聞こえて二人で笑う。顔は見えないけれど、気の良い人なのだろう。




「さて、これからどうしようか」


 煌華は周りを見ながら言う。


「うーん、会った人に聞くしかないよね」

「そうだね、珍しい名前だし、聞いたら知ってる人もいるかもしれないしね」


 ぼくは煌華に着いて住宅地を歩く。夏休みということもあって、学生が多いから燈華本人を知っている人もいるだろう。


「とりあえず人が集まりそうなところでもいく?」


 煌華が歩きながら言った。


「人が多いところかぁ…。そういえば、イザの命呼執に公園が載ってたよね。燈華と一緒に遊んでる写真」


 ぼくは持っている命呼執を開き指さす。二人で命呼執を見ていると、写真の中の一枚に「金鳳花公園」と書いてる文字が見えた。


「煌華、金鳳花公園ってどこにあるか分かる?」


 ぼくは煌華に目線を向け聞く。


「ちょっと待ってね」


 煌華は地図を指でなぞるように探した。


「ここ、じゃないかな!」


 煌華はある公園でピタッと指を止めると、周りをキョロキョロと見渡す。


「多分…こっちだと思う!二〇分ぐらいかかるけど迷子にならないでね、維久」

「分かってるよ〜!」


 返事をしながらふと腕時計を見ると十四時前。煌華の案内に着いていきながら公園まで向かった。目的地に向けて歩き始めると小さく水の音が聞こえてくる。地面からじわじわと蒸し返す熱気から目を背けるように、大きくなっていく水の音の方へと目を向ける。すると、大きな川が目に入った。


「わ、川だ。大きいね」


 川辺では部活帰りだろうか、坊主でバットを持って健康的に焼けた肌の男の子たちがアイスを片手にふざけあっている。男の子たちから少し離れたところでは、大人と手を繋いでキャッキャと笑う子ども。きっと親子なのだろう。他にもぎこちなく手を繋いでいる男女、犬と戯れている若い女性や幸せそうな老夫婦。みんなそれぞれの人生を楽しんでいるように見えた。


「せっかくだから、川沿い通ろうか」


 煌華は振り返りながら言う。振り向くときにふわりと揺れた水色と白の清楚なワンピースが煌華によく似合っていると思った。


「うん!いいね。どうせなら、少し遊んでいかない?」

「川で?」

「暑いし、水、気持ちよさそうだよ」


 煌華は一度川の方に目を向けると、嬉々とした表情で「仕方ないなぁ!少しだけだよ?」と川へ向かう階段を下りた。


「うん!」


 大きなこの川はどこにつながっているんだろう。もしかしたらバスで見たあの川までずっと流れているのかもしれない。川に近づくとそれだけで気温が少し下がった気がする。


「維久も早くおいでよ!水、冷たくて気持ちーよ!」


 気付くと煌華は川の水を手でパシャパシャとしている。


「え、いいなぁ~!」


 ぼくも川に近づくと右手を水の中に突っ込む。


「わぁ~!冷たいね!綺麗だね!」


 ぼくは右手を水の中で揺らしながら、煌華を見る。煌華は水の中にあるぼくの手に目を向けて、ぼくの方に波を送るように手を動かしながら呟く。


「なんか、あれだね。維久の手、溶けちゃいそう」


 その言葉にぼくも自分の手に目を見る。


「そうかな?水には溶けないよ?ぼく人間だし」

「そりゃ、実際に溶けたら怖いでしょうよ」


 力を抜いた煌華の手が川の流れでぼくの手にコツンと当たる。


「そうじゃなくてさ。なんか白くて細くてさ、なんていうんだ?えぇと、儚いというか…。川の流れに溶けてなくなっちゃいそうだなぁって、そう思ったの」


 確かにぼくの肌は透けてしまうんじゃないかと思うくらい白い。色白な煌華と比べても、青白いぼくの肌は白く見える。


「この旅で少しは健康的な色になるんじゃないかな?そしたら溶けないかも」


 煌華の手は、無力にぼくの手にもたれている。


「維久はいなくならないでね」


 髪の毛が風に揺れて表情は見えないが、何となく泣きそうな表情をしていることは分かった。


「イザもいなくなったわけじゃないよ。ほら、今もここにいる」

「うん」

「テイも君の前からいなくなってないよ。今も幸せに暮らしてる。もうすぐ会えるんだ。それに、ずっと一緒にいるって約束した。ぼくが約束破ったことなんてないでしょ?」

「……うん。目の前にいなくてもずっと一緒、だもんね」


 煌華は顔だけこちらに向けて笑った。良かった。泣いてはいなかったようだ。ぼくも笑い返して、水から濡れた手を出すと煌華に向かって水を飛ばした。


「ひゃっ⁈ちょ、ねぇ!顔濡れたんだけどっ!」

「あっはっは、ばーかばーか!」

「もぉー、嫌いになるよっ」

「え、え、なんでっ、ごめんね?ねぇって、おわぁっ⁈」

「へっへーん!やり返し~」


 小さな子どもみたいに水を掛け合って小さな子どもみたいに笑いあう。しばらくそんなやり取りをした後、公園に向かうために立ち上がった。


「そろそろ行こうか!」

「うん!」


 二人でぐぅっと伸びをし地図を頼りに歩いた。それから、煌華の案内に着いていきながら公園まで向かう。


「広い公園だね〜」


 着いた公園は遊具は少ないが、広くて小さい子が走り回っている。小学生はもちろん、親子や高齢者の方などがお散歩をしたりと賑やかな公園だ。


「とりあえず手分けして聞いてみよ!維久はあっちの方の人達に聞いてみて!」

「わかった!」


 ぼくは煌華に言われた通りに公園にいる人に梔さんの家について聞きに行く。


「あ、あの…」


 最初に声をかけやすそうなおばさんに聞いてみようと思い声をかけた。


「あらあらあら〜。初めて見る顔ねぇ!綺麗な顔だわ〜!あ!田中さーん!この子見て〜肌白くて綺麗よねぇ!若くて羨ましいわぁ〜!お名前なんて言うのかしらぁ?」


 ぼくが声を掛けた途端に、喋り出すおばさんに少し怯みながら「あ、えと、維久です」と答える。


「あら〜!維久くんって言うのね〜!田中さん!この子維久くんですって!いい名前よねぇ!あ、こっちは田中さん。私は鈴木敏子よ♪みんなには敏子おばちゃんって呼ばれてるの〜!こんなおばあちゃんだけどよろしくねぇ〜!あ、そうだ!飴ちゃんいる?塩飴よ!暑いから塩分がいいのよ〜!田中さん何か持ってる?あら!黒棒!いいじゃなぁーい!維久くん、ほらほら!貰ってもらって!」


 敏子おばさんの怒涛の喋りに圧倒されながら、話を聞いていて、気づいたら両手にお菓子が握らされている。


「あ、ちょっと待って。今何時かしら。えぇと、十五時?!今日はダンスのレッスンなのよ〜!そろそろ行かなきゃ!田中さんと維久くんまたねぇ〜!!」


 嵐のように公園からいなくなった敏子おばさんを見送りながら、ため息を着くと、さっき敏子おばさんに田中さんと呼ばれてたおじさんが話しかけてきた。


「相変わらず凄い勢いですよねぇ…。あ、田中です」


 敏子おばさんとは違い、大人しい印象の田中さんは笑いながら自己紹介をする。


「あ、維久って言います。あの…」


 ぼくが再び梔さんについて聞こうとすると「いやぁ〜、鈴木さんもいい人なんですよ。よく喋るんですけどね!あ、ボンタンアメいりますか?美味しいんですよ」と言いながら田中さんはぼくの手のひらにボンタンアメを二、三個置く。


「あ、ありがとう、ございます…?」


 戸惑っていると「維久〜!」とぼくを呼ぶ声が聞こえてそっちを向くと煌華がぼくの方へ歩いてきている。


「おや、維久くん、お友達が呼んでいるみたいですね。私もこれで…」

「あっ…」


 田中さんはぺこりと会釈をすると、公園の外へ歩いて行ってしまった。


「なにか聞けた?って、どうしたのそのお菓子」


 煌華はぼくが両手に持っているお菓子を見て、驚いたように言う。


「あ、えと、なんか敏子おばさんと田中さんが…」

「敏子…おばさんと、田中さん…?」

「うん、くれた。あ、煌華も食べる?」


 ぼくは聞きながら、煌華の口に塩飴を入れる。


「暑いから塩分がいいんだって。敏子おばさんが言ってた」


 煌華は大人しく口に塩飴を含みながら聞く。


「あ、ありがと。…で、なにか聞けたの?」

「あ、えと、敏子おばさんがすごく、あの、賑やかな方で…」


 ぼくの言葉に煌華は呆れたように笑う。


「聞けなかったのね。まぁ、でも!こっちはなかなかいい情報を聞けたから大丈夫!」


 煌華の言葉に安堵しながら聞く。


「ほんとっ?どんな情報??」

「まずね、梔さんが住んでるのは金鳳花町三丁目ってこと、それと、ここから梔さんの家と反対側に十分くらい歩いたとこにある商店街にいることが多いってこと!」


 煌華は自慢げに言いながら、公園の出口へ向かう。

 煌華はやっぱり頼りになるなぁ。


「とりあえず、家の方行ってみる?さっき聞いた人が、庭にいたのを見たって言ってたし」


 煌華はそう言うと地図を開く。


「その道を真っ直ぐ行って、三番目の角に郵便局があるからそこを左に曲がるんだって、そしたら目の前に高校が見えるから高校の前まで、真っ直ぐ歩いて、グラウンドから道路挟んで右から四番目の家が梔さんの家って」

「あ、えと、うん!わかった!!」


 全く分かってなかったが、煌華がスラスラと説明するのでとりあえず頷いておく。煌華は「分かってないでしょ〜」と言いながら真っ直ぐ歩き始める。何でもお見通しなんだなぁ〜とか思いながら、ぼくは煌華について行く。


 そういえば、煌華とテイと出会った頃、二人は身長同じくらいだったけど、ぼくは2人より一回り小さかった。それなのに、気づいたら煌華はぼくより十五センチくらい小さくて、でも会った頃と変わらず頼りになるお姉ちゃんで、尊敬してる。テイは施設から出るとき、一六五センチくらいだったはずだけど、高校の間に身長は伸びたんだろうな。


「そういえば維久が施設に入ってきた頃の事覚えてる?」

「ん~?何の話?」

「あのー、イザを拾った公園でフリスビーしてたじゃん」


 フリスビー…?


「あっ、待って、その話はっ!」

「思い出した?」


 煌華は意地悪な顔で笑う。


「あの時さぁ、みんなでフリスビーしよって言ったらさ」

「うぅ…」


 話はやめてくれそうにないので、うなだれたまま話を聞く。


「維久めっちゃ笑顔で『どっちが犬役する?』とか言い出して!」

「もぉ、うるさいなぁ…」

「あははっ!だって面白かったんだもん」

「仕方ないじゃん、フリスビーは人が投げて犬が取りに行くもんだと…」

「その上でやりたいっていうのもおかしいでしょうよ」


 煌華は言葉通りおかしそうに笑う。


「確かに…なんでやりたいと思ったんだろ」

「知らないよ」


 ぼくは楽しそうに話す煌華とテイの顔が好きだ。楽しそうにしてる二人を見るのが大好き。こっちまで楽しくなる。


「維久!ここじゃない?…ねぇ、聞いてる?維久、この家だと思うんだけど!」


 という煌華の声が聞こえて顔を上げる。煌華が指さした家は水色の屋根をした白い家だった。道路を渡って表札を見るとローマ字で「KUTINASI」と書いてある。


「ここだ…」

「どうしよう、緊張してきちゃった」


 煌華がぼくを見上げて不安そうにする。ぼくも同じような表情をしているのだろうか。でも、煌華は不安が強い表情をしているのに対して、ぼくは少し口角が上がっている気もする。色んな感情のドキドキで脈が速くなる。


「い、一回深呼吸しよう」


 声を出すと思ったよりも緊張しているのか少し震えた。


「「……ふぅ」」


 二人で顔を見合せ息を飲むと、ぼくはチャイムに触れる。


「押すよ?」

「う、うん」


 ぼくは指先に少しだけ力を込め、チャイムを押した。ピンポーンという音が響いて、辺りがシンと静まった感覚がした。


 ………………。

 ………………。


 しばらく待ってみたが誰も出ない。


「あれ、いないのかな」

「出ないね。燈華はまだバイトとか、部活とかかもしれないけど…」

「うーん。梔さんはお出かけしてるのかな」


 二人で首をかしげてるとき、隣から声が聞こえた。


「あらあらあら〜!維久くんじゃないの!梔さんにご用事??生憎さっき夫婦で出かけてるのが見えたから今いないかもしれないわ!商店街に行ってるのかしらね??あ!ダンスのレッスンに遅れそうなんだったわ!維久くんと可愛らしいお嬢ちゃんまたねぇ〜!!」


 隣の家から出てきた敏子おばさんが、先程と同じように一息で喋り終わると、駆け足で曲がり角に消えていった。


「えと…維久?あれが、敏子おばさん…?」

「うん、そう」


 二人で数秒ぽかーんとしていたが、ふと我に帰り煌華の方を向く。


「煌華、商店街ってどっち方向だっけ」

「あぁ、えぇとね、反対方向だからとりあえず公園に戻って、そこからまた地図見ながら行こうか」


 水を飲みながら歩き、公園まで戻る。


「商店街にいるといいね、梔さん」

「そうだね。夏だからまだ日は落ちないだろうけど、早めに見つけたいところではあるよね」

「さ、少し休憩しながら道調べようか」


 公園に着いたぼくたちはベンチに座って、地図を見る。


「この道を真っ直ぐ行って、突き当たりを右に曲がったらもう商店街が見えるみたい」


 煌華は地図を指差しながら言う。二人で十分ほど休憩してから、煌華の案内で商店街へ向かった。公園の時計を見ると十五時半前を指している。












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