第一章:麝香連理草(スイートピー)
イザが死んだ。
イザというのは、ぼくと親友の
施設の裏にある少し広いスペース。ここにイザはいたはずなのだ。
なのに今は毛の一本も残っていない。
何の花かは分からないが、命呼執には小さく華やかなピンク色をした複数の花が咲き、風に揺れる。命呼執に名前は書かれてない。
あれ、でも、命呼執……?
ぼくは命呼執を拾い上げながら疑問を浮かべる。
動物が命呼執になるなんて、今まで見たことも聞いたことがない。命呼執になるのは人間だけだと幼い頃両親が言っていたのを思い出す。だけど、辺りを探してもやっぱりイザは居なくて、三人で内緒で飼っていたので大人に相談出来るわけでもない。燈華は三年前に新しい両親に引き取られて、この施設を退所してしまったから頼ることはできない。
今、頼れるのは煌華だけになる。とりあえず、この命呼執を持って煌華の所に行こう。ぼくは命呼執を抱え、煌華の部屋へと急いだ。
煌華の部屋に着くと、ぼくは空いている手でドアをノックする。
「煌華いる?あの煌華、あの、えぇとイザがっ…」
「あ、え?……
何かいい事があったのか少し嬉しそうな表情で出てきた煌華は、ぼくが抱えている命呼執を見るなり表情を曇らせた。
それもそうだ。
命呼執は人の遺体のようなもので、遺棄されている他人の命呼執を見つけた場合は警察、または
「え、それ……命呼執…?一体誰の…」
「いや、それは、ぼくにも分からない。けど、ええと、イザが、居なくてっ…ご飯あげに行ったら、イザが居たところにこれがあって…」
「イザ…?でも、犬が命呼執になるなんて、聞いたことないよ」
煌華が困惑した表情をし、ぼくの目を見る。
「でも、近く探したけど、イザも居ないし、これがイザの命呼執なら、イザは…」
「そんなの分かんないでしょ?とりあえず、あの、そう。
煌華はそう言うと立ち上がりぼくの横を通って部屋から出た。ぼくも早足で煌華に付いていく。後姿の煌華は何か焦っているような不安そうな様子に見えた。ぼくも煌華に感化されてか、さっきよりも不安が心に広がる。
幸いにもこの時間の外出は職員に一言声を掛ければ何も言われない。ぼくは命呼執を持っているので先に外へ出て煌華が昼食までに戻ると職員に伝えてくれた。
命祀ノ棚なんて、両親が亡くなった時以来だ。ぼくは煌華の前を歩き、命祀ノ棚へ案内する。施設から二十分くらい歩いたところに林があり、その林の真ん中だけ舗装された道があるのだ。その林を抜け、開けた場所に目を見張る大きな書庫がある。それが命祀ノ棚と呼ばれる命呼執を保棺する場所だ。塔のような見た目の命祀ノ棚に入ると、壁一面に命呼執が保棺されている。
「おや?どうしたんだい?ちょっと待っててくれたまえ。今、手が離せないんだ」
透き通るような柔らかな声がして、建物内の螺旋階段に目を向けると、命呼執を数冊抱えた命呼執守が降りてくるのが見えた。少し長い、色素薄めの髪の毛を後ろで括り、和服と洋服を合わせたような奇麗な服を身にまとっている。前回あったのは小学校四年生の時だが、見た目が全く変わってないように思える。
「すみません。少し聞きたいことがあって…」
ぼくの後ろを着いてきていた煌華が少し大きめの声で言う。
「あぁ、今行くよ」
降りてきた命呼執守はぼくの方を見るなり、少し目を見開くと、慈愛に満ちた眼差しをした。
「君は…維久君じゃあないか。見ない間に大きくなったね。とは言っても、ここは何度も来る場所では無いんだけどね」
命呼執守はぼくの目を見て微笑む。いや、微笑んでいるのだがいたずらっ子のような笑顔にも見える。
「維久君と一緒いるその子はガールフレンドかい?」
「ち、違います!!」
命呼執守の言葉に、煌華が赤面しながら答える。反応が素直で周りの人に好かれる理由がよくわかる。
「いえ、親友です」
「そうかぁ、恋バナでも聞かせに来てくれたのかと思ったのだがね」
「じゃなくて!維久が持ってる、命呼執についてなんです」
命呼執守はぼくの持っている命呼執に目をやると、物珍しそうに顔を近づけた。
「これは…珍しい。動物の命呼執のようだね」
「動物も命呼執になる時なんてあるんですか?」
ぼくは命呼執を手渡しながら聞く。
「人間と長い時を過ごした動物は、稀に命呼執になることがあるんだ。この命呼執は君のペットか何かかい?」
人間と長い時を過ごした動物は、稀に命呼執になる…。イザと過ごしたのは五年くらいだが、やっぱりこれは、イザの命呼執ということだろうか。
「分からないんです。今朝、維久がご飯をあげに行ったら、私たちで飼っていた犬が居た場所にこれがあって、その子はどこにも居なかったらしくて…」
煌華は不安そうな声で言う。
「うん、そうだね。きっとこれはその子の命呼執だ。この命呼執を読むかどうかは君たち次第だけど…どうする?」
ぼくと煌華は顔を見合せた。煌華の目が若干潤んでいるように見える。その目にどんな感情が含まれているのかは分からない。
「お、「お願いします」」
声を揃えて言ったぼくたちに応えるように、微笑むと命呼執守は命呼執の花を摘み取る。そして、命呼執を開き呟いた。
「
すると、花は淡い光に包まれながら一枚の栞に変わる。その光景を見るのは二回目だが、前回の記憶はほとんどなく初めて見たような感動を覚える。
「ほら、これで読めるはずだ」
命呼執守はぼくたちに命呼執を手渡す。
ぼくたちはすぐ側にあった机で命呼執を開いた。そこには『大好きなご飯』『お気に入りの玩具』それと『ぼくや煌華、燈華の笑顔』などが、グレーがかった写真のように載っていた。
「煌華、これ見て」
ぼくはその中の一枚の写真を指差す。
「これ…最初にイザと会った時の写真だ。懐かしいね」
「あ…ほんとだ」
笑顔でイザに触れようとする燈華と、その隣で微笑む煌華。二人の後ろに隠れる様に立っているぼくがそこに写っていた。イザから見た幼い頃の三人の姿だ。
「あの時の維久、イザのことすごい怖がってたよね」
煌華は潤んだままの瞳を細めて笑った。
「しょうがないだろ。こいつぼくにばっかり吠えてくるんだ」
それから少しの間、二人でイザの命呼執を見ながら思い出話をした。どうやらイザは少し前から弱ってはいたがぼくたちの前では元気に振舞っていたようだ。命呼執のページを捲っていくと、ある時から見覚えのない制服を着た燈華が写るようになった。
「あれ…これって、新しい両親に引き取られた後のテイ…だよね?」
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