第53話
部屋で作業をしているとお母さんからラインが来る。
『まだ彼氏の一人や二人もできんとね?』
両親の結婚記念日のお祝いの話だったのに流れ弾がこっちに来てしまった。
『涼ちゃんの彼氏に会ってみたかね〜挨拶されてみたか〜』
お母さんのウザ絡み追撃が発動。一人の部屋で「はいはい、三鷹三鷹〜」と呟きながらコーヒーを淹れるためにリビングに向かう。
ケトルで湯を沸かして一杯分の挽いたコーヒー豆が詰められたパックをマグカップに装着。流し込んだ湯がフィルターを通過してコーヒーになるのを待ちながらメッセージを打ち込む。
『彼氏くらいおるっちゃけど』
入力だけして、送信はしない。なんで身内にこんな見栄をはらないといけないんだ、とふと冷静になる。
後ろを向くと洗面所の扉が開きっぱなしになっていて鏡越しに自分と目が合った。
すっぴん眼鏡、髪の毛も寝起きのままなので毛先がボサボサで使い古された筆のようになっている。
SNSでエゴサーチをすればいくらでも私のこと『ビジュ最強』と褒め称えてくれる投稿を見つけられるけれど、鏡越しに自分で自分の顔を見ていると嫌なところばかりが目に付く。
「もっと可愛かったら砺波さんとももう付き合ってるのかなぁ……」
いやぁ、あの砺波さんだし関係ないっしょ、と真っ黒な服を着た私が背後からひょこっと出てきて答えを言う。
直後に反対側から真っ白なワンピースを着て天使の輪っかを頭につけた私が出てきて、見た目がすべてじゃないよ! 中身が大事! と励ましてくれる。
「見た目で悩んでる人に中身を回答するのはズレてるよ――あ、コーヒー……」
鏡越しに一人で遊んでいるうちにコーヒーのことを忘れてしまっていた。
ケトルからお湯を注ぎ足していると、何故かスマートフォンが何度もブルブルと震えている。
お湯を注いでからスマートフォンを見る。
『彼氏くらいおるっちゃけど』
何故か打ち込んでいただけのメッセージが送信されてしまっていた。しかもお母さんは即既読をつけてあれこれ送ってきている。
『マジ!? バリ会いたか! 来週お父さんと東京に旅行に行くけん彼氏と四人でご飯行かんね』
『お父さんに教えたら泣いとーwwww』
『ご飯何が良かね?』
お母さんからの連続メッセージが続々と届く。
「あっ……あっ……」
今更嘘ですなんて言いづらい雰囲気が出来てしまった。
ひとまず深呼吸をしてフィルターを取り外してブラックコーヒーを一口すする。
それと同時に背後から真っ黒な服を着た悪魔の見た目をした私がひょこっと出てきて「ふぅん……チャンスじゃん?」とボソッと呟いたのだった。
◆
金曜日の夜、俺が先に入店して一人で飲んでいると氷見さんがやってきた。
氷見さんは俺の前に来るなり両手を合わせて拝んでくる。
「財布忘れたの?」
氷見さんは頭を下げたまま首を横に振る。なら遅れたことへの詫びだろうか。まだ18時半なのでまったく気にしていなかったのに。
「まだ遅れたなんていう時間じゃないよ」
「それはそう」
氷見さんは顔を上げる。その顔は真っ赤だ。
「砺波さん……その……うぅ……」
「どうしたの……?」
「けっ、結論から行きたいところなんだけど……気が動転して話が入ってこないかもしれないから時系列順で説明していい?」
「主文後回し!? それって死刑宣告の時の手法だよね!? 何を言われるの!?」
「あ、ある意味では終身刑かも……」
「ま……まぁ一応聞くよ……とりあえず飲み物でも……」
氷見さんは素直に頷くといつものように焼酎のグァバジュース割をオーダーした。
飲み物が届くと「両親の結婚記念日のお祝いのためにお母さんとラインしててさ」とおおよそ死刑も終身刑も関係がなさそうなほのぼのした話から始まる。
実際にそのやり取りを見せながら氷見さんが解説を始めた。
「で、何故か私に恋人がいない、みたいな話になっちゃって……」
「からの『彼氏くらいおるっちゃけど』って……なんで見栄張ってそんなこと言ってるの……」
「こっ、これは……その……送るつもりはなかったんだけど手が滑っちゃって……お母さんもノリノリになったから取り消しづらかったんだよね」
眉尻を下げて申し訳無さそうにそう言う氷見さんを見ているとあながち嘘というわけでもないらしい。
「な、なるほど……」
「で、ここからが主文ね」
「主文……」
ついに判決が言い渡されるらしい。
氷見さんは何度か深呼吸をする。
「その……いもしない彼氏を親に紹介することになってて……と、砺波さんならいけるんじゃないかなーって……」
氷見さんは深呼吸で吸い込んだ息をすべて吐き出すようにそう言うと、回れ右をして俺に背中を向けた。
「つまり……彼氏のフリをしてくれ、と?」
背中を向けたままの氷見さんが頷く。
「ま……まぁ……フリ、だよね……?」
氷見さんの質問の意図がわからず「そうなんじゃない?」と曖昧な返事をする。
「というか……氷見さんって実家福岡だったんだ。バリバリな博多弁なんだね」
氷見さんは勢いよく振り向いてきて「そこ!?」と言う。
「気になるでしょ……普段は標準語じゃんか」
「ま、そっか。私ね、ハーフなんだ」
また新たに氷見さんの事が明かされた。見た目からしてそう言われても不思議ではないけれど、色素の薄さからして欧米系なんだろうか。
「北欧?」
「ううん。北陸かな」
「北陸……? なんて国?」
「トヤーマ」
氷見さんがニヤリと笑いながら答える。そこでやっと騙されていたことに気づく。
「トヤーマ……富山!? 福岡と富山のハーフ……ってこと!?」
「ふふっ、そういうこと」
氷見さんはしてやったとばかりに笑う。
「お母さんは福岡育ちだからお父さんと結婚して引っ越した後もずーっと博多弁が抜けなくて。だから私もお母さんと話す時は博多弁ぽくなるんだ。エセだけど」
「なんか、親の母国語が違うバイリンガルな人っぽいエピソードだね……」
「確かに」
氷見さんは笑いながらグラスに口をつける。そういえばまだ本題は何も決まっていなかった。
「あ……で、ご両親に俺が会って……彼氏のふりをすればいいんだっけ?」
「うん。そういうこと」
「なんか……悪くない? 騙しちゃうみたいで」
「じゃ、嘘をつかない形にしてから会う?」
氷見さんは俺を試すようにニヤリと笑う。
「……どういうこと?」
意図が分からず首を傾げると氷見さんは「そういうとこ、良いよ」と言いながら俺の頬をつついてきた。
「ま、砺波さんが罪悪感を覚えることはないよ。なんかこう……親を心配させたくないだけだから」
「彼氏がいないと心配されるの?」
「友だちが少ないのはバレてるから。信頼できる人が近くにいるってことは伝えておきたいなって。それは嘘じゃないし」
氷見さんは俺の方をじっと見ながら言う。
「射水さんとか?」
氷見さんは笑いながら俺を指差す。
「俺ぇ? けど彼氏のフリをするなら設定とかいるんじゃないの?」
「要らないよ。砺波さんを素材そのままで味わってもらおうよ」
「えぇ……それ後から面倒なことにならない?」
「大丈夫大丈夫。面倒な事言われたら別れたって設定にすればいいだけだし」
「はいはい……じゃあ行きましょう」
「ありがと。よろしくね、
氷見さんは当日の予行練習とばかりに俺を名前で呼びながらニッと笑った。
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