第13話

 翌日の午前、待ち合わせ場所になっている氷見さんの自宅の最寄駅前に到着。


 氷見さんの姿を探してあたりを見渡すと、駅前のベンチに足を組んで座ってスマートフォンをいじっている氷見さんを見つけた。


「氷見さん、お待たせ」


 ベンチの前に行って声をかけると、氷見さんは顔をあげて立ち上がる。


 細い体にフィットした黒いニットと、裾に向けて広がるタイプのチェックのロングスカートで今日もモノクロ色のコーデだ。耳や首元はくすんだゴールドのアクセサリーで彩られていて大人っぽい。


「こんにちは、砺波さん」


 氷見さんは『今来たところ』なのか『しばらく待った』のか悟らせない無表情で挨拶を返してくる。


「素面で話すことって滅多にないから緊張するね」


 氷見さんは微笑みながらそう言う。


「確かに……居酒屋じゃないところで会うなんて滅多にないからね」


「素面の私、面白くないかも」


「別にいつもと変わらないよ。ファミレスに行った時も普通だったし」


 氷見さんは恥ずかしそうに髪の毛の先を指に巻き付けた。


「良かった……じゃ、行く?」


「うん。シーパラダイスでいいかな?」


 氷見さんはコクリと頷く。


「砺波さん、今日はノープランで行こうね。その場で次やることを決めるの。あくまで暇つぶしだから。デートじゃなくて、暇つぶし」


 どうやら氷見さんはあくまでこのスタンスを崩すつもりはないらしい。


 ◆


 水族館に到着するとちょうどイルカショーの時間だったため二人で後列に並んでイルカショーを眺める。


 大きな音楽と共にイルカが水槽の中を縦横無尽に泳ぎ回り、一斉にジャンプをした。


「おぉ……」


 二人して高速で泳ぎ回るイルカに圧倒される。


「イルカ、いいよね。たくさんよしよししてもらえるし、ちょっと頑張ったら餌がもらえる」


 氷見さんは随分と病んだ人のようなことをいう。だが一理ある考え方だ。


「確かにね。褒められるとやる気も出るよね。氷見さんも頑張るたびに魚を貰いたい?」


 氷見さんは頬を膨らませて俺の方を見てくる。


「魚じゃないけど、餌は欲しいね」


「氷見さんにとっての餌ってなんなの?」


「砺波さんかな?」


 氷見さんは可愛らしく笑いながらそう言う。


「俺は食べ物じゃないよ……」


「砺波さんのそういうとこ、いいよね」


「またイジる……」


「ふふっ――わっ!」


 氷見さんが素っ頓狂な声を出す。


 俺達の雑談はイルカの水しぶきによって中断された。


 後方なので少し散ってきたくらいだが、前列の人はイルカが尻尾を使ってプールから水をかけるので土砂降りの雨が降ったかのような濡れ具合だ。


「イルカはいいよねぇ。人にどれだけ水をかけても怒られなくて」


 氷見さんは頬杖をつき、クールな視線でイルカを見つめながらそう言う。


「人に水をかけたい欲があるの?」


「水は無いけど……ペンキと刷毛を持って、街中に好きな絵を描いてみたりしたいな。ま、絵を描きたいってよりは、やっちゃダメなことをするのが目的なんだけど」


「絶対に怒られちゃうね……」


「だから私はイルカになれないんだ。イルカになっちゃったら、水をかけても街中に勝手に絵を描いても『イルカだから』で片付けられちゃうし」


「良かったね、人間で。怒られるからスリルがあるからいいのか」


「うん、そういうこと。対等じゃないんだよね、イルカってさ。砺波さん、ちなみにだけど私のことはイルカとして見てたりする?」


「どういうこと!?」


「そのままだよ。毎週会って週末に二人で出かけて。今回も私のお願いを聞いてくれてる。それって砺波さんは私をイルカとして見てるから許してくれてるのか、それとも……人間として見たうえで接してくれているのか。どっちなのかなって」


 氷見さんは無表情なままイルカに水をかけられたカップルを見つめながらそう言う。


 氷見ワールドについていけず、思わず頭を傾げてしまう。実は、俺は毎週イルカと酒を飲んでいたりする?


「うーん……氷見さんは人間だよね? だから人間って認識しているよ」


「そっか……良かった」


 氷見さんはイルカと人間の二択で人間と判定されただけなのに、頬を赤くして嬉しそうにはにかんだ。


 ◆


 館内に移動して展示を見ながらブラブラと歩く。


 シロクマのエリアに差し掛かった氷見さんはシロクマが住んでいる空間を見て「いいなぁ、シロクマ」と呟いた。


「羨ましいの?」


「私より部屋が広いから。しかもお庭とプール付き」


「その代わり壁がスケスケでプライバシーがないよ」


「うっ……それは困るかな……」


「引っ越さないの? 作業する場所とか考えたらあの部屋は結構狭そうだったけど……」


「うん。実は引っ越すつもりで部屋探しをしてたんだよね」


「そうなの!?」


「けど……止めちゃった。引っ越し」


「なんで?」


 氷見さんはチラッと俺の方を見てくる。


「近くに友達が住んでるからさ。離れたくないなって」


「へぇ……大学の人?」


 氷見さんは小さくコケる素振りを見せる。


「ふふっ……砺波さんのそういうとこ、いいよ」


「あっ……お、俺のこと?」


「お、珍しく気付いた」


「珍しくって……他にも俺が気づいてない時ってあるの?」


「あるよ、たくさん」


「えぇ……例えば具体的にいつの何?」


「教えないよ」


「ってことは覚えてるんだ……」


 氷見さんは恥ずかしそうに顔を逸らし「ゆっ、誘導尋問!」と顔を真っ赤にして言った。


 単に記憶力が良いってだけの話なのに、何を照れているんだろう。

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