第38話 利き酒セット

 「失礼しまーす!」

この元気な声は店長さんだね。


引き戸が開いて大きな両手にジョッキを持った店長が大きなトレーを持ったスタッフを引き連れて入って来た。


「はい、生2つ、ウーロン茶、レモンサイダー。そして、こっちがおすすめツマミ盛合わせ。つぶ貝の旨煮、つぶ貝とワカメの和え物、ニシン漬け、カニみそ豆腐、鮭ルイベ漬、鮭皮チップス、いくらとキュウリの和え物。すぐ出来るものだけの盛合わせだけど、ツマミには最高ですよ!」


「うわぁ、ありがとうございます! 絶対日本酒と合うメニューですよね。これには、日本酒が必須ですよ。いや、この豪華ラインナップの対戦相手としては、個性豊かな地酒であるべきで、ここで地酒を飲まないと地酒協会から訴えられちゃうレベルでしょ。もし仮に、私がここで地酒を頼まなかったら、私が私として、私は、もうあれですよ。」


あぁ、飛鳥馬さん、既に崩壊し始めてしまった。


「そうですよね。昼間橋田さんから、地酒が好きって聞いたんで、あいそうなツマミを準備しといたんですよ。あと、地酒利き酒セットって、5種類の地酒がグラスで飲めるセットもあるんですけど、どうですか?」


「それ下さい!」

「あ、わたしもー」

当然のごとく、酒豪族が即答した。


「利き酒セット2つ、よろこんでー。後でお持ちしますんで、先に乾杯どうぞ。」


そうだった、既に飲む前から壊れ始めた飛鳥馬さんを見て、橋田さんが軽く引いてるけど、まだ乾杯すらしていなかったんだ。


「そうだったね、みんな、まずは落ち着こうね。今日は防戦要請対応もあって忙しかったけど、橋田さんにこんな素敵な店に連れてきてもらって、最高の一日になりました。お疲れ様でした、かんぱーい!」


落ち着かないといけないのは、飛鳥馬さん、あなたですよ。ま、いつものことなので、良いんですけどね。ってことで乾杯。


まずはつぶ貝の旨煮を食べてみよう。これ、しっぽというか、貝の最後の所まで綺麗に取り出せると嬉しくなるんだよね。爪楊枝をゆっくり動かして、にゅるっと、お、取れた。パクっと口に含むとジュワーっと貝の旨味が染み出してきた。これは間違いなく柏木さんの両手両足バタバタが発動する案件だな。


続いて、カニみそ豆腐行ってみよう。うっわカニみそ濃厚。豆腐も豆の味がしっかりするずっしりした豆腐で、濃厚なカニみそをしっかり受け止めてるよ。やばいな、これも柏木さんが両手両足バタバタだよ。


「下田さん、下田さん・・。」

ん? 橋田さんがオレの脇腹を突っついてる。


「どうしたんですか?」


「あの、あの二人・・。」

橋田さんの視線の先には、空のジョッキを持って、ジーっと個室の開き戸を見つめる酒豪族2人が居た。あぁ、なるほど。


「あぁ、あの二人はあれで普通なんです。飛鳥馬さんは最初の生ビールは、早飲み大会に出てるかのように、たいてい一気で飲んじゃうし、柏木さんも秒で飲んじゃうんですよ。オレはあの人たちを酒豪族って呼んでるんですけど、あれはザルですね。特に飛鳥馬さんは酒に対する執着が凄いんです。ただ、二人とも、とっても楽しい酔っ払いなんで、全然心配無いですよ。昨日も3人で延々馬鹿話して笑いっぱなしだったんですよ。」


「でも、ツマミも食べないし、じっと入口見つめてフリーズしちゃってますよ。」


「利き酒セットが来るのを待ってるんですよ。餌を待ってるネコみたいですよね。」


「しつれいしまーす。」


店長さんが来た。


引き戸が開いて両手でコップと一升瓶を持った店長が、一升瓶を抱えたスタッフを引き連れて入って来た。


飛鳥馬さんが獲物を追う目で店長の手元を見つめている。

これがネコだったら、もうすぐフギャーと飛び掛かっていきそうな勢いだ。


「お待たせしましたー。」

店長さんがコップを5個づつ、酒豪族2人の前に並べる。

飛鳥馬さん、今度は、待て、と言われたイヌのように、しっかりと座りなおして、首を傾げながら目で店長さんの手元を追いかけている。


「最初は『チロロの息吹』、名前の通り、チロロ岳の山麓にある酒蔵が作ってまして、キリっとした辛口です。」

コップになみなみと地酒が注がれる。

「次は『北の蔵山岳』、これは南斜里岳の酒蔵で、こちらも辛口ですが、チロロの息吹よりスッキリした感じですね。次は『華香粋』樽前山にある酒造の名物で、ミントっぽい不思議な感覚の地酒です。これが『大虎一代』中頓別町の老舗の焼酎を作っている酒造ですが、最近作り始めた地酒です。焼酎のような少しアルコールが高めなお酒ですね。で、最後は『大吟醸蝦夷錦』朱文別駅近くにある酒造で、こちらは大吟醸で芳醇でまろやかな甘口のお酒です。どれも、おススメなんですよ。」


飛鳥馬さんが5つのコップを前にしてクラウチングスタートの構えに入った。


「位置について。」

オレが小さく呟くと、橋田さんと柏木さんが気づいて、プッと噴出したが、既に周囲の雑音が聞こえない程集中している飛鳥馬さんには気づかれなかったようだ。

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