第七話 中編

「当日を想定した告白練習、ですか?」

 春風小春はほうけた様子で繰り返す。

「今やっているのとは違うんですか?」

「ええ。つまり手紙を下駄箱に置いてから屋上で告白するまでやりきるの。春風さんが白河結の下駄箱に手紙を置いて私にメールする。私が教室から下駄箱に行って、手紙を持って屋上へ向かう。屋上で先に待っていた春風さんに、私が白河結になりきって手紙を読んだ事を伝える。そこで、春風さんが告白をする。もしも不測の事態がおきたり、告白以外のところで躓く要素があるなら今のうちに確認できるでしょ」

 要は昨日考えたプランをつらつらと、ある一点を隠してよどみなく伝えた。業務内容でも伝えるかのよな口ぶりで、一言一句違わず、見えない原稿があるかのようだった。

 春風小春もその提案はすんなりと受け入れた。そこには昨日見せた影のある笑顔はなく、ただ一点に集中しているといった様子で要が説明することを真剣にきいていた。

(この様子なら大丈夫そうね)

 要が説明を終え、二人は一旦屋上を後にした。要は階段を降り、屋上から教室へ向かう道を辿る。念のため、教室に白河結がいないかを確認してから教室に入った。

 自分の席に座って数分後、春風小春から返信が来る。

 『OK!』と可愛らしい猫スタンプが一つ。先ほどまでの真剣さが嘘のような、間延びしたイラスト。それが落ち着きを表していると信じたい。

 要はバックを肩にかけ、屋上へ向かって歩き始める。若干、足取りがぎこちない。彼女のためとはいえ、騙すような真似をしている後ろめたさがある。

 要が春風小春に隠したこと。

 それはジンクスのことだった。

 つまり、春風小春は今日、要によって振られることになる。

 勿論振られるのは要にであって白河結にではないけれど、途中までは白河結の想定でことを進行していた春風小春には悪いイメージを植え付けてしまう可能性も大いにありえた。

 それでも、やるからには限りなく本当に近い告白でなければ意味がないと思った。たとえ眉唾だったとしても、悔いは残したくなかった。

(春風さんには後でちゃんと謝っておこう)

 要は謝罪の言葉を考えた。考える度、やっぱり止めようかなと及び腰になりって足を止めた。屋上に辿り着いてもそれは変わらず、半ばあきらめに近い心境で扉を押し開けた。

 いつものベンチのすぐ近くで、春風小春は待っていた。

「もしかして、手紙を置いた春風さん?」

 あらかじめ決めていたセリフを、少しだけ高い声音で言った。

 ここまで全て筋書き通り。要の書き下ろした脚本の舞台は、春風小春の告白と黒崎要の一言で完成する。

(あとは彼女の告白を受けて、私が断ればいい)

 要は小さく、最後の一言を反芻していた。間違わないように、何度も、何度も、『ごめんなさい』と。

 しかし、それは春風小春の射抜くような視線によって強制的に引きはがされた。

 かつて、これほどまでに圧されたことがあっただろうか。それが要に向けられたものか、それとも仮想白河結に向けられたものか。真意を問いただす空気ではない。有無を言わせず、まるで『聞け』と命令されているような気迫がある。

「白河結先輩。私はあなたの事が好きです」

 目が、離せなかった。

 一瞬、告白かどうか疑う程、彼女の言葉は鋭く、一点に向けられていた。

「覚えていますか? 学校説明会であった日の事。私が吹奏楽部の部活動見学に行く途中で迷子になって、先輩が見つけてくれたんです。料理部の説明会をサボってた先輩がたまたま家庭科室にいて、私に声をかけてくれたんです。本当に偶然で、私が道に迷わなければ、先輩がサボらなければ、そして、声をかけてくれなければ出会えませんでした」

 そこに、昨日まで言葉すら明快に聞き取れず悪戦苦闘していた春風小春はいなかった。ただ淡々と、想いを余さず、こぼさず伝えてくる。

「あの時、向かい側の校舎から聞こえる吹奏楽の演奏と一緒に、二人で食べたマカロン。今でも目をつぶれば、その光景が思い出すことができます。その時、いや、本当は声をかけてくれた時からかも」

 ふっと、息を吸い、吐く。

 次の一言に、全てを込めて。

 手を胸に当て、要を射抜いた。

「私は、春風小春は、白河結先輩、あなたが大好きです」

 ごめんなさい。この一言で舞台は幕を閉じる。

 困惑する彼女に経緯を説明し、これがジンクスであるとネタバラしするだけ。

 するだけ。

 するだけだ。

 するだけなんだ。

 するだけなんだよ!

「い、や、だ」

 制御の効かなくなった言葉が、口内から暴れ出る。

 違う、そうじゃない。お前は引っ込んでろ。胸のうちにしまっておくべき言葉、隠しておかなければならない言葉。せき止めようとした言葉は嗚咽のように掠れ、刻まれ、一音一音が汚く発せられる。

 気づいた時には手遅れだった。春風小春の表情を見て察した。

 これは、間違った選択だと。

 すぐさまベンチの上に置いたスクールバックを手に取り駆けだした。春風小春の制止を聞かず、一心不乱に駆けだした。

 要は走った。

 前に、前に、走った。

 息が苦しい。

 走った。

 背中が痛い。

 走った。

 脚が痙攣しはじめた。

 走った。

 つんのめりそうになる。

 走った。

 一歩でも多く走ろうとして、走れなくて、それでも足を前に進めた。

 気が付けば家にいた。

 家にいて、部屋にいて、力が尽きて意識を失った。あの時と同じだ。薄れゆく意識の中、確信した決定的事実。

 気が付かなければ、ほんの少し軽くなったかもしれない。理解しなければ、これからも一緒にいられたかもしれない。

 胸に広がるのは、握り潰したい後悔だった。

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初恋 黒神 @kurokami_love

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