第五話


水曜日。

「お、おはようございます! 本日はお日柄もよく、実に晴れ晴れとした晴天に恵まれ何よりです!」

「……もう夕方よ」

 要は空を指差した。

 彼女もそれを理解しているからか、頬がやたら赤い。

 放課後の屋上には黒崎要と春風小春、それと夕暮れ前の薄赤い照明。ベンチには二人分の荷物が並べられている。

 先ほどまで淀みなく、かつ流暢に虚言を並べていた春風小春は膝を抱えてうずくまっていた。「う~」と文字通り唸っている姿が実に可愛らしく、愛嬌に満ち溢れている。動物を飼うに近い庇護欲めいたものを感じた。

「大丈夫、最初の頃に比べればかなり話せるようになってる」

「ほ、本当ですか!」

 要は一拍おいて「ええ」と答える。嘘はついていない、と自分にいい聞かせて。

 告白練習が始まって早三日。

 それは要が提案したものだった。

 喫茶店で別れてから、どうすれば春風小春の告白を成功させられるかを夜通し考えた。恋愛経験の浅い要の、ひねくれた頭をひねりにひねった末、出てきた答えは原点だった。

『手紙を書いて告白する』

 正直、協力を申し出ておきならが妙案の一つも出せないことに失望されないか心配だったが、春風小春はこころよく受け入れ、先週は二人で一緒に手紙用の便箋と封筒を買いにショッピングモールまで行った。

 休日の人でごった返す店内を進み、歩けばお店の商品に目移りする同行者を引き連れて、ようやくそれを見つけた。

 透明なケースに飾れられていた小さなウサギの便箋と、茶の洋形封筒。白地の隅に彩られる花飾りと中央上部には庭を駆けるウサギが一匹描かれており、優雅な庭園の一風景を連想させる便箋。それに対し封筒は一見クラフト紙のように厚く、ザラザラとしそうな茶の洋形封筒。それだけではアンバランスに思える両者だが、封筒にはヒマワリの造花が添えられており、麻紐で口を蓋するように閉じられている。便箋の華やかさと封筒の質素で素朴な印象のギャップを、向日葵が補っていた。

 店内の一角、注意して目を凝らさねば視界にすら入らないそのケースに、要は目を奪われていた。「綺麗……」と隣から聞こえてきた声に、自分が思わず口にしていたかと勘違いした。

 そうして便箋を手に入れ、初めは手紙の添削もするつもりだったが全力で断られてしまったので、今は告白練習のみを手伝うようになっている。 

 告白決行日まであと五日。

 週明けの月曜日が本番。

 それなのに、要の不安は晴れるどころか暗雲が立ち込めていた。

(どうしよう。話す内容以前に、会話が成り立つかが怪しくなってきた)

 要が見積もりを途方もなく間違えたのには理由がある。

 一つは経験がないこと。

 要自身、クラスの出し物や受験勉強、これまでプレッシャーのかかるイベント事は幾度となく経験してきた。予習復習、対策と傾向の分析、準備に一切の余念がなく、それらは次第に自信へと昇華され、プレッシャーを打ち払う鉾となった。しかし、今回は全くの未知の事象。いくら岩をも砕いてきた経験があれど、炎を払う経験などない要には、それがどの程度で攻略できるのか見当も付かなかった。

 二つ目は参考対象。

 要は告白の経験こそないが、告白する男子生徒を何度も見てきた。用例にするにはいささか不安となるサンプルではあるが、手さぐりに見積もるよりはマシと、彼らの話し方、緊張度合い、どもった回数。過去の記憶を辿り、できる限りの検索を掛け、その傾向を分析した。

 以上を踏まえ、一週間もあれば体裁を整え、告白として成立しうる状況を作り出せる。そう算段したのだが。

(途方もなく間違えた……)

 春風小春は典型的な「本番に弱い」タイプであり、下手に意識すると周りが見えなくなる。それが初めての告白であればその緊張はひとしお。要相手の仮想白河結でも緊張は見て取れた。初日こそ要も緊張していたが、直角にしか腕を曲げられず、手足が連動して動くロボットをみればいやでも平静になる。

 現時点の進捗を客観的にまとめるなら、『人型ロボットが人へと進化し、緊張で慌てる人になった』といったところか。都合よく解釈してみても、ようやくスタートラインに立ったといった状況だった。

(ロボットから人って、進化というのだろうか?)

 春風小春は何やらポケットから取り出し、ぶつぶつと唱えている。おそらくカンニングペーパーなのだろうが、幾度となく取り出されたであろう紙には角が無く、強く握りこまれた指先から無数の皺が伸びていた。

 横に引かれた二重線と吹き出しメッセージ、赤字では「噛まない!」「重要!」といったポイントをマークしてある。

 ひたむきな努力が実り、ハッピーエンドな結末へと収束されるのは夢の国の物語だけ。それでも、書き込まれた思いの数々が、どうか彼女の背中を押す勇気になって欲しいと、要は願った。

 少しでも、ほんのわずかでも、春風小春の初恋の助けとなりたい。些細で小さな、1パーセントにも満たないものだったとしても、形ある応援をしたい。

(何が、できるのだろう。)

 要は考える。

 自分には感じられない不安、どちらに転ぶか分からない結末、最悪の未来を考え駆られる焦燥。肩代わりすることも、共感することもできない。分かった気になって、寄り添ったていをとって、近くにいることしかできない。何度となく無力を感じた。それでも、隙間から覗ける真剣な表情に感化され、動かざるにはいられない。

 要は不思議だった。自分はこんなにも献身的な人格者だったろうか。クラスメイトの頼まれごとを引き受けもするし、お釣りを募金箱に入れるぐらいのことはする。それなのに、今は自らの意思で、進んで手伝おうとしていた。

 まだ知らぬ尊さなるものを見たいがためか、それとも春風小春そのものがそうさせるのか。

 考えは堂々巡り。いずれ出さなければならない答えだが、今は些末なこと。要は現状打破の一手を考える。

「一度、告白を成功させるってことを忘れたらどうかな」

 視線を上げた春風小春がこちらを向く。見つめ合うこと数秒、段々と彼女の首は斜めに傾げていった。顎に手を当て、腕を組み、ありとあらゆる思考ポーズを取ってみたものの、言葉を咀嚼できなかったようで「どういうことですか?」と聞いた。

「告白を成功させる。つまり、付き合うっていうのは現時点の最終目標。勿論、それを目指すのは変わらない。でも、春風さんが伝えるべき言葉は『好きです』の一言ではないはず。『好きです』に至った経緯を伝えるべきなの」

 肯定の頷きと、時折みせる疑問の頷きが、かわるがわる出る。

「喫茶店で話してくれた、春風さんが白河結を想うようになったキッカケ、その時感じた事。ありがとうって、まずはそれを伝える事だけを考えたら」

 春風小春と白河結を結んだキッカケ。どこにでもいる一学学生の先輩後輩を繋いだ接点。白河結にとっては小さな出来事だったかもしれないそれは、春風小春にとっての転機となった。今作ろうとする新しい言葉じゃない。彼女の中にあり、想い育み続けた確かな言葉。

 彼女は言った。

 伝えたかったと。

 彼女は言った。

 初めて知った感覚だったと。

 彼女はいった。

 あの時にマカロンの味が忘れられないと。

 飾る必要などない。中に秘めたものを、そのまま発露すればいい。手紙を書かせたのもそのためだ。本番で咄嗟にでた言葉が本当の想いとは違ってしまうこと、そもそも言葉になんてできないかもしれない。なら、それを補ってあげればいい。言葉で伝えきれないことは手紙に、手紙で表せない情動を言葉に。

 想いの全てを余すことなく伝えるなど、かの文豪たちでもなしえなかった偉業。それが一朝一夕でできるとは思わない。結局は当人の気持ちであり、すべてをぶつけても揺れることはないかもしれない。それでも、一生の、ほんのわずかな爪痕でも残せたのであればそれでいいと、要は思った。

 春風小春は何度か咀嚼するように、頷き、身体を揺らし、全身で落とし込もうとしている様子だった。

「むむむ、つまり、えーと、告白は考えない……しない? 違う違う。一旦考えないだけ。ありがとうを伝えて……あれ? でもそれが告白で……」

 落とし込むための自問自答が新たな問題を生み出し、無数にも枝分かれした分岐を回収できずにいた。アドバイスのつもりが、よりハードルを上げてしまっただろうかとも思ったが、これ以上に伝わる言葉を要は持ち合わせていない。

「今日はここまでにして、続きは明日からにしましょう」

「はい……」

 屋上を後にし、下駄箱まで並んで歩く。春風小春はやや俯きがちで、足取りは遅い。言葉を投げれば彼女は笑顔で答えてくれる。しかし声音に対し、会話はどこまでも無機質だった。

 要と春風小春は校門前、別れ際になるまで会話を続けた。それは一方的で、会話と呼ぶには拙い、言葉の羅列だったかもしれない。

 さようならと言った彼女の背中は少しずつ小さくなっていく。

 歩みはどこまでも、遅かった。






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