第79話 残された者達


    ヨハン=クロスハイト


 木の枝に足を引っ掛け、ぶら下がりながら補給品の干し肉を噛む。

 周囲には小ぶりな木が見渡す限り広がってる。深い森じゃないから、隙間から差し込む光があって、そこには似たような草が揃って顔を並べていやがる。あちらこちらに切り株があるのは、ここが人の手の入った森だからだろう。

 少し高い位置から見渡せば、昼下がりの程よい明かりの影に人の姿が幾つも見えた。同じ部隊の連中や、兵隊や、貴族サマのものだ。

 彼らの漏らす声は、重い溜息のように森へ染みこんでいった。


 そんな景色を逆さまに眺めながら、口の中の干し肉を咀嚼した。

 戦いに疲れは感じていなかったが、塩気の強い肉の味に頬の内側が痛み、溢れ出る唾液を飲み込むと胃の中に熱が篭ったような気がしてくる。


「行儀悪いよ、ヨハンくん」

「あー……」


 口煩いアンナの言葉を右から左に聞き流して、両手のサーベルを交互に足側へ、上へ放り投げ、落ちてきたのを掴み取る。

「ん」

 干し肉が噛み切れない。筋の部分があるらしい。奥歯や前歯を行き来させて噛み切ろうとするが、うまくいかない。そうこうしている間に肉の味も塩気も失せてきた。もういいか。


「きゃあっ!? 口の中のを吐き出さないでよ!?」

「あー」

「ちょっと聞いてるのヨハンくん! 服に付いちゃったじゃないっ」


 手拭いでゴシゴシとスカートを拭くアンナを眺めながら、大きな欠伸を一つ。

「あ」

 手元が滑った。

 投げたサーベルは一度浮き上がり、手の届く範囲を越えて落下していく。そこにはスカートのシミに夢中なアンナが居て、

「おい、逃げ――」

 なんて呼び掛けに二秒も使った俺が馬鹿だった。ドン臭いクソアンナが腰を落とした状態から素早く動ける筈もない。


 引っ掛けた足の片方を外し、残った一方を滑らせる。足が抜け切る前に外した側で枝の下を蹴り、右手のサーベルを外へ放って赤の魔術光を燃え上がらせる。掌に慣れた感触を得ながら、視線を一度宙に浮いたサーベルへ。

 落下しながら身を捻った上で左手を伸ばし、足からの着地と同時に刃先を摘み取る。クソアンナの脳天まで拳一個分。なんとか死なせずに済んだらしい。


「もぉ……折角綺麗にしてきたばっかりなのに」

「鼻の頭に土汚れ付けてる奴の言うことかよ」

「えっ!? 嘘嘘どこ――っわぷ」

 擦るほどに広がっていく土汚れにこっちの手拭いを押し付け、乱暴に顔全体を拭いてやる。顔の見えなくなったアンナを見ながら、泥を吐き出すように言葉が漏れた。


「死んだな。六人も」

 言うと、抵抗していたクソアンアの動きが止まり、小汚い俺の手拭いで顔を隠したままコクリと頷く。

「前は……殺さないように戦われてたから誰も死ななかったもんね。それはそれで辛かったし、嫌になって離れていっちゃった人も居るけど……」

「俺は死なない。強いからな」

「……うん」

「お前は弱い。一人で戦えばまず誰にも勝てねえ」

「そうだねぇ……本当に足手まとい。くり子ちゃんみたいに頭が良かったら役に立てたかもしれないのに……」


 今俺たちは最悪の状態にある。

 これまで総指揮を担当していた人間が死んだという噂は俺も聞いてる。クレアの様子から見ても、上の主だった連中が混乱しているのは分かる。

 この森に潜んで半日になるが、どれだけ敵の目を眩ませられるか。


 逃げて、逃げ続けて、皆が疲れ果ててるのはアンナの格好を見れば分かる。スカートのシミなんて小さなもんだ。古城でのパーティが終わってから旅装に着替えてはいたが、元々ボロい服が更に惨めな有り様になっている。

 かくいう俺も似たようなもんだ。落としきれない返り血に、途中から外套を付けて戦うようにはなったが、休憩中は臭くて着ていられない。


 俺は死なない。それはクソアンナに言った通りだ。

 少し前に食い逃げしようとした飯屋の店主からボコボコにされてから、ほんの少しだけコツを教わった。一緒に居たアンナには分かってなかったようだが、俺は俺なりに引っかかるもんがあって、そいつを試していたら敵が勝手に死んでいくようになった。

 思い切りの良さもあったんだろう。俺は他の連中と違って、最初から他人サマの命を取ることに抵抗がねえ。荒んだ場所に居たことも、ここで生き残るには都合が良いらしい。

 魔術を使ってれば不思議と身体が疲れないのもある。


 だがこいつはどうだ。

 きっと生き残れない。

 テメエで引っ張ってた仲間を目の前で死なせちまって、どうしようもなく人の死が頭にちらつく。死んだ奴にも、隊長どのにも申し訳ねえと心から思う。

 思うが、俺はどうにも自分勝手だ。

 自分勝手に、大人しくなったクソアンナの顎先を掴む。


 そうして、手拭い越しに唇を重ねた。


 クソアンナの肩が震え、硬直し、身体が揺れたことで額側から手拭いが外れていく。

 揺れる目と視線が合い、赤くなった頬が見え、繋がった口元でそれが止まる。


「わっ……」


 第一声がそれとは、中々に酷い。

 しかしクソアンナが顔を離したことで手拭いが落ち、みるみる内に顔全体が真っ赤になって、途端、目を回して叫びをあげた。


「わきゃああああああああああああああああああああああ!?」


 魔術まで使って逃げていくアンナを見送り、腰を落として寝転んだ。

 するとなぜか何かの布地に後頭部が掠め、内側へ頭がすっぽりと収まった。暗すぎてはっきりと見えなかったが、すぐさま理解した。


 誰かは分からないが、これは女のスカートの中……!


 ならば覗こう!

 下着の色は何色だ!


「っ……みずいガッ――ガッ、グ、アガガガガガガガガガガ死ぬ死ぬ死ぬうううううううう!」


 ヒールで顔面を踏まれ続けること半時、前後の記憶も曖昧になった俺はようやく身体を起こして相手を確認した。


「ひほぉほはん……?」


 アリエス=フィン=ウィンダーベルが、屠殺されて首を落とされた豚を見るような目でこっちを見下ろしていた。


   ※  ※  ※


 貴族という生き物は、どんな時でも高貴っぽさを保つもんらしい。

 妹さんの服装は俺たち同様数日前と変わらない。逃走するのに山ほどの衣装を抱え続けるほど彼女が馬鹿じゃない証拠ではあるが、服に乱れや汚れは見当たらない。

 表面的に見える顔つきや声の張りもそのままだ。


 まあ、あの隊長どのの妹さんだ。彼女が特別なのは道中でも分かったが、この兄妹にはとかく驚かされる。


 妹さんは木の枝に鮮やかな染め物を吊るし、L字に区切っただけの簡素な居場所を作っていた。周囲から少しだけ距離を取り、身を隠す位置だ。足元には少しだけ分厚い絨毯があり、さすがにそこは薄汚れていた。

 だがどうだろう。

 アリエスという貴族の娘がそこに立てば、不思議と周囲が明るくなる。いつか見た隊長どのの姿が自然と重なり、ほんの少しだけ気後れしてしまった。


「お好きな所へどうぞ」


 言いつつ、自分は木の幹の凹んだ場所へ腰掛ける。

 当然というか、椅子は無いから俺は地べただ。


「じゃあ話とやらを聞かせて貰おう」

「そうね。お茶でも愉しみながら雑談する関係でもないし」

 態々俺の所へやってきて、話したいことがあるから来いと言ったのは妹さんだ。

 正直言って、俺からは距離を取っていると思っていた。まあ、上品な貴族サマでもあるし、俺は言動も行動も娼館色に染まっててお世辞にも品性があるとは言えねえ。

 小隊絡みで何度か顔を合わせたし、言葉も交わしたが、二人だけっていうのは初めてだ。


「けど、話をするのは私ではなく、貴方の方よ」

「俺? なんだよ、好きな男を籠絡する手管でも教わりてえのかよ」

「男ではなく、女ね」

「は?」

 意味が分からず声をあげると、妹さんは少しだけ疲れたような吐息を入れる。

 開かれた瞼の奥には、お気に入りの玩具を取られた子どもじみた目があった。


「どうして……あんな女に期待して」

「何の話だよ」

「こちらの話よ。本当に」


 意味がわからない。

 あ、いや、少しだけ分からないでもなかった。


 期待、か。


「クレア=ウィンホールド。彼女が何故、あのようになっているのかを知りたいのよ。かつて竜巻娘だなんて呼ばれた女が、人の影に隠れなければ胸も張れなくなった原因を」

「厳しいねぇ」


 だが、間違ってもいねえ。

 間違ってもいねえが、そいつは実際、俺たち全員に言えることだ。

 あの日から見せつけられた格の違いに、小隊内だけじゃねえ、学園全体があの人の落とす影に甘んじた。

 魔術の腕や家格じゃない、もっと深い何かに、誰も彼もが遠い場所にあの人を置いちまった。違うんだって。別の場所に居るんだって。それが分かったから、俺は隊長どのが斬られたあの時、本気でブチ切れた。勝手に何もかも出来ると思い込んで、孤独を押し付けた自分自身に。


「色々と積み重なったもんもあるんだろうがな」


 俺は知る機会を得た。

 だが彼女は得られなかった。

 違いはそれだけだ。先んじたからってデカイ面は出来ねえ。


「もう一年も前の話か。当時、彼女は敵が多かった。正義の人だったからな。真っ直ぐ過ぎて曲がれなかったから、曲がらずには生きられなかった人間にとっちゃこの上なく疎ましい存在だったんだろ。挙句の果てに……」

「何があったの」

「やっちまったんだよ。実技訓練の試合中に、人を殺しちまったんだ」


   ※  ※  ※


 当時、学園に登録されてた小隊の数は上限に達しててな、俺と隊長どのは空いた一枠を争って試合をすることになった。


 ……そう怒った顔をするなよ、あの時は隊長どのも素性を隠してて、俺もクソアンナも貴族サマの事情には疎かったんだ。まあそれでも、多少の引っかかりはあったんだがな。

 だからだな。総合実技訓練、試合の中で俺は、隊長どのの引き離しを最優先事項にした。


 足の遅い『槍』(インパクトランス)は、交戦ギリギリまで魔術使用を抑えるのが当時の流行りだった。だが剛弓使って『槍』を一発で射抜くような連中が現れてからは、最初から魔術的な守りを張れる使用状態で居ることが常道になったな。

 隊長どのがどう考えたのかは知らねえが、あの人は最初からそれを選択していた。

 んー、まあ、ダット=ロウファって分かるか? 小隊じゃあ一番の『弓』の使い手なんだが、そのダっちゃん先輩が俺の所に入ったのをどこかで聞いたか、あるいは指揮能力の未熟なクレアの負担を考えたかだな。いつ魔術を使わせるかってのは、中々に難しい判断だ。特に『槍』は魔術光を抑えらんねえからな。


 結果を言えば、予想を上回るクレアの駄目っぷりが俺に味方した。

 あいつはダっちゃん先輩を囮に使った作戦にまんまとハマり、足の遅い『槍』を置き去りに隊を進めちまった。そこに回り込んだ俺と、『槍』の先輩とが入り込んで分断完了だ。裏には『盾』の術者を配置しといたから、『剣』じゃ突破は出来ねえ。

 そうやって徐々に距離を広げていって、ようやく俺は隊長どのと一騎打ちに持ち込めた訳だ。


 話せ? いや、それは本題とは関係ねえし、飛ばしてもいいだろ。

 分かった。話すからクソアンナとの事は持ち出すな。誰にも言うなよ? 上手くいったら話してもいいけどよ。


 でまあ、隊長どのとの戦いか。


 当日使った会場は岩場中心の所だった、筈だ。うん。

 確か隊長どのと俺の後輩のリースが戦った場所もそうだったよな? ああいう見通しが悪い上に地形の複雑な場所だった。隊列を維持するのも難しい谷間もありゃあ、それなりに広い場所もあったりで、工夫次第で編成の常識も崩せるんだよ。

 で、俺と隊長どのとが一騎打ちの機会を得たのは、そうだな……馬車が二つくらいは並んで通れそうな谷間だった。『槍』の得物なら中央に立って目一杯腕を伸ばせば、壁に矛先が届くか届かないかって所だ。


 最初から目を付けてた隊長どのと一対一でやりあう機会を得た俺は、中々に上機嫌だった。予想が外れて本当に雑魚なら即終わらせて掃除に戻ればいい。

 けど、やっぱりあの人は強かったよ。


「っ――ははははは!」


 隊長どのが力を見せ始めたのは、クレアから完全に引き離され、声も聞こえなくなった頃だった。


「なんだよ、出来るじゃねえか! そんだけの腕前持っときながらよお、出し惜しみなんてつまんねえ真似すんじゃねえって!」

 俺なりに仕留めきるつもりだった攻撃をあっさり止められて、それで確信がついた。こいつは力を隠してるってな。

「双剣……というだけじゃない、奇妙な使い方をする」

「習った相手が悪くてな。ヤク漬けのクソジジイだったが、腕は確かだ」

「人の意識の死角を狙う。それだけなら珍しくもないが、お前の剣はそれしかない。教えたのは真っ当な使い手じゃない……例えば、暗殺者、とかな」

「はっ。今のはそのジジイの片腕切り落とした奴の手管だよ。引退した後も、斬られた時の事が忘れられずにずっと頭の中で思い描いてきた敵の剣。俺には馴染むみてえだし、二人であれこれ試行錯誤中ってとこだな」

「そうか……こんな所にまで」

「ん?」

「いや、こちらの話だ」


 そう言うと、隊長どのは話を区切るように突撃槍の先をこっちに向けてきた。距離は十分。到底『槍』の間合いとは言えない位置に居ながら、俺は思わず飛び退いて更に距離をあけた。


「それで、隠してたことに何か一言とかねえのかよ。あっちで戦ってる貴族サマ、弱っちいアンタを孤立させちまったって大焦りだぞ」

「お前に事情があるように、こちらにも事情がある。戦力になるという事が邪魔となる場合も、時にはあるものだ」

「分からないでもねえ。俺だって、この手は極力隠せって言われてる。極めれば初見で見切れる奴は居ねえんだとよ。それだけに見せびらかすなって」

「利害が一致するのであれば話は早いだろう」

「あぁそうだな。どの道こっちは本命じゃねえ。勝とうが負けようがどっちでもいい。だから――」


 あぁ、決まってる。


「そうか」

「本気でやり合わねえと、勿体無えってもんだろうが!」


 その時俺は、敢えて真正面から駆けた。

 得物の大きな『槍』を相手にするには、迂回しながら接近するのが最良って言われてる。だがそれじゃあ、隊長どのが何かを仕掛けてきた時、俺は後手に回っちまう。様子見は最も危険、そう思った。


 まず隊長どのは矛先を下へ向けてきた。

 上にどうぞ、という訳だ。重たい突撃槍は魔術の加護を加味しても振り上げるには向かない。ましてやこっちは最速の『剣』。当然乗ったね。何を仕掛けてくるか楽しみだったからな。


 あ? 後手に回るべきじゃないって判断したのにだと?

 戦いは気分でやるんだよ。


 俺が寸前で飛び上がり、頭上からの攻撃を見舞いますよとサーベルを構えると、当然隊長どのは迎撃するしかなくなる。

 身を屈め、初撃をかわした上での攻撃か、はたまた迎え撃っての打撃をいかにしてか行うか。


 ところが隊長どのはどっちも選択しなかった。


 あの人は突撃槍を長槍に持ち変えると、素早く手元に引いて防御とした。俺は何も出来なくなる。打てば打撃の加護を持つ『槍』に俺がふっとばされるからな。防御を抜くには宙返りってのは不向きな状態だ。だから見送るしかなく、それが俺の狙いだった。

 俺は飛び上がる直前、地面スレスレにサーベルを投げ込んでたんだ。

 派手に魔術光をまき散らしての跳躍に、首を狙う斬撃を見れば誰だって意識が集中する。俺にそこで決めるつもりはなかった。まずは足を、攻撃を支える要を奪う。

 下手をすれば自分が危険な状態になる宙返りなんて行動は、相手を騙すには相応の対価って言える。


 だが、


 矛先を上へ、石突を下へと構えた隊長どのの目は、俺を見ちゃいなかった。

 確かに跳んだ直後は俺を見てた。けど俺の手にサーベルが一本しかないことに、交叉の興奮状態の中で気付いたんだな。そしてすぐに俺の行動が本命じゃなく、危険を犯しては来ないと断じた。

 だから視線は下へ。頭上からの攻撃は勘で捌くつもりだったのか、本当に捨ててたのかは分からねえが、縦に構えた長槍は俺の投げたサーベルを打ち弾いた。


 次に危ねえのは俺の方だ。

 大きな跳躍は大きな隙になる。

 隊長どのはサーベルを弾くやすぐさま石突を後ろへ滑らせ、俺の着地点を狙った。が、まあ、流石に攻撃を受けた後だ、後ろ向きともなれば針穴を通すようにとはいかねえ。

 俺は危うく片足立ちで石突を避けると、そのままの勢いで転がって距離を取った。


「『剣』の魔術で出した武器は術者の手から離れると消える。けどそいつは、一定以上離れたらって事だ。自分も一緒に駆け込んでいきゃあ近くに居る限りは消えねえ。どうよ、こいつは俺の思い付いたとっておきだったんだが、そっちのはまだ見せねえつもりか?」

「いや、十分だ」

「十分、か」

「そちらにとっては勝っても負けても大勢に影響はないのだろうが、こちらにとっては引き分けでさえあちらを圧迫する」

 何せ『槍』じゃあ俺を倒した所で合流するのに時間が掛かる。魔術無しじゃ、待機してる『弓』の餌食にしかなれねえ。幸いというか、射程外だったから俺への援護も期待出来なかったんだがな。

「じゃあどうするよ。勝ちに来るかい?」

「彼女の未来を繋ぐことは俺にとって重要な意味を持つ。大きなモノを背負った人間が、そこから脱却して何を成せるのか。いかにして成すのか。謳われているのが手垢の付いた理想論でも構わない。己の不足を知りながら、我在りと本気で信じて叫ぶことの出来る貴族を、俺は初めて見た」

「だからって隠し事して追い立てるたぁ、やることがえげつねえよ」

「彼女が望んでいるのだから無実、とは言わない。いずれ自分自身で始めなければならないのだろうが、今はそういう訳にもいかなくてな」


 その時の表情を見て、なんとなく察したんだ。

 隊長どのの抱える事情って奴をよ。


 どうなんだ、妹さん?

 心当たりの一つ二つ、何かねえのかよ。

 まあ言わなくてもいいけどな。

 そん時も俺は敢えて聞きはしなかった。

 なんというか、話したがっていたとか、そういうんじゃなかったからな。多分、隊長どのなりに自分の行動には思う所があって、それでもやらずにはいられないから、気持ち固める為に話したって感じかな。いや、今だから思うだけなんだがよ。


「構えろ」


 声の質に、本気でやべえと思った。

 全身の毛穴が開いちまって、身体の芯が震えた。最高だったね。あん時の俺は、色々とくさくさしちまってたからな。しちめんどくせえ貴族サマのお庭で学ばせていただいて、下らない難癖を付けられて、じゃあどんなもんかと受けて立ってみりゃあ、大したことのねえ雑魚ばっかりだ。

 それでも上位の小隊には強いのが居るって聞いて、そういう歯応えのある戦いを望んでた。


「行くぞ……!」


 だから『槍』の紋章に騎馬が刻まれた瞬間、俺はやったぜと思ったね。

 驚くことじゃねえ。望んでたんだからな。


 怯むこと無く、勇み足を踏むことも無く、正面から迎え打った。

 『騎士』の突撃の前じゃ、歩兵なんて蹴散らされるだけ。分かっていて、俺は行った。

 最初は投擲でも仕掛けようと思ったんだが、壁ごと迫ってくるような攻撃にすぐさま諦めた。なら決まってる。直接斬り込む以外にはねえ。ここで逃げまわっても、勝とうと思えば結局はやるんだ。だから最初からそうした。

 ま、結局はふっとばされて終わったんだがな。


「っ痛う……! 滅茶苦茶だな上位能力ってのはっ」

 落石って見たことあるか? デュッセンドルフの北東にある山脈には、岩肌丸出しの枯れた山が幾つもあってな。人間の二倍三倍ってデカさの岩がごろごろと転がり落ちてくるんだ。

 『騎士』の突撃を正面から見た時、そういうのを思い浮かべた。どころか意志を持って追いかけてくるとなりゃあ、地べた這いつくばってるだけじゃ足りねえ。


「剣士が騎士の突撃を迎え撃つなど……!」

「逃げてちゃ!」

 続く突撃にも俺は飛び込んだ。

 そして抜けた。偶然か、油断だったのか、俺の迎撃をと考えて鈍った突撃は最初のソレに比べると僅かに隙があった。

「こういう攻撃も出来ねえだろうがッ!」

 ただ、備えていたからこそ俺の攻撃は大きな効果を出せなかった。

「ちっ、持ち手で弾きやがるたぁタマの固え野郎だ。下手したら手首ごといっちまうぜ? ――っても、完全には防げなかったな。脇腹の傷は染みるだろ?」

「…………かすり傷がどうかしたか」

「お前意地っ張りだろ。さっきの顔といい、弟か妹でも居そうな感じだ」

「ふふ、世界一美しい妹なら居るな」

「わぁ……」

「来年には新入生としてこの学園へ入学してくる。惚れるなよ」

「年下に興味はねえ」

「殺すぞ」

「おい」


 ま、そんなやりとりがあった訳だが、妹さんも妹さんで、相当なもんだな。

 普通兄貴に褒められただけでそんな顔しねえぞ。しかも昔話だ。なんだ、近親相姦か。所詮男と女だろ。あんなべったりしてりゃあムラっと来る瞬間くらいは……分かった、ねえのは分かったからその目はやめろ。


 とまあ、かなり脱線しちまったけど、俺たちの戦いはそこで終わった。

 決着はつかなかったんだ。

 そうだな、続けてりゃあ八割方俺の負けだったろう。けど二割はあった。実際にどうなったかは分からず仕舞いだ。

 うるせぇそういうことにしとくんだよ。

 どの道その後のあれこれで、俺は負けを認めちまうんだからよ。


 俺と隊長どのとの決着が付かなかった理由が、そのままクレアの今に繋がってる。


 覚えてるか? 俺とクレアが争い合ってる一枠は、元々別の小隊のもんだったんだってことを。デュッセンドルフじゃ、どうしたって貴族が力を持つ。文字の読み書きも出来なきゃ二年で戦場送りにされる学園だ。そういう契約で兵士を集めて、フーリア人との戦争に使ってる。

 だからここ何年も、新しい小隊ってのが作られなかった。皆出来上がってる小隊に入って、繋がり作ったり、お山の大将気取ったり、そんなだ。

 正規登録された小隊から外れることは不名誉だが、再登録すればなんだかんだで続けていける。そう思ってた所にこの騒ぎがあって、相手は娼館育ちのクソガキに、正義ぶった敵の多いクソアマだ。


 我慢ならなかったんだろう。

 卒業していった連中から自分の経歴まで傷がつくとか、脅されてたって話も後になって聞いた。


 そうだ。

 本来その場に割って入る資格のねえ敗残者が、俺たちの試合に割り込んできやがった。連中は必死だった。規定通りの人数で実力を証明、なんてお行儀の良い考えは、這いつくばらされた泥の中に吐き捨てた後だった。

 総勢は五十人くらいだったらしい。全員が主力級の実力を持っていた訳じゃねえ。主力にしたって下位も下位の雑魚だった。

 けど、小隊長だけは頭一つ抜けていたらしい。

 俺に戦力の大半を差し向け、残る少数と自分でクレアを。二つの小隊の頭を潰せばどうにかなるとでも思ったのかは知らねえが、偶然にも一番効果的な配置を奴はした。

 腕がいいだけなら二人でどうとでも出来た。けど数を相手にするには時間が掛かる。戦いが終盤に差し掛かっていたのもあって、消耗していた俺の小隊の連中も、クレアの側も、あっという間にやられちまったんだ。


 俺たちは数に足を止められ、残ったクレアは一人きり。

 ついでに言えば、さして注目もされてなかった上に枠争いなんていう俺たちの試合の見学者は殆ど居なかった。審判もしょぼくれた事務員の爺さんだけで、当然身柄を抑えられてた。

 ま、隊長どのの行動に感づいた一部の連中が見に来てたらしいが、厄介な人間が外れていってくれるならって、どうせ見逃したんだろうよ。


 孤立したクレアは必死に戦ったさ。

 相手は強かった。殺そうとしていたかまでは分からねえが、正気で出来る行動でもなかったからな。まだまだ弱っちかった彼女には恐ろしい暴漢にしか思えなかっただろう。

 強者の側ならともかく、完全な格上相手に手加減なんて出来ねえ。

 幾つかの偶然が重なってやっと勝てるかって状態だ。


 けど、アイツは勝っちまった。

 隊長どのと相当な鍛錬を積んでたのもあるだろう。最後の最後まで踏み留まって、小隊長として戦い続けた。


 そうして勝利した時、相手の小隊長は死んじまってたんだ。


 噂はあっという間に学園中へ広まり、正義を語っていたクレアの立場は、そりゃあもう壮絶通り越して地獄みたいなもんに変わった。

 相手の小隊長が凶行に及んでいたことは、批難する連中の口からは出てこねえ。彼女が口を開くことも許されなかった。巻き込むと思ったのか、隊長どのからも距離を取って、ただただ嬲られ、貶められ、自分自身を責め続けた。


 訓練とはいえ、魔術を使って戦う以上事故はある。

 そもそも俺たちはそういう手段を学んでる。


 そんな言い訳はクレア自身にとって一番意味が無かったに違いねえな。

 あのままいきゃあ、遠からず壊れた。一度会って、目を見て分かったよ。

 娼館なんて所には幾らでも転がってる目だ。娼婦でも、ゴロツキでも、客でも、そんな目をした奴はいずれ狂人になるか、あるいは狂えないまま死んで救いを得るかだ。


 だがクレアはどちらにもならなかった。

 狂う自分を許さなかった彼女を、最後の一歩を踏み留まっていたその手を、死よりも確かに掴む奴が居たからな。


 ハイリア=ロード=ウィンダーベル。


 妹さんのお兄さんが、本気になることを決めたんだ。




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