第78話 クレアの奮闘


   クレア=ウィンホールド


 薄ぼんやりとした青空の下、高い湿度に張り付く髪の毛を頬に感じながら、ぬかるんだ地面を踏む。

 目に映るのは泥土の広がる街道と味方の背中に、突破してきたラインコット男爵の手勢だ。赤の魔術光が幾つもの筋を引いて再集結しようとするのを、前衛の部隊が突撃して叩く。そこから逃れた数名が、私たち学生らの部隊へ肉薄してきた。


 背中を叩く突風に身を預けるように、腰を落としてレイピアの先端を相手へ向ける。後ろ足を踏む。身体の勢いは未だに後ろ。引き絞りではなく、後退の為の状態だ。

 相手もそれが分かっているからか、『剣』(ブランデュッシュソード)によって生み出された長剣を背負うように構え、踏み込み追ってくる。


 手首を軽く捻り、切っ先を揺らす。

 レイピアは非常に細い剣だ。魔術によって生み出された武装は比較的強固に造られているし、攻撃の際には『槍』(インパクトランス)ほどではないにせよ、切断の加護が乗る。ある程度熟達した剣士ならばそれを調節して相手を傷付けずに打撃することも可能で、実際に私もクリスの相手をする時はそうしていた。とはいえ、あれは彼女の未熟さに助けられていた部分もある。

 それら魔術に依る効果は術者としての実力次第ではあるが、生み出す武装の性質にも多少左右される。

 細剣とも言われる私のレイピアと、アンナたちの使っているような両手剣とが打ち合えば、苦労するのは私の方だ。


 けれどレイピアには他にはない特質がある。

 細い剣だからこそ、僅かな手首の動きで切っ先が揺れ、剣身がしなる。それは相手との交叉において、非常に読むのが難しい複雑な攻撃を可能とする!


 こちらの後退を見た『剣』の術者が、大胆な横薙ぎを見舞う。

 まだ攻めない。感じた違和感の通り、長剣は振り抜かれることなく切っ先を私へ向け、踏み込んだ足元が赤の魔術光が燃え広がる。


 来る。


 真っ直ぐに、刺し貫く速度で攻めてきた。

 しなりは溜まっている。後方へ進む勢いはそのままに、手首を返して肘を引いた。

 交叉の瞬間、僅かに捻った手首と親指の握りによって渦を描くようにしなったレイピアの切っ先が、相手の長剣の下から右側面へと伸びて手の甲から肘までを抉り切った。

 右へ振り抜いた勢いのまま身体を回して相手の身体を避け、速度を殺さぬよう左へ駆け、孤を描いて後退する。

 新手が来た。粘つく唾液を飲み込み、小さく咳き込む。

 敵を視界に収め、周囲を確認し、迎撃しようとして、思わず視界が揺れた。


 何故、と思う暇もない。

 一呼吸もの遅れは決定的な隙となり、迫る刃が胸元へ迫る。それでも染み付いた反射は魔術光を放出させ、僅かな防御の壁となる。『槍』ほどではないにせよ、『剣』も魔術光には鎧としての加護がある。だが、相手の大きな獲物にどれほど効果があるだろうか。


「っしゃあ!」


 私が死さえ覚悟して待ち受けた瞬きの後、敵の姿が弾き返されていき、その上によく知る姿があるのを見た。


 ハイリア様率いる一番隊の、もう一人の『剣』の術者。

 共に小隊の代表として幾つもの戦いをくぐり抜けた、かつては敵として立ちはだかったこともある金髪の少年が、敵の腹へサーベルを深々と差し入れ、地面へ縫い付けている。

 少年、ヨハン=クロスハイトが死体となった敵を踏み、サーベルを引き抜いて声を上げる。


「おらおら次が来るぞ! 逃げてるからって下がってるんじゃねえ! 敵の大将討ち取るくらいのつもりで突っ込んで逃げろォ!」


 応、と叫んでまた数名がヨハンに続き、出来た隙間には『弓』(ストライクアロー)による斉射が加えられて敵の進撃範囲を狭める。

 ヨハンの戦いぶりは凄まじかった。

 殆ど敵と打ち合うことなくサーベルを振り抜き、あるいは突き刺し、あっという間に十もの『剣』を削りとった。複雑な駆け引きなんて滅多にしていない。攻撃の一つ一つが単純に早く、鋭く、相手を上回っているだけだ。格が違うのだと思わせる戦いぶりだった。

 ヨハンの戦い方は、私の知る限り良くも悪くも消極的だった。攻める時には攻めるが、基本的には小隊の皆へ意識を向けていて、上手く仲間を援護する。

 そういった姿勢も加味した上でハイリア様は私を小隊一と位置づけていたが、この数日で私の中の評価は完全に覆っていた。


 どこでこんなに変わったのだろうかと思わされる。

 考えるでもない。あの時だ。

 私が隊を離れ、彼が残ったあの戦い。

 イルベール教団との苛烈な戦いをくぐり抜けたことで、やる気の失せていたヨハンに何かの変化が起きた。


 今だってがむしゃらに攻めているような印象を受けるが、追従する味方にも意識が向けられていて、そちらに手強そうな者が進めば隊列の調整や進行方向も判断し直されている。

 そんな彼に続く三名が複数掛かりで一人を仕留め、連携によって新手の進行を受け止めると、素早く回り込んだヨハンが背後から斬り付け絶命させた。


「クレア!」


 呼び掛けにレイピアを握る手が震える。

「どうした」

 普段通りの声が出たかと考えていると、戻ってきたヨハンが顔を寄せて呟く。

「後方で急ごしらえの陣を作った。急ぎで軍議をするんだとよ。お前は俺たち学生の代表だ、出てこい」

「この状況で?」

「だからだよ。名指しで呼ばれてんだし、この何日かはずっとそうだっただろ?」


 この場を離れる。

 あくまで後方の、討ち漏らしを掃除するだけとはいえ、実戦の現場から離れることに心配で周囲に目を向けた。

 散開している者たちの一人ひとり、漏れ無く名前を知っている。多少関わりの深い者となれば休日を共に過ごしたこともあるし、趣味や将来の夢なんてことも語り合ったことがある。

 ただただ不安だった。

 具体的な部分へ思考が至る必要もなく、不安で、心配で、目を離したくないという衝動が、ヨハンへの返答よりも確認を優先させた。


「ったく……」

 なあ、と彼は言葉を投げかけ、

「いつまでお嬢ちゃんのままなんだ」

「っ……!」

「クレア嬢、なんて呼ばれ続けることに慣れちまうなよ。そりゃ隊長殿は安易な軽蔑とかじゃなくて、期待とか安心をくれる為なんだろうけど、相手の優しさとか義務感に甘え続けている限り、お前はいつまで経っても一年前のままだぞ」


 なにか言い返そうとして、しかし怒りも勢いも瞬く間に冷えて沈んでいく。

「なあ」

 とヨハンが言いかけた所で人の声が波となって打ち付けられた。

 防衛線の一部が崩れ、多数の敵が雪崩れ込んできたのだ。


 一刻も早く駆けつけるべき時に、敢えてヨハンは私を見て、言葉を継ぐ。

「もう人殺しはお前だけじゃねえ。どいつもこいつも覚悟を決めてる。決まらなかった奴は隊を去った。お前には連中より遅くその機会が来ただけだ。どうするか、どうしたいか、軍議に出るまでには答えの欠片でも掴んどけよ。でないと――」

 赤の魔術光が燃え上がる。

 両手にサーベルを握りこんだヨハン=クロスハイトが、戦場を見据えて口の端を吊り上げる。

「まあいい。忠言なんて俺らしくねえな。こういうのは隊長殿の役目だ。この逃亡劇の台本書いてる奴に言っとけ、一刻は持たせる。それ以上は死ぬからなってよ」


 駆け抜けていった炎を見送った私は、振り切るように背を向けて走り出した。

 決断出来た訳でもなく、逃げ出すことさえ出来ないまま、役割に縋って流される自分に気付きながら。


 ふと空を見る。

 もう夕暮れだった。


   ※  ※  ※


 途中何人かに場所を聞きながら辿り着いた陣中には、私以外の主だった者達が既に揃っていた。

 陣とは言っても水を入れた樽を二列にして数個を並べ、地図を広げてあるだけで後は野ざらしの壁すら無い状況。周囲を『盾』(フォートシールド)によって遮ってすらいない。


「遅くなりました」

 言うと、灰色の髪をした青年が顔を上げる。

「いや、君たちの予想外の活躍には助けられてる。今も流れ込んだ敵を上手く撃退してくれたと報告が入っているよ」

 ということは私が来るより早く報告が届いていたことになる。小さなこととも言えない失態に責める声はなく、だからこそ悔やむ気持ちは大きくなった。


「さて、すまないが儀礼的な部分は省かせてもらう。なにせ時間が無いからね」

 この灰色髪の青年は、古城での警備も仕切っていた騎士だ。男爵の行動を止められなかったのは失態だが、予兆に気付き、早々に貴族らを城外へ逃がし始めていたことが、今回の逃亡成功に大きな影響を与えている。

 私は一歩前に出て、彼の頷きを得てから発言をする。

「現場を任せてきた者は、一刻なら持たせると」

 ヨハンからの伝言を伝えると、彼の目算と合致していたのか満足そうに頷きを見せた。

「ヨハン=クロスハイト、だったか。余計な話をするのも何だが、凄いね彼は。一度見た戦いぶりが偶然でなければ、ウチの精鋭に混じっても遜色はないよ」

「本人に伝えておきますが、勧誘は隊長を通してください」

「おっと、雇い主のご嫡男まで敵に回すつもりはないよ。今は、田舎貴族の男爵殿で精一杯だ」

 おどけて言う青年に周囲が笑い声を漏らし、釣られて私も笑う。

「よし、ではまず現状確認だ」


 柔らかくなった空気を張るような声だった。

 場に緊張感が戻るも、当初のような堅苦しさが抜けた、程よい張り詰め方だ。


「クレア=ウィンホールド。現在の我々の状況は言えるかな?」

 騎士階級の男は、敢えてこちらを呼び捨てにする。

 他の者は多少の遠慮を見せるが、彼のおかげで私はこの経験豊富な騎士たちに混じっていられる。

「はい! 現在私たちは、ラインコット男爵の主城から抜け出し、南方に進路を取っています! しかし男爵の追撃を受け、現在も交戦中となっています!」

「そうだ。この軍議は、前線で命がけとなって戦う仲間の血を支払って行われている。ならばそれでは理解が足りない」

「はいっ。…………」

「今ここで軍議を開く意味を考えなければいけない。逃げ切った後でもいいなら、この場を保持する戦力を他へ向けられる。それは何故か?」

 少しの間を貰って、思いつく所があった。

 私たちの取った南下策は、それが男爵にとって最も嫌な方角だったからだ。彼の領地は王国の南東部にある。彼が本当に革命を考えているのであれば、当然向かうべきは王都ティレール。それはここから北西へ進んだ先だ。


 集まった貴族らと、その直属の護衛や使用人たち。加えて私たち学生らの部隊と、ウィンダーベル家とウィンホールド家が別に用意した警備兵。すべてが戦力ではないにせよ、数は千に近い。

 懐に残したままとするには危険な数だ。


 男爵は私たちを早期に確保したいだろう。

 これは誰が見ても分かる。外との戦いに集中したい男爵にとって、内側でうろちょろされるのは厄介以上の状態だ。

 もう一つの理由は、国内外の有力貴族を人質と出来れば、討伐に動くだろう王と貴族たちの動きを鈍らせることが出来るからだ。後継者どころか、当主の命が握られては、討伐隊への援軍なんて出せる筈もない。


 だがこれらは全体から見れば短期的なものとはいえ、今この瞬間に判断を要するものじゃない筈だ。

 なら、この軍議はもっと目先のことを話し合おうとしている。


「今、私たちが向かっているのは南方の、この湿地帯と森を抜けた先にある村。それはハイリア様が先んじて協力を取り付けていた場所……です。そこに男爵が先回りをしていた、ということでしょうか?」


 ハイリア様が残していった、クリスに策を預けてあるという言葉。

 彼は早期にこの蜂起を察知し、備えを各所に用意してあった。既に六箇所での補給を得られた私たちは、この導きを信用している。だが領内で物資の確保が難しい筈の私たちが、十分な備えを所持していることに男爵が疑念を抱いたとすれば、足の遅い私たちを越えて手を回されたという可能性も出てくる。


 灰色髪の青年は少し考え、視線をこちらに戻した。

「詳しい事は後で話すが、この軍議の理由はそこだ。目的地を変更しなければならない」

 少なからずどよめきが広がる。

 逃避行にとって目的地は重要な意味を持つ。先の見えない放浪ほど心と身体を蝕むものはない。食料や物資が潤沢な今、目的地さえ決まってしまえば、有能な騎士や貴族らとその配下たちがあらゆる策を仕込んで男爵の裏をかける。

だが行き先も定まっていない状態では身動きも取れない。集団は移動を行えば必ず綻びが出る。右へ左へと追われるまま逃げ回ることの愚かさは誰の目にも明らかだ。

 そういったことを若い騎士が発言し、現状の危うさを指摘した。


 そもそも地理に詳しくない私たちでは行き先の選定すらままならない。

 南下するという大方針はあれど、千に近い数が行動を続けるには膨大な物資が継続して必要となる。であれば、最終的な目的地だけではいけないのだ。幾つもの中継地を選出するのに、ハイリア様の用意してくれた地図だけでは心許ない。


「皆の不安は分かる。が、行き先が決まらなければ逃亡も叶わない。無闇に進めば自らの首を締めることにも繋がる」


 だからこそここに集められた。

 急を要する判断だが、慎重に慎重を重ねなければならないものでもある。見れば、通常の要員だけでなく、数名見たことのない人物がそれぞれの後ろに控えていた。逆に本来居た筈の者が居ないのは、前線から離れることが出来なかったか、あるいは既に。


 重く沈む場で、堪え切れなかったように青年がため息をつく。

「ここからの話は他言無用にしてもらう。いいか、決して誰にも明かすな」

 頷きが連なり、また沈黙が降りる。

「先程、ウィンダーベル家のご嫡男により示されていた補給場所が使えなくなったという話が出たが、それを行ったのは男爵ではなかった」

 嫌な予感がした。

 単純に協力を取り付けるのに失敗した、というだけではない雰囲気だ。

「偵察の話によると、村はかなり前に焼き払われ全滅。不審に思い、更に先まで偵察を出したが、殆どが同じような状態になっていた」

 なんとなく、それは私たちの邪魔が目的ではないように感じられた。似たような印象を受けたことは前にもある。


 これは、ハイリア様の行動を阻害するものだ


「現場にはある紋章が刻まれていた。十字天秤――イルベール教団のシンボルだ」


   ※  ※  ※


 改めて、私たちが集まった理由を思い出す。

 かつてこの大陸内で起きたという血で血を洗う宗教戦争。細分化された分派間での苛烈な闘争は、国の枠さえ越えて全土に混乱を齎したと言われている。

 イルベール教団の発足はその末期であったとされる。彼らは分派の枠を越え、教義の原点である聖女セイラムの教えを、歴史の中で歪められてきた伝説から一筋の真実を導き出すことを目的に組織されたという。


 免罪符を始めとし、教会のやりたい放題に嫌気が差していた民衆から一定の支持を得た教団は、表向き慈善団体として活動していた。

 当然これを快く思わなかった者たちによって教団は弾圧の憂き目にあったが、一度は壊滅状態にまで追い詰められながらも、再び彼らは立ち上がった。現在の武闘派と呼ばれる戦闘集団を擁し、育成するようになったのもこの頃だ。

 それでも、当時の規模は非常に小規模なもので、これらの記録を調べるにも相当な苦労が必要だったと聞いている。


 実のところ、教団が現在のような組織力を持つようになった時期ははっきりとしない。本当に、気が付けばあらゆる所に彼らの影響力が及んでいた。

 宗教戦争とて相当に昔の話だ。以来民は、生活や道徳の土台であることは変わらなかったが、宗教というものからやや距離を置くようにもなっている。少なくとも教会の言葉に国ごと右往左往するような時代ではない。

 そんな時代の水面下で、イルベール教団は密かに版図を広げていったのだろうと考えられている。


 彼らの主張は単純だ。

 運命神ジル=ド=レイルにより、人々の天命を御する力を得た聖女セイラムの導きにすべてを委ねるべきだ、というもの。

 神を崇め、聖女の導きのまま、生きる事。

 それそのものは一昔前まで無害なものだった。

 私たちには天命があり、それを証明するべく名乗りを上げるのだから。


 何もかもが狂ったのは、新大陸の発見からだ。

 そこに生きる浅黒い肌を持つ、まるで見た目の異なる人、フーリア人との交流が始まった。

 文化的、技術的に劣るフーリア人を蛮人と蔑む声が高まるなら、ここでもイルベール教団は静かなものだったという。彼らは早期に新大陸へ渡り、遠く彼方の地にも聖女の教えを広めようと精力的に活動した。

 そしてある日、彼らが言うには、聖女セイラム本人によるお告げが下された。

 内容は、フーリア人を殺せ、というものだったという。

 これは教団に追従していた商人らの証言によるものだが、お告げから実際に虐殺が始まるまで幾分かの時間があったらしい。

 だが結局お告げに従う者が出てくる。


 血まみれ神父の名を持つ男、ジャック=ブラッディ=ピエール。


 殺したフーリア人の数は数百とも数千とも言われるあの男が始め、今日のあの狂信者集団が完成した。


 ただ、


 そう、ただし、今の何もかもがイルベール教団によって作られた訳じゃない。

 蛮人と蔑むフーリア人を捕らえ、奴隷貿易などと呼ばれる凶行に走っていた事実は否定のしようもないし、階級制度の厳しいこの国では現在でも奴隷文化が存在する。

 なにもフーリア人だけじゃなく、例えば今回蜂起したラインコット男爵の収めるこの地の民も、王国への編入当時は多くが奴隷とされている。

 敗者を奴隷として国の労働力とするのは昔からあるもので、フーリア人らの奴隷が増えた今も、国内の奴隷の半数以上がこの大陸の人間だ。最も、奴隷の中でも最も下位に扱われるのがフーリア人で、はけ口となった彼らの行く末は相当に悲惨なものだと聞いている。

 突如として海を越え、この地への侵略を始めたフーリア人の中には、親兄弟を奴隷として売られた者もきっと居るだろう。


 贖えきれないほどの罪を私たちは抱えている。

 だが、だからと言って滅ぼされる訳にはいかないのだ。

 自分勝手であっても、傲慢であっても、罪を理由に国が滅び、蹂躙を許すなどあってはならない。


 では、どうすればいい?

 私たちは、永遠に争い続けなければならないのか……?


 結局男爵の起こした革命の背後には、同じようなものが潜んでいるのかもしれない。男爵自身がどう思っているかは知らないが、戦いに参加する者の中には王国への反感を理由としている者が多く居るだろう。

 私の通う学園のある町が、デュッセンドルフではなくラインコットと一部で呼ばれているように。


   ※  ※  ※


 議論は白熱していた。

 灰色髪の青年によって進行する会議は、常に身分や経歴を無視した活発な意見交換が行われる。彼自身が成り上がりの騎士階級であることもあるだろうが、それにしても見事なものだ。

 それでも答えが出ない。

 何もかもが上手く行くなどという、都合の良い道を探している訳ではない。危険を受け入れながらも先行きの見える道がどこかにないか、どこを進めば袋小路に迷い込んでしまうのか、出てくるのは後者ばかりというだけで。


 目的は不明だが、教団の手が回っていると思われる南部は総じて危険。

 当然北からは追撃する男爵の部隊があり危険。

 東へ進めばそれこそ袋の鼠だ。なにせそちらは国境を超えることになり、我が国とは随分と前から国交が途絶えている。戦争状態ではないにせよ、我々より男爵の方が近しいのは考えるまでもなく、やはり危険。

 最後に残った西への進路だが、仮にこの方面への突破が叶えばウィンダーベル家の領地の一つがある。かの侯爵家が持つなかでは小ぶりなものだが、それでも男爵とて容易く攻め込める場所でもない。

 だが、だからこそ突破は困難なのだ。

 南が男爵にとって最も嫌な逃げ道だとするなら、西は私たちにとって最も望む逃げ道だ。当然厳重に網を張られているだろうし、何より男爵領を出るには前線を越えなければならない。


 南へ抜けていければ道はあった。

 南部には大陸を割る巨大な内海があり、船での脱出が見込めた。そも今回の集まりに南の港町を使っている貴族も多く、仮に船を抑えられているとしても戦力を考えれば奪還そのものは難しくない。


 一度、近隣の地方都市の一つを攻めて拠点とする、なんて意見も出たが、すぐさま却下されている。

 軍人だけが詰めている砦ならともかく、都市を攻めるとなれば民を巻き込む。ましてや一度戦ってしまえば、取り引きは略奪に取って代わるだろう。それではイルベール教団と変わらない。

 奴らと戦うべく集まった私たちが同じことをする訳にはいかないのだ。

 かといって男爵に呼応している可能性の高い都市へ逃げこんで、平和的な手段が通じるとは考えにくい。


 せめて放棄された砦でもあれば逃げ込めたのだろうが。

 千という数は野ざらしで行動を続けるには多すぎる。


 血のこびり付いた砂時計が落ちていくのを感じながら議論を見守っていると、不意に視線を感じた。

 私が顔を向けると、灰色髪の青年は目を背けるでもなく、じっとこちらを見続けてきた。


 冷や汗が背筋を濡らした。

 思えば、戦ったそのままの姿で飛び込んだせいで服には汗がじっとりと染み込んでいる。今更ながらに服の冷たさを感じながら、目を逸らして俯く。


 何故彼は私を見ていた?

 こんな、議論の役にも立たない小娘を。

 懸想などという事ではないのは分かる。そういう類の視線ではなかった。もっと深く、鋭く、こちらの深奥を探る目だ。


 あの青年には、時折ハイリア様のようにずっと先が見えているように思える時がある。議論の流れも、出た結論も、彼には最初から分かっていたのだと。

 ウィンホールド家が持つ私兵の若手筆頭ということだが、警備の総指揮への大抜擢は、結果を踏まえて見ても相応と言える。


 そして、不意に気付いた。

 現状を打破するとまでは言えないにせよ、一つの問題を武器へと変える方法があることに。それが彼ら騎士には不可能なものであることを。

 だからだ。

 だから彼は私を見ていた。

 この場に居る他の誰にも出来ない、私だけに出来る発言がある。


 私は宮中伯、ウィンホールド家の一人娘。

 王に近しいという地位を考えれば侯爵家であるウィンダーベル家にも肩を並べ得る階級の人間だ。加えて学生の身であることも意味を持つだろう。


 けれど……あぁ。


 無理だ。


 彼の望みには応えられない。

 私のような何も出来ない小娘に出来る事じゃない。

 部隊の指揮は、まだ上に人が居たからやってこれた。それ以前はあの人が、ハイリア様が居てくれたから、私は紛いなりにも自分の足で立っていられたのだ。


 視線から逃げるように右手で顔を覆い、不意に掌へこびり付いた血に気付いた。


「っ……!?」


 腹の内が急激に縮まり、ねじ切られるような痛みを発する。

 駄目だ、落ち着け、これは違う。そう自分を言い聞かせても痛みは消えてくれない。


『この人殺し……!』


 あの日の残響がまた耳の奥で鳴り始めた。

 小隊を結成するべくたった一つの枠を取り合ってヨハンの率いる部隊と戦ったあの日。


 拳を握り、震える喉で息を吸い、必死に身体を支えた。

 誰かが声を掛けてきたように思えたが、何と言われたのかも分からない。私はただ耐え、立ち続けた。

 意地だった。

 ヨハンにお嬢ちゃんと言われたことを思い出す。

 ここで悲鳴をあげて倒れれば、それこそ本当にお嬢ちゃんだ。私は二度と人前に立てず、ハイリア様の行く先に並び立つことも出来ないだろう。


 負けたくないという気持ちは確かにある。

 それを越えて震えさせる恐怖があるだけだ。

 そんなものかと叱咤する。

 かつてあれほどの大口を叩き、ハイリア様さえ巻き込んで何かを成し遂げようとしていた者が、いつまで身を縮めているのか。


 時間にすればほんの僅かだったのか、私が落ち着きを取り戻した時、議論はさして進行していないようだった。結論が出なかっただけかもしれないが。


「クレア=ウィンホールド」


 見計らったような間で声がくる。

「はい!」

 返事だけはしっかりしようと、声を張った。

 灰色髪の青年はこちらの目を見ながら頷きを入れると、言葉を継いだ。

「君は今すぐ学生部隊と合流し、補給を行った後、東へ抜ける道を先行してくれ」

「東……ですか?」

 袋小路へ自ら飛び込むような進路だ。

「そちらにはウィンダーベル家のご嫡男が示した物資の残留が確認されている。我々の進路からは外れていた為、このまま無視して進むつもりだったが、現状を鑑みて確保に向かうべきだと判断した」

「……では、物資の確保が出来た後は?」

「それは追って伝える。分かっていると思うが、東は最も手薄であると同時に、温存された敵戦力が居るものと予測される。後方配備と同じに考えていると想像以上に苦戦を強いられるだろう。心して掛かってほしい」


「はい! 部隊と合流し、補給の後、東部に存在する物資の確保へ向かいます! 確保後は別命あるまで現場の確保ということでよろしいでしょうか!」


「目的を考えればそうなるだろうが、君の判断を重視してくれて構わない」

「はい!」

「最後に一つ。私は、将たる者の条件の一つに、必要と思われる無理難題を平然と口にし、どれほど不安があろうと成功するのだと態度で示し続けられることがあると考えている。短い間だったが、君の隊長とも話してその片鱗を見たよ」

 もう一つあった、とおどけて言い、続ける。

「貴族とは、やがて誰もが大なり小なりの指導者となる。その成長には時に、万の血を捧げるに値する。私たち騎士は、そういった覚悟を以って戦っているよ」

 最後にじっと視線を交わし、一礼を以って外した後、私は仲間の残る前線へ向かった。


 嫌な予感がした。

 そしてそれは当たる。

 私たちが東部へ抜け、物資の確保に成功した頃、追撃部隊の大攻勢があり、逃げ遅れた貴族らを守るために殿として残ったあの灰色髪の青年が、そのまま行方不明となったのだ。




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