第三章(中)

第77話 追憶①

 あの山の向こうに、大法螺吹きの小僧が居るという。

 武者修行にと各地を転々とし、仕官の道を探していた青年がその噂を聞いたのは、王国の主要都市ティレールへ立ち寄った時だった。


 ティレールは王国を東西に隔てる巨大な丘陵地帯より、やや西側へ外れた丘にある。かつては古都を防衛する要として発展した背景もあり、見上げるほどの城壁や物見の塔に守られた都市だ。

 主要街道からは外れている為に交易地独特の華やかさには欠けるが、城塞都市の持つすえた空気を、長い時間を掛けて気品という名の絨毯で覆い尽くすには至っている。


 護衛の商人と賃金で揉めた挙句、ついつい手を出して一晩の宿を得た青年は、牢獄から出るなり朝市で大法螺吹きの話を聞いた。

 とりあえずの空腹も満たし、一晩で頭の冷えた青年だったが、揉めた商人も大言ばかり口にするお調子者だったのもあって、思わず足を止めてしまった。


 聞けば、天にも届く塔を作ろうと語ったかと思えば、遠い彼方まで広がる海に橋を掛け、神話に語られる神々の国を目指そうなどと、到底成し遂げられそうにない夢物語ばかりを口にする男とかで、最初は道化や講談師と勘違いしているのかと思った。彼らは日銭を得るために様々な伝説を語るが、狭い村や庄、都市内部で生きて死んでいく者たちを相手にするには、やや行き過ぎたぐらいでないとウケを取れない。

 だがどうにも、その小僧は違うらしい。

 詳しく聞こうにも容量を得ず、仕方なく自分で確かめてやろうと都市を出た。昔から人任せは好かず、悩むくらいなら行動するのがその男だ。


 山とも丘ともつかない峠を三つほど超えた頃、彼は噂の古都へ辿り着いた。

 寂れた町だ、というのが正直な所。

 石造りの見事な建造物が多く、確かに古い町らしい格式はあった。だがいかんせん人が居ない。建物の八割が無人で、朝に市が立つ様子もない。それでも話を聞いてみれば、時折遠方から大量の物資が運ばれてきて、不自由ない生活を送っているとのことだ。物資を送ってきている一団の中には、ティエールも含まれているらしい。

 偶然その車列に居合わせた青年は、馬車の側面に飾り付けられた紋章を見て驚いた。


 王国内に幾つもの領地を持つウィンダーベル家の紋章、近年になって王国へ糾合されたとして大きな騒ぎを生んだラグトゥーレ家の紋章、他には分かるだけでも西方のルトランス家、広大な穀倉地帯を抱えるウィンホールド家など、仕官先にと貴族らのことを調べれば早々に顔を出す面々だった。

 思わず追いかけてみるも、流石に貴族本人が来ている筈もなく、少しがっかりした。


 腕に覚えはある。

 上位能力こそ使えなかったが、青年は村を出て以来負けたことがない。客観的に見ても、相当な腕前だと彼は考えていた。

 あと必要なのは機会だった。

 そんじょそこらの貧乏貴族に士官しても行く先は見えている。

 ウィンダーベル家は悪くなかった。なにせ侯爵家でもあるし、当主が変わってからはどこへ行っても名前を聞く。大きく成長している集まりでは、上へ行ける機会も多いだろう。

 次はどこだろう、と青年は考えた。

 規模や格式だけならラグトゥーレだろうが、あそこはまだ国内での立ち位置を確立出来ていない。外からやってきた一団というのはまず身を固めるものだ。青年が入り込む余地などないだろう。

 ならばルトランスか。しかし西方の山奥でのらりくらりと過ごすルトランス家は、大きな家ではあるが安定していてやはり上を目指すには向かない。


 目の前を通過していく一際大きな荷馬車に再びウィンダーベル家の紋章を見、やはり東を目指すかと思い直す。


 そんな時だった。背にしていた建物の上から声が降ってきた。


「貴様、見ない顔だな。どこからやってきた」


 なんだと仰ぎ見れば、陽光を受けた影が頭上を越え、大通りへと躍り出る。

 ちょうど車列の途切れる所だったのか、ソイツは離れていく馬蹄の音と車輪の音を背後に、青年へと向き直った。


「この都市の住民や出入りの者は把握している。貴様は何者だ?」

「お前?」


 不愉快さを隠しもせず青年は言葉を吐いた。

 なにせそこに居たのは、青年よりも四つか五つは若い少年、小僧と言ってよい年齢の男だったからだ。


「どうした、名乗れ」

 更に偉そうな言葉を掛けられ、不愉快さが増す。

 青年もいずれは士官を目指している身である以上、主君と仰いだ者にならそういう振る舞いを許すつもりでいた。しかし傅く価値もないような者であれば、貴族であろうと膝をつく気はない。

 要するにこの男、相当に傲慢であり、誰かが本質的に上へ立つことを認めたがらない跳ねっ返りだったのだ。


「名乗れと言われて差し出すような名は持ちあわせちゃいねえな」

「? そうか、誰ぞが新しく雇った護衛かと思ったが、どうにも違うらしい」

「ほう、なぜそう思う?」

「護衛よりも野盗の方が似合いそうだ」


「――ッハ! ハハハハハハハハハ!」


 皮肉の類でもなく、まるで空が青いですねと告げるように言った少年に、青年は腹を抱えて笑った。

 笑い、細めた目で通りの中央に居る少年を見据え、


「ざけてんじゃねえぞクソガキがァ!」


 叩きつけられたハルバードが、青い風を伴って石片をまき散らす。

 『槍』(インパクトランス)による打撃の加護が、分厚い石畳を粉砕したのだ。


「俺ァ今まで俺を馬鹿にした奴を無事に帰した事ァねえ。分かるな小僧」

「随分野蛮な話だが、確かに分かる」

 この期に及んで少年の態度は変わらなかった。ここで青年も、少しばかりの好感を持った。口先ばかりの貴族連中は、今の脅しで腰を抜かす。少なくとも奴らよりは骨があるらしいぞ、と。

「魔術は使えるか、小僧」

「いいや。学んでいる最中だ」

「そりゃ残念だ。だったら分かるな? 俺ぁガキ相手だろうが容赦はしねえ。許して欲しけりゃ頭を下げな」

「違う」

「あ?」

「アンタの方が見誤ってる」

「何がだ」

「『槍』(インパクトランス)は――足が遅いってこそさ!」


 言うやいなや、少年は素早く建物の脇にあった木箱へ足を掛けると、次に装飾の段差へ逆の足を掛け、ひょいひょいと屋根へ登ってしまった。それから後ろを確認もせず走りだすのを見て、青年はようやく事態を理解する。


「なっ!? 男子が尻尾巻いて逃げるだと!?」


 ともあれ逃げられた以上は追うしか無い。

 そして相手を追いかける事に関して、『槍』の魔術は致命的なほど足が遅い。上位の『騎士』でも使えれば話は変わるだろうが、あんなのは一軍に一人か二人居ればいいところ。

 ここまで馬鹿にされたとあっては放置も出来ない。元より熱くなりやすい性格の彼は、腰元の剣を抜いて追おうとする。

 だが、直前になって騒ぎを見ていた一団の中に、気になる影があった。

 そいつは青年と視線が重なるや、馬鹿にするような笑みを浮かべて人混みに消えていく。


 なんなんだこの町はと、街路へ踏み出す青年。

 幸いと言えばいいのか、目的の少年はすぐ近くで様子を伺っていた。見知らぬ町の裏道とあって、警戒しつつ進もうとしていた青年は呆気にとられて気を抜いた。

 当然、頭上から落下してくる花瓶に気付くこと無く。


   ※  ※  ※


 そよ風のような歌声に目を覚ました。

 けれど、起き上がっては歌を止めてしまうような気がして、目を瞑ったまま耳を澄ませる。


 女の声だった。

 若いが、幼くはない。

 年の頃は自分と同じくらいだろうかと青年は思った。

 とても綺麗な歌声で、ずっと聞いていたくなるくらいに心地好い。


 青年は寝台に身を横たえているようだった。身体が沈み込むほどに柔らかなものだったが、野宿に慣れ切った青年からすればむしろ落ち着かない。

 どうにも状況が分からないと薄目を開けると、ちょうど歌声の主が寝台の上へ身を乗り出し、窓枠へ花瓶を置いているところだった。


 蝋燭の明かりに目を細め(気付けばもう夜だった)、その姿を観察する。


 金色の髪は絹糸のように繊細でなめらか、瞳の色は青空のようで――一見して彼女が純血のレイクリフト人であることが分かる。体つきは細く、花瓶を持つ綺麗な指先は、彼女が水仕事など一度もしたことがないのだろうと思えた。

 貴族の娘だ。青年は確信した。

 商人の娘にも似たようなのは居るが、纏う気品は彼が知るソレとは大きく異なる。


 そんな子がどうして花瓶を? 思い、呆然と見つめていたからだろう、女はこちらに気付いて笑みを見せた。

 その、花弁がはらりと落ちるような儚さを感じさせる笑みに、青年は思わず顔を熱くする。


 何を隠そうこの青年、故郷を飛び出すことになった大きな理由に、領主の娘へ一目惚れし、求愛するも素気無くあしらわれたという経験がある。

 以来彼の女性の好みは荒っぽい田舎女などではなく、多少高慢ちきな所があろうとも気品を感じさせる貴族に固定されている。騎士を目指す彼にとって、庇護欲を感じさせるなら尚良し。加えて、いつか敵に追われた姫君を守って命がけの戦いを繰り広げるのが夢であるという、なかなかにロマンチストなのだ。


 つまり、目の前の女性は、青年にとって好みのど真ん中。一目惚れだった。


「頭の傷は大丈夫ですか?」

 一瞬、鈴を転がすような声に聴き惚れそうになったが、すばやく自分を立て直して青年は返答した。

「なに、この程度の傷、大したことじゃありません。俺は最初、木の葉でも落ちてきたかなと思ったくらいで」

 ならお前は木の葉に頭ぶつけて気絶したのかと言われてしまうだろうが、今の彼にとっては面前の面子がすべてだった。仕官を目指し、道中一緒になった神父に頼み込んで習得してきた丁寧な言葉遣いで、彼は言葉を続ける。

「みっともない姿をお見せしましたが、私はこれでも鍛えておりますから、心配には及びません」

「本当に、申し訳ありません」

「なぜアナタが謝るのですか。一体どんな悪漢が私を襲ったのかは分かりませんが、気絶した私をこのような場所で介抱して下さったアナタへは、感謝の言葉しかありません」

「……申し訳ありません」


 事情は分からないが、どうやらこの話題は彼女にとって謝罪するべきものであるらしい。細かいことにこだわらない性格もあって、青年は素早く話を切り替えることにした。


「しかし、ここに来たのは初めてですが、変わった町ですな」

「あぁ、それは――」


「それはここが、流刑地だからだよ」


 少女の声を遮るようにして現れたのは、あの大通りで青年を馬鹿にするような視線を送っていた男だ。見るからに陰気で、目にはカビが生えているんじゃないかと思うほど淀んでいる。


「シルティア、目が覚めたのならすぐに教えろと言っておいた筈だ」

「申し訳ありません」

 よく謝る人だ。

「わがままを通すのなら、それに値するだけの筋も通せ」

「はい」


「ちょっと待てよ」


 あまりにも理不尽な物言いに、青年は思わず口を挟んだ。

「俺は今起きた所だ。怪我人をいたわる言葉を掛ける程度の時間も待てないのか」

 すると男はじめっとした視線を青年へ向け、少しの間口を噤んでいたが、

「もう元気なようだ。あまり宮中を野蛮人の足で汚されたくない。身支度をさせたら出て行かせるように」


 去っていく背中に蹴りの一つも入れてやりたかったが、そうしてはシルティアと呼ばれた彼女にも迷惑が掛かる。青年ははらわたが煮えくり返るのを何とか耐え、素早く寝台から飛び降りると身だしなみを整えた。

 とはいっても、旅装は一張羅というのもあって見るからに小汚い。昨日までの彼ならそれもまた男の色気だのと戯言を口にしていただろうが、いかんせん惚れた女の前では心もとない。

 彼の理想は姫君と騎士の関係だ。

 ここを出たらよそいきの服を買おうと心に決めた。


「では、私はこれにて失礼します」

「ぁ……」


 口惜しくはあったが、今の自分では不釣り合いという自覚もある。青年は部屋の隅に置いてあった荷物をひょいと背負うと、いつか見た騎士の礼を、見よう見まねでやってみせると、素早く踵を返して部屋を出た。


 家というのは、おおよそ間取りが決まっている。初めて来た場所でも、適当に歩いていれば出口に辿り着けるものだ。

 だが青年はほっつき歩くこと半時、ようやくそこが普通の家ではないことを理解した。


 とにかく広い。

 階層は二階までしかない。だが中庭に出たからと反対を目指せば、また同じような中庭にぶつかる。集光の為にそういう構造なのだろうが、どうにも現在位置がわかりにくかった。

 あの陰気な男は宮中と言っていたが、どちらかと言えば修道院が近い。本来なら中庭の一つ一つが祈りや修業の場となるのだろうが、人の少なさから殆ど使われていない。おかげで道を聞くことも出来ない始末だ。


 そうやって更に半時をうろついていると、ようやく彼は開けた場所に出た。

 目の前に広がる広大な夜空を見て、内心でほっとする。下手をすればあのまま迷い続ける可能性も頭をちらついていたのだ。


「っほー、見事な庭園だ」


 幾つもの篝火によって照らされる石造りの空中庭園を前に、青年は笑みを見せた。

 初恋相手の屋敷にも似たようなものはあったが、ここはその三倍はある。大きさが権力の象徴ではないだろうが、寂れた町とはいえ、相当に力のある者の家らしい。


 落ち着いたのもあって荷物を脇に起き、青年は庭園へ歩を進めた。

 花を愛でるような心は持ちあわせていないが、そこが特に手の込んだ場所であるのは分かった。彼は、美意識を共有できないからといって、誰かの頑張りを否定するつもりはない。


 痛む頭を手で抑え、植生で造られたアーチをくぐる。

 抜けた先は、彼にとっても古臭いと感じる空間だった。

 石造りの机と椅子。古代の遺跡などにはよく見るものだが、今どき重たい石を家具に使うような所は稀だ。大抵は木製か金属製で、田舎の村でも多少の装飾が施された家具を使う。

 それにはなんの飾り気もなかった。

 ただ丸い机の形をした石があり、囲むように地面とそのままくっついた状態の椅子がある。そんなのが十と三つばかり広々と設置されていた。周囲が手の込んだ庭園であることが、一層違和感を大きくした。


「やあ、頭の傷は大丈夫かい?」


 見とれていたからか、青年はそこに先客が居ることに気づかなかった。

 あの少年だ。青年に舐めた口を聞き、裏路地に誘い込んで卑怯な手口を使ったあの少年が、空中庭園の端、石造りの柵の上に腰掛けていた。


 怒りを、青年は沈めた。

 頭の一発も殴ってやりたい気はするが、ここに至って、少年の偉そうな態度に合点がいったのだ。

 この巨大な屋敷にあって何一つ気負うことのない態度が何よりの証明。


「大したことはありません。それよりも、無礼を働いたこの身を助けてくれたことにまずは礼を言わせて欲しい」

「そう、それならよかった」

 青年の急変した態度に少年は何の反応も見せない。

 慣れているのだろう。

 礼はいらないよ、と付け加えた彼は、遠く広がる景色に目をやり、それきり黙りこんでしまった。


 青年は迷っていた。

 彼がこの屋敷の当主、あるいは後継者であることはもう疑いの余地がない。妙な思い込みを捨てれば、あの浮世離れした雰囲気やどことなく漂う気品は、間違いなく貴族のものだと理解できる。

 なによりシルティアと呼ばれた少女のことだ。あの陰気な男にひどい扱いを受けていたようだが、おそらくは屋敷へ奉公に来た貧乏貴族の次女や三女だろう。

 もしここで仕官が成れば、いずれ彼女ともよい関係が築けるのでは、という考えがあった。


 ゆっくりと歩を進める。

 月明かりの下、少年の見ていたものが見えてきた。

 広い世界だ。青年も初めて村を飛び出した後、見渡す限りの平原を見て驚いた。その遥か向こうにも世界は続いていて、呆れるほどに人々が蠢いている。最初の頃は遠くに新しい景色が見えてくるだけでも楽しかったものだ。

 長々と仕官を目指すと言いながら、定住もせず各地を放浪していたのには、もっといろんな世界を見たいという気持ちが多分にあった。

 気付けば、青年は柵の二歩手前で立ち止まっていた。

 傅くには程よい位置。彼にどこまで権力があるのかは分からないが、あのウィンダーベル家を始め、名立たる貴族らから贈り物をされるほどには力のある家だ。彼が奉公の一人であったとしても、友好的な関係を築ければ主人との橋渡しも望めるだろう。

 思い、彼は権力の前に膝を折ろうとした。


「貴様はこの国をどう思う?」

「ん?」


 つい動きを止め、顎に手をやる。


「貴様の格好を見て、屋敷の者が旅人だろうと言っていた。多くの世界を見てきたのではないか?」

「……はい」

「この国がどう見えた。見渡す限りの丘を越えた先、人々はどう暮らしていた」


 重ねて問われ、更に青年の首は傾いでいく。

 国。考えたこともなかった言葉だ。彼にとって最も大きな枠組とは領主で、次に都市郡、商会の勢力圏などは旅をする上でも重要だったが、国などという枠組みを意識したことは皆無だった。

 いや、一応は貴族や領主を思うたび、それらを纏める枠組みがあるのは理解していたし、彼もざっくばらんに自分の住む王国というものを知っている。けれど、それは意味を持たないものだった。


 かつて建国王と呼ばれた男は、この大陸のあらゆる国を攻め滅ぼし、巨大な国を作り上げたという。けれど彼の死後、瞬く間に国は割れ、国は崩壊した。

 青年が住むこの国は、名をホルノスという。

 建国王の作り上げた国の名もホルノスというが、実際には繋がっていない。一応はこの地方が彼の生まれた場所というだけで、かの英雄が作ったという国は遥か昔に潰えている。

 それをいつからか名乗るようになり、まるで商会の同盟のように加盟者が増えるに従って領土を拡大していった。


 大きな時代の転換があったのだろうと、この話をしていた神父は言っていた。

 大陸北西部にある島国からの侵攻が、有名無実な名前を呼び起こし、好き勝手やっていた地方領主たちを結束させた。


 結局はその程度。

 今や侵攻も途絶えて久しく、有事に生まれた連帯感は呆気無く消えていった。

 残ったのは国という枠組みと、王という存在。だが王の言葉を聞く者などどこにも居ない。領主たちが欲したのは自分たちを統べる者ではなく、結束を象徴するだけの、いわば人形だった。

 それで少なくとも外からの侵攻に対する、十分な脅しとなるのだから。


 だから、各地を回ってきたとはいえ、青年にとっても国というのは実感の湧きにくいものだった。

 むしろ領地一つ一つが国で、それぞれが勝手に政治を行っている。

 領地の境目は一際多く税を取り立てられる面倒な場所、という認識があるばかりだ。

 結果、青年は問いに対してこう答えた。


「そんなものは無いんじゃないでしょうか」

「……ほう」

 興味深そうな少年の反応にどうしたものかと思う。

 今の答えのどこに、興味を誘う部分があったのか。こんなことは町へ行けば誰でも思っていることだ。いや、考えもしないというのが正解か。


「俺たち平民にとっては、税を取り立ててくる代官が一番身近な偉いさんです。次にその代官がお題目として口にする領主。そこで止まりです。国と言われても、何かをされたこともなければ、無いのと同じじゃないでしょうか」

「なるほど、確かに貴様の言う通りだ」

 ふと、月明かりが陰った。

 分厚い雲に覆われて、あれほど明るかった景色が闇に覆われる。篝火の明かりも、それを背にする少年の表情は照らさない。


「……ただ、領主にとっては違うのかもしれません」


 どうだろうか。

 青年の知る限り、領主という存在はこの世の頂点に近い権力を持っている。教会という枠組みもあるが、あれは一昔前にいろいろとやり過ぎて今は嫌煙されがちだ。

 領主たちは、全てにおいて自分たちで決めなければならない。最も大きいのは法だろう。彼らほどに多くのことを動かすと、不正を働く者が必ず出る。だからコレをしたらこのくらいの罰を与える、そういうことを明示する必要がある。

 だが、その法で領主は裁かれない。彼らは法を決める立場にあり、裁く立場にある。

 それは自由かもしれないし、都市で偉ぶった学者から言われるように、横暴さから非道の数々を繰り返す者も出てくる。そして彼らは裁かれず、世に蔓延り、人々を苦しめる。

 けれど、


「自由も過ぎれば、何をすればいいのか分からなくなります。俺も村を出た時は、面倒な決まり事から開放されたと思ったもんですが、数日もすると、決まって村でやっていた通りに日々を送るようになったんです」

 目覚めの時間、食前の祈り、睡眠の前の祈り、季節ごとの儀式もそう。どれも村に居た頃は面倒で仕方無かったものだが、今では欠かさず守っている。

「領主たちは、自分たちを縛る何かが欲しいのかもしれません。何もかもを自分で決めるというのは、それだけで心細いものです」

「だから王を戴き、王国を名乗ると? その実王への忠誠など形ばかりの物資しか寄越さずとも、いや、従うつもりなどまるでなくとも、形ばかりの行為を経て彼らは安心を得ようとしていると?」

「あくまで、寄る辺も持たない風来坊の考えです」

 中には本当の忠誠とやらを持っている領主だって居るかもしれない。けれど少数だろう。王なんていう何もしない者に、人は心を預けたりはしない。

 神ですら、魔術という明確な加護が示されていなければ誰も存在を信じなかったかもしれない。あるいはこの国の王に対するように、安心を得るための道具にされるのか。


「すべての原因は、何もしない王にあるのかもしれんな」

「何かをされると困る領主も居るでしょう」

「さもありなん。だが、勝手に持ち上げておいて、何もするなは横暴だろう」

「ですが王が何かを始めれば、必ず戦が起きるでしょう」

「だから王は何もしないのかもしれんな」


 そうなのだろう。

 そして王は忘れ去られていく。いつか大きな敵が押し寄せるその日までは。


「――この大地に、遍く轟く黄金の国を創り上げよう。そんな夢を見たんだ」


 野心がある訳じゃない、と少年は言った。

「分かってるんだ。何もしないのが一番。何かあった時には皆を纏める灯火となって、終わればさっさと消えてしまう。だけど、俺には俺を慕ってくれる仲間が出来てしまったんだ」

「仲間の為に、夢を語るのですか?」

「人々が王の存在を知ることで安心を得るのと同じさ。ここに集まってくる者たちは何かに窮して、立ち止まるしかなかった連中なんだ。俺と同じ、永遠に止まった世界で生き続けなければならない。だから語る。それがどれほど荒唐無稽であろうと、夢物語であろうと、無様な逃避であったとしても、俺は俺の民に夢を語ろう。そうして彼らが夢を見れたなら、少なくとも自分たちが死人であるなんて思って生きなくていい」


 知らず、青年は膝をついていた。

 頭を垂れ、騎士の礼をとって『槍』の紋章を浮かび上がらせる。


 少年は笑みを浮かべた。

 『槍』はかの建国王の伝説に語られる、最も高貴な魔術とされている。縁起というものを担ぐのであれば、これほど好都合なものもない。


「いいだろう。今日から君を臣下に加える。本当に何も出来ない王様だけど、夢語りだけは得意だから」

「私は反対なんですがね」


 水を差すとはこのことか。

 ようやく青年が心から仕えようと思えた主君との、神聖なる儀式へ割り込むように現れたのは、あの陰気な雰囲気を放つ男。

 一世一代の舞台に水を差されたとあっては、さしもの青年も怒りを露わにした。


「テメェ、自分が何をしたか分かってるんだろうなァ?」

「お前こそ分かってるのか。そいつに従うということは、一生を棒に振るのと同じだということを」

「俺が自分で決めたことだ! んなことで一々後悔なんざするかよ! 第一、またぞろどこかから攻められないなんて保証はどこにもねえ。知ってるか? ここからずっと東方にはラインコットっていう町がある。この国の町じゃねえ。そこの領主が随分な野心家だってんで、あっちの方じゃ近い内に戦争が起きるって皆言ってるぜ」

「ほう、それは知らなかった。お前は物知りだな」


 青年としてはそのまま息巻いて畳み掛けたかったのだが、少年の良くも悪くも俗世離れした呑気さにつんのめるようにして口を噤む。

 それは陰気男も同じだったのか、軽くため息をついて近寄ってくる。剣を鞘へ収めているのをわざと見せてくる辺り、まだ警戒は解かれていない。

 少年は、傍らに立った陰気男を手で示して言う。


「こいつの名前はダリフ、宰相だ。で、俺はルドルフ。当然王様だ」

「では俺は近衛兵団長、ということでいいんですかい」

 ルドルフの調子に合わせて言うと、陰気男ことダリフが鼻で笑った。

「あー、そうか、近衛がいいか。困ったなぁ……」

「近衛兵団長は既にいる。お前も一度会っているだろう?」

 と言われた所で、青年がここで会ったのは目の前の二人と後はあの可憐な少女シルティアだけだ。後に誰かと言われたら……、


「今浮かべている人間で間違いない」

「なにっ!? 俺が迷って駆け込んだ便所の掃除をしていたあの婆さんが近衛兵団長だとお!?」

「……」

「道を聞こうとしたんだがすっかりボケちまってて、いやいや王様さ、人選はちゃんとしなくちゃならんだろ。まあ、今までは人が居なかったってことで仕方ないとして、でもどうするんだ? やっぱり強い方が近衛兵団長なんだろうけど、あの婆さん相手に戦うのは俺も気が引けるというか」

「……シルティアだ」

「は?」

「シルティアが近衛の団長だ。彼女はこの町で一番の使い手だ」


 冗談かと思ったが、二人の目を見る限り違うらしい。


「彼女は『弓』の上位能力を使える。『槍』のお前では絶対に敵わない相手だぞ」

「上位能力ぅ!? あの可憐で儚げで守ってあげたくなっちゃうシルティアちゃんがなんだって上位能力なんて!?」

「いやほんと、こんな所で死んでいくには勿体無い子だよね」

「陛下にこやかに笑ってる場合じゃありませんって! 『槍』なんざ結局は一兵士の単位に収まりますが、『弓』の上位能力なんて一軍を相手に出来るとも言われてるんですよ!? 『王冠』なんてあるかどうかも分からない『盾』の上位能力に比べると最も現実的で最も価値の高い魔術なんですって! ねえほら聞いてます陛下ー!?」

「ははは、貴様は軍事に大層詳しいらしいな。補佐ということも考えたんだけど、それならシルティアと交代で団長にしてもいいかもしれないな。彼女にはもっと重要な役割もあるんだし」


 と、いまいち本当に彼女が上位能力を使えるかに納得のいかない青年は、とりあえずその采配に頷いた。しかし、彼女にふさわしい重要な役割とはなんだろうか。

 問えば、少年ことルドルフ王は、今までどおりの呑気な笑みを浮かべて言った。


「彼女は俺の許嫁だ。当然、妃も兼任している」


 仕えたその場で謀反を起こしたくなるというのも珍しい。

 青年は束の間見せた夢に全力で幕を閉じ、ひたすら忠誠を貫くことに決めた。元より色に生きるより武を選んだ彼は、それでも心の汗を禁じ得ず、ごまかすように天を仰いだ。


「よし。新たに近衛の団長も出来たことだし、今日は夢の様な明日を願って大いに食べ、語らおう」

「では、シルティアに言って準備をさせます」

「任せる」


 ルドルフが言うと、素早くダリフが許可を求めて去っていった。

 王妃を相手にしても、ダリフの態度は相変わらずだ。それだけ古い関係なのか、それとも他の理由があるのかは分からない。

 やがて、シルティアを始め数名の女中らが食べきれないほどの食事を運んできて石机に並べた。気の利いたことに酒もある。年若いルドルフには早いが、青年にとっては無くてはならない食事の伴だ。


 全く、と青年は思う。

 思い返せば馬鹿らしいほど唐突な仕官だった。知らず膝をついていた自分に今更ながら首を捻りたくなる。そして望む方も望む方だが、たったあれだけの会話で近衛の長にするなんて、少年もどうかしている。


 いや。そういうものなのだろう。

 いかに彼が青年を近衛兵団長と言った所で、周囲は感心すら向けない。団長としての権威も、実行力さえないのであれば、悩んでいるだけ無駄というもの。

 ルドルフにとっては、叶わないと知りつつも語り続けることで、高すぎる壁に遮られた人々に明日を夢見させることこそが目的なのだから。たとえ青年が悪意を持って接近してきたとして、お飾りの王に侍った所で何が出来る。

 どこぞの商会にうまい話があるとでも持ち込むのか。

 誰も相手にしない。信じたとしても、この国で王へ諂うことの無意味さに思い至らない者は居ない。

 子どものごっこ遊びと変わらない、安息だけが保証された日々を送るだけだ。


 それでも、と青年は思う。

 いつか世界が彼の元へ集う時が来る。

 各地を放浪してわかったことは、世界とは分からないことばかりだということだ。

 明日、この平和が終わらないと誰に保証出来る。国を一つ挟んだ向こう側なんて、更に未知の領域だ。知りもしなかった国が、周辺国の一つを飲み込んでひょっこり顔を出すこともあるかもしれない。

 なにより少年に感じた、形容しがたい何か。

 もし王を軽んじている地方領主たちが彼の元へ集えば、途方もなく大きな事が起こるのではないか、そんな予感がする。


 ルドルフが庭園に集った者たちに向けて、杯を掲げて声を上げた。

 ダリフやシルティアだけでなく、宴の準備をしていた女中や料理人らしき者も居る。他にもぞろぞろと集まってきていて、もしかすると街中の者たちが彼の呼び掛けに応じたのかもしれない、と青年は思った。


「新しい仲間を紹介する。彼だ。彼は今日より近衛兵団の団長となった。団長は予てからシルティアが兼任していたが、彼女は俺の妃でもあるし、その任からは外したいと思う。シルティア、異存はないか」

「ありません」

 淑やかに告げる、彼女のなんと美しいことか。


「よし。では我らが新たな友………………あ」


 と、ここでようやくルドルフは重要な事に気付いたらしい。

 主従の契約を交わして置きながら、青年は最も大切なことを告げていない。避けていた訳ではなく、単純に言う間が無かったからだ。


 ルドルフの助けを求める視線と、周囲の好奇の視線を受けながら、近衛兵団の長となった青年は胸を張り、告げた。


「俺の名はマグナス。マグナス=ハーツバースだ。よろしく頼む」


 綺麗な月の夜だった。

 それは残照のように、今も彼らの心に黄金の輝きを宿している。




 

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