第74話 贄


   フィオーラ=トーケンシエル


 囚われた近衛兵団での扱いは、驚くほど穏健なものだった。

 どうにも、奴隷として扱われているのではないらしい。そういうことを、あのマグナスという男は言っていた。あくまでも捕虜、ということらしい。


 町の中に設けられた収容場所で、武器を取り上げられた私たちは食事を振る舞われていた。収容場所と言ってもどこかの大きなお店で、祝祭でも始まりそうな綺羅びやかさがある。

 料理も、あくまでフーリア人の文化しかしらない人たちにとっては奇異であるというだけで、今が戦中であることを踏まえれば十分すぎる豪華さだ。それが分かるほどには、彼の傍でレイクリフト人を見てきた。


 そして更に驚くべきことに、ある程度は自由に動きまわって構わないらしい。

 巫女の存在も既に知っているだろうに、情報を集める私たちを止める気配もない。


 私は、二階のテラスで星を眺めていた。

 頭に浮かぶのは、ハイリアという男の事。


 裏切られたという気持ちはない。

 私が彼に望んでいたのは、メルトを幸福なままでいさせること。その為に私が邪魔だというならそれでもいい。自分のことなんて、随分と昔にどうでもよくなってる。

 第一、カラムトラの側から勝手に仕掛けたことだ。

 私たちフーリア人を通じて、事前に幾らかの情報交換はあったにせよ、同盟を結んでいた様子もない。


 あの時……。

 私たちが贄となる女の子を捉え、その子を助けた少年が決意を口にした時、彼は笑っていた。

 とても寂しそうで、悲しそうな顔を見た。

 ウィンダーベル家には秘密がある、とその屋敷に務める私へカラムトラの長、オスロ様は告げた。秘密は複雑に隠蔽されており、大抵の場合はある一層の真実を知って満足する。対外的に告げられている宣言も、その為のものだと納得出来る。

 けれど、それだけじゃない。

 カラムトラでさえ探り切れていない何かが、あの人の奥底を縛っている。


 分からない。

 なぜ、あの時彼は泣きそうな顔をしていたのか。

 望んでいた筈だ。そうなる為に様々な準備を重ね、私も幾つかの事に参加した。会って間もない私を、メルトの姉というだけで信用し、重用してきた。

 おかげで色んな物に触れる機会を持てた。

 信用できる人間なのかを探れと言われて、私も彼に興味があったから、それなりに屋敷を調べ回った。


 そして、ある日記を見つけた。

 読んで、吐き気がして、見てはならないものを見たのだと気付いた。その事はまだ誰にも話していないけれど。

 まだ真実には辿り着いていない。

 けれどあの顔を見てから、あの日記に書かれていることが原因であるように思えてきた。

 途中で投げ出したことを悔やむ。そして、もう一度読めればと思う。

 恐ろしくはあったけれど、今は意志が先に立つ。


 あの…………アリエス様の日記を。


   ※  ※  ※


 ガチャリという音がして視線を背後へ回す。

 ドアノブを不思議そうに見つめた後、その人物は確かな歩みでこちらへきた。


 咄嗟に、場所を開けなければと考えた。


 彼は、少なくとも私のような何の役割も課せられていない者からすると天上の人だ。私たちの間では、特殊な役割を持つ人間は、名前と苗字の間にそれを示す言葉が入る。

 殆どは古い言葉が使われる為、巫女のような立場でもなければ本当の意味は分からない。ただ、ひたすらに畏れ多い人物なのだと、そう思う。


 立ち上がりかけた私を、彼は引き止めるように手を翳して止めた。

 するとどういうことか、あのオスロ=ドル=ブレーメンが、少し離れた場所で椅子に腰掛けた。


「やわらかいな」


 なんでもない、世間話のような言葉。


「木の骨格の上に綿を敷いて、布や革で覆ってあるんです」

「そうか……たかが椅子一つでさえ…………」


 この、天の上に立っているような老人が、かつて近所に住んでいた老人たちがそうであったように、この大陸の技術に触れて気落ちしているんだと気付くのに、随分時間が掛かった。

 私たちのような奴隷とは違い、カラムトラの人々は秘密裏にこの大陸へ潜入しながら、決してこちらの文化には触れようとしなかったと聞く。安易に受け入れたことで人々が堕落し、その背を斬られたのだという話は以前にも聞かされた。


 二人、空を仰ぐ。

 そうして、話が始まった。


「薬を、貰ったのだ」

「薬……?」

「若い男であった。肌の白い、奇異な格好をした男。皆は彼を信用できる男だと言ったが、ワレは信用せなんだ。されど死が間近に迫った時、ワレは恥も忘れて引き棚を漁った。放り込んでおいた筈のそれが見つからぬと分かると、今度は奴が隠したのだと怒り狂った。結局は、部屋の隅に転がしてあったのを見つけたのだがな」

「……はい」

 自嘲するような言葉を、私は馬鹿にするでもなく、ただ納得して頷いた。似たような体験は自分にもあった。

 大勢に迫られ、叩き付けられる暴力の中で私は、泣いて叫んで、赤ん坊が母へ懇願するように、弱々しく慈悲を求めるしか出来なかったから。それを殊更嗤って嘲る者も大勢居た。永遠に続くかと思えるような責め苦の中では、人の理性や誇りなんてあっという間に磨り減ってしまう。諦めてしまうのが一番楽で、唯一の生存方法だった。いや、時には媚びる必要さえあった。培ってきた自分というものを捨てて、相手の望むように、玩具として扱われるのを喜んで見せたこともある。そうできなかった者はいずれ殺される。

 けれど、生き残ってもそれは同じだった。もう自分がどんな人間だったかも分からなくなるような日々の中で、狂ってしまった人を何度も見た。狂えなかった人は、いずれフラリと死に絶える。

 私も、自分が本当は狂っていなかったのか、なんて思うこともある。

 運が良かっただけだ。


 諦めて、諦められなくて、ある日突然、ごみのように捨てられた。

 そのせいでか、知りもしない誰かの為にとか、未来の為にとか、そんな遠いものの為に何かをするということに価値を見出だせなくなっていた。今を生きることさえ難しい世界だ。

 ようやく出会えた、たった一人の妹の幸せを願うのは、当然の話だ。

 あるいは、メルトの幸福を願うことに、縋っているのかもしれない。


「病から回復したワレは、男に感謝し、それまでの無礼を詫びた。そうして沢山の友誼を重ね、その内に、男が、ある女と恋に落ちた時、ワレはそれを歓迎した。遠い果ての地からやってきた男との婚姻は、様々な不安を抱えていたワレらにとって新たな兆しでもあった。

 そうして子が生まれた。ワレが名を付けた。古に存在したという、不死身の戦士の名を」

「それは……」


 不意に私は、彼から重大な話を聞かされていることに気付いた。

 それほどの信用を彼から得ているとは思っていない。むしろ、弱り切った彼が、ようやく漏らしても構わない相手を見つけたと言うような、そんな逃避じみた気配を感じ取った。


「その子供は」

 おそらくは歴史に残る、フーリア人とこの大陸人との間に出来た、最初の子。

 膨らんだ期待は、続く言葉に断ち切られた。

「死んだ」


「元々、白き者との子を生むことに反対する者は大勢居た。ワレがそうであったように、古から続く言葉は、彼らが滅びを呼びこむ使者だと告げていた」

「暗殺……ですか……?」

「そう聞いている。あの当時からワレらの治世は揺るいでいた。西方ではズン族、南方ではカシウ族が力を付け、次々と近隣の部族を滅ぼしていた。あるいは白き者どもの侵略がなくとも、ワレらは滅んでいたやもしれぬ。

 だが悪しき神を封じる贄は必要だ。すぐさま新たな婚姻が決まり、子が作られた。それがあの、フロエという名の少女」


 分かるか、と老人は言う。


「いかに信用の及ぶ者とはいえ、フーリア人のみならず、全土の平穏に関わる要石を預けるとなれば、相応の人物でなければならぬ。断ち切れたとはいえ、その男には契りによる信があり、ワレにとっても納得のいく人選ではあった。

 遠い果ての地に逃がしてしまえば、ズン族の輩が攻め立ててこようと、無い物は奪えない。かの地を離れる訳にはいかなかったフロンターク人らの代わりに、万が一にとの備えであったのだ」

 けれどそれは奪われたと聞いている。

 ラ・ヴォールの焔はラインコット男爵という人物が、あの学園の地下に隠したのだと。


「されどいざ航路が開かれるようになると、今までワレらに対しては大人しかったカシウ族らがにわかに騒がしくなった。見たこともない恐ろしい病が蔓延し、到底人の身に余る、魔術なる力を振るう白き者たちが、たちまちワレらの土地を食い荒らした。その中で多くのフロンターク人らも死に絶え、後継であるフロエも連れ去られた。戻ってきた男と共に探して回ったが、半ばで連絡も途絶え、攻めこんできたズン族とカシウ族らの争いの最中、死んだものと思っていた」

「でも、生きていた。同じ名前の人があの男の子の近くにあって、気付かなかったんですか?」

「当時、彼女の名前を我が子に付けた者は多かった。フロンターク人とて例外ではない。それに、ラ・ヴォールの焔をどことも知れぬ輩にくれてやったと、奴の子を名乗る者が口にしてから、ワレは殆ど顔を合わせてはいなかった。出会ったのも、その時が最初である」


 小さな違和感を得た。

 なぜか、彼が慎重に言及を避けていることがあるように思えた。そして気付く。一つの結果と、一つの可能性。


「死んだと思っていた者が生きていた……?」


 それはなにか、とてつもない事実を現しているように思えた。


「先代クロメ殿は、ヒース=ノートンとの間に子を成した。生まれた子は、ヒース殿の特徴を強く受け継ぎ、フロンターク人のような白髪、浅黒い肌ではなかった」


 そう遠くない夜空に、銀色の流れ星が落ちていく。

 金属を擦り合わせたような、不快感を催す咆哮が空を抱いた。


「もう一人居るのかも知れぬ。その身を差し出し、世を救うことの出来る贄が」




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